42 十日熱の薬
ギルドに到着してエリスさんに会うと、頼んでいた品物は全て揃っていた。さすがベテラン冒険者のみなさん。
代金は以前エリスさんが預かっておくと言った分で足りたそうだが、完璧な仕事のお礼に報酬を上乗せしておいた。
ギルドには商会のリステラさんから手紙が届いていて、『門の衛兵に話を通しておきました。同封の通行証を見せれば審査を待つ事なく街に入れます』との事だった。
ありがたい配慮に感謝しつつ、順番待ちをしている人達を飛ばして馬車のまま街壁内に入り、一直線に香織が待つ家へと向かう。
家に着くと、すぐに一室を用意して薬の作成に取り掛かってもらう。そっちは薬師さんとリンネ、ライナさんに任せて、俺は香織の様子を見に走った。
地下室モドキにした倉庫へ向かうと、ちょうどエイナさんが出てきた所だった。厚手の服に皮の手袋、口を布で覆った完全装備だ。
「エイナさん、香織は!?」
俺の問いに、エイナさんは表情を曇らせる。
「良くはありませんね。昨日からは血を吐くようになりました」
「――っ」
急いで中に入ると、仮設の暖炉に火が燃えていて、かけられたヤカンが蒸気を吹いている。部屋は快適な温度と湿度が保たれていたが、ベッドに横たわる妹はひどく憔悴していて、枕の周りには赤黒い血のシミが広がっていた。
「少し前に薬を飲ませ、さっきやっと寝ついた所です。今はそっとしておいて差し上げた方がよろしいかと」
妹の息は荒く、頻繁に血飛沫が混じった咳をするが、表情はやや穏やかだった。
「強い痛み止めを使いました。あまり何度もという訳にはいかない代物ですが、苦しみようが酷かったので……」
エイナさんが申し訳なさそうに言う。と、妹が血に染まった口を開いてか細い声を発する。
「お兄ちゃん……お兄……ちゃん…………」
「――――」
「洋一様がおそばを離れてから、ああして何度も呼んでおられましたよ」
「香織……」
鼻の奥がツンとして、涙がとめどなく流れてくる。
「……それで、治療法の方はいかがでしたか?」
「そうだ、薬を作れる人が見つかったよ! エルフの薬師さんなんだけど、いま家の方で作業をしてもらってる」
「――!」
エイナさんが初めて見る驚愕の表情をし、俺はそっと扉を閉めると、エイナさんを薬師さんがいる部屋へと案内する。
部屋ではリンネとライナさんが見守る中、眼鏡をかけた薬師さんが刻んだ薬草を鍋に入れ、ランプの炎で加熱していた。
その光景を見た瞬間、エイナさんが突然大声を上げる。
「洋一様、これは! この草は毒草ですよ!」
「え……」
部屋にいる全員の視線が、一斉に薬師さんへと注がれる。
薬師さんは感心した様子で眼鏡の奥の瞳をわずかに細め、ゆっくりと口を開く。
「おまえは人族の薬師か? よく刻んだ状態の葉を見てわかったな、たしかにこれは毒草だ」
「なっ……!」
部屋が一瞬にして緊張に包まれる。
そんな……薬を作ってくれると言ったのは嘘だったのか? 人間を許す気などないという事? いや、もしかして人間とエルフで有効な薬が違うとか? でも毒草だって認めたよな……。
頭が激しく混乱する中、薬師さんは鍋をかき混ぜる手を休める事なく、言葉を続ける。
「だが、毒草であると同時に薬草でもある。植物にはさまざまな成分が含まれているものだからな」
薬師さんの言葉に、エイナさんが強い調子で食ってかかる。
「しかし、それは煎じ液をほんの少し飲んだだけで死に到る猛毒のはずです! それで薬など!」
「できるさ。毒と薬の成分が違うのだから、それを分離してしまえばすむ話だ」
その言葉に、テーブルに並んだ物品に目を走らせたエイナさんが『あっ』と息を呑む。
そして少し考え込んだあと、つぶやくように言葉を発した。
「……なるほど。薬には水に溶けるけど油には溶けない物、逆に油には溶けるけど水には溶けない物、両方に溶ける物とどちらにも溶けない物とがある。その違いを利用して分離しようという訳ですか……」
エイナさんの言葉に、今度は薬師さんが驚いた表情を浮かべる。
「ほう、一目見ただけでそこまでわかるか」
「並んでいる素材と器具を見て、今の話を聞いた上で少し考えれば子供でもわかる事です」
エイナさんが言葉を返す。……子供でも? 俺全然わからなかったんだけど……。
部屋にいるメンバーを見渡すと、リンネとライナさんも完全にわかっていない顔をしている。ちょっと安心した。
「なるほどな……ふふっ、人族に薬の製法を教えてやる義理などないが、見るのは勝手だ。せいぜい見て学ぶがいいさ」
「――よろしいのですか?」
「人族ではどうか知らんが、薬の製法など本来秘す物ではない。学びたい者が自由に学べば良いのだ。まぁ、ヘタクソがやると薬のつもりで毒を作ってしまったりするがな」
エイナさんの反応からすると、人間の間では薬の製法は秘伝だったりするのだろうか? 驚きの表情を浮かべた後、深々と頭を下げて『よろしくお願いします!』と言った。
なんかよくわからないが、師弟関係みたいなものができたらしい。薬師さんはなんかちょっと嬉しそうだ。この人、実はかなりいい人なのかもしれない。
「あの、薬師さん。薬あとどのくらいでできますかね?」
「三日という所だな。発症したのは六日前なのだろう? だったら間に合うはずだ、発症前は健康体で、栄養も十分だったそうだし」
ライナさんから聞いたのだろうか? しかし三日か……。
「もう少し早くできませんかね?」
「急ぐという事は毒抜きが不完全になるという事だ。大切な妹に毒を飲ませたいのか?」
「……わかりました。よろしくお願いします」
本職の人にそう言われてはどうにもならない。大人しく引き下がり、香織の様子を見に行こうとした俺の背に、薬師さんの言葉が聞こえてくる。
「おい、おまえも薬師なのだろう。痛み止めの調合を教えてやるから、そこで作ってみろ」
さっき人族に教える義理などないと言っていたのに、やっぱりいい人だ。痛み止めは本当にありがたい……。
薬を作り始めてから三日。薬師さんは一度も眠る事なく作業を続けてくれているらしい。
ずっと張り付いていたエイナさんによると、有毒成分が水と油の両方に溶ける。薬効成分が油にしか溶けないものらしく、最初に何度か水で煮て有毒成分を減らし、油で煮て抽出したものに水を混ぜてよく撹拌し、水を分離してさらに有毒成分を抜いていく。
それを繰り返して薬効成分の純度を高めた所で、さらに低温で蒸留し、最初の一瓶くらいが薬になるのだそうだ。
薬効成分は不安定なので煮る時の温度管理がシビアらしく、水で煮出す時でも沸騰させてはいけないそうで、温度の見方と管理方法とを丁寧に教わったそうだ。エイナさんは筋がいいと褒められたらしく、すごく嬉しそうだった。仲良しかな?
薬師さんの指導でエイナさんが作った痛み止めは効果が高く、香織は薬ができるまでの間、半分くらいの時間を比較的穏やかに眠って過ごす事ができた。しかも副作用も少ないらしい。
だが高熱と血の混じった咳は続くので、俺はつきっきりで香織を励まし、水を飲ませ、体をさすってやり、服やシーツを交換し、体を拭いてやる。
そして香織が発病して九日目の朝、ついに完成した薬を薬師さんが届けてくれた。
「これをこの小さじに一すくい、四時間おきに飲ませるんだ。だいぶ病状が進んでいるから三日でとはいかんだろうが、一週間もあれば完治するだろう。私は少し休ませてもらう、なにかあったら呼ぶがいい」
「はい。ありがとうございます……」
「フン、礼ならリンネに言うんだな。あの子の期待、裏切るなよ」
「……はい、必ず!」
病の体を押して三日間休みなしで薬を作ってくれた薬師さんは、そのあと死んだように眠ったらしい。
せめてものお礼にと目覚める頃を見計らってライナさんにお風呂を沸かしてもらい、美味しい料理も用意してもらった。
リンネの料理はアレだが、エイナさんはわりと料理が上手いらしい。本人いわく、『レシピがあれば薬の調合と同じです』だそうだ。
香織は薬を飲ませはじめてからみるみる回復に向かい、三日目には起き上がってふつうに話ができるくらいになった。
回復した妹に俺が泣いて抱きついたのは、二人だけの秘密だ。
薬を飲ませはじめてから四日目。やはりというか俺にも十日熱が感染したらしく、高熱を発して倒れてしまった。
「やはりこうなると思っていました……」
というエイナさんが事前に俺の分の薬を作ってくれていて、妹と二人まとめて看病してもらう事になる。
途中からは妹のつきっきり看護に変わったおかげもあってか、無事に三日で回復する事ができた。
……さて、助けてもらったのだ。今度はこっちが恩を返さないといけないよな。
大陸暦419年3月6日
現時点での大陸統一進捗度 0.001%(リンネの故郷の村を拠点化・村人3人)
資産 所持金 6219万8400アストル(-39万)
配下 リンネ(エルフの弓士) ライナ(冒険者) レナ(エルフの織物職人) セレス(エルフの木工職人) リステラ(雇われ店長)




