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十五時四十分。ぼくらは西武線に乗っている。学校が終わったので家に帰るのだ。学校は十五時までなので、いつもは放課後は池袋でカラオケに行ったり買い物をしたりして遊んでいるが、今日は待ち合わせがあるためすぐに帰ることにした。
あおいは普段山手線を利用しているが、西武線でも帰れないことはない。家が中野なので、西武新宿線の新井薬師前駅や鷲宮駅ぐらいからなら、下車後バスで五分程度で家に着く。ただ、西武池袋線だと、中野を通らないので練馬辺りで下車して地下鉄を使う必要が出てくる。正直言って、かなりの遠回りになる。もちろん、池袋から地下鉄等を利用して西武新宿駅に行くことは簡単だが、そんなことをするくらいなら山手線で帰った方が楽だし近い。だからあおいはぼくらとは一緒に帰らず、池袋駅で別れた。けれど、話が盛り上がった日等は、ぼくらは地下鉄で西武新宿駅まで行って、そこから一緒に新宿線で帰ることはある。ぼくらは新宿線でも帰れるからだ。ただそうするとぼくらの方が回り道になるし、定期も使えないので滅多にやらないけれど。
あおいと分かれて数十分。所沢駅で新宿線に乗りかえて、ぼくとめぐみは本川越行きに乗った。時刻は十五時四五分。ここから狭山市駅までは一五分程度なので、待ち合わせぴったりだ。
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「ていうか、さっきラインで煙草吸ってるって言ってたんでしょ?」
「ニャ! そうだったー」
そうこうするうち狭山市に着いた。めぐみが「先生はどこかにゃー」と辺りを見回したので思わずツッコミを入れた。先生の居場所はラインで連絡が既に来ている。そのラインをしていたのはめぐみだ。ぼくは先生とラインなんか滅多にしない。自分で、「喫煙所だってー」とぼくに言っていたのにめぐみは忘れてしまったようだ。本気だったら認知症と変わりない。一度病院で見て貰うべきだ。記憶障害がある。しかし薬物依存で喜怒哀楽が以上に激しいめぐみなら、それ以外の後遺症があってもおかしくない。いや記憶障害もあるのかもしれない。ぼくが知らされていないだけで、めぐみはもっとたくさんの障害を持っていても不思議ではないから。
「あ、居たぁー」
とめぐは言って駅前の道路を走っていく。先生を見つけた様子だ。めぐみの後を着いていくと、サンドウィッチチェーンの「サブウェイ」狭山市駅西口店の周辺にいる先生の姿をぼくも発見する。ここのサブウェイにはよく来る。もっともぼく一人では恐くて来られないので先生やめぐみと一緒にだが。
先生はお店の近くにある公衆喫煙所で煙草を吸っている。先生は喫煙者だ。家でもよく吸っている。ヘビースモーカーという程ではないが、一日一箱くらいは吸う。好きな銘柄はキャメルのマイルド。主に九ミリ。キャメルはアメリカの銘柄で、トルコ葉を使った少し甘いというか独特の味がする癖の強いタバコらしい。ぼくはもちろん喫煙者ではないが先生に勧められて一回吸ったことがある。その時はむせてしまったので味も何もわからなかった。感想は、「苦い、不味い」である。
「せんせーっ」
とめぐみが先生に手を振って近づいていく。すると先生はタバコを吹かしながらぼくらの方へ振り向く。ニコリと笑って、手をあげる。ぼくとめぐみはすぐに先生の側に着く。すると先生は、
「おかえり」
と言ってタバコを灰皿の中に入れる。煙たい匂いがする。白いシャツの上から大きめのカーディガンを羽織り髪はドライアーを使い、きっちり整えられている。出張先の大宮ではどんな仕事をしてきたのだろうか。出張と嘘をついて男子小学生とかをナンパしてなければいいが、先生のことだから安心は出来ない。
「せんせ、ただいまーっ」
とめぐみが元気よく先生に抱きつく。
「せんせ、会いたかったぁー」と言って、先生の体に顔をすりすりさせる。何だか犬みたいだ。尻尾はないが、ご主人様が帰ってきて尻尾をフリフリする犬、の姿がダブる。めぐみは「ニャ」とか猫語をよく使うから犬より猫で喩えた方が嬉しいかもしれないが、しかしこれは間違いなく犬だ。
「ちーちゃんもおいでよー」
「うん、千尋くんもほら。せんせーに、会いたくて会いたくて寂しかったわよね。ちゃんとわかってるわよ。せんせーもね、千尋くんに会えなくて、すっごく寂しかったわ。それにとっても心配だったの。大宮でもね、千尋くんが倒れてないか、とか、震えてないか、とか、ずっと考えてたのよ」
「そうですか。だけど今日は大丈夫だったよ。最近は、割と大丈夫です。よくなってます。ちゃんと」
以前は、外に出るだけで動機がして倒れそうになっていたことを考えたら、凄い進歩だ。電車に乗って学校に行って勉強をして人と話してご飯を食べて家に帰ってくる。先生と初めて会った頃と比べたら、自分で言うのもアレだが、大きく変わったと思う。まだまだダメなところはいっぱいあるけれど、頑張ってみて本当によかった。
「そうね。千尋くんがよくなっていると思えるなら、それはとてもいいことね。変わることを恐れずに、勇気を出して前に進みなさい。そうしたらおのずと道は開けてくるわよ」
「はい、頑張ります」
「うん、じゃあほら」
と先生は両手を広げてぼくを誘う。抱きついてきなさい、ということだ。
「千尋くんが大好きなせんせーのお腹だお? あ、あと大きなおっぱいもかしらね」
「好きなわけないだろ。妄想も大概にして下さい」
「ほら、頑張れ―、千尋くん頑張れ―」
「何を頑張るんだよ」
「え? だってこれからも頑張るのよね? だからほら、勇気を出して変わることを恐れないで、素直になればいいのよ」
「そうだよ、ちーちゃん」
「ちょっと意味がわからないです」
「人生っていうのはシンプルなのよ。難しくしているのはあなた。つまり千尋くんなのよ」
「そーですね」
とぼくはあおいのように棒読みで言った。先生の話にまともに付きあっていたら、疲れるだけだ。それに、先生は頭がいいから言い合いになってもぼくは勝てない。知識に差がありすぎるのだ。
「うん、じゃあ先生の胸に飛び込んできなさい」
「そーですね。変態ババア。さっさと捕まればいい」
診察室にカメラでもしかけたら、きっと先生の犯行現場が映っているはずだ。
「うん、千尋くんとそういうことして捕まるなら本望よ」
と言いながら先生は真っ直ぐにぼくを見つめている。ぼくは直視は出来ず、ちらちらと目線をそらしている。一年間一緒に生活している先生でも、まだちゃんと顔を見て話すことができない。
だからこれから来る日高奏と、上手くやっていけるか不安だ。先生やめぐみ、あおいの様に長く付きあいがある人だから、まだ会話が出来るのだ。
未だに、初対面の人とはちゃんと会話が出来ない。PTSDが強く出ることは減ったけれど、それでも、よく知らない人と一緒に居て、動悸がしたり倒れそうになることはたまにある。そんなぼくのことを先生はわかっている。ぼくの主治医は三上琴音先生だから。病状は理解している。にも関わらず、日高奏という新しい子をうちに連れてきたのは、意味があるのだ。




