37 商売の成功と妹を襲う死の病
カレサ布で作ったドレスを店頭に並べた所、その反響の大きさは大変なものだったらしい。
連日貴族の奥様やお嬢様がお越しになり、リステラさんは対応に大忙しだそうだ。
貴族嫌いなのに平気かなと思ったが、エイナさんいわく『リスティは商売と個人の感情くらいは分けて考えられますよ』との事だった。さすが商人。
目立たないよう俺はなるべく関わらないでいるが、商業ギルドのホールを借り切って行われたオークションは大盛況だったらしく、翌日リステラさんが持ってきてくれた売り上げの半額は、なんと2000万アストルだった。
ドレス一着に4000万とか、正気か?
リステラさんによるとこの値段は最初の一着だからで、まだ誰も着ていないのに自分だけが着られる所に価値があるのだそうだ。
貴族とはそういうつまらない見栄に大金を払う生き物なのだと、ちょっと毒も吐いていたが、値段はこれから徐々に下がっていき、最終的には500~700万アストル辺りに落ち着くだろうとの事だった。
それでも十分すごい。
心配していた圧力などは、今の所奥様やお嬢様方のおしゃれの話であり、オークションという形をとってお互いを牽制させているので、ほとんどないそうだ。
ただ、大手の商会いくつかから布の出所を探られたりはしているらしい。
リステラさんは『対策をとっていますから大丈夫ですよ』と言って笑っていたが、最近ここに来る時は変装しているし、尾行にも注意を払っているらしい。ホントに大丈夫なのか? 俺はともかく、妹が狙われるのは非常に困るのだが……。
そんな俺の表情を察してか、エイナさんが横から『仮にこの屋敷との関連が知られても、まず疑われるのはリスティの学友である私でしょう。洋一様の深慮でこの屋敷はお姉様の名前で借りられていますし、洋一様と香織様は使用人のごとく徒歩で買い物などに出かけておられますから、万一の事があってもお二人が狙われる事はないでしょう』と言ってくれたので、少し安心できた。そんな深慮はなかったけどね……。
ともあれ、はやくも完全独立採算が達成できたのは喜ぶべき事だろう。こちらは商品を提供するだけで売上の半分が還元され、面倒事は全て向こう持ち。さらに必要に応じて人手などの協力も頼めるという完璧な体制だ。
ちなみにリステラさんは、新たに店員一人と護衛四人を雇ったらしい。店員さんは……エイナさんの話に出てきたあの子かな?
明日から店に飾る二着目のドレスを引き渡すと、リステラさんは妹と染色やデザインの相談をしばらくしてから帰っていった。
家を出る前に男物の服に着替えていたのだが、それが妙に似合っていたのがちょっとコメントに困ってしまう。
ライナさんほどじゃないけど格好次第で美少年にも見えるので、すごく有効な変装だとは思う。むしろ妹が惚れたりしないか心配になってちらりと様子を見たが、なぜか俺と目が合ったので多分大丈夫だろう。それはそれで問題かもしれないけど……。
そんな全てが順調に進んでいた時、俺を絶望のどん底に叩き落す事件は突然襲いかかってきたのだった……。
「香織!」
夕食後のまったりした一時、妹が突然椅子から崩れ落ちたのは2月の20日の事だった。
「お兄……ちゃん……」
とっさに抱き止めた妹の体はお風呂上りのように熱く火照っていて、呼吸は短く浅い。か細い声で俺を呼んだのを最後に、意識を失ったようにぐったりしてしまう。
慌てて駆け寄ってきたライナさんが、顔を青くしてお風呂に入っているエイナさんを呼びに走ってくれた。
妹を抱きかかえて部屋に運び、ベッドに寝かせた所で、髪が濡れたままのエイナさんが駆けつけてきてくれる。
医術の心得があるエイナさんは妹を一目見るなり表情を険しくし、続いてライナさんが入ってこようとする前に扉を閉め、鍵をかけてしまった。
「お姉様は部屋に戻っていてください。これは医術師の領分です」
短くそれだけ言ってライナさんを遠ざけると、エイナさんは妹のそばに寄ってくる。
エイナさんがライナさんを遠ざけたという事実に嫌なものを感じるが、エイナさんは香織の首筋に手を当てて熱を測り、脈をとり、下まぶたを下げて目を診、ランプをかざして喉を診る。
そうしている間にも妹の息はどんどん荒くなり、うっすらと汗をにじませて苦しそうだ。
「……現段階で確定はできませんが、まず間違いなく十日熱かと」
「十日熱?」
「はい。明日以降激しく咳き込むようになれば間違いありません」
「それってどんな病気なの? 薬は? いや、それよりまずはお医者さんに……」
「落ち着いて聞いてください洋一様。個人的には、医術師に診せる事はお奨めいたしかねます」
「え、なんで……?」
「この病気は感染力が強く、致死率も高い恐ろしい病気だからです。この国の法律では、十日熱の患者が見つかったらすぐに殺して死体を焼くように定められています」
「ころ……す…………」
一瞬なにを言われたのか理解できなかったが、エイナさんは厳しい表情のまま言葉を続ける。
「過去にはこの病気で、街一つがほとんど全滅してしまった事もあるのです。いまだに有効な薬も、治療法も発見されておりません」
エイナさんの口から次々と紡ぎ出される言葉が、俺の中に絶望と恐怖を湧き立たせていく。
「で、でも十日熱っていうくらいだから、十日間耐えれば治るんでしょ!?」
「いえ、十日熱の十日とは患者が死ぬまでの時間です。突然高熱が出て喉が腫れ、目が赤く充血します。二日目からは激しく咳き込むようになり、五日目には咳きに混じって血飛沫を吐くようになります。体中に激しい痛みを訴えて苦しみ、10日目には全身の粘膜から出血して死に至ります。
回復する事はなく、とても苦しいので、患者の方から殺してくれと訴える事も少なくありません。ちなみに十日間寄り添って看護をすると、八割を超える確率で看護をしていた者にも感染するというデータがあります。医術を学んだ者としては、洋一様にも今すぐこの場を離れる事をお勧めしますね」
「そんな……」
エイナさんは覚悟を促すような厳しい目で、じっと俺を見る。それは妹を一思いに殺してしまう覚悟か、それとも感染覚悟で看護をする覚悟なのか。だが少なくとも、殺してしまう選択肢は俺にはない。
その時、ほとんど意識がない状態でもずっと俺の袖を掴んでいた妹の手がするりと解け、毛布の中に引っ込んでしまう。妹自身も、亀のように頭を毛布に引っ込めてしまった。
「香織……」
俺には妹の意図がすぐにわかった。俺に病気をうつさないよう、自分から離れろと言っているのだ……。
――そんな事、できる訳ないじゃないか!
俺は毛布に手を入れ、妹の手を握りしめる。毛布に浮き出る妹の輪郭が、俺の手を抱くように丸くなり、手からは妹が震えているのが伝わってくる。
「エイナさん、なにか方法はないんですか! 俺にできる事ならなんでもしますから!」
必死に懇願するが、エイナさんの表情は厳しいままだ。だがしばらくして、ポツリとつぶやくように言葉を発した。
「これは記録というにも値しない、風説に類するような話ですが……」
そう前置きし、一つの話を語ってくれた。
「今から100年ほど前、隣国のある街で十日熱の集団感染が発生した時、一人の男が薬を配り、それで患者が回復したという話が伝わっています。その男は薬を配ると黙ってどこかに消えてしまったそうで、薬の製法も実物も伝わっていません。
まず、十日熱の薬が存在するという事。さらにその薬を無償で分け与えたという事。最後に当人も含め、証拠になるものがなにも伝わっていない事と、三重に怪しい話ではありますが……」
「その街はどこにあるの!」
必死に問う俺を見て、エイナさんは少し視線を伏せつつ答えてくれる。
「……そうですね、私もお姉さまが同じ状況になったら、こんな胡散臭い話にも飛びつくほど取り乱すかもしれませんね……。ですが残念ながら、街自体は40年前の戦争で廃墟となり、住民もその時にほとんど死んでしまいました。十数年前に隣国の姫が十日熱に感染した時、王がそれこそ血眼になって探させたそうですが、なんの手がかりも得られなかったと聞いております」
エイナさんの言葉に、目の前が真っ暗になって体から力が抜けていく。
妹を護ると誓ったのに、俺は苦しむ妹になにもしてやる事ができないのだ。もし妹が苦痛に耐えかねて殺して欲しいと言ってきたら、俺はどうすればいいのだろう……。
そんな絶望の感情が、俺の体を満たしていく。
「洋一様。もし毒薬をお望みなら、苦しまずに一瞬で死ねる物を持っていますので提供いたしましょう。あくまで看護をする事をお望みなら、咳の音で外にばれないように地下室で行う事をお勧めします。十日熱の咳は濁った独特のものですから」
エイナさんの言葉が、どこか遠くの世界の物のように聞こえる。
俺はぼんやりと、高熱にうなされる妹を見つめていた。頭に浮かんできたのは前の世界で、妹がインフルエンザにかかった時の事。
あの時は近づいてはいけないと言われたのに、妹が泣くのでずっと隣について看病してやった。おかげで俺にもうつってしまい、今度は妹が泣いて謝りながら看病してくれたんだっけ……。
今にして思えば苦笑してしまうような思い出だが、前の世界のインフルエンザだって100年前には致死率の高い恐ろしい病気だったのだ。第一次世界大戦に重なるようにして流行ったスペイン風邪は、戦争より多くの死者を出したという……ん、100年前?
エイナさんが言っていた100年前の十日熱の薬。人間で実際に見た人はもういないだろうけど、エルフならどうだろうか? 100年以上生きたエルフなら、たとえばリンネならなにか知っているんじゃないだろうか?
クモの糸のように細い可能性だが、それでもゼロじゃない。
今日は2月の20日。次にリンネが来るのは25日の予定。十日熱の生存期間は10日間。……上手くいけば間に合うかもしれない!
溺れる者が一本の藁さえ必死に掴むように。俺は一筋の光明に縋って、行動を開始するのだった……。
大陸暦419年2月20日
現時点での大陸統一進捗度 0.001%(リンネの故郷の村を拠点化・村人3人)
資産 所持金 7538万3400アストル(+1998万6800)
配下 リンネ(エルフの弓士) ライナ(冒険者) レナ(エルフの織物職人) セレス(エルフの木工職人) リステラ(雇われ店長)




