59 薬傷の患者
エイナさんがした話は、おおむね次のようなものだった。
・患者は『ユミル・ネグロステ』、17歳女性。ネグロステ伯爵家の三女
・エイナさんとの繋がりは、四女であるユミナ・ネグロステさんが王立学校中等部の同級生だった
・患者のユミルさんは美人で気立てもよく、有名な才女でもあったが、とある侯爵家の長男に見初められて求婚された所、その男を狙っていた公爵家長女の嫉妬を買い、刺客を送られて顔に酸をかけられた
・顔にひどい薬傷を負ったユミルさんは部屋に引きこもり、家族の前にもほとんど姿を現さず、一歩も外に出ない生活を送っている。妹さんはじめ、家族全員がとても心配し、心を痛めている
・求婚した侯爵家の長男は無理を言って伯爵家の屋敷に乗り込んできて、ユミルさんの焼かれた顔を見てひどいショックを受けたが、それでも妻にと望む男気を見せた。だが親や周囲の反対。なによりユミルさん本人が拒絶した事で挫折中
・ネグロステ伯爵家は王国の北西部に大きな領地を持つ大貴族で、求婚した男の侯爵家も大貴族なので、治療が成功した暁には莫大な謝礼が期待できる
終始眉根を寄せて聞いていた薬師さんが、最後の要素にピクリと反応した。
それだけ見るとお金にがめつい人みたいだが、4000人のエルフの生活を背負っているがゆえと考えると、むりもないだろう。
「……おまえはどう考える?」
が、即了承しそうな雰囲気だった薬師さんは、意外にも俺の意見を求めてきた。
さすがに頭がいいだけあって、この件の難しさを一瞬で感じ取ったのだろう。そして、一応は俺の事を主人だと認めてくれているらしい。
「……難しい所ですね、お金は欲しいですが……エイナさん、いくつか質問をいいですか?」
「どうぞ」
「まずですが、その事件は公にされている事ですか?」
「いえ。耳聡い貴族家などは知っているかもしれませんが、犯人である令嬢の家はこの国に二つしかない公爵家。権勢で言っても一・二を争う名家です。知っていても話題には出せないでしょうし、実行犯は翌日死体で見つかり、証拠はなにもありません。ユミル様は病を患い、療養しているという事になっています」
普通に考えたら、そんな事をしたら公爵家の長女さん意中の人に思いっきり嫌われてしまいそうな気がするが、そこも権力でなんとかなったりするのだろうか? 怖いなぁ、貴族の世界。
「もしそのユミルさんを治療した場合、俺達が公爵家から狙われる可能性は?」
「身元が知られれば当然ありえます。ですが元よりエルフの医術という事は隠す訳ですから、秘匿に万全を期せば、私はともかく洋一様達の足がつく事はありえないかと」
「なるほど……こういった事件はよくある事なのですか?」
「貴族家同士の争いという事なら珍しくもありませんが、たいていは家の力が弱い方が引くものですし、争いになっても最もよく使われる手法は暗殺です。顔に酸をかけるなどというのはよほど強い恨みがあり、貴族の令嬢にとって死ぬより辛い目に遭わせてやろうとしての行動でしょうね。特異な事であると言えます」
……レアケースなら、連鎖的に次々同じ話が舞い込む事も、同じ状況の人に必死に調べられるリスクも少ないだろう。
しかし話を聞く限り、公爵家の長女はかなり危なそうな人だ。全力で関わり合いになりたくないな。
「でもそれだと、今回の傷を治してもまた襲われてしまうのでは?」
「さすがに二度も襲撃を許すほど伯爵家も愚かではないでしょう。それに、仮にそうなったとしても我々には関係のない事ではありませんか」
なるほど、それはそうだ。
「でも、傷が治ったら公爵家や事件を知っている人達に不審がられますよね? 俺達の事を調べられるのでは?」
「調べられても辿り着かれなければ良いだけの事です。それに、実際に貴族連中が傷を確認した訳ではないのですから、実は襲撃は失敗していて、ユミル様は危険を感じて身を隠していたという事にすれば良い。実際に傷を見ているのは全てこちら側の人間なのですから」
「なるほど……ところで報酬ってどのくらい期待できますかね?」
「伯爵家と侯爵家共に豊かな領地を持つ領地貴族です。交渉次第ですが、この鉱山が二つ三つ買えるくらいは引き出してご覧に入れましょう」
俺の隣で、薬師さんの長い耳がピクンと動いた。興味津々ですね。
この世界の貴族には二種類あって、領地を持っているのが領地貴族。領地を持たない代わりに爵位に応じた金銭を国から与えられ、なんらかの役職を担うのが宮廷貴族だ。
先日エイナさんが十日熱の薬を売り込んだベンボルグ伯爵家なんかが宮廷貴族の例。
どちらが裕福かは爵位と領地の豊かさ次第だが、両家とも豊かな領地を持っているのなら、出せる金額は多いだろう。しかしこの鉱山三つ分って、100億アストル以上だぞ……。
「エイナさん。お言葉を疑うようですが、いかに大貴族家とはいえ娘一人にそんな大金を出す物でしょうか?」
「そこは話の持って行き方次第ですが、十分可能だと考えています。ユミル様は伯爵家で大層愛されているようですし、将来的に侯爵家長男の正妻になるとなれば、数十億の価値はあるでしょう。相手の侯爵家長男も、惚れた女の為とあれば、それが愛の証だといくらでも出すと思いますよ」
うわぁ……エイナさんなんか悪い顔になっている。こういう事すっごい得意そうだもんね。
しかし、話を聞いた限りでは俺達が負うリスクは小さく、実入りは大きそうだ。
当てにしていた首輪の売却益がなくなってしまった今、喉から手が出るほど欲しい話ではある。
「この件でエイナさんが得る利益は?」
「私はもう一度ルクレア先生の神業が間近で見られるなら、それで十分です」
……これはどうなんだろう? 本気で言っているような気もするし、むしろそれだけのために話を持って来た気さえする。が、なにか別の事を考えていそうでもある。
これは考えてもわからないな。尻尾を出すような人じゃないし。大好きな姉のライナさんが俺達の仲間である以上、こちらに不利になるような事はしないと信じるしかない。
「わかりました。エイナさん、俺達の事がバレないように最大限配慮した上で、話を進めてください」
「承知しました。お任せください」
こうして俺は財政問題を一気に解決するため、なるべく関わりたくなかった貴族のドロドロした世界に少しだけ足を踏み入れる決断をしたのだった……。
大陸暦419年7月8日
現時点での大陸統一進捗度 0.1%(リンネの故郷の村を拠点化・現在無人)(パークレン鉱山所有・エルフの労働者3974人)
資産 所持金 3804万
配下 リンネ(エルフの弓士) ライナ(冒険者) レナ(エルフの織物職人) セレス(エルフの木工職人) リステラ(雇われ店長) ルクレア(エルフの薬師) ニナ(解放奴隷)




