92 人間の暗部 ※
※ 虐待されるエルフの描写があります。苦手な方は読み飛ばしてください。
俺が奴隷商だと名乗った瞬間、男爵は俄然興味を引かれたように身を乗り出してくる。
「もしかして、そこの娘を売りにきたのか?」
男爵の目が、俺の隣に座っている妹に向けられる。おいやめろぶっ殺すぞ……と一瞬血液が逆流しかけたが、ギリギリの所で押さえ込んで平静を装う。
「いえ、彼女は共同経営者でございます。ですが、早速お取引をして頂けるのであれば、とてもありがたく存じます。私どもは『幅広く』奴隷を取り扱いたいと思っておりますので」
暗に、そちらの特殊性癖を知っていますよと匂わせる。
だが、男爵は渋い表情を浮かべた。わかるよ、新しい女の子は欲しいけど、お金ないんだよね?
「ところで御領主様。世の中には色々な嗜好をお持ちの方がいらっしゃいまして、傷物の女性を好むという方もいらっしゃるのです。実は今、その方から好みに合う品をと依頼を受けておりまして、つきましては御領主様がお持ちの中から一人、一番条件に合う者をお譲りいただく訳にはまいりませんでしょうか?」
そう言いながらもう一つ箱を取り出し、ふたを開ける。
中には金貨が500枚。5億アストルもの大金が詰まっている。
普通に考えれば、男爵は露見を恐れて犠牲者を。リンネの妹を手放す事はしないだろう。
だが同好の士との間であれば、油断して取引に応じるかもしれない。
その可能性に賭けての、一か八かの大博打だ……お、男爵の目の色が変わったぞ。でもまだ疑ってるな。そうだよね、判断力を鈍らせるための大金だけど、さすがに一人に5億アストルは多すぎるよね。でももう一押しだ。
「御領主様とは、これからも末永く取引をさせて頂きたいと思っております。つきましてはこれから数日のうちに、ご領内に人攫いが出現して、数人の娘が消える事件が起こるかもしれません。ご承知置きいただければ幸いでございます」
領内に人攫いが出るなど、領主としての管理応力を問われる案件であるが、大きな戦争の直後でもあり、不景気な領内の状態からすれば、ありえない話ではないだろう。
自分で言ってて自己嫌悪に陥りそうだけど……。
男爵はと見れば、得心がいったようにウンウンとうなずいていた。
「なるほど、昨今少々人心が乱れておるようだからな。家出娘がよその領地から来た悪人どもに騙される事もあるだろう。わかった、心に留めておいてやろう」
なるほど、そうやって処理するつもりなのね。いざとなったら俺がその悪人になる訳だ。
ごきげんでニヤニヤ笑っている男爵を見ていたら、吐き気がしてきた。
「ご理解頂ければ大変ありがたく存じます。ではもう一つの件につきまして、御領主様所有の品を見せていただく事は可能でございましょうか?」
「よかろう、ついて来るがよい」
ごきげんで立ち上がる男爵。さすがにこの先に妹を連れていく訳にはいかないので、ライナさんと一緒に待っているように言う。
妹は悲しそうに目を潤ませながら、コクリとうなずいてくれた。
「……それにしても、傷物の娘が欲しいのなら、てきとうに傷をつけさせればよいのではないか?」
兵士一人を伴って屋敷の地下へ続く階段を下りながら、男爵が話しかけてくる。
「なんでも、素人がつけた傷と、わかっているお方がつけた傷とはまるで違うそうでございます」
「なるほど。演技でする命乞いと、本気で心からする命乞いが違うようなものか」
全然分からないですその例え。というか、分かりたくもないです。
「おっしゃる通りかと。加えて申し上げれば、傷物に至るまでの過程も重要であるとの事です。残酷であればあるほどよく、心身共に傷ついてボロボロになった娘を、一度は優しくいたわってやるのだそうです。そうして娘が心を開き、懐いたところで……というのがお好みなのだとか」
「うむうむ、わかるぞ。さぞかしよい表情をするのであろうな」
わかるのかよ。
これ、エイナさんにこの作戦相談した時、『こういった話をすると信用を得られるでしょう』ってアドバイスでもらった話なんだけど、正直俺はドン引きだったよ。
ていうかエイナさんも、よくこんな話の引き出し持ってたな。どこ情報なの?
男爵は架空の同好の士と嗜好が一致する事に大いに気をよくしているらしく、すこぶるゴキゲンだ。死ねばいいのに。
……ゴキゲンな男爵に案内された地下室は、錆びた鉄のような臭いと嫌な生臭さ、アンモニア臭などが混じった、独特の臭気に満ちていた。
ロウソクの薄暗い灯りの中、大きな部屋の周りにいくつもの小部屋があり、鉄格子の向こうに、閉じ込められている女の子達の姿が見える。
少女達は男爵の姿にひどく脅え、逃げるように、狭い牢獄の奥へと身を寄せていた。
その様子を楽しそうに眺め、男爵は俺を促して注文に合う少女を探すように言う。
大部屋は、X字型の磔台。黒い染みがついた拘束具つきの手術台。三角木馬に、一つ10キロはありそうな鉄の重りが沢山。天井から下がっている滑車と鎖に、その先についた手枷や足枷。棚に並べられている鞭やナイフ、ノコギリにハンマーなど、おぞましい道具に満ち溢れている。
あかん、マジ吐き気してきた……。
こみ上げてくる酸っぱい物をなんとか飲み下し、順に小部屋を見て回る。
服すら与えられておらず、ボロボロの毛布一枚で体を隠し、片隅に身を寄せて震えながら脅えきった目を向けてくる少女達。
全員が金色の髪に長い耳をした、エルフの少女達だ。
……指がない子。手や足がない子。目を潰されている子。背中といわずお腹といわず、痛々しい鞭の痕が体中に刻まれている子。火傷の痕が無数にある子。長いはずの耳がなくなってしまっている子……。
涙が出てきそうになるのをむりやりこらえ、リンネから聞いている特長と照らし合わせていく。
五人以下に搾る事ができれば、あとは俺の鑑定能力で特定できる。
小部屋を一周し、これと思った子に鑑定をかけてみる。
レングネース エルフ 117歳 スキル:採取Lv3 状態:負傷(強) 地位:奴隷
当たりだ。正直鑑定がいらなかったくらい、リンネによく似ている。
「御領主様、この娘がよろしいかと存じます」
俺の言葉に、男爵はニヤニヤした笑みを浮かべながら口を開く。
「こいつは入手して日が浅くてな。まだ十分に楽しんでおらんのだが……」
嘘つけ、半年もこんな所に閉じ込めているくせに!
それに、目にいっぱいの恐怖と涙を浮かべて俺を見上げるリンネの妹は、右腕が肘の先から無くなってしまっている。
一瞬目の前が真っ赤になり、大声を上げて男爵に殴りかかりたい衝動に駆られてしまうが、そんな事をしたらリンネの妹は助けられない。俺はギリギリの所で理性を総動員して、あくどい奴隷商人の顔を作る。
「なるほど、ではこれでいかがでしょう……」
金貨が100枚入った皮袋を追加で渡すと、男爵は中をのぞき、満足そうに笑うと、兵士にリンネの妹を連れ出すように命じた。
「いや! お許しくださいご主人様! どうかお慈悲を! ご奉仕ならなんでもいたしますから!」
首輪に繋がれた鎖を引かれ、半狂乱になって泣き叫ぶリンネの妹。
男爵の足元に跪かされた所で、男爵はリンネ妹の脇腹を思い切り蹴り飛ばす。
「ぐっ! ご……が……ぁ……」
床の上を一回転転がったリンネ妹は、悲鳴をあげる事もできずにお腹を押さえて丸くなる。
息ができないのだろう、苦しそうなうめき声を上げながら、わずかにもがく。
その様子を楽しそうに眺め、男爵は鎖を俺に手渡した。
「これからも良い関係を期待しておるぞ」
「もったいないお言葉。よろしくお願いいたします」
王都に戻ったら、絶対この家が取り潰されるよう各所にお願いして回ろうと心に決めながら頭を下げ、助けてあげられない他の子達に心の中で詫びながら、地下室を後にする。
地下室からの階段を、リンネの妹はふらつく足取りで、ヨロヨロとついてきた。ただ歩くだけでもかなり辛そうだ。
本当なら抱きかかえて運んであげたいが、今はダメだ。もう少しだけ我慢して欲しい。
一階へ上がってきた所で、馬車に積んで来た大きな木箱をライナさんに取ってきてもらい、リンネの妹にはそこに入ってもらう。
奇妙な姿の奴隷を目撃され、この屋敷に妙な噂が立たないようにとの配慮。闇の奴隷商人としては当然の事だろう。
リンネ妹は、またなにか恐ろしい事をされると思ったのだろう。箱に入れられるのに脅え、涙を流しながら哀願して嫌がったが、短い時間だからと、心を鬼にしてふたを閉じる。
……迅速に屋敷を辞し、リンネの妹が入った箱は馬車に積み込み次第開封して、急いで出してあげる。
屋敷を出てしばらくで馬車を止めてもらい、ライナさんにも手伝ってもらってまずは傷の応急手当てだ。
俺達がリンネの仲間だと告げ、あなたを助けに来たのだと言っても、レンネさんはすぐに信用しようとはしなかった。当然だろう。
香織が脅えて震えるレンネさんをなだめ、薄めた果実ジュースに痛み止めを混ぜた物を飲ませたら、痛そうに顔をゆがめた。
唇がひどくひび割れているので、沁みるのだろう。
その間に俺とライナさんは、薬師さんに持たせてもらった薬をとにかく片っ端から傷口に塗っていく。急いで、だが優しくそっとだ。
一番大きな右腕の切断口はまだ新しく、細い紐で縛って止血してあった。
もう少し早ければと悔やんだが、よく見ると腕には、五センチ刻みくらいで小さな傷が沢山つけられている。
しばらく考えて、それがこれから切り落とされる印だと。レンネさんを脅すためにつけられている物だと気が付いて、今まで何回かけてここまで切り落とされたのだろうと想像して、背筋がゾクリと寒くなった。
他にもレンネさんの体に刻まれた傷は本当にひどく。背中からお腹、おしりから太腿まで鞭で打たれた蚯蚓腫れが無数に走っていて、二本が重なっている場所は皮膚が破れ、肉がのぞいている。
手首と足首には痛々しい枷の痕。一枚も爪が残っていない左手の指。足の指も同じくだ。
そして三角木馬に乗せられたのだろう、足の付け根のひどい裂傷……。
デリケートな部分はライナさんに頼み、俺は手足を中心に薬を塗っていく。妹は今にも泣き出しそうに目を潤ませながら、それでも健気に治療を手伝ってくれた。
最初に急いで塗る止血や消毒用の傷薬と、少し時間を置いてから塗り直す回復用の傷薬と二種類預かっているので、馬車の中では最初の方だけだ。
薬師さん特製の傷薬なのでよく効くだろうが、それでも失った腕は元に戻らないだろう。
リンネに会わせるのをためらってしまうくらいの、あまりに凄惨な状態だ。
……どうしてこんな酷い事ができるのだろうか。
『これは特殊な人間がやった事だ。人間がみんなこんな事をする訳ではない』
そう言い訳したくてたまらないが、今そんな事を言ってもレンネさんの心には届かないだろう。それに、エルフから見れば人間にやられたという事実には変わりない。
でも本当に。少数かもしれないけど、いま隣で怒りに震えてくれているライナさんのように優しい、善い人間もいるのだ。
レンネさんが人間を許す日がくるかどうかは分からないし、こなくても仕方がないとは思うが、いつかそんな日がくる事を望まずにはいられない。
それはきっと、レンネさんのトラウマが多少なりとも癒えた日でもあるのだろうから……。
大陸暦420年5月3日
現時点での大陸統一進捗度 1.2%(パークレン鉱山所有・エルフ5255人)(パークレン子爵領・住民0人)
資産 所持金 28億8796万(-6億)
配下 リンネ(エルフの弓士) ライナ(B級冒険者) レナ(エルフの織物職人) セレス(エルフの木工職人) リステラ(雇われ店長) ルクレア(エルフの薬師) ニナ(鉱山前市場商店主)




