52 薬師ルクレアリア
市場で売る商品の供給を増やして、鉱山の収支がなんとかプラマイゼロになりつつあった6月の下旬。王都から戻ってきたライナさんが、俺にエイナさんからの手紙を渡してくれた。
読んでみるとそこには、『ルクレア先生が作る薬ですが、質が落ちています。それでも私が作る物よりは上質ですが、あれほどの技術を持った方の仕事としてはありえません。なにかが起きているのではありませんか?』と書いてあった。
……心当たりなんて一つしかない。
最近の薬師さんは、出会った頃と同じくらいにまで痩せてしまっている。
何度休憩を勧めても強く拒否されるし、薬師なのだから自分の健康管理もギリギリの所でできているのだろうと思っていたが、どうやら俺が甘かったようだ。
俺は強い覚悟を胸に、薬師さんの元へと向かう。
「薬師さん」
「なんだ?」
薬を調合中の薬師さんは、器具から目を離す事なく声だけで返事をする。
久しぶりに鑑定をしてみたら、『疲労(強) 病(中) 空腹(中)』である。ご飯も食べていないのか……。
もうこの鉱山にお腹を空かせているエルフなんていないと思っていたのに、まさかこんな所にいたとは。本人は空腹なんて感じていないのかもしれないけど……。
「エイナさんから手紙がきました。前回届けた薬の質が落ちていると」
「――っ そうか、わかった。私のミスだ、二度とこのような事がないようにすると返事を書いておいてくれ」
あ、ダメだこの人。まだ自分を追い込む気だ。
「……薬師さん、今日はお願いがあって来ました」
「なんだ? 休めという話なら聞かんぞ、今はそんな事をしている時ではないのだ。体調も以前ここで働かされていた時よりずっとマシだ」
そりゃ病・空腹・疲労と全部(強)だった時よりはマシだろうけど、あの時は本当に死にかけだったのだ。今だってまともな体調とは程遠い。
「今日はその事ではありません。薬師さんに、俺の配下になってほしいとお願いに来ました」
「…………」
相変わらず視線は器具の間から動かないが、空気がピリッと張り詰めるのが感じられる。
「……もしも嫌だと言ったら?」
「鉱山への支援を打ち切ります」
「――――」
薬師さんが一瞬殺気を込めた視線を向けてくるが、今回は引く訳にはいかない。
薬師さんはすぐに視線を手元に戻したが、作業をしながら冷たい声で聞いてくる。
「なにが目的だ?」
「俺が決めたスケジュールに従って仕事をしてもらいます。具体的には、十日熱の薬作りがあるので三日続けて働くのは仕方がないとして、その後は12時間休み。それ以外の日は一日6時間以上の睡眠をとる事と、食事もしっかり食べる事。十日熱の薬を作る間隔は三日以上空ける事です。急患が出た時とかは仕方ないですけど」
「……なるほど、薬師の私に健康指導をしようという訳か」
「ええそうです。薬師さんはお願いしても聞いてくれないから、命令できる立場が欲しいのです。今自分が倒れたらそれこそ多くのエルフの命が危うくなるというのに、そんな事もわからないくらい冷静さを欠いているようですからね!」
「……そうか、例の健康状態を見るという能力か……で、目的はそれだけか?」
「いいえ。将来的に俺が考えている計画に、薬師さんの力が必要だからでもあります」
「どんな計画だ?」
「俺と妹が安全に暮らせる場所を確保する計画ですよ」
「それに私がなんの役に立つ?」
「まずは薬師さんの高い能力を見込んで、俺達の主治医になって欲しい事。そして安全に暮らす場所は、他の権力が及ばない場所。解放したエルフ達で作ったエルフの国にしたいと考えています。自分達を奴隷から解放してくれた相手になら、悪い感情は抱かないでしょうからね。
そしてそのためには、もっと多くのエルフを解放する必要があります。資金が必要なのはもちろんですが、薬学や医術の知識を持った人も必要です。貴女にここで倒れられては困るのです」
「もっと多くのエルフを……か?」
「はい。鉱山だってここだけではないし、農場や街で働かされているエルフも大勢います。牧場でむりやり子供を作らされているエルフ達もです。ここと同じような悲惨な場所が、他にもあるかもしれないんですよ」
「ここと同じような場所が他にも……」
当然わかっていた事だろうが、あえて考えないようにしていたのだろう。薬師さんは表情を険しくし、噛み締められた奥歯が『ギリッ』と音を立てる。
「俺の計画は俺と妹のためのものですが、エルフの人達にとっても利がある物のはずです。現状鉱山一つの運営に四苦八苦している俺が言っても説得力がないかもしれませんが、長い目で考えて、俺に力を貸してもらえませんか?」
薬師さんは器具を見つめ手を動かしながら、じっと考え込んでいるようだった。……もう一押しかな?
「薬師さんは、エルフに体を壊すまで過剰な労働を強いるような真似を許せないでしょう? 俺だって同じです。だから今、薬師さんが自分の意思でとはいえ、過剰な労働で体調を崩すのを捨て置けないのです。貴女は妹の命を救ってもらった、大恩ある恩人でもありますから!」
ちょっと強めの口調で、決断を促すように言う。
地獄を見た薬師さんの境遇を引き合いに出しての言葉は、下手したら逆効果になってしまうかもしれないが、果たしてどうだろうか……。
薬師さんの反応が無いまま、じりじりと時間だけが過ぎていく……。
何分経っただろうか、薬師さんがゆっくりと口を開いた。
「……わかった、おまえの配下になってやろう。ただし、三日かけて薬を作ったあと12時間休む前に、二時間病室を見回る時間が欲しい。他はおまえの命令に従おう」
一瞬こちらを見て発せられた言葉に、全身に安堵の心地が広がっていく。
「それはもちろん構いません。よろしくお願いします」
「うむ……それでどうすればいい? 跪いて忠誠を誓うか? 御主人様とでも呼べばいいか?」
「いや、そんな事はしなくていいですよ。さっき言った事さえ守ってもらえれば。他は今まで通りで構いません。
リンネも配下になってくれてますけど、御主人様なんて呼んでないでしょう? 様付けはしてますが、あれは最初に出会ったのが宿屋の店員とお客だったからで、それを引っ張っているだけですよ。(跪いて忠誠は誓われた気がするけど……)
「わかった。今作っているこの薬は明日の昼にはできるから、そうしたら病室を見回って、12時間休むとしよう」
「ありがとうございます。食事は作業しながらでも食べやすい物を頼んで作ってもらいますから、ちゃんと食べてくださいね」
「ああ、主人の命令だからな」
ホントに大丈夫だろうな……まぁ、人を騙したりするタイプではないと思うので、多分平気だろう。
俺はさっそく炊事場に向かい、香織におにぎりっぽい物やサンドイッチっぽいものの試作を頼むのだった……。
大陸暦419年6月28日
現時点での大陸統一進捗度 0.1%(リンネの故郷の村を拠点化・現在無人)(パークレン鉱山所有・エルフの労働者3974人)
資産 所持金 5020万(-200万)
配下 リンネ(エルフの弓士) ライナ(冒険者) レナ(エルフの織物職人) セレス(エルフの木工職人) リステラ(雇われ店長) ルクレア(エルフの薬師)




