81 ファロス公爵との交渉
公爵が兵士達に回収され、足を痛めているのでお神輿みたいなのに乗せられて戻って来たのは、その日の夕方の事だった。
なんでも、20キロくらい離れた畑に着陸したらしい。
エイナさんがこっそり意図していたバルナ公爵派貴族の領地までは届かなかったようだが、いきなり空から公爵様が降ってきた農家の人はさぞかしびっくりしただろうな。
気球も馬車で回収されたらしいが、損傷の程度などは不明。木に引っかかったとかじゃなければ、そう大きく壊れてはないと思うけど……。
お城に戻った公爵は、真っ先にエイナさんの元へと飛んで来る。いや、もう飛んでないけどね……。
「エイナ! たしかにそなたの言う通りであった! まことに素晴らしかったぞ、疑ってすまん!」
左足に巻かれている包帯に、俺の意識が遠のきかけるが、当の本人は全く気にした様子はない。むしろ輿から降りてエイナさんに駆け寄ろうとするのを、側近や医術師達から必死に制止されていた。
これあれだ、完全に知識ジャンキーだこの人。
なんとか輿から降りるのは阻止されたが、エイナさんを間近に呼び寄せて質問攻めにしている。
「あの大袋はいったいどうやって宙に浮くのじゃ? それに使われておった素材、木材と糸については材質は分かるが、類稀なる技術で加工されておった。ネグロステ伯爵領にはかように優れた職人がおるのか? それよりもあの表面を覆っておった透明な素材、あれはなんじゃ? 伯爵領ではあの熱気球なる道具が実用化されておるのか!?」
さすが公爵は各種知識に長けているだけあって、目の付け所が的確だ。
一方エイナさんは一部の質問には答え、大部分ははぐらかして誤魔化している。
もったいつけているように見えるが、本当に知らない部分も多いのだと思う。原理については来る途中の馬車で説明したけど、そもそも俺が完璧に分かってる訳じゃないからね。
「申し訳ありませんが、現時点では現物を献上する以外の事は致しかねます。ですが、後日我々の研究拠点にお越し頂ければ、十分なご説明をする事も可能となりましょう。もっとも、その前に我々が戦いに負けて滅んでしまえば、その機会は永久に得られないでしょうが」
エイナさんの言葉に、興奮する美人お姉さんだった公爵の表情が素に戻る。
「……そなた、わらわを脅すつもりか?」
「とんでもございません。私はただ事実を申し上げているだけでございます。そもそも私は、交渉をしにここに来ているのですから」
「……わらわがバルナ公爵の側についてその方達を攻め滅ぼし、根こそぎ全てを奪う方法もあるのであるぞ」
「公爵様もネグロステ伯爵家の家風をご存知であれば、それが容易くない事くらいはお分かりのはずです。それに私は、ネグロステ家の家臣ですらない平民の身でありますから、いざとなればどこへなりと逃れるまででございます」
「……そなたをこの場で拘束し、むりやり全てを吐かせる方法もあるな」
「公式の使者にそのような仕打ちをなされば、家名に傷がつき諸侯の信頼を失墜いたしますよ。我々が此度の戦いを乗り切った後には、公爵様が攻められる事になるかもしれませんね。あの道具は戦場においてこそ大きな価値を持つ事、公爵様ならお分かりかと存じますが」
「ぐぐ……たしかに。あれを用いれば平地の戦場であっても敵の全貌を一目で把握する事ができる。それどころか、丘の向こうに隠れている伏兵さえ見通すことができよう。城砦にこもった敵に対する偵察と攻撃にも有効であろう。これまで平面であった戦いが立体となる。これはとんでもない事じゃ」
「加えて、夜陰に乗じて音もなく、敵地や敵陣後方に密偵や潜行部隊を侵入させる事もできますし、風向き次第ですが、険しい山や谷を一瞬で乗り越えることも可能になります。攻撃だけでなく、逃亡にも有用な道具になり得ますよ」
エイナさんは、暗に自分達が気球を使って逃げる事も可能であると匂わせつつ、公爵に決断を迫る。公爵は完全にぐぬぬ状態だ。
なんかこれ、俺の知ってる交渉と違う気がする。
「……わらわの助けがなくば危ういのは、そなた達であろう。よくもそう堂々としていられるものじゃな」
「先にも申しましたが、私はただの平民でございます。この交渉が失敗してネグロステ伯爵家が滅びる事になっても、知識だけを持って身一つでいかようにも逃れる事ができますから。もしかしたら数年後、隣国の兵士と共に再び公爵様にお目にかかる機会があるかもしれませんね」
うわぁ、エイナさん攻めるなぁ。さすがのライナさんもちょっと顔色が悪くなってるぞ。妹は相変わらず平気な様子で、警告もしてこないから今すぐ命の危険はないらしいけどさ……。
と言うか、今警告されてもこの状況じゃどうしようもないよな。
だが、『知識だけを持って逃げる』という言葉が知識ジャンキーの公爵に効いたのか、公爵はその端正な顔を悔しそうにゆがめる。
「うぬぬ……この雌狐め……。よかろう、そなたの要求を呑んでやる。なにが望みじゃ」
「ありがたきお言葉。では、南部のバルナ公爵派貴族に向けてなるべく多くの兵を繰り出し、可能な限り多くの敵兵を引きつけて頂きたくお願い申し上げます。……それと、我が方では軍資金が不足しておりますので、そちらも援助頂けるとありがたいです」
あ、エイナさん要求盛ったな。軍資金の事は頼まれていないはずだ。
「わかった。近隣の貴族にも声をかけて、可能な限りの兵を出してやろう。資金はそうだな……熱気球と言ったか? あの道具の情報を全て開示する事と引き替えに、50億アストルを出してやろう」
「おや、あの道具の価値は50億アストルですか?」
「……この状況でさらに値段を吊り上げようとは、そなた良い性格をしておるのう。足元を見るならわらわの方だとは思わぬか?」
「いえ、私はただ、公爵様のこの道具に対する評価が存外低いなと思っただけでございます。聡明さをもって聞こえた公爵様であれば、もっと様々な可能性と価値を見出されるのではないかと思っておりましたので。
こちらはお願いに上がっている立場なのですから、もちろん金額に異議などございませんとも」
「…………そなた、本当に良い性格をしておるのう。じゃが今は出兵に資金がいるゆえ、これ以上は出せぬぞ」
「でしたら、後日の研究費支援を賜われると大変有難く思います」
「……わかった、追加で来年以降毎年20億アストル。5年で100億アストルを出そう。それで文句はあるまい?」
「もちろんでございます。公爵様の寛大な御心に感銘を禁じ得ません」
「フン、胡散臭い台詞を吐きよって。50億アストルはすぐに用意させるゆえ、さっさと王都へ戻れ。これで負けたら承知せんぞ」
「はい。必ずやご期待に添えるようにいたします」
「ネグロステ家の家臣ですらない平民の娘が、よくもそこまで自信満々に言えるものじゃな……。呆れるのを通り越して、逆に家臣に欲しくなってきたわ」
「残念ながら、私は現時点でどこにも仕官する気はございませんので」
「公爵家への仕官を蹴ってまで優先する事があると申すか? 此度の手柄を盾に貴族にでもなるつもりか?」
「叙爵はまぁ、必要があれば。それよりも、世の中はまだまだ未知の事象に溢れております。私はそちらに興味がありますれば」
「ほう、十日熱の薬に熱気球。この上まだ未見未達の領域があると申すか?」
「世界は広くありますから」
「ふむ……そなたが申すと妙な含みを感じるのう。一体なにを知っておるのやら、それも後日聞く機会があると思ってよいのか?」
「状況次第ではあるかもしれませんが、その折は別料金になるかと存じます」
「……そなた、友達おらんじゃろう?」
「それが不思議な事に、親友と呼んでくれる知己を得られております」
公爵が『ホントに?』みたいな顔をして俺を見てくる。
俺じゃないけど一応ホントですよ。て言うかエイナさん、不思議な事にって……。
とりあえず頷いておいたら、公爵は納得いかなさそうにエイナさんに視線を戻した。
失礼だと思う一方、ちょっと気持ちわかる。
まだ疑わしそうにエイナさんを見る公爵だったが、エイナさんは気にした様子もなく、深々と頭を下げて公爵の前を辞し、王都へ戻る準備にかかる。
50億アストル分の膨大な金貨は翌日の朝には届けられ、ネグロステ伯爵家の護衛さん達がちょっと動揺するくらいの大金を手に、俺達は王都への道を急ぐのだった……。
大陸暦419年12月15日
現時点での大陸統一進捗度 0.11%(リンネの故郷の村を拠点化・現在無人)(パークレン鉱山所有・エルフ3977人)(リステラ農場所有・エルフ100人)
資産 所持金 7億1213万+預かり金50億
配下 リンネ(エルフの弓士) ライナ(B級冒険者) レナ(エルフの織物職人) セレス(エルフの木工職人) リステラ(雇われ店長) ルクレア(エルフの薬師) ニナ(鉱山前市場商店主)




