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 去年の春だった。

 例年通りに桜が咲いて、中学生だったぼくは中学校を卒業した。

 けれど卒業式には出なかった。

 ぼくはいわゆる不登校と呼ばれる状態で、学校には二年近く通っていなかった。

 だから、卒業式に出るという発想もなかったし、誘われても行きたくなかった。

 どういう顔で行けばいいのか。学校の友達とかとどう接したらいいのか。無理だ。行けるわけがない。

 学校の先生や学級委員の同級生がぼくの家に来て、

「卒業式だけでも出なよ」

 と言ってきたが、その解決策は特に提案されなかった。

 中学校にも出席日数というものがあって、三年間で三分の一は出席しないと卒業できないらしい。けれどぼくは、一年生の時にそこそこ通っていたから、単位は足りていた。不登校になったのは二年生の夏くらいからだったから。

 中学校を卒業したけれど、高校には行かなかった。行けなかった、というべきかもしれない。

 ぼくはそのころ、精神的な問題に直面していた。外に出ると、立ちくらみがして倒れてしまうのだ。

 誰も居ない場所なら大丈夫だったので、よく夜に散歩をしていた。けれど昼間に外出すると、パニックのようになり、汗が止まらなくなって心臓の動悸が激しくなった。本当、心臓が爆発するんじゃないかっていうくらいにドクドクと脈が動いた。体が熱くなって視界が前後左右に揺れて、目の前が真っ白になって、気がつくと倒れる。何度やっても同じだった。

 どうしてそうなってしまうのか。状況を整理して導き出される結論はひとつだけ。人だ。人が恐いのだ。人が居ることが、とてもとても恐怖に感じた。

 ぼくの家は東京の田舎の方にあって、それいて住宅街の中にあったから、近所を散歩するくらいなら夜は、人に会うことは余りなかった。

 そして、その経験則から、誰も居ない、誰にも会わない、という安心感によってパニック発作を起こさないと推理した。

 逆に昼間は、人がたくさん居る、と無意識的に認識しているからおかしくなるのだ、と思った。

 実際に、人がいなくても、玄関を一歩出たらもうだめだった。

 元々、学校に行かなくなった理由も似たようなもので、ここまで酷くはなかったけれど、とにかく教室にいることが苦痛に感じて、やがて足が遠のくようになった。教室といえば狭い空間に大多数の人が詰め込まれている。あそこにいると息が詰まりそうになって、汗が出て、気持ちが悪くなった。

 ぼくはそんな状態だったけれど、誰にもそれを言えずにいた。不登校になった最初のころも、卒業したころも、相談の一つも出来なかった。

 恥ずかしかったからだ。ぼくにはどういうわけかプライドだけはあって、自分がそんな情けない状態であることが、とても嫌だった。

 ぼくはそんなおかしいやつじゃないし、もっともっとできる人間だ。頭だっていい。学校の勉強は授業を聞くだけで大体理解できたし、運動もそれなりにやれたし、異性にだってまったくモテないわけじゃなかった。

 だからできる人間だ。凄い人。そう、思いたかった。思っていたかった。当時一三歳のぼくにはそれが小さなアイデンティティーだったのかもしれない。だから弱々しい自分を認めることを拒否していた。

 外に出ないから部屋に居る時間が長くなった。でも、それを咎める人は、もうぼくの家には居なかった。

 父とお母さんが離婚したからである。父は、ぼくを殴ることがよくあった。いや、よくではなく毎日だ。物心ついたころには暴行を受けていた記憶がある。特に理由もなく、ぼくを叩いたり蹴ったり、お湯の入った浴槽の中にぼくの頭を押しつけて、ぼくがもがくのを見て笑っていたりした。タバコを吸う人で、その吸い殻をぼくに押し付けて、火を消したりもしていた。お母さんにも手を出していた様子だが、ぼくが見てるところでは控えていたみたいだった。

 ぼくが三年生くらいまでは父は家に居て、それから離婚していなくなった。だから今、どこにいるのかも知らないし、できれば知りたくもない。

 父のことを考えるたびに、ぼくは苦しくなる。いわゆる、PTSDといわれる心の病気が発動するからだ。

 ぼくはPTSDポストトラウマティックディソーダーと呼ばれるその状態が、ずっと続いている。先生の家に来た今でも、それは変わらない。

 PTSDは記憶の整理が上手くいかなくなった状態、といわれる。要するに脳のエラーだ。本来、記憶は何度も何度も脳のなかで反芻されることで、細かい分類がなされて脳の貯蔵庫にしまわれていく。寝ている時に見る夢がいい例かもしれない。

 ぼくらが夢を見ている間、脳味噌の中では記憶の再統合が行われている。夢はその際の付加現象ともいわれる。

 起きている時も同じだ。例えば友達に悪口を言われて傷ついた時、人は凄く落ちこむ。ぼくも経験がある。もう生きていけない、死にたい、と思う。

 でも、その後、何回も何回もその時のことを思い出す。思い出す度に辛くなるのがわかっているのに、それでも思いだしてしまう。

 それは、脳がそういう風に作られているからだ。そして不思議と何回も思い出しているうちに、最初のころに感じた辛い気持ちとか苦しさが薄れていって、いつからか特に気にもしなくなり、突然に、思い出すこともなくなる。

 それでしばらく時間が経った後振り返ると、

「ああ、そういうこともあったなぁ」

 と思ったりする。その時には耐えられないような心痛は伴わない。

 これは、脳は記憶を整理する時に、何度も反芻する、という現象の一例である。

 楽しい記憶も辛い記憶も同じ方法しかないのが残念なところであるが、それは人間を作った神様に文句を言うしかない。人間は欠陥だらけだ。

 PTSDの場合、この反芻の機能が上手く働かない。辛い記憶を思い出した時、ぼくらはそれを上手く消化することが出来ない。何度も何度も反芻しても、反芻する度にそれ自体が辛い体験としてまた脳に蓄積されていく。

 本来、反芻すれば段々と、楽になっていくはずなのに、ぼくはそうならない。思い出しても思い出しても、辛いまま変わらない。

 嫌な経験をしたその一瞬の感情が永遠に続く。本当に、その時、その場所にいるみたいに感じる。タイムスリップしたみたいに、目の前に父親がいてぼくを浴槽に押しつけていて、息ができなくなって必死にもがいている、ように感じる。それを、フラッシュバックという。

 言葉自体はよく聞く言葉だし、ぼくも昔から漫画などで見たことはあった。でも、それがぼくが感じていた現象と同じだと知ったのは、最近になってからだった。

 反芻機能がエラーを起こすのは、心が許容できる衝撃を越えているからとか、神経細胞に異常があるからだとか、諸説ある。しかし、ぼくが人を恐れるのは父親のことを思い出すからに違いない。

 父に襲われている時は、恐さから心臓の鼓動が激しくなって、体中が熱くなって、絶望感から目の前が真っ白になって、目眩がして吐き気がする。

 PTSDは必ずしも経験してからすぐ発症するわけではなく、時間差で忘れた頃にやってきたりもする。

 これは難しい精神医学の話になるからぼくもよくわかっていないけれど、虐待された子供には時間差でトラウマの問題が出てくることは珍しくないらしい。

 ぼくが父親に虐待されていたのは多分、小学校低学年のころ。多分って言ったのは、実は記憶が曖昧ではっきりと思い出せないからだ。虐待された子供は、自分を守るために記憶を消すことがよくあるのだ。

 それを解離現象というらしい。

 解離というのは、要するに心から自分を切り離すこと。離人症とも言う。ぼくは頭が悪いから間違っているかもしれない。でも、自分なりの理解ではそう思っている。

 自分という人形を後ろから操り意図で操作している、自分というロボットを天井からリモコンで操作している、とか言ったりもする。

 解離が激しくなると、本当に視点そのものが自分の後ろになったり天井になったり感じるらしい。幽体離脱とは違うけれど、イメージとしてはそういう感じがぼくはわかりやすかった。

 ぼくは、それに準ずる状態にあった。殴られているぼくはぼくではない、と認識を操作することで、辛さから逃げていたのだ。

 中学生になって、ぼくはこれまで積み重ねて来たいろんな無理が一気に溢れ出した。

 外に出られなくなり、人にも会えなかった。短い時間なら話せないこともなかったけれど、面と向かって会話をするのは無理だった。学校の先生とかは家に来たけれど、話しはドア越しだった。唯一、ぼくがちゃんと話せたのはお母さんだけだった。

 お母さんは、ぼくに手をあげることはなかった。昔から、父に殴られるぼくを黙って見ていた。お母さんはぼくに関心がなかったんだと思う。

 実はぼくには姉が居た。一つ上らしいが、ぼくは姉のことをよく覚えていない。ぼくが凄く幼い頃に死んだからだ。交通事故だったらしい。母方の実家に帰っている時に、家の前の道路でトラックにはねられて死んだ。

 家の仏壇の上には姉の写真が飾ってあって、家でカレーを作ったら、

「お姉ちゃんが好きだったから」

 とお母さんは必ずお供えをしていた。お母さんは、姉のことを忘れられなかった。

 死んでから何年経っても、受けいれることができず、現実から逃避していた。そこにある事実を認めず、見えないフリをしていた。いや、フリではなく本当に見えなかったのかもしれない。解離。お母さんは自分を現実から切り離して、夢の中にいたのだ。

 解離は別に、子供だけの特権じゃないから。お母さんもきっとそうだったのだ。見たくない現実の中には、父の暴行もあったのだろうし、ぼくも含まれていたのかもしれない。

 けれど、ぼくに無関心に見えたから、ぼくはお母さんとなら話ができたのかもしれない。お母さんはぼくを殴らなかった。だから殴らないから安心だ、という無意識下での経験則があったのかもしれない。でも本当のところは、もうわからない。何年も前のことだから。

 父が居なくなってからのお母さんは、静かだった。ぼくにとって無害で、そして鏡のような存在だ。

 ひきこもるようになってから、お母さんとはよく話をした。

 テレビのこととかご飯のこととか、芸能人が整形したとか、昔、家族みんなでディズニーに行ったこととか、些細な内容だ。ワイドショーを観て、一緒にニュースについて語ったこともあった。当時は、丁度、埼玉県さいたま市の大宮で、連続児童誘拐・監禁事件が起きた時期だ。公園で遊んでいた児童が突如として消息を絶ち、後に誘拐事件として報道されるようになった事件だ。この一件は「大宮連続児童誘拐殺害事件」とか、「大宮事件」等と呼称されている。

 大宮事件では被害に遭った児童の数が多いことが特徴に挙げられる。

 最終的には六名の少年少女が誘拐され、監禁され、虐待や性的悪戯を受けた。児童の年齢は五歳から一〇歳と幅広く関連性もなかった。犯人は三〇代無職の男性で友人はおらず家族とも険悪な状態が続いていた。昼夜問わず部屋にひきこもり、パソコンやテレビを観て過ごしていたらしい。そして、部屋から登下校の小学生や未就学児を眺めているうちに犯行意欲が高まり、事件を起こした。犯人の家のパソコンからは大量の盗撮されたと思わしき児童の画像や動画が見つかり、さらに各児童のプロフィールや特徴を記載されたノートまで発見された。犯人は部屋から登下校の児童を観察し、記録することが日課になっていた。世界と隔離された日常を送っていた彼にとっては、それがもはや生きがいになっており、そこから執着を強めていった。誘拐した児童は、自宅に連れ込んで乱暴した。同居していた父母、および祖母は殺害しバラバラにした後、自宅のトイレから下水に流していた。

 児童は手足を拘束され、口にはガムテープを巻かれた。当初は食事も与えていたが、徐々にそれもなくなり児童たちは憔悴していった。大宮事件はテレビで報道されるようになってから、瞬く間に解決した。これだけ大がかりな犯行を重ねたら、足が着くのが速いの当然といえば当然だが。

 犯人は逮捕後、「みんなと一緒に遊びたかった。子供に戻りたかった。みんなと触れあったら子供時代に戻れる気がした」と供述し、世間を驚かせた。「狭い世界で生きてきた結果、心を病んでしまったのね。恐いわね」とお母さんは言った。「うん、バカだね」とぼくは言った。だけれど、正直、自分を見ているようで不安になった。ぼくもこのまま部屋にひきこもって社会と接点がなかったらこうなってしまうのかもしれない、と思うと気が気じゃなかった。だから大宮事件について特別な関心を持つのは必然だったのかもしれない。

 ぼくはテレビだけでは飽き足らず、新聞を読んだりネットを見たりして大宮事件を調べた。当時は、まだ事件が起こったばかりだったから、詳しいことは余りわからなかった。けれど、報道の中で過去の児童が被害に遭った事件として、テレビなどでよく取り上げられていた例の東村山市での虐待事件のことを知り、興味がわいて本を買った。そこで三上琴音という名前を知った。当時は先生と会う前だったから、精神科医三上琴音先生という名前からは、変なイメージを持つことはなかった。 

 それから何年か経って今では事件を追ったルポや書籍が発行されてきた。ぼくは未だこの事件に関心を持っているから、たまに読んでいる。助かった児童は四人居たものの、一人を除いて病院に入院していることや、その唯一の児童は女の子で、ぼくらと同じように里子に出される予定になっているということや、どうやら先生もその治療に関わっているらしいことなどを知った。しかし先生に質問したところで、具体的なことは勿論教えてはくれない。守秘義務があるからだ。

 お母さんとは、そこまで込み入った話はしなかった。テレビを見たり、一緒にご飯を食べたり、本当に些細な交流だった。

 ぼくの状況についての話しも、別にタブーじゃなかった。

「好きにしたらいいわ」「行きたくないなら行かなくていいわ」「千尋の人生は千尋のものよ」

 と、お母さんはぼくのことを強く咎めることも、指図することもなかった。

 お母さんのことが、ぼくは特に好きじゃなかった。でも、特に嫌いでもなかった。お父さんが居た時も、居なくなってからも、お母さんを敵視する理由はなかったから。

 そんなお母さんにある日、言われた。

「病院、行ってみる?」

 今の今まで、学校に行かないことを責めることもなく、何の提案もしてこなかったお母さんの言葉に、ぼくは驚いた。

「え?」

 と思った。でも、ちょっと嬉しかった。無関心なお母さんがぼくには普通だったから、それを受けいれてきた。心配されることも攻撃されることもない。それが日常だった。

 でも、やっぱりぼくは心配されたいし、怒られたかった。そうされたらきっと、愛情を感じることができた。ぼくはもっともっと、ぼくに興味を持って欲しかった。

 ぼくはお母さんに、ぼくを見て欲しかったんだ思う。だから、お母さんが「病院に行く?」と訊いてくれた時、ぼくはちょっと嬉しかった。そんな言葉を貰ったのは、初めてだったから。いや、ちょっとじゃなく、凄く、嬉しかった。とってもとっても嬉しかった。だからその時の気持ちは、今でもよく覚えている。

 目を閉じてあの日を思ったら、生々しい感情をハッキリと感じることができる。逆PTSDなのかもしれない。でもそれでもいい。嬉しい気持ちを何度でも感じることができるなら、それは幸せなことだと思うから。

「どうする?いやなら行かなくてもいいけれど」

「ううん、行ってみるよ」

 *

 四月の初め頃だったと思う。ぼくはお母さんと川越の県立児童医療センターに行った。

 ぼくは東京の埼玉寄りの地域に住んでいたから、川越まで車で三十分くらいだった。

 車はお母さんが運転してくれた。父と離婚した時、家の財産はほとんどお母さんが貰っていた。どういう話し合いがあったのかは知らないが、もしかしたら父のDVとかが問題になったのかもしれないし、ただ父が投げやりになっただけなのかもしれない。

 車はスズキのアルト。色はシルバー。県立児童医療センターと言っても、埼玉県民以外も受診ができた。この病院はお母さんが見つけてきてくれた。

「昔、お世話になったことがあったのよ」

 診察の時間は午後一時からだった。車に乗っている時も、ぼくは発作を起こしそうになった。とにかく外に出ることがだめだった。車に乗っていてもだめなのだ。けれど、直に外に出るよりはまだマシだった。

 国道一六号を車で走って行き、途中で路地に入った。高速を右手にしながら吹きぬけた道を走った。

 病院があるなぐわし公園の辺りは、畑が多くて殺風景だったので、病院が遠くからでもよく見えた。部分的に煉瓦が使われたとても大きな建物だった。

 公園を左手にしてロータリーに入って、お母さんは敷地内の駐車場に車を止めた。車を降りると風が吹いた。春の生温い風だ。ぼくの長く伸びた前髪がバサバサと揺れた。髪を切りになんて行けないから、伸びっぱなし。真ん中で分けていたけれど、ちょっと乱れると顔全体を覆ってしまうくらい長かった。一瞬、前が見えなくなった。

 髪を手ぐしで直すと、ぼくの眼下に人が飛び込んできた。病院なのだから、通院する人、その付き添い、入院患者のお見舞い、そして病院の職員、などたくさんの人がいて当然の場所だ。

 駐車場から病院までは徒歩二分くらいの距離。でも駐車場にも何人も人がいて、そこから見える病院にも人が見えた。

 ぼくを傷つけないのはわかっている。ぼくはバカだけど、幻覚とか妄想はない。襲ってきたりなんかしない。でも、恐くて体が震えた。動悸がした。それでも、歯を食いしばって歩きだそうと思った。このまま、ここから逃げ帰っても、何も変わらないから。

 受付を済ますとお母さんとエスカレーターで二階に行った。精神科は二階にあるのだ。院内の人の空気に飲まれないように、ぼくは必死に念仏を唱えた。

「1,2.3.4,5……」

 と数字を数えた。

 一〇〇まで数えたら今度は順番を逆にして〇まで数えた。それの繰り返し。数を数えることに集中して注意をそらすのが狙いだった。

 これはひきこもり期間にぼくが必死に考えたPTSDの対処療法の一つだった。

 目線はずっと下。人や物にぶつからない程度に顔を上げて、他は見ないで歩いた。自分の歩幅に集中して、出来るだけ均一な歩幅になるように意識して歩いた。

 精神科は二階の一番奥にあった。診察室の番号は七。まだ順番が来ないので、診察室の前にあるソファに座って待機した。

「今日の晩ご飯何にする? やっぱりサワラかしらね」

「何で?」

「春の魚とかいて鰆なのよ。知らなかったかしら?」

「知らないよ。あ、でも、魚に、有とかいて鮪でしょ?」

「あら、よく知ってるわね」

「まあね。あと、何だっけ、魚に弱いと書くアレ……」

「鰯ね。あと、魚に雪で鱈ね。他には魚に参で鰺よ」

 ぼくは中学校に一年生しか行かなかったし、勉強をしていないから漢字はあまりわからない。今もそうだし、そのころも似たようなものだった。

「冬の魚だから、魚に雪で鱈っていうのはわかるけど……、でも」

「なあに?」

「でも、お母さん。何で、魚に参るで鰺なの?」

「ん、そうね……、鰺がおいしくて参っちゃうから! かしら? ふふ」

「へー」

「他にもね、魚に調で鯛。あと、魚に平で鮃よ」

「何でそんなに詳しいの?」

「昔とった杵柄かしらね」

「は? どういう意味?」

「優木千尋さん」

 と、院内アナウンスで名前が呼ばれた。

「七番へお入りください」

 と言われたので、ぼくはお母さんと一緒に診察室に入った。

 ドアを開けると真っ白な世界だった。診察室には色がなく、どれもこれもが白かった。床、壁、カーテン、イス、机、花瓶。そしてレースのカーテンの向こうからさしこむ光まで、淀み一つなかった。

 これは汚れのない空間を演出するための手段、だと先生から後に訊いた。

 色は人間の心理に与える影響が大きい。青は心を落ちつかせ、赤は興奮させるというのは有名な話しだが、それは青が空の色で、赤が血の色だからと言われている。

 白は光の色だ。神聖な光。そして何色でもないから純粋無垢。汚れていない神聖なこの場所は、外界と隔離された特殊な空間、と患者が無意識に感じることがとても重要なのだ。

 精神科ではさまざまな治療が行われるが、基本になるのはカウンセリングだ。カウンセリングは、聞く治療、なんて言われるくらい聞くことが主題に置かれる。いわゆる説教とは違うのだ。

 悩みは誰かに話せると心が楽になる。逆に誰にも悩みを言えなかったら、辛くなる。そしてどんどん心に黒いものが溜まっていって、パンクしてしまう。これは精神医学ではなく、生きていれば誰しもが実感できる心のプロセスのひとつだカウンセリングというのは基本的に、これを意図的に行うことを指す。ぼくは医者じゃないから、琴音先生から聞いた話を自分なりに解釈しているだけだが、とにかく、人に話せない悩みであっても、ここは外界とは別の場所だから、話しても大丈夫、誰にもバレないし、ここでは話してしまっても大丈夫、と思わせるために、あの真っ白な空間を作ったのだ。

 そして部屋の中には、琴音先生が居た。

「そこに座ってください」

 先生はキャスターがついたイスに座っていて、白衣を着ていた。眼鏡は銀ブチで、髪は肩まで伸びていて毛先にウェーブがかかっていた。何だか、いい匂いがした。多分、香水の匂いだが、どこの会社のものなのかは知らない。

「どうぞ」

 と先生は眼下のイスを指し示した。そこには丸イスが二つ置いてあり、ぼくとお母さんはそれぞれに座った。先生とそのイスの距離は一メートルもなかった。先生は黒いストッキングを履いていてタイトスカートの下から綺麗な足を覗かせていた。距離が近いから、肌の質感までよく見えた。美人な先生だったから、少しドキドキした。PTSDの症状は、その時はあまり出なかった。多分、トラウマよりも、今、この瞬間の緊張感が上回ったから、だと思う。数を数えたり歩幅を合わせたりすると気が紛れて少し楽になるように、他に集中することがあるとPTSDをあまり感じなくなる。この日は、久々に外に出たし、これから自分の情けない状況を人に話す、という大イベントの日だ。そして、それがついに、これから行われる。緊張感は半端なかった。それが、PTSDを和らげていたのだと思う。

「初めまして、三上です。よろしくね、えっと……、千尋くん?」

  ぼくは恐くて下を向いた。

「千尋くん? と先生はぼくに顔を近づけて「ねえ」と言った。ちょっと甘い声だった。

 ぼくが顔を上げられないでいると、

「人見知り、なのかな? ふふ」

 と先生はお母さんを見て言った。

「ええ、ちょっと……」

「かわいいですね。ふふ」

 と先生はくすっと笑って、「大丈夫。せんせーは恐くないよ」とぼくを見つめた。

 ぼくは恥ずかしくなって顔が熱くなった。心臓も激しく動いた。そしたらもっと顔を上げづらくなって、下ばかり見ていた。先生の黒ストッキングの太ももや膝、すね、そして白いナースシューズを履いた足首。そればかりに意識が集中した。

「それで、今日はどういった用件で?」

「ほら、千尋」

 とお母さんはぼくに言った。勇気を出せ、とぼくはぼくに言った。今ここで頑張らないでいつ頑張る、と思った。だから頑張って顔を上げたら、先生の眼鏡が見えた。眼鏡の奥は二重瞼の瞳だった。ちょっとたれ目で優しそうな顔立ちだった。

「ん?」

 と先生はぼくを見て言った。

「ぼくは、あの」

 とぼくは自分のことを話し始めた。

 *

 数分か、あるいは数十分か、ぼくはこれまでのことを先生に話した。

 もちろん、スムーズに、というわけにはいかない。辿々しかったし、何が言いたいのかハッキリしない文脈も多数あったと思う。でも、言いたかったことは全部言った。これまでの人生のことだ。親のことや、不登校のこと、そして外に出られないこと。PTSDという言葉は知っていたけれど、それが自分に今起こっている病気だとは知らなかった。だからその場で先生が、

「PTSDって知ってる?」

 と訊いてきた時、少しハッとした。

「名前くらいは……、」とぼくが言うと、先生は「知ってる?」と訊いた。

「はい」

「うん。千尋くんは、それかもしれないわね」

「……?」

「辛い日々が長かったから、脳がちょっと疲れちゃってるのよ。PTSDというのはね、頑張り屋さんしかならないのよ。頑張れば頑張っただけ、疲れちゃうの。それで疲れが溜まってパンクしちゃった状態。それがPTSDなの。簡単に言うとね」

 ぼくは先生の話した内容が難しくてイマイチ理解できなかった。

「まあ、詳しい説明をする前に、もっと千尋くんの事を教えてもらってもいい?」

「はい」

「じゃあ、これからは二人っきりでお話ししましょう」

「はい」

「うん、それじゃあ申し訳ないですけれど……」

 と先生はお母さんに退出を促して、ぼくと先生は診察室で二人きりになった。ぼくは自分の事を放すのにあまりに必死だったから、パニック発作が起こることはなかった。

「じゃ、千尋くんっ」

 と先生が言った。ちょっと女の子っぽい甘えた声だった。

「二人っきり、だね」

 と先生はニコリとした。

「はい」

「緊張する?」

「はい」

「うんうん、そうだね。かわいいね」

 先生はニヤニヤした顔でぼくを見ている。

「今、PTSDかもしれない、って言ったでしょ? でもね、ごめんね。まだ確証はないの。心ってねすっごく難しいのよ。お医者さんでもね、すぐにはこれ、っていう病名をあげることができないの。だからね、これからもね、先生にお話をしに来て欲しいんだけど、ダメかな? お母さんと一緒でもいいから。ね? だめ?」

「はい」

 とぼくはうなづいた。深いことを考えてうなづいたわけじゃなかった。先生の勢いに押されただけだったと思う。

「ね? せんせー、恐くないでしょ?」

「はい」

「かわいいでしょ? せんせー」

「え?」

「ねえねえ、千尋くんはお姉さんは好き?」

「……? え?」

「そっか、好きか、うんうん、そうだよね。好きだよね」

「え?」

「うん、大丈夫、言わなくてもちゃんとわかってるんだよ」

「え?」

「せんせーは精神科医だからね。表情とか雰囲気から言いたいことを理解できるのさ」

 先生は最初からこうだった。診察中なのに、気取ったところがなくて、ふざけてばかりいた。

 今のぼくだったらキレるかもしれないが、あの時の精神状態では何も言えなかった。だから先生が調子に乗ったのかもしれない。

「ねえ、せんせーのこと、やっぱり恐いの? 心臓がバクバクして、倒れそうになっちゃうの?」

「いえ」

 脈は速かったけれど、それは緊張のせいだった。

「ほんとに恐くない?」

「はい」

「そ? それはそれはよかった」

 と先生はふいにぼくの手首をつかんだ。ぼくはびっくりした。人の肌に触れたのは、何年ぶりだっただろうか。お母さんとすら、肌が接触することはなかったから。一気に、脈が膨れあがった。

「ふむふむ、脈がかなり速いけど、大丈夫?」

 それは違う理由です、と言いたかったけど、余裕がなかった。

「はい」

「そう?」

 と先生はぼくに顔を近づけた。そしてぼくの額に手をあてた。熱を測る仕草だ。

「ん? ちょっと熱い? かな」

 と先生は自分の額にも手をあてて、ぼくの熱を測ったが、

「んー、よくわからないなぁ」

 と言った。医者なんだから体温計を使えばいいのに、と思った。

「ちょっとごめんね」

 とまた先生は顔をぼくに近づけた。今度は鼻と鼻が接触するくらいの近さだ。

 先生の息の匂いがした。大人の匂いだった。熱感を感じた。人の温もりだ。

「ん」

 と先生は自分の額をぼくの額にくっつけた。

「この方がわかると思うから」

 ぼくはびっくりしすぎて体が硬直していた。

 先生を直視することはできない。だから下ばかりみていた。でも下を向くと、丁度、先生の胸が見えて、もっとドキドキした。先生はスタイルがいいし、胸が大きい。だからさらに下に視線をやるんだけど、そこには先生の太ももがあって、すごく柔らかそうで変なことを考えたくなくても、考えてしまった。だから気持ちが落ちつくことはなかった。

「ん、わからなーい! ダメね、こんなんじゃ」

 とお手上げのポーズをしている。

「熱ない? 無理してなーい?」

「はい」

 ぼくは、「はい」とか、「いや」とか、それくらいしか言葉を言えなかった。緊張で、頭が回らなかったからだ。

「んまあ、それならよし」

「はい」

「いや、よしじゃないか」

「え?」

「あ、えっと、今のは独り言よ」

「はい」

「興奮して熱だしてくれたらいいのになぁ」

「え?」

「あ、いやいや、今のも独り言よ。聞こえちゃった?」

「いえ」

「そう、残念」

 先生はじっとぼくを見つめた。

 眼鏡の向こうの瞳がとろんとした感じで、変な空気を感じた。

 先生はお酒を毎晩飲むから、息がちょっと臭い。だから空気が悪かったのかもしれない。

「ね、千尋くん。訊いてもいい?」

「はい」

「千尋くんは、これからどうするの? どうなりたいの?」

 ぼくは、ずっと考えていた。いや、憧れていた。外に出て、学校に行って友達を作って遊んで、女の子とデートしたり、そんな普通の高校生になりたかった。でも、もう無理だ、と諦めていた。

「わからないです」

「わからない?」

「はい」

「何がわからないの?」

「何をしたいのか、がです」

 本当はわかっていた。普通になりたかった。でも、言えなかった。それは多分、プライドがあったからだと思う。ここまで落ちてしまっても、それでも、自分が異常な人間だと認めたくなかった。

「じゃ、せんせーのことを話してもいい?」

「はい」

「せんせーはね、今、とってもしたいことがあるの」

「……?」

「それはね、千尋くんと仲良くなりたいの」

「え?」

「えへへ、せんせーはね、千尋くんとイチャイチャしたいな」

「え? え?」

「あー、イチャイチャって言葉から何を連想したのー? いやらしいなぁ、千尋きゅんは」

「いや、あの、あの」

「にしし、千尋くんは素直だね。好きだよ。そういう男の子。だからね、先生は考えたの。千尋くんと仲良くなるためには、どうしたらいいか。それはね、お友達になることさ」

「え?」

「でも、年の差があるのよね。それが問題だ。だから、ある人物に協力して貰うことにする。千尋くんは、高校に興味ないの?」

 高校、という言葉を訊いた時、ぼくはドキンとした。

「ない?」

「あります」

 ぼくは高校に行きたかった。でも、そこまで訊いてもらわないと、言えなかった。自分からは言い出せなかった。

「だったら、いいところがあるんだけど。KTC中央学院っていうところが……」

 と先生はデスクの上からパンフレットを取りだしてぼくに見せた。

「通信制なんだけどね、サポート校っていってね、そこで毎日授業があるの」

 と学校の紹介をし始めた。

 KTC中央学院は主に不登校やひきこもりの子の支援を目的にしていて、現役世代の生徒しかいないことや、校舎が全国各地にあることや、四月を過ぎた今からであっても入学手続きができることなどを話してくれた。 

「入学試験もないしね、よかったら見学だけでも行ってみたらどうかな」

「はい」

「行ってみる?」

「はい」

「うんうん、お母さんと相談してね、行ってみたらいいわよ」

「はい」

「じゃ、もう一回お母さんを呼びましょうか」

「はい」

「あ、でもその前に……」

 と先生は視線をそらした。これまでの自信満々な態度と違い、モジモジとしている。何だろうとぼくが思っていると、先生は再度ぼくをじっと見つめて言った。

「ちゅーしてもい?」

「え?」

「だめ?」

「え?」

「ねえ、だめぇー? いいよね?」

「え?」

「したいよね? ね?」

「え?」

「じゃあ……」

 と先生は顔をぼくにちかづけてきた。ぼくの言葉はおざなりにされている。

 すぐにさっきみたいに鼻と鼻がぶつかる距離になった。酒臭い吐息を感じる。先生のぷくんとした唇。紅い口紅とグロスでとてもいやらしく見える。もう重なってしまう。重なる……、とその時、

「なーんて、冗談」

 と先生は直前で、動きを止めておどけて笑った。

「……?」

「ドキドキした?」

「……!」

「ふふ、さっ、お母さんを呼びましょうか」

 と先生はデスクの受話器をとって、どこかに電話をかけた。

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