セレナーデ
「アイーダ……。君は、一体、何をしているんだ?」
セレナーデは、呆れたようにため息をついた。
「あなたこそどうしてこんなところにいるの?」
「だって、僕はここで3代目の当主代理をしているからね」
「ええええ!でもあなたの両親はどうしたのよ?」
「父さんは、医者として遠征に行っている。母さんは、祖父の様子が優れないため、実家に帰っている」
つまり、こいつはのうのうと当主づらをして独身貴族をやっているわけか。
「アイーダこそ、ここで何をしていたんだ?まるで何も盗んでいないのに、逃げようとしている泥棒みたいじゃないか」
「あまりにも面接が簡単な上に、ドアが開かないから、てっきり人身売買でもされるかと思って逃げようとしていたところだったの」
それを聞いたセレナーデは、お腹を抱えて笑い出した。
「ふふふ。あはははははははははは。バカだなあ。アイーダは、やっぱりおもしろいな」
「そんなに笑わないでよ。だいだい、名前と年齢を言ったら、面接が終わりだなんて、ここの採用試験は甘いんじゃないの?泥棒でも雇ったらどうするつもりよ」
「ああ、そのことが。もしも、アイーダ・イスタシアという少女がバイトの面接で来たら採用するように、執事のマイクに言いつけておいたんだよ。昔のよしみで、君が困っていたら助けてあげようと思ってね。いつもは、そんな簡単に採用したりしないよ」
セレナーデは、いたずらが成功した子供のようにウィンクをしてきた。
ものすごくムカついてくる。今すぐこいつに、雪玉をぶつけまくりたい。
「あなた、あたしのことを騙したのね」
「どういう意味だ?」
「玄関のドアに、ダナトラス家の看板がなかったじゃない。あなたの家の看板があれば、あたしは、こんな家に足を踏み入れたりしなかったわ」
「ああ、ちょっとそれは、壊れていて修理に出していたんだ。騙したなんて人聞きが悪いな。少し家を留守にしている間に、君がバイトとして雇われただけじゃないか」
「あ、あたしが、ここへ来るってわかっていたくせに黙っていたじゃない」
「だって、ここが僕の家だなんてわかったら、君は面接に来ないだろう」
「そういうのを騙したっていうのよ!このくそ男が!」
「まあ、せっかく就職先が決まったんだし、昔のことは忘れて仲良くしようじゃないか」
今ならこいつを野球ボールにして、ホームランを打てそうな気がするわ。
本当に最悪だ。こいつと毎日、顔をあわせるなんて地獄だ。
こんな奴の顔を殴りつけて、ここから出て行きたいが、今の私にはお金も行くあてもない。だったら、もう少しここにいてお金を稼いでからここから出て行くことを考えた方がいいのではないだろうか。
「ここ、けっこう給料もいいんだよな」
「……」
グラグラと心が揺れる。こんな奴の下で働くのは嫌だが、飢え死にするよりもいいじゃないか。他に仕事を探して見つかるかどうかなんてわからない。
「寝床には、ちゃんと毛布もある」
セレナーデは、あたしを口説くように甘ったるい言葉を耳元で囁いてきた。
「……」
なんて魅力的な職場なのかしら。
「まあ、君みたいなお嬢様には労働なんてろくにできないだろうけれど」
「何ですって!あたしにも労働くらいできるわよ。あたしにできないことなんて何もないわ。あなた、あたしがどれだけハイスペックか知らないんでしょう」
「そんなこと信じられないね」
「だったら、ここで働いて……。いや、なんでもないわ」
危うく口車に乗せられて、ここで働いて証明してみせるわと言ってしまうところだった。早くここから立ち去らないと。
ふと、アイーダの鼻孔をおいしそうな匂いがくすぐった。
「あれ?この匂いは何かしら」
「今日の夕ご飯は、ビーフシチューだ。王家で働いていた一流のシェフが作った美味しいごちそうだ」
何それ。めちゃくちゃおいしそう。ここで働けば、毎日、そんなものが食べられるのだろうか。
「ここのシェフのロバートは、料理が上手いんだ。ロールキャベツ、グラタン、ペスカトーレ、スープ、ハンバーグ……。どれも、最高級の味がする。アイーダも、ここで働けば、毎日、美味しい料理が食べられるだろう」
セレナーデは、悪魔のように甘ったるい声で耳元に囁いてくる。思わず、ごくりと唾を飲んだ。
「……」
アイーダのなかで、食欲とセレナーデの下で働きたくない気持ちが天秤のように揺れ出した。
「朝は、焼き立てパンが食べられる。バターや、ジャムもつけ放題だ」
ゴクリ。無意識のうちに、唾をのみ込んだ。
セレナーデの下になるなんて嫌だ。だけど、バター付きのパンは、なんて魅力的でしょう。
「君は、荷物をあまり持っていないみたいだから、ここで働くことになれば、お祝い金として一万ペリーをプレゼントしよう」
そのお金があれば、生活に必要なものや、替えの服なども取りそろえられるだろう。他の職場では、給料の前借りをさせてもらえるかわからない。何の信頼もできない少女に、お金を貸してくれるなんてことが、他であるのだろうか。
「そして、料理には、たまにデザートがついてくる」
セレナーデは、追い打ちをかけるように、色っぽい声でそう囁いた。
「ここで働くわ!」
気が付いたら、そう返事をしていた。慌てて口を押えたが、もう遅い。
「よし、決定だな」
セレナーデは、そう微笑んだ。
「いや、あの……。でも……」
成り行きで返答をしてしまったが、今さら前言撤回すると、あたしが言ったこともできない奴だと思われそうで嫌だった。
言葉をなくし固まっていると、ふいにセレナーデに顎をクイッと持ち上げられた。そして、何故か顔を近づけられた。そして、やけに熱っぽい目で見られる。
「アイーダ……」
「何をしているの?今すぐその汚い手を離しなさい。あたしの美しい顔が穢れたらどうしてくれるのよ」
「……君は、かっこよくなった僕にときめいてくれたかい?」
「ふん。あんたなんて所詮、ジャガイモがメークインになったレベルよ。豚は、やせても豚。ゴブリンは、腐ってもゴブリン。ちょっと痩せて、見た目がましになったくらいで、いい気にならないで。あなたみたいな最底辺にいた男に、どや顔をされると、腐った残飯を顔にぶん投げたくなるわ」
そう言って、ぶん殴ろうとすると、ひょいっと手を離され避けられた。
「はあ。全く、君は、相変わらず変わっていないな。かっこよくなった僕を見て、キャー、セレナーデ様素敵、今すぐ結婚してとでもいうかと思っていたのに」
「あなたのパッパラパーの頭にはお花畑が咲いているようね。今すぐ、そこにダイナマイトでも放り投げたいわね」
「なんて恐ろしい女なんだ」
セレナーデは、大仰に手を広げながらそう言った。
「お黙りなさい。それ以上、あたしを侮辱するなら、あなたの口を縫い付けてやるわ」
「本当に君は変わらないな。そうだ。夕飯がまだみたいだし、一緒に食事をとらないか」
その時、アイーダのお腹がグーとなった。お昼から、何も食べていなかったのだ。お腹の音を聞かれてしまったアイーダは、耳まで顔が赤くなった。
「よし、決定だな。じゃあ、ビーフシチューを食べに行こう」
そう言って、セレナーデはアイーダの肩に手を置いた。
アイーダは、その手をぺしっと払いのけて一緒に歩き出した。




