滓
ガン…と、壁を殴りつける音が部屋に響く。
「…クソ…誰だ…」
舌打ち混じりに吐き捨てるように言うアズマは、苛立ち、憔悴、怒り…等のマイナスの感情を表している。それに加え、ドールプログラムとの密な関係のせいでよく眠れていないのだろう、顔色が悪く目の下の隈も目立つ。
いつもやけにギラギラとした目をしているのしか知らないイジーは、その様子に少し期待した。
何故なら、彼が苛立つということは…シンタロウたちがなんらかの活動をして居ると考えられるからだ。
「…そんな目をしても、ウィンクラー少佐でない。」
イジーの目に気付いたのか、アズマは咎めるようにイジーを見て言った。
「そんな目で見られるのは心外よ。敵同士でしょ。」
イジーはアズマの視線を受け、少し苛ついたのでチクリと嫌味のように言った。
アズマは苦々しい顔をしてイジーから目をそらした。
彼とイジーのいる部屋には二人だけで、部屋には大きなモニターがある。
そういえば、とイジーは思った。
今いる船の設備は確かに古いかもしれないがドールプログラムの権限を持っているということで機械面の動作は心配ない。
要は充実している方だ。
だが、人が少なくなっている気がするのだ。
それを感じさせない部屋に閉じ込められていると思っていたが、人が圧倒的に少ないのだ。
当初はいくつかの戦艦に分かれていたはずなのに…
「…予定変更だ。」
アズマは苦々しく言うと、どこかに連絡をし始めた。
何となくその様子が頼りなくて、さみし気だった。
「…落ち着けだと?誰が動いているのか分からないのに…クソ!!」
アズマは何かの声に応えるように言った。
それはおそらくプログラムの声だろう。
イジーはそんなアズマを横目に見、自分の足に目を向けた。
傷は塞がったが、中の筋は傷んだままの足。
おそらく歩けても走れはしない。
逃げることはできない。
一人では…だ。
今は別のところに閉じ込められている仲間を思い出した。
彼は体を拘束されているが、目に付くけがもなかった。
昔に無くなった片腕には、義手がつけられていた。
彼と共になら…
イジーはそう思いついた。
その時、ふと自分を見下ろす人影に気付いた。
「…逃げる…気か?」
そこにはアズマがいた。
先ほどまで荒れていた彼の様子から一変して、その眼は凪いで、どこか虚ろだ。
彼はイジーと目が合うと、彼女の腕を掴みそのまま床に押し倒した。
イジーは思わず息を呑んで、身構えるのが遅れてしまった。
「聡いあなたならわかっているはずだ。俺たちが人が削られていることを…、もう肉体のある仲間が数少ないことを…」
アズマはイジーの耳元に囁くように言った。
やけに息が耳にかかり、その不快さにイジーは顔を顰めた。
「あの“先生”…と呼ばれた男は誰だ?誰も教えてくれない。…あのカサンドラさえも分かっていて庇っていた。…そしてプログラムも教えてくれない。」
アズマは答えを求めるようにイジーを見ていた。
どうやらカサンドラは彼と面識はないにしろ彼のことを知っていたようだ。だが、ユッタの馴染みであり彼女を看取った立場である彼には後ろめたさがあるようだ。
「私の…“先生”よ。あなたには関係ない。」
イジーは彼を切り捨ているように言った。
「その様子だとフィーネの戦士の関係者か…、だから彼の適合率は平均以上…か。」
アズマはイジーの様子を探る様に見下ろしながら呟いた。
イジーはアズマの問いかけに応えず、無言で彼から目をそらした。
「…余裕だな…ルーカス中尉。」
アズマがイジーの様子を見て苛立ち気に言った。
イジーはそれに目線だけ向けた。
「ここにいる男は、あなたを性的に見ているかもしれない。そんな男に押し倒されて、あなたはそんな涼しい顔をして居る。」
アズマは何とも言えない表情でイジーを見下ろしていた。
「…そうね。」
イジーはアズマを見上げて、それだけ答えた。
アズマはそれにさらに苛立たし気に口を歪めた。
「諦めか?」
アズマは全く相手にしていない様子のイジーに苛立っているはずなのに、さらに続けて聞いた。
その様子や、表情がイジーは何かどこかで見たことがあった。だが、思い出せなかった。
ただ、ここでアズマに言われっぱなしは癪だ。
「…あなたと私には何もないでしょ。少なくとも、私にはない。」
イジーは真っすぐアズマを見て言った。
その言葉にアズマは目を見開いた。その目が微かに揺れ、動揺を見せている。
アズマの何か心の奥が見えそうだった。
「ただ、あなたが一人でなにかやっているだけ…でしょ。」
イジーは辛らつに続けて言った。
何か動揺を見せるかと思い、イジーはアズマを見上げた。
ドン…と、イジーの顔の横にアズマの拳が落とされた。
流石にイジーは驚き、身をすくめた。
「…なんだよ。一人で…って、そうだよな。あんたには少佐がいるもんな。」
アズマは歯を食いしばり、歪んだ笑みを向けていた。
そのまま彼は顔をイジーの首元に下ろした。
それにイジーは身構えたが、彼は耳元で歯を食いしばっているだけだ。
「…くそ…どうして…いつも俺じゃないんだ…どうして…」
彼はすねるように呟いていた。
「…父さんも母さんも…どうして、俺じゃ…」
彼のそのつぶやきを聞いて、イジーはさっきまでのアズマの表情がどこで見たことがあるのか分かった。
それははるか昔に感じる“希望”でのことだ。
遊んでいるクロスやユッタ、レイラが、両親が迎えに来たハクトを見て向ける視線に似ており…。
研究にしか目を向けなくなった父を見る、コウヤの目に似ている。
親に甘えたがる…子どもだ。
そう思ったとき、イジーは無意識にアズマの頭を撫でていた。
彼が抱いていたものが分かった気がした。
「何故ドールプログラムを落とす!!?気でも狂ったか?」
そう怒鳴るのは、軍本部に残る少将だ。
その名はレイモンドは声の方に目を向けた。
彼は怯えていた。
理由はわかる。立場が立場であるため真っ先に逃げるわけにはいかない。
こんなときに遠ざけて疎んでいた存在が近くにいなくて怖いのだ。
シンタロウの活躍を快く思わない連中は、平和に慣れてしまい戦力を遠ざけていたことに気付いたのだ。
何のために、かつてロッド中佐が本部に着きっきりだったのかも忘れてしまったようだ。
「相手は、こちらの持っているドールプログラムを無効化できるかもしれない。…それはよくわかっているはずだ。」
レイモンドは少将に目も向けず、久しぶりに触る鉄の塊の整備をしていた。
「大体私の部下には火薬に触れたことのないものも多い。それに…それならお前が話をつけることが…」
彼はどうやらレイモンドがナイトに話しをつけることを望んでいるようだ。または話している間に逃げる時間を稼ぐことだ。
だが
「あの男はバカでは無い。」
レイモンドはガシャン…と、時代遅れなオイルの臭いがする鉄の塊に弾を込めた。
「だが、総統殿は…フィーネの戦士側の人間であり…彼と外交でも…」
彼はレイモンドを縋る様に見ている。これが生き残る最後の希望…とでも言わんばかりだ。
「少将殿は…彼の警告を履き違えている。」
レイモンドは、鉄の塊に装填が完了したのを確認すると、ゆっくりと両手で構えた。
「なんだと?」
「彼は…私に邪魔をするな…と言っている…としか思えないのだよ。」
レイモンドはそのまま鉄の塊を少将に向けた。
それに辺りはざわめいた。
若い軍人も、年老いた軍人も皆ただでさえ悪い顔色が真っ青になっている。
少将もさらに怯えを見せた。
「れ…レイモンド!!頭でもおかしくなったのか!?」
少将はもはやレイモンドを総統と呼ばず呼び捨てで呼び、ヒステリックに叫んだ。
「おかしくなったのはお前だろう。この状況でまだ逃げを探す。」
レイモンドは目を細め少将を見て言い、そのまま構えた鉄の塊をドシン…と床に立てた。
「ドールプログラムが無くても、鉄はある。火薬は火をつければ爆発する。そんな簡単なのことも考えられないのか?」
レイモンドは少将ではなく、彼と同じように未だにレイモンドの持つ鉄の塊と火薬に抵抗を見せている軍人たちに言った。若いほどその傾向が強かった。無理もない。若い軍人はドールプログラムの訓練と肉体強化が主で、人によったら触れたことのない者もいる。
「…しかし…そんな危険なもの…」
「火薬なんて…野蛮な…」
「…ふ…ははははは!!」
ところどころ呟かれる声に、レイモンドは大声で嗤った。
そのレイモンドに周りはひるみ、怯えた様子を見せた。
「危険?いつ寝返り寝首を掻くかもしれないプログラムが身近にあるというのにか?」
「それに、野蛮かどうか関係なく武器とは…目的は同じだ。」
レイモンドは床に立てた鉄の塊を片手で持ち上げ、そのまま引き金を引いた。
ドガン
…と轟音と共に火薬の臭いがあたりに漂った。
放たれた弾は、誰にも当たらず天井に消えた。
「その目的の前に…果たして野蛮でない…というものは無いだろうに…」
レイモンドは片手でもった銃を上に向けて言った。
その様子に周りの軍人たちは黙り、考え込むようにうつむいた。
「大体…お前らは見えない夥しい血の上に立っている。我々は皆野蛮なのだよ。それすらわからないのか?」
レイモンドは自嘲するように言い、口を歪めた。
そして、先ほどまでレイモンドに食いついていた少将に目を向けた。
少将は怯えたように身構えたが、直ぐにレイモンドは彼から視線を外し周りの軍人たちを見た。
「向こうも同じだ。我々が武器を持つのに同じ理由で向かう。」
レイモンドは周りを見ながら歩み進んだ。彼を避けるように軍人たちは花道を作っていた。
「果たして…“野蛮”などと上品な言葉を使っている場合であるだろうかな…」
レイモンドはやはり自嘲するように口を歪めて言った。
そして、ゴン…と、片手に持った銃を地面に立て、勢いよく軍人たちを振り返った。
「さあ諸君。その鉄の塊を、野蛮な武器を取りたまえ。」
大声で言い、顎で積みおかれた数々の鉄の塊を指して言った。
その言葉を受け、先ほどまで躊躇いを見せていた軍人たちは意を決したようにそれぞれが銃を持った。
「敵は理屈は通用しない。徹底的に防戦で時間を稼ぐ。」
その彼等を見渡し、肩に銃を担いで慣れたようにレイモンドは軍人の間を闊歩した。
「間違っても勝とうとするな。死ぬぞ。」
レイモンドは少将の前に立ち止まり、彼を見下ろして言った。
それに少将は身をすくめたが、何度も頷いていた。
「さ…て、もうすぐ設備が整う。」
レイモンドは戦い方を決めたようだった。
登場人物
リコウ・ヤクシジ:
第三ドームの第四区の大学に所属する学生。ドールプログラムが専門。
コウヤ・ハヤセ:
リコウの先輩。「フィーネの戦士」の一人で、圧倒的な適合率を持っている。
マウンダー・マーズ:
ドールプログラム研究において現在のトップ。「フィーネの戦士」の一人。「マックス」が愛称。
シンタロウ・ウィンクラー:
地連の少佐。「フィーネの戦士」の一人であり、現在の地連にて最強といわれている。コウヤとアリアとは親友であるらしい。
アリア・スーン:
ユイと行動を共にする女性。「フィーネの戦士」ではないが、関係者。コウヤとシンタロウと過去はあるが親友。
イジー・ルーカス:
地連の中尉。「フィーネの戦士」の一人。シンタロウの精神的主柱。アズマたちに連れ去られる。
ユイ・カワカミ:
リコウ達の乗る戦艦に保護される。「フィーネの戦士」の一人。コウヤとは恋仲だが、アリアとの方が仲がいい。
ジュリオ・ドレイク:
従軍経験のある学生。標準的に「フィーネの戦士」を尊敬している。正義感が強い。
カルム・ニ・マリク:
月所属の地連軍の人間。大佐。殲滅作戦の犠牲者に深く関わっている。テイリーの元上官。
オクシア・バティ:
第三ドームの学生。殲滅作戦の犠牲者であるカズキ・マツの甥。叔父の影を追っている。
ミゲル・ウィンクラー:
シンタロウの部下で、彼の艦長をする戦艦の副艦長。階級は准尉。同じウィンクラー姓であるため、ファーストネーム呼びが多い。血縁関係はない。そして、名前も大して知られていない。
ゲイリー・ハセ・ハワード:
地球所属の地連軍の大尉。マリク大佐と同じく艦長をする戦艦をテロリストによって壊滅させられる。
レイモンド・ウィンクラー:
現在の地連軍のトップで総統。「フィーネの戦士」ではないが、作戦の責任者であった。
テイリー・ベリ
ネイトラルの情報局のトップ。フィーネの戦士との接点が多く、作戦に関係していた。それ以前は元地連の大尉であり、殲滅作戦でいとこを亡くし地連から離れた。
ハクト・ニシハラ:
元地連大尉で「フィーネの戦士」の一人。ディアとは婚約関係。
ディア・アスール:
ナイト・アスールの娘。「フィーネの戦士」の一人。ハクトとは婚約関係。
レイラ・ヘッセ:
「フィーネの戦士」の一人。ゼウス共和国の人間。ジュリエッタの娘。
ジョウ・ミコト:
ゼウス共和国を成長させた指導者。国民からの信頼が厚い。「フィーネの戦士」の一人。
カカ・ルッソ:
ネイトラル出身のここ数年で出てきた俳優。「フィーネの戦士」の一人。
リオ・デイモン:
ネイトラル出身のここ数年で出てきた俳優。「フィーネの戦士」の一人。
クロス・ロアン(クロス・バトリー)
「フィーネの戦士」の一人。三年前に死んだと言われているロッド中佐本人であり、本物のレスリー・ディ・ロッドとは協力関係にあった。ロバート・ヘッセとカサンドラの息子。
タナ・リード:
第17ドームに滞在している男。ゼウス共和国の人間で「フィーネの戦士」と因縁がある。
ギンジ・カワカミ:
リコウを新たなネットワークの鍵に設定した人間。ドールプログラムの開発者の一人であり、「フィーネの戦士」でもある。
レスリー・ディ・ロッド:
「フィーネの戦士」の一人で、クロスと入れ替わっていた。マックスと共にテロリストに襲撃され、その時にマックスを庇って捕まる。
ナイト・アスール:
ネイトラルの現在の指導者。ディアの父。彼女の婚約者であるハクトにとても好意的。テロリスト集団を乗っ取り、地連軍に協力を持ち掛ける。地連に深い恨みを持っている。
カサンドラ・バトリー(カサンドラ・ヘッセ):
ゼウス共和国を暴走させた独裁者ロバート・ヘッセの元妻。テロリストを主導する立場だったが、ナイト・アスールに乗っ取られる。
アズマ・ヤクシジ:
リコウの兄。地連の軍人で一等兵だった。第三ドーム襲撃の際、テロリスト集団「英雄の復活を望む会」を手引きし、自身もそのメンバーの一員だった。新たなネットワークの鍵でもあり、大きな脅威となっている。
リュウト・ニシハラ:ハクトの父親。ナイト・アスールが自ら友人と言う存在。
キョウコ・ニシハラ:ハクトの母親。少しディアに雰囲気が似ている。
ルリ・イスター:第三ドームの市民。リコウに淡い思いを抱いている。
グスタフ・トロッタ:
かつてマックスと共にゼウス共和国のドール研究に携わっていた研究員。シンタロウと因縁がある。
キース・ハンプス:
「フィーネの戦士」の一人で、元少佐。戦士たちの精神的主柱であり、今の地連軍だけでなく他国の者にも影響を与えた。カズキ・マツの最期の部下。
ユッタ・バトリー:
クロスの妹でカサンドラの娘。ゼウス共和国と地連の争いで命を落とす。
マイトレーヤ・サイード:マリク大佐の部下。テロリストの暗躍により死亡。
ジュリエッタ:
カサンドラが手にかけた女性。ナイト・アスールのスパイとして前ゼウス共和国総統の元にいた。レイラの母親。その正体は謎が多い。
ナオ・ロアン:
ロバート・ヘッセの元腹心。カサンドラ達の亡命に加担したことにより、捨て駒にされ死亡する。レイラの父で、彼女の緑色の瞳は彼譲り。ジョウの元上司でもある。




