86 森への帰還の下準備
三ヶ月ぶりに帰ってきた俺達を、鉱山のみんなは暖かく出迎えてくれた。
心が休まる一時を過ごした後、エイナさんはさっそくエルフのみんなから気球の素材について講義をしてもらっている。
原理については馬車の中で俺が知っている限りを話したが、しょせん高校生レベルなので限度がある。いくつか答えられない質問もあった。
代わりという訳ではないが、水素気球やプロペラ推力の話もしておいた。水素は爆発に注意という話も。
エイナさんは食いつき気味に話を聞いていたが、どこまで理解しているのかは定かではない。
そもそも話をする俺の知識が曖昧だからね……。
エイナさんがエルフのみんなから素材について教わっている間、俺は山積みの用事をこなしていく。
新しくエルフさん達を迎え入れる準備、エルフさん達の一部を試験的に森に移住させる計画と準備、王都のリステラ商会に出荷する商品の調整、留守中の収支の確認などだ。
妹が手伝ってくれるとはいえ、わりと慌しい。
とりあえず留守中の収支は、王都へ出荷する製品が滞った反面、薬師さんが傷薬を量産して売ってくれたおかげで、ほぼプラマイゼロを維持できていた。
内戦の影響で食料が高騰したかと思いきや、それは王都など都市部の話で、物流が滞ったせいで農村部では逆に安くなったのが幸いしたらしい。
大量に出荷した傷薬は、以前からエイナさんと二人で効果を調整していたが、エイナさんの手紙に何度も『効果が高すぎます、こんな物を売ったら大騒動になってしまいます』と書いてあり、そのつど薄めていたが、最終的に薬師さんが『こんなに薄めたら水と変わらんのではないか?』と首をかしげるに至った代物である。
それでもエイナさんに言わせると『下級傷薬と中級傷薬の中間くらい』だそうだ。
俺は特製だといういい傷薬を持たせてもらっているけど、ひょっとしてすごく価値がある物なのだろうか?
ともあれ、内戦の影響で傷薬はとても需要があり、危険を犯して行商人が大量に買い付けにきたのだそうだ。
鉱山前市場の管理を任せているニナが大変だったと言っていた。ご苦労さん、今度妹に頼んで、甘い物を作ってもらってあげよう。
鉱山としての金採掘量はかなり落ち込んでいるけど、これはもう気にしない事にする。
むしろ、早く全員が自分の得意分野を見つけて欲しい。
国の方にはエイナさんとネグロステ伯爵家経由で、月1500万アストルの税金さえちゃんと納めれば、金の出荷量については問わないと言質をいただいた。
横流ししてると思われてるんだろうなぁ……。
王都へ出荷する商品の方は、カレサ布に木製品、薬の他、セレスさん特製の大型馬車も加える事にする。
試乗したライナさんの評価がすこぶる高かったので、多分売れると思う。値段をちょっと高めにしておこう。
雑事はそんな所で、いよいよ本題のエルフさん案件だ。
いま農場に迎えに行ってもらっているエルフさん達が到着するのは、およそ一ヵ月後。
リステラさんが買い集めてくれているエルフさん達のほうが早く到着するはずなので、先にその準備を整える。
農場のエルフさん達はそんなに状態悪くなかったけど、領軍で奴隷として使われていたエルフさん達は……なんだかとても嫌な予感がする。
久しぶりに病室の出番がくる気がするので、きれいに掃除して、薬師さんに頼んで薬も準備してもらう。
無駄骨に終わるといいんだけど……。
森への移住計画の方は、農場から採取ができるエルフさんが五人くる予定なので、そのメンバーを中心に二組を編成する。
一組目は、採取ができるエルフさん二人に、布加工と木材加工ができるエルフさん一人ずつ。牧場出身のエルフさん96人の、合計100人。
二組目は採取ができるエルフさん二人に、他は同じで牧場出身のエルフさん46人の合計50人。
牧場出身のエルフさんは、すでにある程度の経験を積んでいる各種技術見習いの人を選んで選抜する。
移住候補地は、鉱山から比較的近い場所に一ヶ所と、懐かしいリンネの故郷の村にもう一ヶ所。
鉱山は王国北東部、リンネの故郷の村は王国北西部で、ネグロステ伯爵領から森に入れば比較的近いのだが、人間の領域を首輪を外したエルフさん達が大勢で移動するのは危険な予感しかしない。
なので、鉱山から北に向かって大山脈に入り、そこから大森林地帯の中を通って向かってもらう。森に慣れていない牧場出身のエルフさん達には大変だと思う。
なので、少人数編成の二組目に向かってもらう事にした。
採取ができるエルフさんは弓も使えるので、魔物などに襲われた時もある程度対応できるだろう。
一方で、リンネ・レナさん・セレスさん・薬師さん・ヒルセさんには鉱山に残ってもらう。
特にリンネ達は故郷へ帰りたいだろうけど、今は鉱山で必要な人材なのだ。
リンネには新しく、冒険者ギルドに卸す素材も採取してもらわないといけないし。
お願いしたら全員快く残る事に同意してくれ、むしろ仲間が森へ帰れる事にお礼まで言われてしまった。
ちょっと涙が出たよ……。
そしてもう一つ。
農場から来る中で、残りの採取が出来るエルフさん一人には、森へ入ってエルフの集落を探してもらう。
まだ人間に襲われていない、自然のエルフの集落だ。
もし見つかれば、そこで牧場出身のエルフさんを受け入れてもらうなり、人材を借り受けて新たな村を作るなりできるので、エルフさん達の森への帰還が進むと思う。
意外な事に薬師さんが地理に明るく、いくつか候補の村の場所を知っているとの事で、それを教えてもらった。
なんでも、エルフの中でも医術・薬学を修めている者は少なく、どの村にもいるという訳ではないらしい。
なので時々あちこちの村を巡回したり、呼ばれてかなり遠くまで出張した事もあるのだそうだ。
貴重な医術・薬学のスキル保有者なので、薬師さん本人に鉱山を離れられると困るから、事情を記した手紙を書いてもらって、探索に出るエルフさんに持って行ってもらう事にする。
今できる準備はこんな所だろう。
それにしても、薬師さんがそんなにあちこち旅をしていたというのはちょっと意外だ。
てっきり、一日中調合室にこもってあれこれやっている、インドアタイプだと思っていたのに。
……そういえば薬師さんと初めて会った時、リンネが『ルクレアさんは昔から人族があまり好きではなかった』って言ってたな。
あの時は病気の妹を助けるのに必死だったけど、それだけによく覚えている。
薬師さん、捕まる前にも人間と交流あったのかな?
「……ねえ薬師さん。薬師さんって俺達以前にも、人間の知り合いがいたんですか?」
突然の問いに、薬師さんは嫌な事を思い出したように表情をゆがめた。
「知り合いと言うほどではないが……あれは100年ほど前の事になるか、旅の途中に森の中で、人族の娘が倒れているのを助けた事がある。三日熱だったので、手持ちの薬を飲ませて数日介抱してやった」
……ん? 100年前? 三日熱?
「娘が回復したので旅を続けようとしたら、突然身の上話をはじめてな。『自分は伝染病にかかったので、家族にうつさないよう家を出た。街には他にもたくさんの患者がいる、どうか助けてください』と泣きつかれたのだ」
たまたま一緒にいたエイナさんも、表情を驚愕の色に染めている。
これってやっぱり、あの話だよね?
「そ、それでどうしたんですか?」
「手持ちの薬を全部やって、飲ませ方を教えた。『お礼をしたいので、後日またここに来てください』と言われたので旅の帰りに寄ってみたが、辺りには武器を持った人族が大勢いてな。隠れて様子をうかがってみたら、どうやら私を捕らえようとしていたらしい。木の陰に薬ビンに入った手紙が置いてあったので、隙を見てそれだけ回収してその場を離れた」
「……なんて書いてありました?」
「『おかげで両親と妹、街の人達を大勢助ける事ができました。ありがとうございます。今は追われているので叶いませんが、いつの日か必ず、絶対にお礼をいたします』と書いてあったな。もっとも辺りにいた連中の会話を聞いた限り、娘は薬の入手先を訊き出そうと締め上げたら死んでしまったらしい。大方拷問でもしたのだろう。私はそれから人族が嫌いになった」
苦々しい表情の薬師さん。
「……それって、場所どこだったか覚えてます?」
「ん? ここからだと北に一日、東に四日ほど行った場所だ」
この鉱山は王国の北東にある。東に四日も行けば隣国だろう。
視線をエイナさんに移してみたら、見事に目が合った。
妹が十日熱にかかって苦しんでいる時、エイナさんが風説の類だと言って語ってくれた話。
あの時は一筋の光明だったので、よく覚えている。
『100年ほど前に、隣国のある街で十日熱の集団感染が発生した時、一人の男が薬を配り、それで患者が回復した。その男は薬を配ると黙ってどこかに消えてしまい、薬の製法も実物も伝わっていない』
エイナさんは、『十日熱の薬が存在するという事』『さらにその薬をふらりとやってきた男が無償で分け与えたという事』『当人も含め、証拠になるものがなにも伝わっていない事』と、三重に怪しい話だと言っていたが、俺はそれを信じて……いや、それに縋って薬を捜し求め、結果として妹を助ける事ができた。
いま薬師さんの口から語られたのは、一部違っているが間違いなくあの話だ。
薬を配った男は消えたのではなく、おそらくは金目当てで入手先を聞き出そうとした人間達に殺された。
少女ではなく男なのは、長い間に話の一部が変わってしまったのか。
そして少女は薬をありったけ使ったのだろう。薬ビンでもあれば証拠になったかもしれないけど、それは薬師さんが回収している。
見事に、なんの証拠もない奇跡のおとぎ話の完成だ。
冷静になって聞けばとても信じられないような伝承だが、事実であったがゆえに100年間。街が戦争で滅んで後も40年間、後世に伝わっていたのだろう。
そして100年の時を経て、その伝承は妹を救ってくれた。
さらには結果として、鉱山に捕らわれて死ぬ寸前だった薬師さんをも救う事になった。
少女本人は悲惨な状況で命を落としてしまったようだが、家族の命を救ってもらった感謝の想いが。いつの日か必ずお礼をと誓った一念が、時を越えて薬師さんの命を助けたのだろうか?
人間の愚かさと欲深さが際立つ話の中に一縷の光を見た気がして、俺は視界の中で不思議そうな表情をしている薬師さんの姿が、涙で滲んでいくのを感じるのだった……。
大陸暦420年2月26日
現時点での大陸統一進捗度 1.2%(リンネの故郷の村を拠点化・現在無人)(パークレン鉱山所有・エルフ3977人+100人リステラ農場から到着予定)(パークレン子爵領・住民0人)
資産 所持金 39億3070万(-25万)
配下 リンネ(エルフの弓士) ライナ(B級冒険者) レナ(エルフの織物職人) セレス(エルフの木工職人) リステラ(雇われ店長) ルクレア(エルフの薬師) ニナ(鉱山前市場商店主)




