57 手術
ニナの手術。薬師さん的には施術、エイナさん的には術式と言うらしいが、とにかくそれは翌日の朝7時。処置室をきれいに掃除し、消毒薬を噴霧する所からはじまった。
俺と妹、ライナさんも清潔な服に着替え、お手伝いを兼ねて見学をさせてもらう。
助手のエイナさんは緊張でカチコチだ。いつも悠然としているのに珍しいな。
不安そうに手術台に横たわるニナに、薬師さんは『大丈夫だ、私が必ず治してやる。施術後は今よりずっと楽になるぞ』と優しく声をかける。するとニナの表情がわずかに和らいだ。さすが、精神面での対応も手馴れたものだ。
薬師さんはなにかの液体を布に染ませ、ニナの口に当てて大きく息を吸うようにと命じる。
なんか元の世界のドラマで観た、クロロホルムで気を失わせて拉致する場面みたいだ。実際はクロロホルムじゃああはならないらしいけど。
様子を見ながら何度か薬を吸わせると、やがてニナは目を閉じ、体からダラリと力が抜けて、穏やかに深い眠りへと落ちていく。薬師さんは無事な右目を指先で開いてみたり、体のあちこちを触ってみたりして薬の効きを確認すると、施術の開始を告げて小刀を手に取った。
手術は主に右半身から無事な皮膚を採り、それをケロイドを剥いだ火傷痕に貼り付けるというもので、元の世界にもあった気がする。
薬師さんは小刀を巧みに操り、あっという間にニナの背中からカードサイズの皮膚を薄く剥ぎ取ると、いったんなにかの液体に沈めておく。
そうして何枚かの皮膚を採り、剥いだ痕は両側から皮膚を寄せて一本の傷跡のように縫い合わせてしまう。
全く苦痛を感じていないように穏やかに眠り続けるニナを見て、エイナさんは早くも驚きに目を見開いていた。
口に布を巻いているので表情はよくわからないけどね。
皮膚がある程度集まった所で、薬師さんはニナの顔から爛れた火傷痕を削ぎ取り、薬を塗ってからそっと皮膚を乗せていく。
こちらは縫合せず、安静にしておけば塗った薬の効果で自然とくっつくのだそうだ。
そうして体のあちこちから無事な皮膚を採っては、火傷痕を修復していく。
瞼や唇なども巧みに形を作り、耳も驚くような手際で再建していく。あまりの手際と鬼気迫る迫力に、俺達は身動きさえできずにただじっと見守るだけだった。
エイナさんはなんとか動いて、針に消毒したサルクワームの糸を通したり、縫い合わせた傷口に薬を塗ったりしているが、薬師さんの足を引っ張らないようにするので精一杯といった感じだ。なんかもう、薬師さんはモノが違う。
顔から首にかけての処置が終わると、貼り付けた皮膚の上から優しく薬を塗り、なにかの木の樹皮から採ったのだという薄いビニール状の物で患部を覆い、上からそっと包帯を巻く。香織とライナさんが手伝いに向かったが、俺は出番なしだ。完全にただの見学者ポジションである。
その間に薬師さんは左手指の処置にかかり、小刀で癒着している指を一本ずつに切り離し、火傷痕を剥いできれいな皮膚で包んでいく。爪の部分には、右手の指から採った爪の根元部分の皮膚を細かく植え込んでいた。
手首までの処置が済んだ所で顔と同じように後処置をし、次は足の付け根と膝に移る。
それぞれ関節部の処置をした所で採れる皮膚がなくなってしまったらしく、今回の手術はそれで終了となった。
全ての場所に包帯を巻き終わり、薬師さんが口に巻いていた布を取って『ふぅ、お疲れ様』と言った瞬間、エイナさんは膝から力が抜けたように、その場にペタンと尻餅をついてしまった。
薬師さんはそんなエイナさんをチラリと見たが、なにも言わずに俺を呼んで、ニナを処置室から病室へ運ぶ手伝いをさせる。
病室で雑用を手伝っているエルフさんに『日の光に当てるの禁止。安静にして動かさないように。目覚めたらか、四時間たっても目覚めなかったら私を呼びに来い』と伝えて、本人は他の患者を診に行った。元気だなこの人。
俺と香織はしばらくニナの様子を見ていたが、30分ほどしてエイナさんがライナさんに付き添われ、フラフラした足取りでやってきて、俺達の隣に座った。
「あ、エイナさんお疲れ様です。大丈夫ですか?」
「私は……とんでもないものを見ました……」
なんか今まで見た事がないような、呆けた表情をしていらっしゃる。
「ああ、凄かったですよね。薬師さんの手際」
「――凄いなどというものではありません! あの知識と技術! 人類全ての英知を注ぎ込んでも、とても及びもつかないものでした! 私は奇跡を目の当たりにしたのです!」
「う、うん……でもここ病室だから、ちょっと落ち着いて」
俺の言葉に、勢いよく立ち上がったエイナさんはハッとしたように腰を下ろす。が、手はまだ固く握られたままだった。しかも小刻みに震えている。
まぁ、あれは21世紀の日本レベルか、それよりも凄いものだった。中世感漂うこの世界の人が見たら、そりゃびっくりするよね。
「どうして……どうしてあれほどの技術が今まで知られていなかったのか……」
うわごとのようにつぶやくエイナさん。
そりゃ薬師さんがここで石運びやらされてたからでしょ……と言いかけたが、よく考えると、それはここ20年くらいの事だ。薬師さんは明らかにその前から知っていたし、他のエルフにだってできる人はいるのだろう。
人間とエルフの交流って、そんな昔から疎遠だったのかな……?
俺がそんな事をぼんやり考えている間、エイナさんはさきほど見た光景を脳裏に刻み込むように、じっとニナを見つめていた。
そしてニナがうめき声と共に目を覚ますと、自ら薬師さんを呼びに走ってくれる。
「気分はどうだ? 意識ははっきりしているか?」
「……はい」
「うむ、痛みはどうだ?」
「……体中が、ヒリヒリします」
「そうか、今はちゃんと痛みを感じているならそれでいい。皮膚がある程度定着するまで、三日はなるべく体を動かさずにじっとしていろ。薬をやるから少し待て」
薬師さんはそう言って、病室備え付けの急須のような物にコップ半分ほどの水を入れ、薬ビンから小さじに一掬いの水薬を溶かすと、ニナの口元に持っていく。
エイナさんが凄い目で薬をガン見しているのがちょっと怖い。
「ゆっくり口をあけて、少しでいいぞ。口元も皮膚を貼ったばかりだからな。うむ、咽ないよう落ちついて飲め……」
わずかに開いたニナの口に少しずつ、ゆっくりと薬液を流し込んでやる薬師さん。死ぬほど忙しいはずなのに、こういう対応はびっくりするほど丁寧で優しい。
薬を飲んだニナは、ふたたび眠りに落ちていく。それを確認した薬師さんは香織に、噛まずに食べられる柔らかいお粥を作ってやってくれと頼むと、また他の患者の元へと戻っていった。
その日の夜。俺は一人で、病室の見回りをしている薬師さんの元を訪れた。
「薬師さん、今日はありがとうございました」
「なんの用だ?」
おおう、相変わらずそっけないな。患者さんに向ける10分の1でいいから俺にも優しく接して欲しい。
「これ、今日の治療のお礼です」
そう言って金貨二枚を差し出すが、薬師さんはチラリと見ただけで視線を戻してしまう。
「いらん。今おまえから金を貰ってもなんにもならんだろう。礼がしたいなら他所から金を稼いできて、ここの運営に当てろ」
……大変ごもっともなご意見だ。現状俺達の財布は同一みたいなものだからね。
「わかりました……それにしても、薬師さんがすんなり治療を引き受けてくれたのは少し意外でしたよ。てっきり『人族の治療などやりたくない』とか言われると思っていました」
「……子供に罪はなかろう」
薬師さんは視線を眠っている患者さんに向けたまま、少しムッとしたような口調で言う。
なんだか子供が拗ねているようでかわいいなと思ったが、口にすると怒られそうな気がしたので黙っておく。
部屋に戻ろうとした俺の背中に、薬師さんが声をかけてきた。
「エイナはどうしている?」
「あれからもずっとニナの様子を観察していて、しばらく前に目を覚ました後は、『術式の前、眠る時どんな感じでしたか? 本当に痛くなかったのですか? 痛みで目覚めなかったのですか? 今どんな感じですか?』とか、根掘り葉掘り訊いていましたよ。ライナさんが止めに入るくらいに」
「そうか……」
薬師さんはそうつぶやいただけで、病室の見回りに戻っていく。だがその表情はなんとなく嬉しそうだった。弟子が成長しようとしているのを喜んでいるのだろうか?
病室にいる妹の元へ戻ると、『今夜はニナちゃんの傍にいてあげたい』と言うので、そうしてあげるといいと答えた所、なぜか俺も病室に泊まる事になってしまった。ちなみにエイナさんと、なぜかライナさんまで一緒である。なぜだ……。
大陸暦419年7月5日
現時点での大陸統一進捗度 0.1%(リンネの故郷の村を拠点化・現在無人)(パークレン鉱山所有・エルフの労働者3974人)
資産 所持金 3804万
配下 リンネ(エルフの弓士) ライナ(冒険者) レナ(エルフの織物職人) セレス(エルフの木工職人) リステラ(雇われ店長) ルクレア(エルフの薬師) ニナ(解放奴隷)




