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 池袋東口。その日の雨はとても強かった。正午になっても勢いがおさまらず、大粒の雨が降り注いでいた。

 傘をさして、サンシャイン通りから西武デパートを右手に歩いて、ジュンク堂書店の方へ行った。ジュンク堂は五階建てのビル全部が本屋という、とても巨大な書店だ。

「すごいでしょ」

 とあおいは書店の説明をぼくにした。

 ぼくは、都心にはあまり行ったことがなかったから、こういう壮大なものを見ると、びっくりする。

 徒歩七分くらい歩いた。ジュンク堂の裏手に入ると、いい匂いがした。

「ここよ」

 中華山椒という看板がかかげられた、赤い建物があった。外観は少しくたびれていて、小汚い感じだった。

「空いてるかな」とあおいは言って、中に入っていった。ぼくも傘を閉じて後から着いていった。

 店内は狭くて、カウンターとテーブルの間の通路が人一人分くらいのスペースしかなかった。ぼくらは横歩きで、一番奥のテーブル席に向かった。脂の匂いが充満していた。けれど、気持ち悪くならない。おいしい匂いだ。

 席に着くとすぐ、店員さんがお水を持ってきた。あおいはテーブルに置いてあったメニューを手にとって、慣れた様子でページをめくっていく。

「ねえねえ、何食べよっか?」

 ぼくは変わらず、目を見れず、「あわうわ」とあいまいな返答ばかりしている。

「千尋くんは、辛いの得意?」

「うん」

 ぼくは、「はい」か「いいえ」じゃないと答えられないくらい会話力がなかった。けれど、あおいは同い年だったからか、それとも彼女が特別だったからかはわからないが、自然とため口で話すことができていた。

「じゃあ、本場風にしてみたらいいんじゃない?」

 とあおいはメニューを見せた。

「すんっごい辛いんだよ」

 中華山椒は、日本で生まれたお店だ。以前、中野のお店に入った時、店内の壁に店の歴史みたいなものが書かれていた。

 詳しくは覚えていないが、店長は中国人の方で、その写真が飾ってあった。確か、何十年か前に来日し、日本でお店を出した。日本人の舌に合うように調整しているのか、普通の料理は特に異常な辛さというわけではない。

 辛いのが苦手なお母さんでも食べられるのだから。しかし、この本場風というのは、メニューの追加説明を見る限り、とても辛いはず。「本場中国四川の辛さ」と赤い字で書いてあるし、「※とても辛いです」と註釈まである。ぼくは辛いのが苦手じゃないけれど、辛党というわけでもないので、これは遠慮したい。

「ねーねー、小籠包食べる?」

「うん」

「私、あんまり食べないから、千尋くんが食べてね」

 一皿、一〇個入で八〇〇円だ。ぼくはお母さんから昼食代を貰っているが、一〇〇〇円しかない。お金が不安になる。

「ん、私がおごるよ」

 あおいはぼくのサイフの事情を察したのか、太っ腹なことを言い出す。

「私、お金けっこ持ってるんだ。それにお姉さんだもの」

「え?」

「あ、私ね。一六才だから多分、千尋の一つ年上なのね」

「そうな……、んですか?」

「うんうん。精神年齢は一緒かもだけどね」

 ぼくはつい、敬語になってしまった。うちの学校は基本的に現役中心だけれど、学年が一年遅れであれば、入学は可能だ。だから、多分、ぼくの同級生の何人かは、今年、一七才になる世代だ。

「私、お姉さんに見える?」

「はい」

「えー? どの辺りが? 具体的に教えて?」

「あの、えっと」

 とぼくは言葉に困った。確かにそう言われたらお姉さんに見えなくもない。落ちついているし、どことなく大人っぽい色気がある。

「その」

「うん。なあに?」

 あおいの胸元は恥ずかしくて直視できない。けれどわかる。ちゃんと見つめることができなくても、そこにたわわな膨らみがあることはハッキリしている。

「凄く落ち着いている感じなところとかです」

 とぼくは答えたが微妙に日本語として変になってしまった。

「落ちついてる? 私が? まさか」

「いえ本当です」

 落ちついて見えるのは本当だ。けれど、それ以外の大人っぽく見える部分のことは口に出せない。

「まあいいわ。それより、ねえ、普通に話してよ」

「普通に?」

「敬語、やだよ。なんかよそよそしいもん」

 そうは言っても、さっき会ったばかりなのだ。緊張するし、年上と聞いたら敬語になってしまうのも致し方ない。

「ね? お願い」

 女の子にこんなことを言われたのはすごく久しぶりだったからか、胸がうずくような不思議な感じがした。

「敬語! 禁止!」

「う、うん」

 だからなのか、ぼくは思わずうなづいてしまった。ハニートラップとは違うが、しかし、男の最大の敵は女、と言われる由縁はこれなのか、とぼくは思った。

「よろしい」

 とあおいは満足したように言った。

「ねえ、餃子も食べる?」

 とあおいは一〇個入り、五〇〇円の焼き餃子を指さした。

「うん」

「私はその餃子、二、三個貰えたら充分よ。それだけでお腹いっぱいだから」

「小食なんだね」

「うん。千尋は何食べるの?」

「ぼくは……」

 あおいからメニューを受け取って検討した。山椒は良心的なお店だから、一〇〇〇円あれば、定食セットを頼める。餃子+ライス+中華スープとか、坦々麺+ライスとか、充分、お腹いっぱいになる。

 餃子も水餃子もあおいがおごってくれるから、ぼくは、麻婆豆腐+ライスセットを頼んだ。以前、食べたことがあったからだ。ぼくは、こういう時新しいものに挑戦するより、既にわかっているものを選んでしまう。保守的な性格なのだ。

 *

 それから注文した料理はすぐに来た。餃子と小籠包はテーブルの真ん中において、あおいは携帯を見ながら餃子を何個か食べた。

 ぼくは麻婆豆腐をライスにのせて食べた。ぼくは、どんぶり系があまり好きではない。見た目が嫌いなのだ。だから、麻婆丼にはせず、イチイチ、麻婆をすくってライスにのせてから食べた。辛すぎず、甘すぎず、絶妙に食欲をかき立てる味だった。

 ぼくは結構中華が好きだ。なんか、癖になるのだ。合間合間で、餃子と小籠包も食べた。ジューシーでとても胃に溜まる。ぼくは小食というわけではないが、しかし、これだけ食べれば充分にお腹いっぱいになった。

 ぼくがひとしきり食べ終えると、あおいは、

「デザートだね」

 と言って、杏仁豆腐とバニラアイスを注文した。

「千尋は要らない? おごってあげるけど」

「うん」

「そのうんは、どっち? 食べるの?」

「食べる」

 そして、ぼくの分の杏仁豆腐もテーブルに来た。ぼくは甘いものは苦手じゃないが、特に好物というわけでもない。それに、もう結構お腹いっぱいで苦しかった。限界というわけじゃないけど、しかし、これ以上はちょっときついというか、詰め込んでいる感じだった。

 けれど、「もう食べられない」と、言うことができない。ぼくは意思をちゃんと主張できない。

「ねえ、千尋は何でうちに来たの?」

 淡々としていて、心ここにあらずという調子の話し方だ。

「何か、事情があるの?」

 学校が学校だけに、普通の子はここには来ない。頭が悪い、お金がない、非行歴がある、そんな子でも少子化の今の時代、受けいれてくれる全日制の学校はいくらでもある。わざわざ、こんなところにくるのは、それすらできない落ちこぼればかり。ぼくはわかっていた。ここはそういう場所であることが。けれど、何もせずにひきこもるなら、どんなところであっても外に出るべきだと思った。だから入学した。

「話したくないならいいけど」

 ぼくは何も言えない。言いたくないわけじゃない。琴音先生の病院へ行った時、ぼくはもう変なプライドを捨てる覚悟をした。だからカウンセリングに行けた。まっとうじゃない自分を認めたからだ。けれど、人はそうそう簡単には、変わらない。

「ねえ、千尋はこれからどうなりたいの? どうしたいの?」

「俺は……」

「うん。教えてよ」

 とあおいが言うが、ぼくは次の言葉がなかなか出てこなかった。

 普通になりたい、と言えばよかった。だから、外に出るために訓練をしている。学校がない日でも、一日、一分でもいいから外に出るようにしている。今は全然、ダメでも、毎日、続けたら変わるかもしれない。塵も積もれば、というやつだ。けれど、それをあおいには言えなかった。やっぱり、恥ずかしかったのだ。

「じゃあ、私から言うね」

 ぼくが口ごもっていると、あおいが口を開いた。

「私はね、私になりたいんだ」

 その言葉がぼくにはイマイチぴんとこなかった。

「私はさ、おかしいの。心がね、壊れてるの」

「え?」

「千尋は、琴音先生って知ってるでしょ?」

 その名前が出てくるとは思わなかった。

 だからかなりびっくりした。

「え?」

「知ってる?」

「うん」

「私ね、先生と友達なんだ」

「そうなの?」

 ぼくはとても驚いた。先生とあおいに接点があるなんて、想像だにしていなかったから。

 いや、それよりぼくは何年かぶりに同世代の子と会話をして、生まれて始めて女の子とお店でご飯を食べていたから、頭が真っ白だった。緊張で脳が思考停止していたから、川澄あおいの素性とかを考えている余裕もなかった。ただ、今、この状況についていくだけでいっぱいいっぱいだったのだ。

「うん。私、先生の紹介でうちに来たんだよ」

「俺も、そう」

「そうなんだ。じゃ、私たち仲間だね」

「ん?」

「先生の患者仲間ね」

 まだ、患者かどうかもわからないのに、あおいはそう断言した。

 表情は何も変わらないけれど、しかし、嬉々とした感情が垣間見えた。

「ほら、これ」

 とあおいは携帯の画面をぼくに見せた。

 そこにはラインの画面が写っていて、友達欄の中に、三上琴音の名前があった。

「先生とさっきもラインしてたの。千尋は、先生とラインしてないの?」

「うん」

「何でしないの?」

 そもそも、先生とラインの話しなんてしなかったし、プライベートで会話をするほど、まだ先生のことを信頼していなかった。ぼくがするラインはお母さんだけだった。

「いや、あの……」

 とぼくが答えられずにいると、あおいは、「まあ、いいや」と言った。

「でも先生、千尋のこと心配してるよ」

 とぼくにまたラインの画面を見せた。そこは、あおいと先生のトークルームが映っていた。

 琴音:【千尋くんはどうしてる? 調子悪そう?】

 と書き込みがあった。

「ごめんね。実は先生から千尋のことは聞いてたの」

 とあおいは手を開いてごめんねのポーズをした。

「騙したみたいね。ごめんごめん。でも全部ってわけじゃないの。名前と性格くらいよ。知ってたのは」

「先生は何て言ってたの?」

「え?」

「先生は俺の性格について、どう言ってたの?」

「あー、それはぁ、訊かない方がいいかも!」

「なんだよ。気になるじゃん」

「だって……、あんまりいい内容じゃないから」

 とあおいはばつが悪そうに下を向いた。

「ま、気にするな。少年よ」

「誰が少年だ」

「え? 千尋は少年じゃないの? あ、少女だったのか!」

「ちがう。俺は男だよ」

「ふーん」

「バカにするなよ」

「え? したらダメなの? ねえ? ダメなのー?」

「当たり前だろ」

 とぼくはツッコミを入れた。こんな風の掛け合いをしたのは何年かぶりだったから、ツッコミをするのも緊張した。上手くできたのかはわからない。

 だけどちょっと嬉しかった。内心では心が躍るようなそんな気分だった。やっぱり人と話をするのはとても楽しい。あおいのことはまだ何も知らないし、こちらから訊く度胸もなかったけど、今日学校に来てよかったな、思った。

 それから会計を済まして外に出た。雨粒が変わらず強かった。ぼくらはカラフルな傘の群れの中に消えていった。

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