迷走する悪夢
《ネットワーク接続、確認。》
コウヤは音声が頭に流れてきたのを確認すると、息をゆっくりと吐き出した。
「…アリア。ユイに連絡を入れて欲しい。」
コウヤが言った時…
『わかっているよ!コウ!!私察知できる!!』
底抜けに明るいユイの声が車内に響いた。
コウヤはそれを聞いて、座席に沈むようにもたれかかった。
『じゃあ、私シェルター探って生存者いないか探すね。』
「コウヤを休ませてから私たちはシンタロウと協力して制圧するわね。」
アリアはコウヤの様子を見てからユイに言った。
『やっぱり結構疲れているんだね。…お疲れ。』
「まあ…俺よりもヤクシジの方が疲れているよ。だって…」
コウヤは苦笑いをして隣にいるリコウを見た。
リコウは目を閉じて疲れたような表情で背もたれに体を沈めている。
冷や汗をかいて息も荒い。
「おい。もう大丈…」
コウヤはリコウが目を閉じたままでおり、未だ神経を使っていそうなのを見て肩を叩いた。
「あんたが無茶をさせたんでしょ。可哀そうなリコウ君…」
アリアは同情するような声で言った。
だが、そんなアリアに返ってきたコウヤの声は作戦が終わったという状況には似合わないものだった。
「アリア!!シンタロウに連絡を取ってくれ!!」
コウヤは慌てた声だった。
「わかった。どうしたの?」
アリアはシンタロウへの連絡を試みてからコウヤに質問した。
「ヤクシジの意識が無い。」
コウヤは隣に座っているリコウの変化に気付いたようだ。
リコウが全く返事をしないのだ。
「え?でも…どうして。」
「いいから。シンタロウは?」
『コウ。私もシンタロウと連絡を取れないよ。』
ユイの困ったような声が響いた。
「アリア。急いで車をシンタロウのところに飛ばせ。俺はシステム全て使ってテロリストを動かさないようにする。」
コウヤはリコウから手を外して腕を組んだ。
「わかった。…もうリコウ君の権限はいいのね。」
アリアは車の方向転換をして、スピードを上げた。
「ああ。このドームの権限は取り戻した…けど…」
「けど?」
「ヤクシジは、別口ネットワークのどこかに入ってしまったみたいだ。それこそ、俺が入れない所に…」
コウヤは何かを思い出しているのか、少し自嘲的に笑った。
「何でシンタロウなの?」
「シンタロウは…このネットワークを作っている何かに呼ばれているし…彼はこのドームに因縁が深いし…」
コウヤは頭を抱えて眉を顰めた。
「し…?」
「嫌な…嫌な気配が…ある気がする。」
ここは一体どこなのかわからない。
見たことのない建物の中で人に囲まれている。
そして、目の前には二人の軍人の死体と、銃を持っている少年。
リコウは、その少年だけに見覚えがある。
《やはり…お前もグルだったのか?コウノ…》
ぞろぞろとやってくる軍人たちは、コウノと呼ばれた少年を警戒している。
《邪魔をするな…》
コウノと呼ばれた少年は、全く動じていないような声で言った。
年齢とシチュエーションからは考えられないほど冷静だ。
そして、その声はリコウも知っている。
少年はリコウが目の前にいるにも関わらず、銃を放ち走り出した。
リコウは身構えて体を固くした。
だが、放たれた銃弾はリコウにあたることは無く、通り抜けて行った。
そして、それはリコウの後ろにいた軍人たちの頭に吸い込まれるように入っていった。
「ひ!!」
リコウは周りの状況に思わず怯んだ。
コウノと呼ばれた少年はリコウを通り過ぎて軍人たちに変わらず銃を放ちながら走っている。
走るのも早いし、身のこなしも常人ではない。
リコウは無意識に彼を追いかけた。
今見ているものが何か、どこにいるのか分からない。
だが、リコウにとって、今もっとも馴染みがあるのはあの少年だけだ。
「少佐!!一体何が…」
リコウは少年に叫んだ。
だが、少年はリコウに気付いていないようだ。
そもそも、この空間にリコウはいないようなものに扱われている。
まるで…過去の出来事を見ているような…
『ああ…厄介なのが一緒だったのか…』
落胆するような声が響いた。
その声は、リコウの存在と同じようにこの空間において異質であった。
リコウは声の方を見た。
そこにいたのは、白衣を着た色白で細い青年だ。
「…お前…誰だ?」
リコウの問いに青年は笑った。
彼は、リコウの存在を認識しているようだ。
『僕の名は…グスタフ・トロッタ…君も知っているだろ?』
青年はリコウに余裕そうな笑みを浮かべた。
グスタフ・トロッタ
リコウも知っているゼウス共和国の研究者だ。だが、彼は行方不明だ。
ここにいる理由も、何でこの空間があるのかもわからないが、リコウは聞くべきことがあった。
「ここは…どこなんだ?」
『ここは、プログラムに拾ってもらった過去の空間だよ。』
「拾ってもらった?」
『ああ。あまりにも犠牲が多くてね、人の意識が沢山ここに残ったんだ。それを、新しいドールプログラムのネットワークが拾ってくれた。』
「…意味が分からない。」
『僕も最初はそうだったよ。僕の本職は人体だからね。人の意識がどこかに飛ぶというのは否定的だったんだ。人間は…ここだよねって考えだったから。』
グスタフは自分の頭を指差して言った。
「何が起きているんだ?だいたい過去ってどうして…」
『君だって聞いたことはあるだろ?第六ドームの悲劇を…ここの訓練施設が潰され、生存者が絶望的だという話は』
グスタフの言っていることは分かる。このドームにある慰霊碑のある公園は、地連軍の訓練施設襲撃の犠牲者を悼むために建てられたものだ。
だが、それは地連軍だ。
目の前にいる男は、ゼウス共和国の研究者だ。
どうしてここにいるのか分からないのだ。
今ならともかく、この訓練施設が襲撃された時、地連とゼウス共和国は対立関係でも特に最悪な状況にあった。
「…待てよ。意味が分からない…」
『先入観を捨てて僕の言った事実だけで判断しなよ。知識の蓄積はいいことだけど、別の知識の防壁になるのはよくない。』
「いや、だって過去の空間にいるのにお前はなんで…」
『僕は死んでいる。』
「え?」
『死んだら意識は消えると思っていた。脳が全てだからと…けど、違ったね。脳は意識を作るものであって、どうやら人間の意識って言うのは形状記憶があるみたいだ。』
グスタフは目を輝かせて話し始めた。
『僕のこの姿は、僕が記憶しているものであり、僕の人格も記憶しているものだ。そもそも体というのは型という概念だったんだよ。型に入って僕たちは人格と意識を作る。その形を記憶している意識は、その形で今、プログラムに入っている。体から出た意識というのは基本的に形態変化をさせるのは無理じゃないかな?付属させるのは可能だけど、人格や意識の変形はやっぱり型に入っているとき、体を持っているときじゃないと…』
グスタフは早口で、夢中になったように話し始めた。
リコウに関係なしのように…
「あの!!俺の質問は…」
リコウはグスタフがこのまま語り続けるのではないかと話を止めた。
グスタフは少し残念そうな顔をした。
だが、すぐに仕方なさそうに諦めた顔をした。
『そうだ。シンタロウに伝えて欲しいんだ。』
グスタフは思いついたように言った。
彼の顔が笑顔だったことから、ウィンクラー少佐と友好的な関係にあるようだ。
いや、あったようだ。
「え…?ウィンクラー少佐…ですか?」
『今はそう呼ばれているね。彼、ここに入れないから…ね。』
「入れないって…ここは…」
リコウは周りを見渡した。
気が付くと、コウノと呼ばれた少年はおらず、軍人の遺体だけがあった。
『もうすぐ、ここが壊れた時になる。』
グスタフは天井を見上げた。
それと同時に、ゴゴゴゴ…と音を立て建物が揺れ始めた。
『慌てないで大丈夫。君も僕もこれは見ているだけだから…』
グスタフは笑っていた。その顔は寂しそうだった。
彼の言う通り、リコウ達の身体をすり抜けるように崩れた天井は落ちていった。
気が付くと、二人は瓦礫の上空に立っているような形になっている。
不思議と、外の様子は見えない。
真っ暗な中、瓦礫の上にいるのだ。
その空間の異様さもあるが、それよりも…
「少佐と…あなたは…」
『彼に、待っているって…言って欲しい。』
「待っている?」
『彼は頭がいいから、それだけで僕が言った意味が理解する。』
「状況が…」
『そうだ。マーズにも伝えて欲しいな。』
「マーズ?」
『マウンダー・マーズだ。…天才なら奴を止めろよ…ってね。』
グスタフの笑顔が少し曇った。
「…あなた、一体何を知っているんですか?」
『話すのもいいけど…君が戻らないとシンタロウが苦しいよ。』
「少佐が?」
『君がこの空間にいる橋賭けはシンタロウがやっている。つまり、君が戻らないと、シンタロウはあの悪夢を見続けるんだ。』
グスタフが笑って言うと、崩れた建物が元に戻った。
「え…」
リコウは周りを見渡した。
すると、またコウノと呼ばれた少年がいて撃たれた軍人が立っていた。
『あと、ついでだから言うけど…君の近くにいる誰かのせいで奴らは動きを察している。』
「は?」
リコウはグスタフの言ったことも何が起こっているのかもわからない。
そもそも、彼が語り始めなければよかったのでは…と恨めし気にグスタフを見た。
『いいから。早く戻りな。君のためにもね。』
グスタフは肩をすくめて言った。
バン…バン…と、また銃声が響いた。
その音はリコウが最初に聞いたものと音も間隔も全く同じだった。
そして、撃たれ倒れた軍人の眉間も、全く同じように撃ち抜かれていた。
《コウノ!!お前…》
別の軍人がまた同じことを言っている。
『早く行きな。』
グスタフはリコウの背中を叩いた。
戻り方は分からないが、彼に押されるまま体を前に倒すと、視界が変わった。
リコウが見ていたのは、見知らぬ建物の床だったはずだが、気が付くと真っ暗になっていた。
「…いったい…」
リコウはわからず周りを見渡そうとした。
見えない…と思ったが、リコウは気付いた。
目を閉じていたのだ。
それに気づいた途端
「ヤクシジ!!おい!!」
と慌てたようなコウヤの声が聞こえた。
リコウは重い瞼を開くと、目の前に声の通り慌てた顔のコウヤが居た。
「…よかった。戻ったか…」
コウヤはリコウが目を自分で開いたのを確認して安心したように息を吐いた。
「…あの…いったい」
「ドームのシステムは全部取り戻した。けど、お前の意識が戻らなかったんだ。」
コウヤはリコウにシステムを取り戻したことと、それらを使って戦艦にも連絡を入れて、別動隊がドームに入ったことを話した。
そして、シンタロウの意識が無いこともだ。
「ウィンクラー少佐は…どこに?」
「あいつは頑丈だから怪我はしていない。ただ、バイクを突っ込ませてしまって軍の備品をぶっ壊したくらいだ。あいつ自体は公園の近くの建物の陰でぶっ倒れていた。」
コウヤはシンタロウが無事であることを強調して言った。
「…たぶん、もうすぐ意識が戻ると思います。」
リコウはグスタフの言ったことを思い出した。
もしかしたら、疲労の中で見た幻覚かもしれないが、それにしては鮮明でリコウの経験したものの記憶にないものばかりだったからだ。
「だろうな。お前が戻っているんだから…ネットワークの拠点を叩けたのは、俺とヤクシジの力もあったけど、無意識にシンタロウも協力していたことがあるんだ。…たぶん。」
コウヤは断言するように言ったが、少し不安なのかたぶんと付け加えた。
「じゃあ、俺が見たのは…」
「何を見たのか知らないけど、俺が入れずにヤクシジが入れるところだ。シンタロウについては知らない。戻ったらマックスに聞こう。」
「…はい。」
リコウは頷いた。
マックスに聞こうと思っていることは沢山あるのだ。
ただ、ロッド中佐の話でマックスには話しかけにくい気がする。
「じゃあ、リコウ君もみんな戦艦に戻るわよ。」
アリアが運転席で、二人が落ち着いたのを見て言った。
どうやら車を停めていたようだ。
「ああ。あとは、軍に任せよう。」
コウヤは背もたれに思いっきり体を沈めて安心した様子を見せた。
どうやらリコウを心配して気が張っていたようだ。
少し気に食わないが、申し訳ない気分になった。
『コウ。シンタロウの意識戻ったよ。』
底抜けに明るいユイの声が車内に響いた。
登場人物
リコウ・ヤクシジ:
第三ドームの第四区の大学に所属する学生。いずれはドールプログラムの研究に関わりたいと思っている。元々ゼウス共和国の人間だったが、3年前に両親を火星で亡くす。兄のアズマとは二人きりの家族。カワカミ博士によって新たなネットワークの鍵に設定される。アズマたちテロリストが扱うネットワークに対抗するための手段。
コウヤ・ハヤセ:
第三ドームの第四区の大学に所属する学生。リコウが通っている研究室の先輩。リコウからは苦手意識を持たれているが、ドールプログラムに詳しく学内では頭一つ抜けた頭脳を持っているようだ。人の感情の変化を読むのに長けており、何やら不思議な力をもっているらしい。「フィーネの戦士」の一人。養母がレイモンド・ウィンクラー総統と結婚したため戸籍上ではウィンクラー少佐と兄弟になっている。
マウンダー・マーズ:
みんなに「マックス」と呼ばれる。若くて軟弱そうだが、ドールプログラム研究において現在のトップ。医者であり「フィーネの戦士」の一人でもあり「英雄の復活を望む会」から狙われる。
シンタロウ・ウィンクラー:
地連の少佐。「フィーネの戦士」の一人であり、レイモンド・ウィンクラー総統の養子の関係。現在の地連にて最強といわれ、実績もあり、有能で有望。コウヤとは付き合いが長いらしい。戸籍上ではコウヤと兄弟になっている。
アリア・スーン:
ユイと行動を共にする女性。リコウ達の乗る戦艦に保護される。「フィーネの戦士」ではないが、関係者のよう。
イジー・ルーカス
地連の中尉。「フィーネの戦士」の一人。ウィンクラー少佐の精神的主柱。
ユイ・カワカミ:
アリアと行動を共にする女性。リコウ達の乗る戦艦に保護される。「フィーネの戦士」の一人。
ジュリオ・ドレイク:
従軍経験のあるリコウ達と同じ大学に通っていた学生。体育会系の体型をしている。標準的に「フィーネの戦士」を尊敬している。リコウを信用していない。ウィンクラー少佐の外部部下と任命される。
オクシア・バティ
第三ドームの学生。ハクト達と同じ総合大学の生徒。襲撃時は別のドームに居て難を逃れた。叔父であるカズキ・マツを捨て駒のような作戦で失ってから軍とは距離を置いている。
ルリ:
第三ドームの市民。リコウが常連になっている喫茶店の店員。彼に淡い思いを抱いているようだ。
アズマ・ヤクシジ:
リコウの兄。地連の軍人で一等兵だった。第三ドーム襲撃の際、テロリスト集団「英雄の復活を望む会」を手引きし、自身もそのメンバーの一員だった。新たなネットワークの鍵でもあり、大きな脅威となっている。リコウ同様元ゼウス共和国の人間だが、ロッド中佐をはじめとした「フィーネの戦士」に対して異常なほど憧れている。
ハクト・ニシハラ:
第三ドームの大学に所属する学生。元地連大尉で「フィーネの戦士」の一人。ディアとは婚約関係。
ディア・アスール:
ネイトラルのトップであるナイト・アスールの娘。「フィーネの戦士」の一人。ハクトとは婚約関係。
カカ・ルッソ:
ネイトラル出身のここ数年で出てきた俳優。公私ともにリオと共に行動している。「フィーネの戦士」の一人。
リオ・デイモン:
ネイトラル出身のここ数年で出てきた俳優。公私ともにカカと共に行動している。「フィーネの戦士」の一人。
クロス・ロアン(クロス・バトリー)
「フィーネの戦士」の一人。苗字を変えて第三ドームの大学に通っていた。シンタロウを妨害した黒いドールのパイロット。
レイラ・ヘッセ
「フィーネの戦士」の一人。ゼウス共和国に滞在していたが、事件をきっかけにクロスを探しに出ている。
ジョウ・ミコト:
ほぼ全滅状態のゼウス共和国を、単体で衣食住を確保できるほどまで成長させた現在のゼウス共和国の指導者。国民からの信頼が厚い。「フィーネの戦士」の一人。
レイモンド・ウィンクラー:
現在の地連軍のトップで総統。「フィーネの戦士」ではないが、作戦の責任者であった。ウィンクラー少佐を養子にとっている。
ナイト・アスール:
ネイトラルの現在の指導者。ディアの父。彼女の婚約者であるハクトにとても好意的。
タナ・リード:
第17ドームに滞在している男。ゼウス共和国の人間でレイラと因縁があるようだ。
カサンドラ・バトリー(カサンドラ・ヘッセ):
ゼウス共和国を暴走させた独裁者ロバート・ヘッセの元妻。死亡したと公表されていたが実は亡命していた。
グスタフ・トロッタ:
かつてマックスと共にゼウス共和国のドール研究に携わっていた研究員。シンタロウと因縁があるらしい。三年ほど前から行方不明。
キース・ハンプス:
「フィーネの戦士」の一人で、元少佐。戦士たちの精神的主柱であり、今の地連軍だけでなく他国の者にも影響を与えた。カズキ・マツの最期の部下。
レスリー・ディ・ロッド:
「フィーネの戦士」の一人で、元中佐。宇宙一の戦士と呼ばれ、若い世代を中心に敵味方関係なく崇拝する者が多かったほどのカリスマ性と存在感があった。3年前の作戦で戦死したと言われている。