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お酒


冬が終わりかけた頃、アイーダは、セレナーデに呼び出されていた。


 どうしてあたしは、いきなり呼び出されたのだろうか。

 嫌な予感がする。エリオットにミミズを投げつけて虐めていたことがいけなかったのかしら。それとも、メイドに悪口を言われた時に『おばさん達の嫉妬って見苦しい』と言い返し、家の中で亀裂を作ったことが悪かったのかしら。雪かきをしていた時に、間違えてセレナーデに雪をぶっかけてしまったことが原因だったのだろうか。 

 どっちみち行くしかない。

 アイーダは、判決がこれから宣言される囚人のような気分でドアを開けた。

「遅かったね」

 予想に反して、セレナーデは優雅に赤ワインをグラスに注いでいた。

「何の要件なのよ」

「今日、君に来てもらったのは、他でもない暗殺の任務の件だ」

「何ですって!」

 アイーダは、屋根を突き破り空に飛び出しそうなくらい驚いた。

「間違えた。それは、違う人への用件だった」

殺意を込めてセレナーデを睨み付けた。

「早く言いなさい、酔っ払い」

「まだお酒は、飲んでいない。今は、一応仕事中だからね。君に来てもらったのは、給料のことだ」

「やった!」

 アイーダは、思わずガッツポーズをしながら叫んだ。

 そうか。気がついてみれば、2月の月末だ。12月に少しと1月に働いた分が、振り込まれているのだろう。

「金額は、二十五万二四〇〇ディールだ。確認してくれ」

 アイーダは、一枚ずつしっかりと確認していく。

「確かに頂戴したわ」

 給料は、アイーダが計算していた額よりも多かった。残業代、働きに応じたボーナスも追加されているのだろう。けれども、その気持ちを素直にセレナーデに告げる気になれなかった。

「だけど、少ないわね。こんなのあたしの労働に対する対価に見合わない」

「初めてだから、ボーナスも加えてあげたのに」

 そう言いながら、セレナーデは書類に何かを記入していく。それが終わると、机の上の書類を全て片づけた。

「よし。仕事も終えたしお酒を飲もう。今月の仕事が終わったら飲もうと楽しみにしていたんだ。よかったら、アイーダも飲まないか」

 セレナーデが差し出したグラスからは、濃厚なブドウの香りが漂ってきた。

「じゃあ、一杯だけ」

 アイーダは、本当はお酒が好きだし、アルコールに強かったが、それは淑女として恥ずかしいことだとされていたため、あまりお酒を飲むことはなかった。

「いただきます」

 そう言って、ワインを飲むと口の中にブワァと芳醇な味が広がっていく。こんな甘くて優しいワインは、初めてだ。

「もう一杯ちょうだい」

「君は、酒豪だったのか。淑女らしくないな」

「これは、アルコール度数が低いブドウジュースみたいなものよ」

「伝説のワインにむかってなんていう暴言を吐くんだ」

 セレナーデは、呆れたようにため息をついた。そして、ワインを水のようにがぶ飲みするアイーダに対抗するようにもう一杯飲んだ。

 二人で飲み続けている間に、あっという間にワインは空になってしまった。

「あー。おいしかった。あたしは、そろそろ帰るわ」

「待てよ。今日は、帰らない約束だろう」

 そんな約束なんてした覚えが全くない。

「あなた、酔っているのね」

「少し飲んだだけだ」

「でも、顔が珍しく真っ赤だし、呂律もまわっていないじゃない。お酒に弱いくせに、どうしてそんなにお酒を飲んだの?」

「君のせいだ」

「何でもかんでもあたしのせいにしないでしょ。あたしは、何も悪くないわ」

「君が飲むペースが速かったからいけない」

「あなたが見栄を張らなければよかった話でしょうが。見栄っ張りなガキ大将みたいね」

「あまり、僕のことを舐めるのもいい加減にしろよ。僕だって男だ」

「どうせ股の間に小さいやつがついているだけでしょう」

「ははは。相変わらずひどいな。僕のは、大きいのに」

「どうせ一生、見ることもないはずだから、興味ないわ」

「ふんっ」 

 セレナーデは、アイーダを意味ありげに鼻で笑うとドサリと机の上に座った。エセ紳士であるセレナーデがこんなに行儀の悪いことをするなんて、そうとう酔っているのだろう。酔っ払いのすることは、訳がわからない。

「あなた、そんな行儀の悪いことをやめなさい」

 アイーダは、小さな子供に注意する先生のような気分になりながらそう言った。

「それなら、ダンスを踊ろう」

 立ち上がったセレナーデは、今度は、とんでもない提案をしてきた。

「はあ?あなた何を言っているのよ」

「だって、アイーダはウィルと踊ってばかりで僕と踊ってくれなかっただろう」

 セレナーデは、おもちゃをもらえなくてすねた子供のように不満げな口調でそう言った。

「今日は、農作業で筋肉痛になったから嫌よ。だいたい、こんなところで踊るなんてへんよ。ケガでもしたら、どうするのよ」

「いいから、踊ろう」

 セレナーデは、アイーダの手を握ってきた。けれども、アイーダは、それを振りほどいた。

「ふざけないで。音楽は、どうするのよ」

「アイーダが歌ってよ」

「そんなの嫌よ」

「じゃあ、僕が歌おう」

 そういうと、強引に引っ張られて、いきなりがしっとホールドを組まれてしまう。必死に外そうとするが、意外と筋肉があるのかビクともしない。

「よし。1、2、3、1、2、3……」

 そんな風にリズムを取りながら、彼は大きな歩幅で動き出す。だから、アイーダも必死で足を動かした。やがて、彼は、上機嫌で鼻歌を歌いだした。

「あなた、こんなことして楽しいの?」

「ああ、楽しいよ。夢みたいだ」

 背中を弓のように大きく反らされる。

「ちょ、ちょ、ちょっとこの体制は、腰が死ぬから」

「どう?ドキドキする?」

「こ、骨折するんじゃないってドキドキするわよ」

「アイーダをドキドキさせられるなんてうれしいな」

「何よ。苛めっ子の思想かしら」

「ああ、そうだよ。僕は、君を苛めるのが楽しいんだ。それが僕の生きがいなんだよ」

 セレナーデは、夜明け色の瞳をきらめかせながらとびきりの笑顔でそう言った。

「悪趣味な男ね」

 今すぐ頬をぶん殴ってやりたいが、手がガッチリホールドされていて動かせそうにない。

「ほら、もっと足を動かして」 

「ちょ、ちょっとタイム」

「そんなの受け付けないよ」

「何よこのめちゃくちゃなステップ……」

 アイーダは、そんな風に文句を言いながらも、必死でついていく。こいつにダンスの技量で任されるのは、嫌だという妙なプライドがある。

 だけど、本当にセレナーデは、ウィルと大違いだ。ウィルは、ダンスの時はアイーダが動きやすいように気を使ってくれていた。こんなに身体を密着しようとしないで、紳士らしく接してくれた。ウィルは、難しい動きをする時は、ちゃんと合図をしてくれた。こんなでたらめなステップは踏まなかった。そう。ウィルだったら……。

「また、ウィルのことを考えていただろう」 

 そんな言葉を投げかけられ、アイーダの意識は、現実に戻った。いつの間にか、ダンスは止まっていた。

「何か問題でも?」

 アイーダが開き直ってそう返すと、セレナーデはケラケラと壊れた人形のように笑った。

「別に……。どうせ、そのネックレスだってウィルからもらったものなんだろう」

 むすっとしながらセレナーデは、聞いてきた。

 アイーダは、いつも同じネックレスをつけていた。

「ええ、そうよ。これは、あたしの15歳の誕生日の時にウィルがくれたの。素敵でしょう」

「そんなの全然、似合わないね。見るからに安っぽそうだし」

「何ですって!」

 アイーダは、目の前の男に、百回ビンタをしたい衝動がこみ上げてきた。

「君には……ルビーとか、金とかが似合うさ。そんな純粋無垢をイメージさせるような透明な石なんて君のイメージとはかけ離れているね」

「これは、心も見た目も美しく、透明感あるあたしにぴったりの石だわ。ウィルがあたしにとってピッタリのパートナーであるのと同じように」

「君は全然、わかっていないな。ウィルは、君とは似合わない」

「そんなことないわよ。誰もが認めるお似合いのカップルだったわ」

「むしろ似合わなすぎて、笑いがこみ上げてきたよ。もうウィルのことなんて忘れろよ」

「うるさい」

「ウィリアムは、君を愛していない」

 アメジストの瞳が見透かすように見てくる。

「うっせぇ、タコ。あたしがウィルに愛されていないことくらい、あたしが一番わかっているわよ!それでも、好きなの。大好きなのよ」

「そんなにウィルが好きなのかよ」

「ええ、私は、ウィルのためなら死ねるわ。自分を捨てた婚約者が不幸になってざまあと喜ぶような悪役令嬢なんかと違うのよ」

「君は、本当にかわいいな」

 セレナーデは、ボソリとそう呟いた。

 こいつから、こんな風に言われたことは初めてだった。いつもは、ウィルに夢中なあたしのことを恋に落ちた道化師のようにバカにしてばかりなのに。きっと酔って頭がおかしくなっているのだろう。酔っ払いの戯言なんて、気にしないことにしよう。

「あーはいはい、わかりました」

 適当にあしらったら、セレナーデの手がどんどん近づいてきた。そして、まるでキスをするように、顎をクイッと持ち上げられた。

「僕を見ろよ」

 彼は、生クリームのように甘ったるい声で呪文のように囁く。

 けれども、アイーダは、そんなセレナーデに対してひるむことなく睨み付けた。

「何よ。さっさとその汚い手を離しなさい」

「嫌だ。君は、僕だけを見ろよ」

 まるで魔法にかけられたように、紫色の瞳にとらわれてしまいそうだ。

 そう思った時、セレナーデは力が抜けたようにアイーダに寄りかかってきた。アイーダは、反射的にセレナーデの肩を支えてしまう。

「何よ!この変態!今すぐ離れないと訴えてやるわ」

 そう怒鳴りつけるが、セレナーデはピクリともしない。

 耳を済ませると、規則正しい寝息の音が聞こえてきた。

「もしかして、こいつ寝ているの?」

 酔っ払った挙句、人を強引にダンスに誘い、立ったまま寝るなんてなんて能天気な男なのだろうか。こんな奴は、いますぐこの惑星から追放するべきだ。

 とにかく今は、こんな奴、床に転がして自室に帰るべきだ。こいつが風邪をひこうと知らん。むしろ、このあたしを振り回した罰として風邪や食中毒にでもなって欲しいくらいだ。

 そう思い床にセレナーデを転がそうとした時のことだった。

「あれ?離れない?」

 よく見ると、セレナーデの手はしっかりとアイーダの脇腹あたりの服を握り締めていた。

「このバカ男。離れろ。ううううううう!」

無理やりはがそうとするが、セレナーデの指一本も外すことができない。

「おい、起きて!」

「うー」

 そう頭をぺチペチ叩くが、今度は反対側ももう一つの手でしがみつかれてしまう。まるでアイーダを絶対に離さないようにするように。

 こうなったら、誰かの助けを呼ぶしかない。このままセレナーデと一晩一緒に過ごして、不名誉な噂がたったら、たまったもんじゃない。

「誰か助けて!強姦魔に襲われています!」

 アイーダは、この屋敷にいる全員を叩き起こすくらいの大声を出した。しかし、嫌われているのか、信用されていないのか、その両方なのか全然助けはやってこなかった。

「どうしましたの?」

 唯一やってきた人間は、一番役に立たなそうなセレナだった。フライパンを片手に持っている。

 まさか、こいつがやってきてくれると思わなかった。家の家宝が盗まれることでも心配したのだろうか。兄貴の部屋から声が聞こえて、何が起こっているのか心配になってかけつけたのだろうか。どっちみち、セシルのひ弱な力では、セレナーデをひきはがすことは不可能だろう。

 アイーダ達の様子に気が付いたセレナは、目を丸くした。

「まあ、お兄様。一体あなた達は、何をしていたの?お兄様にピッタリくっつくなんて破廉恥な女ね!」

「あたしのせいじゃないわよ。ダンスを踊っていったら、酔っ払ったセシルが寝ちゃったのよ」

「あなたがお兄様を手に入れるために、睡眠薬でも混ぜたんでしょう」

「そんなことしないわよ」

「とにかくお兄様から離れなさい!この売女!」

「あたしは、必死にこいつをひきはがそうとしているの。だけど、こいつが離れないの」

「どうせそういう演技なんでしょう。わたくしが、今すぐお兄様をあなたの魔の手から引き離してやるわ」

 そう言って、セシルが挑戦するが、アイーダの目にはセシルがセレナーデの手を握り締めている光景にしか見えなかった。

「はあ、はあ……」

 本人は死ぬ気でがんばっていたのか、息があがっていた。

「もう、こいつの手を切り落とすしかないわ。ナイフを持ってきて」

 それを聞いたセレナは、死体のように青ざめて震えだした。

「なんて恐ろしいことをいうの。そんなことしたら、わたくしがあなたを殺してやるわ」

「じゃあ、どうすればいいの?」

「あなたの服を斬り割けば解決する話じゃない」

「あたしのドレスは、3着しかないのよ」

 アイーダの服は、作業用のダサい男っぽい服ばかりで、ドレスを買う余裕がなかった。それを洗いながら着ているのだ。これ以上減ったら、湿気の多い日は濡れた服を着る羽目になるかもしれない。

「そのネックレスを売り飛ばして、新しいのを買えばいいでしょう」

 アイーダのつけているネックレスは、蝶の形をしていてクリスタルが埋め込まれているものだが、絶対にこれだけは手放したくなかった。

「嫌よ。これは、あたしの宝物なの」

 アイーダは、ネックレスを死守しようと両手で握り締めた。

「だったら、どうすればいいのよ」

「ああ、そうだ。いい考えがあるわ。あなたが今すぐ、執事とか、力のありそうな人を起こしてきてよ」

「でも、その間、あなたとお兄様が二人きりになってしまうわ。お兄様が襲われるか心配でそんなことできない」

「そんなことしないから言ってきて」

「あなたの言葉は、信用できないわ。それに、こんな時間にあなたとお兄様を二人っきりにできない。既成事実ができたとか言われて、お兄様とあなたが結婚することになったら地獄だわ」

「でも、あたしはこんな大荷物を抱えたまま大して移動できないわよ」

「だいたい、お兄様を引きずって歩くなんて、この私が許さないわ」

「……」

「……」

 二人は、凍りついたような顔で、見つめ合った。


 結局、二人が出した結論は、隣にあるセレナーデの寝室で、3人で一晩迎えるという珍解答だった。二人なら既成事実ができてしまうが、三人なら大丈夫だろうという結論にも達した。

 大きなベッドの上で、セレナーデ、セシル、アイーダの順で川の字になっている。セシルは、小柄であるためアイーダを離さないセレナーデの間に入ることができた。

 目覚まし時計を早めにセットして、誰かに気が付かれる前に、朝早くにアイーダがセレナーデの部屋から抜け出すという作戦だった。

「あなたの同じベッドで寝るなんて最悪ね。あなたの体重が重たすぎるせいで、ベッドが傾いているじゃない」

「気のせいよ。あなたこそ夜中にいびきをかかないでよね」

「私は、そんなはしたないことをしないわ。アイーダは、お兄様の方に転がらないで」

「そんなことしないわ。あなたこそ変な寝言を言わないで」

「歯ぎしりとかしたら許さないから」

「毛布を独り占めしたら、ベッドから突き落としてやるわ」

 言われたら言い返す人間であるアイーダは、セレナのくだらない喧嘩にしばらく付き合い続けていた。

 やがて、あくびの出てきた二人は、気が付けば、夢の世界へと旅立っていた。


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