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 今日は天気がいい。雲が一つもなく太陽がハッキリと顔を覗かせている。風は少しひんやりとするけれど、もっと陽が高くなれば、それも気にならなくなるだろう。

「今日は、きっと暑いニャー」

「そうだね。ま、今も暑いけど。走ったし」

 とぼくはワイシャツのボタンを二つほど開けて、パタパタとさせた。

 全速力でダッシュしたおかげか、ぼくらは無事、電車に乗ることができた。

 三十五分発の、西武新宿行きである。

 学校は池袋なので、西武線の場合は途中の所沢で池袋行きに乗り替える必要がある。車内は通勤通学の人混みでごった返している。人の匂いが充満していて、右も左も人間で溢れている。ドアが閉まると逃げ場がなくなり、恐怖を感じる。ぼくは閉所恐怖症ではないけれど、この、逃げ場がない、感じがとても苦手だ。

 人が多いので席には座れず、ぼくらは連結部付近の手すりを持って立っている。座席下のエアコンが稼働している。生温い風が足下に当たって、気持ちが悪くなる。ただせさえ人に酔いかけているのに、余計な仕様だ。しかしジェイゾロフト効果があるから、これでもマシな方なのだ。本来のぼくは、電車に乗るのも一苦労な人間である。

「どんな子なんだろぉーねー?」

 めぐみは片手でスマホをいじっている。

 多分、誰かとラインをしている。めぐみの交友関係はぼくは知らない。今のところ彼氏はいないらしいが、どういう友達がいるのか把握していない。

 けれど先生が目を光らせているから、悪い付きあいは今はない、と思うが実際のところはわからない。

 でも、めぐみはもう非行には走らないと思う。これはぼくの個人的な意見だけれど、めぐみは過去を後悔しているように見えるし、先生のことや現在の状況を愛しているように感じるからだ。どうしてそう思うかというと、いつもいつも、凄く楽しそうだから。ぼくと違って。

「かなりんは、かわいーかな?」

「さあ?」

 あおい:【早く来て。寂しい】

 とあおいからラインが来た。もう学校に着いたらしい。

 あおい:【今すぐ来て】

 千尋:【今、向かってるから】

 あおい:【だめ。待てない。今すぐ!】

 千尋:【物理的に無理】

 あおい:【やだやだやだやだ】

 あおいは、無表情で話すが、ラインだと別だ。ラインに顔はない。それは本来、顔が見えなくて感情がわかりづらい、と言われたりするSNSのマイナスポイントなのだが、あおいの場合、むしろ文面の方が感情が見えるような気がする。

「ねえ! ちーちゃん、十二歳だって!」

「誰が?」

「かなりん」

「日高奏?」

「うん。ほら」

 とめぐみは、先生とのラインの画面を見せた。めぐみは家を出てから先生とずっとラインをしている。先生の事が好きだからだ。ラインで、新しい里子の子のことを色々聞いている。名前は、日高奏と言って、女の子だという。聞いた話をぼくにも逐一、報告してくる。

「小学生じゃん! ちーちゃんよかったね!」

「何が?」

「ちーちゃんコミ症だから、そのほーが人見知りしないですむもんね。かなりん、可愛い子だったらいいね」

「何で?」

「えー? だって男の子は可愛い子が好きでっしゃろ」

「別に。何でもいいよ」

「ふーん」

「何だよ!」

「童貞乙」

「うるさい!」

「あらあら、ムキになっちゃって」

「うるさいうるさい」

「そんなに童貞が気にニャるなら、ねえねえがしたげるよ? めぐが優しく教えたげるっ。ね? いつする? いつがいー?」

「しないから」

「えー? どしてー? めぐ、そんなに魅力ニャい?」

「そういうことじゃない。一応、家族でしょ。歪だけどさ」

 ぼくとめぐみは、先生の里子ということになっている。

 里親は親権を持つことはないが養育権は持っている。ようするに育ての親、ということだ。

 特に問題がなければ、一八歳まで里親制度は利用できる。ぼくは今、一六歳。一月が来たら一七歳になる。めぐみは一七歳。誕生日は三月三日。雛祭の日だ。だから最低でも後、一年くらいはめぐみは里子としてここにいる。

 養育権は監護権とも言われる、正確には権利ではなく義務で、養育権を持つ人は子供を育てる義務がある。産みの親ではなく育てた人間が親、と言うのであれば先生を母親と呼んでも差し支えはない。同時に一つ屋根の下で一緒に育った子供を姉弟と呼べるのなら、めぐみとぼくは姉弟ということになる。血の繋がりはなくともだ。もっとも、一緒に過ごした時間はまだ、一年と少しくらいだけれど。しかし、めぐみが何度も何度も「姉」と「弟」を強調してくるので、正直、めぐみとの関係についてはそんな気になっている。お姉ちゃんとは呼びたくないが、感覚的にはもう、それに近い。

 先生のこともそうだ。実家を出て今の家に来てから、先生が頼りだった。先生は意味不明だし頭がおかしいけれど、締めるところはちゃんと締める人だ。厳しい時もあるし、叱られたこともあった。白状すると正直、お母さん、という感覚になっている。

 だから、めぐみとも先生ともエッチなことはできない。姉や母とそんなことをするのはおかしいと思うからだ。

「だからやだ。家族なんだから。そういうことはしない」

「え? どして?」

「は? どういう意味?」

「だって家族は愛しあうものじゃニャいか。愛しあってる人は、当然、体でも愛しあうもん!」

 とめぐみは一点の曇りもなく言った。

「ちーちゃん、家族ってそういうものでしょ?」

「どういう家族だよ」

 めぐみの思い描く家族というものがわからなくなった。ぼくも大概だが、めぐみも特殊な育ち方をしたから普通の家族、というものがイメージ出来ないのかも知れない。

「ラブラブな家族ぅ!。めぐはね、結婚したらみんなでちゅーしあえる家族を作るのっ」

 とめぐみは無邪気な顔で言った。

 西洋の家族みたいな感じだろうか。

「ふーん、まあでも、ちゅーくらいならいいんじゃん?」

 ぼくも幸せな家族というものはイメージが沸かないから、確かなことは言えない。ぼくの家は子供のころから家庭崩壊していたから、楽しい記憶はあまりない。

「じゃあ、ちーちゃんにもちゅーするぅー」

 とめぐみはぼくのほっぺたにキスをする。

「止めろよ」

 とぼくは言うが、それくらいならいいかもとも思う。めぐみのリップは柔らかくて、キスをされると愛されている感じがする。今まで感じたことがない独特の気分になる。心臓がじーんとしてきて、体が熱くなる。芯から満たされているようなそんな特殊な高揚感に包まれる。

「ぐへへ、ちーちゃん。家族っていいね。これが家族なんだね」

 とめぐみはにやけた顔をしている。

「どうだかね。何か違う気もするけど」

 ぼくにはめぐみの言葉を訂正することは出来ない。けれども、否定する気持ちにもならない。これはこれで、悪くないと思うからだ。

 あおい:【早く早く早く早く】

 あおい:【死んじゃうよぉー】

 千尋:【電車に言ってよ】

 千尋:【どうしようもない】

 あおい:【千尋の薄情者め】

 あおい:【おしおきだ】

 あおい:【覚悟しなさい】

 千尋:【何の覚悟だよ】

「あ、ちーちゃん降りるよ」

 そうこうするうちに、所沢に着いた。

「ほら、手―」

 めぐみはぼくの手をとった。

「はぐれちゃだめなんだからね」

「何だよ、いーよ」

 ぼくはその手を振り払う。

「どこのガキだよ、俺は」

 めぐみはぼくを子供扱いしているが、それはあながち、大間違いでもない。めぐみはぼくより年上だし、非合法だけれど仕事もしてきたし、一三歳で家を出て曲がりなりにも一人で生きてきた人だ。色んな経験をしてきた。

 いつもバカみたいに振る舞うけれど、実際のところの精神年齢はぼくより上だろうと思う。ぼくはひきこもりだし、社会経験も少ないから。でも、さすがに、手を引かれないと電車も降りられないような子供ではない。

「バカにするな」

 とぼくは一人で電車を降りた。

「まあまあ、怒っちゃって、かわいい」

 とめぐみは後から着いてきた。

 二番ホームで降りて、三番ホームから池袋に行きに乗りかえる。池袋行きは一分後に来るので、少し待つ。

 黄色い線の内側で乗車待ちの列ができる。二列、三列。所沢で駅から出る人は階段を登って改札口へ向かい、所沢から電車に乗る人は、階段から降りてくる。

 多数の人が行ったり来たりして、目が回る。ざわざわした音が耳から入ってきて、ぼくは意識を別のところへ集中して音が聞こえないように努力する。二番ホームから見える看板だ。

「ラーメン太郎」とか、「中野予備校」だとか、「気になるお肌に横浜エステ」とか、色んな看板がかかっている。どれも全然興味がないが、看板の色とか文字とか漢字とかを注視して、気を紛らわす。

「ちーちゃん大丈夫? つかれた? 酔った?」

「大丈夫だよ、別に」

「そ? でもきつかったらねえねえをちゃんと頼るんだからねっ」。

「誰がねえねえだっつうの」

「めぐ!」

「死んでも弟にはなりたくない」

「えー、ニャんでー?」

「何でも」

「やだやだやだー」

「うるさい。ほら、行くよ」

 池袋行きが来たのだ。

「手、握る? めぐみはそそっかしいからな」

 弟じゃなく、兄、なら認めてあげてもいい。妹、呼びならしてあげてもいい。ぼくは頭が悪いしコミ症なんだけど、プライドだけはどういうわけか高い。バカにされるのはきらいなのだ。

「なんだったら俺の妹にならしてあげてもいいけど」

「やだ、お姉ちゃんがいーの」

「弟コンプレックスでもあるのかよ」

「いーから、素直になればいいのだ!」

 とめぐみはぼくの脇腹に手を入れてくすぐってくる。ぼくは脇が弱いので体がぴくんと反応してしまう。

「うふふ、かわいい」

「ふざけんな。舐めやがって」

「ふふふ、お主もまだまだよのう。隙がある方が悪いのだ」

「ぐ」

 とぼくは何も言えない。言葉がでてこなかったのだ。くすぐりのダメージが結構あったのかもしれない。

「まあ、いいさ」

 とぼくは電車に乗った。

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