バイト探し
あの頃から何年も時間が経ったが、アイーダがウィルを許せると思ったことは一度もなかった。
国外追放され、再会したセレナーデと別れたアイーダは、ゆく当てもなく歩いていた。当然、セレナーデの手を借りるという選択肢は論外だ。
ふとアイーダの目に、『住み込みアルバイト募集』の壁紙が飛び込んできた。
壁紙が貼られているのは、立派な建物だ。
もしかしたら、この辺りの地域の領主なのだろうか。ここらへんで一番、高そうなお屋敷である。こんなところで働くことができたら、おいしいものが食べられ、給料にボーナスもついてくるのではないだろうか。
アイーダは、獲物を見つけた盗賊のように目を輝かせた。よし、ここで思い切って声をかけて、バイトの面接をしよう。頑張って、いい職場を掴み取るのよ。
玄関を見てみても、表札は見つからなかった。どこの血筋の家がわからないのは嫌だけど、とりあえず面接をしてみたい。このままでは、飢え死に一直線だ。
アイーダは、心を落ち着かせるために一度深呼吸をしてから、呼び鈴をならした。
「どちら様でしょうか」
現れたのは、皺一つない燕尾服を着ている執事だった。背筋は、針金のようにピンと伸ばされている。顔には、黒縁メガネをかけていて、髪はオールバックである。靴も、汚れ一つないくらいピカピカに磨かれていて、いかにも仕事ができそうな様子が漂っていた。
「あの、表の張り紙を見てきたものです。ここでアルバイトをさせてもらえませんか」
「アルバイトの希望ですか。では、今、部屋に案内します。どうぞお入りください」
「はい、お邪魔します」
豪華な外観と同じように、建物の中の作りも感じがよかった。品の良い花がいけてある花瓶、よく磨かれた大理石、凝ったデザインの椅子やドア……いろんなものが視界に飛び込んでくる。
執事は、アイーダを小部屋に案内すると、「どうぞ座ってください」と声をかけてきた。お言葉に甘えて「ありがとうございます」といってから、腰を下ろした。
彼は、分厚い書類をパラパラとめくったあと、「これから、バイトの面接をします。あなたが、この家で役に立つ人間かしっかりと見極めたいと思います」と真剣そうな顔で言った。
「はい、よろしくお願いします」
アイーダは、しっかりとお辞儀をした。
「私の名前は、マイク・ダンテです。まず初めにあなたの名前と年齢を言ってください」
「名前は、アイーダ・イスタシアです。年齢は、17歳です」
さあ、次はどんな質問をされるのだろうか。どんな質問が来ても、焦ることなく丁寧に返答していこう。そう構えていたのに、執事は、パタンと冊子を閉じた。
「はい、以上で面接を終わります」
「ええええええええええ!今ので、終わりなの?」
驚きのあまり素が出てしまった。普通、これから働く人間についてもっと調べるのではないだろうか。資格、字が読めるか、計算ができるかとか、絶対に聞くべきでしょう。経歴、経験、家族構成、住む場所、要望とか聞かれて当然なのに、志望動機すら聞かれなかった。まじかよ。ここの職場、大丈夫なのか。
それとも、あたしの悪評を聞いて、名前を聞いただけで不採用にするつもりなのだろうか。そう考えると、この短さに納得する。
「あの……。あたしは、不採用ですか」
そう確認をしたくて問いかけたのに、次に返された言葉は予想外だった。
「いえ、採用されました。おめでとうございます」
マイクは、表情を少しも変えないままそう言った。
「何ですって!」
こんなに緩い採用試験でいいのだろうか。よっぽど人手不足なのだろう。これから、あたしは、ブラック企業並みに働かせられるのかもしんない。採用されたのに、採用されたということを一切喜べない。
「夕方になったら、旦那様が戻りますので、それまでここでお待ちください」
彼は、紅茶を置いた後に、きびきびとした様子で去って行った。
ここで待っていて、本当に当主が現れるのだろうか。
一人取り残されたアイーダは、段々と不安になってきた。
当主は、若い女なら誰でもいいっていう人で、いきなり襲い掛かってこられたりしないだろうか。馬を倒せるくらいのレベルの護身術なら身に着けているけれど、倒した後で面倒ごとに巻き込まれてしまうのは嫌だ。
もしかしたら、アルバイト募集という張り紙は嘘で、実は、人身売買へと繋がっていたのではないだろうか。そう考えると、あのあまりにも緩すぎる面接に納得がいく。あたしみたいなかわいい子は、太ったおじさんの愛玩奴隷として売り払われてしまうかもしれないわ。
そう考えると、ここで待ち続けても、現れるのは、裏社会の人間や、暴力団なのかもしれない。だとしたら、今すぐここを抜け出した方がいいのではないだろうか。
バイト先は、きっとここ以外にも見つかるだろうし、こんな怪しげなバイトは辞めておいた方がいいだろう。
そう決意したアイーダは、扉を開けようとドアノブをまわした。しかし、ドアノブは、少ししか回らない。
「あれ?開かない」
もう2、3回挑戦してみるが、開かない。さっき執事がドアを開けた時は、簡単に開けられていたのに、まるでアイーダを閉じ込めようとするようにドアは開かなかった。
こうなったら、窓から出よう。だけど、ここは3階だ。飛び降りれば、きっと怪我をしてしまうだろう。
だったら、何かロープはないだろうか。そう必死で探すがロープらしきものは、何も見つからない。
こうなったら、何かロープのようなものを作るしかない。
ふと視界に飛び込んできたのは、カーテンだった。あれを繋いで、ロープを作るしかない。そうと決まれば、必死で頑張ろう。
アイーダは、勝手に家のカーテンを取り外し、結び始めた。そして、それをしっかりとベランダの手すりに巻き付ける。
「よし、これでオッケー」
後は、降りるだけだ。万が一、カーテンがほどけたらと思うと怖くてたまらないけれど、
行くしかない。
そう思い手すりを乗り越えようとした時、いきない部屋のドアがガチャリと開いた。
現れたのは、アイーダが想像していたようないかにも悪徳領主という感じの恰幅のいいニタニタした人間や、ヤクザ……ではなかった。
そこにいたのは、先ほど見たばかりの銀髪にアメジスト色の瞳をした世界一大嫌いな男だった。
「お前かよ!」
現れたセレナーデを見て、アイーダは、思わずそう言ってしまった。




