61 ユミル・ネグロステ
エイナさんに仮面を外すよう言われたユミルさんは、そばにあった椅子に腰を下ろし、仮面に手をかける。
仮面をつけた怪しい人間四人に囲まれているのに、脅えた様子一つ見せない堂々とした立居振舞いだ。
護衛の人達は部屋の外にもいないんだから、もし俺達が悪人だったら誘拐されたり、暴行されてしまう危険だってあるだろうに、そんな恐れは微塵も感じさせない。
……これは肝が据わっているというよりも、本当に恐れていないのだろう。ひょっとしたらもう死ぬ事を覚悟していて、どうなってもいいと思っているのかもしれない。
俺と大して変わらない歳の小柄な少女が、どうしてそこまで悟りきれるのだろうか。
仮面に手をかけたユミルさんは一瞬手を止めたが、すぐに仮面を取り払ってテーブルに置く。仮面の下の素顔は右顎から左目の下にかけて斜めに、焼け爛れた、無惨な帯が走っていた……。
……なるほど、これは貴族家の令嬢としては致命的だ。俺だってニナの時の経験で耐性がついていなかったら、声を上げてしまったかもしれない。
エイナさんが『死ぬよりも辛い思い』と言ったのも理解できる。
「いかがでしょうか、医術師の先生?」
ユミルさんの声には、全く期待の感情が読み取れない。期待していないのに、もう諦めて死ぬ事を覚悟したのに、それでもエイナさんが持ち込んだ話に縋り付いてきたのだろう。
もしかしたら、侯爵家の長男さんとは両想いだったのだろうか?
「申し訳ありませんが、診察に必要なので目隠しをしていただけますか?」
エイナさんの明らかに不信な要求にも、ユミルさんはなにも言わずに従った。なんかもう、痛々しくて見ていられない。
しっかり目隠しをした事を確認し。エイナさんはそっと、隣室に薬師さんを呼びに行く。念には念を入れて仮面とフードで姿を隠した薬師さんは、ニナの時と同じように傷に触れ、診察をしていく。
「目は無事という事でなによりだ。……この状態だと、受傷したのは一月ほど前か? まだ痛みがあるのではないか?」
薬師さんは自分の声でそう問いを発する。そういえば襲われた時期は聞いていなかったが、ユミルさんは伝えられていると思ったのだろう。感情を動かす事なく、平坦な声で返事をする。
「時期はおっしゃる通りですが、もう痛みはありません」
……だが薬師さんは、その言葉に納得しなかった。
「本当にそうか? 特にこの左頬の下部など、まだ疼痛が残っているのではないか? 嘘をつかれると正確な診断ができん、正直に答えてくれ」
「…………」
ユミルさんの纏う固い気配にわずかな揺らぎが生じ、ややあって、かすかに震えた声で口を開く。
「……おっしゃる通り、まだジクジクした痛みが残っております」
「うむ、そうだろうな。周囲に心配をかけまいとするのは立派だが、医術師には隠す必要はない。その手も見せてみろ」
「…………」
ユミルさんがゆっくりと手袋を取ると、手のひらと腕の内側にも爛れた傷痕があった。
「酸を浴びせられた時とっさに拭ったか。判断としては正しい。おかげで顔の傷が浅く済んでいる。だがこちらは動かす事が多いだけに、顔の傷よりも痛むだろう。こちらの痛みも隠していたのか?」
「……はい。体の痛みよりも、もっと苦しい痛みに襲われていましたので……」
「そうか……年頃の娘だものな。安心しろ、この傷ならほとんどわからなくなる位に癒してやれる。明後日の朝8時に、またここに来い」
薬師さんはそう言うと、隣の部屋に戻っていこうとする。
「――あの、先生!」
ユミルさんの叫びに、薬師さんが足を止める。
見えている訳ではないはずだが、ユミルさんは正確に薬師さんに向けて言葉を発した。
「本当に……本当に治るのでしょうか? 私はまた、愛する人達の前に笑顔で立てるでしょうか?」
「ああ、任せておけ。一月後には恋人と笑って庭を歩けるようになるさ。私がそうしてやる。だから安心するよう、周りの者達にもよく言っておけ」
やはりと言うか、薬師さんは医者として本当に優秀だ。顔を合わせてもいないのに、心が死んでしまっていたユミルさんの信頼をあっという間に勝ち得てしまった。
目隠しをしている布に、染みがじわりと滲んでくる。ユミルさんが泣いているのだろう。
ユミルさんは愛する『人達』と言ったけど、これってやっぱり侯爵家の長男さんと両想いだよね? 伯爵家の皆さんも含めて『達』なんだろうけど。
しばらくそのままそっとしておいて、落ち着いた頃を見計らって目隠しを外し、仮面を付け直したユミルさんを、エイナさんに部屋まで送ってもらう。
薬師さんはすでに、奥の部屋で手術の準備をはじめていた……。
その後はユミルさんが押さえてくれたのか、手術の当日まで伯爵家の人達からの接触は一切なかったが、なにが怖いって、食事がしっかり6人分運ばれてくる事だ。薬師さんの存在モロバレじゃないか、さすがにエルフだとはバレていないと思うけど……。
もうやだここの人達恐ろしすぎる。はやくおうちにかえりたい……。
俺がこんなに神経をすり減らしているというのに、薬師さんときたらユミルさんを送り出した後で奥の部屋に行ってみたら、絨毯を引っぺがして壁際に丸め、手術台用のテーブルとベッド、薬の調合用の机以外の家具を全て部屋の隅に積み上げてしまっていた。
見るからに庶民の年収以上しそうな絵とか壷とかあるのに、全部まとめて無造作にだ。さすがのエイナさんも口角が引きつっていた。
そりゃ手術に邪魔なのは分かりますけど、もうちょっと考えましょうよ……どんだけ大物なんですか……。
このままでは俺の胃潰瘍の手術も必要になりそうに思えたが、意外にも妹は平然と過ごしている。ライナさんやニナでも緊張している様子なのに……。
なんで平気なのか訊いてみたら、思いっきり真面目な表情で『お兄ちゃんと一緒だから』と答えよった。この妹はもうダメかもしれない……。
……いろんな意味で心待ちにしていたユミルさんの手術は、月が変わって8月1日の朝からはじめられ、昼前に滞りなく終了した。
それは顔だけでなく、手のひらや腕の傷痕もきれいに治療した、完璧な手術だった……。
大陸暦419年8月1日
現時点での大陸統一進捗度 0.1%(リンネの故郷の村を拠点化・現在無人)(パークレン鉱山所有・エルフの労働者3974人)
資産 所持金 2499万(-1300万)
※7月分の収支、
収入:薬店から3000万、エイナさんから400万、商会から2100万、計5500万
支出:ローン5000万、税金1800万、計6800万
トータル-1300万
配下 リンネ(エルフの弓士) ライナ(冒険者) レナ(エルフの織物職人) セレス(エルフの木工職人) リステラ(雇われ店長) ルクレア(エルフの薬師) ニナ(解放奴隷)




