(番外編) ある日のネグロステ元伯爵家
大陸暦428年10月
パークレン王国によって大陸の統一が達成され。初代国王だったエイナ・パークレンが引退し、二代国王ニナ・パークレンが即位してしばらく経った頃。
ここは大陸北西部。昔はネグロステ伯爵領と呼ばれていた場所であり、今は貴族制度の廃止で平民となったネグロステ家に、私有地として認められた旧領の一部。元領都であった街である。
そして明日は10月の13日。今からちょうど五年前のイドラ帝国侵攻軍との戦いにおいて、当時のファロス大公軍が王都郊外の決戦でイドラ帝国精鋭の騎兵隊を完膚なきまでに討ち破り。戦いの勝利を決定付けた記念日だ。
当時のネグロステ伯爵家は、サイダル王国侵攻軍を迎え撃った戦い。さらにその後のイドラ帝国侵攻軍相手の領地防衛戦において、当主と次男とを失い。他にも多くの死傷者を出しながらも苦戦を最後まで戦い抜き、街を守った。
それは国中で、王国南西部のファロス大公と周辺の従属貴族領以外では唯一であり。その功績を讃えられて貴族制度の廃止の際には旧領の半分。それも良い場所を選んで私有地として与えられたのである。
明日は侵攻軍に対する勝利を記念する日であると同時に、多くの戦死者を弔う鎮魂の日でもあり。そして、最後まで降伏せずに故郷を守り抜き。その勇名を国中に轟かせた英雄達を讃える日なのだ……。
翌日に迫った記念日を前に。ネグロステ家長女、ユミネ・アロスターは大忙しであちこちを駆け回っている。
「その荷物は向こうへ! ああ、それはこちらです。 式典の花の用意は? 食材の下ごしらえは順調ですか?」
……戦いから五年が経ち。街が受けた損害も相当回復し、大陸が統一されて平和な世界になった事で色々と余裕ができたので、今年からは記念日を盛大に祝う事になった。
とはいえ、勝利を祝う祝典と死者を悼む式典。そして勇敢に戦った英雄達を讃えるお祭りを同時に行うのだから、運営側はとんでもない忙しさである。
「……姉さん、出産が近いんだからあまり無理しないで」
「無理などしていませんよ。子供を産むのはもう6人目ですから慣れた物です。それよりフィルト。武術会の参加人員はどうなっていますか?」
ユミネは一応アロスター家に嫁入りした身で、ネグロステ家の現当主は長男のフィルト・ネグロステなのだが。ユミネの方が二歳年上であるせいで、子供の頃から姉には頭が上がらないのだ。
なにしろこの姉はただ年上なだけではなく。イドラ帝国の侵攻に際しては嫁ぎ先のアロスター伯爵家がとても勝ち目がないと降伏を決めた事に激怒し。旦那である当主を人質に取って、自分の子供達と降伏を善しとしない領軍の一部。さらには自分を慕う領民達まで引き連れて実家に戻ってきた上。自ら戦いを指揮して計略を巡らせ、イドラ帝国軍に何度も大損害を与えた猛者なのである。
フィルトとしては、武芸だけなら負けるとは思わないが。指揮官としては姉の方が優れているのは認める所だし、家の運営でもとても頼りになる存在だ。
おまけに今はこの地方の知事も務めていて、地域軍司令官であるフィルトの上司でもある。
なんかもう色々な意味で姉には勝てる気がしないし、幼い頃から『弟は姉の子分』という扱いを受けてきたのが体に染み付いてしまっているので、そもそも逆らえるはずもなく。今日も命じられるままに、あちこちを駆け回る羽目になっている。
……まぁこんな姉でも。立てるべき所では家長として弟を立ててくれたりもするので、そういう所も含めて優秀な姉なのだろう。
そんな事を思いながら、フィルトは武術大会の参加者を確認するべく。会場へと走るのだった……。
「お姉様、お久しぶりです」
ユミネが執務室に戻って忙しく仕事をしていると、不意に柔らかい声が聞こえてくる。
その声に弾かれたように仕事の手を止めて顔を上げ、今日一番穏やかな笑顔を浮かべながら言葉を発する。
「おおユミル! 久しいな、元気そうでなによりだ」
そう言って愛する妹を抱きしめようとするが、ふと気がついて動きを止め。代わりに両手を取って愛おしそうに握りしめる。
「はい、お姉様もお元気そうでなによりです。お産が近いと聞いていますのに、そんなに働かれて大丈夫なのですか?」
「ん、私はもう6人目だからな。子供など目を瞑っていても産めるさ。それよりおまえこそ出産が近いのだろう。王都から旅をしてきて大事なかったか? 苦しかったり、どこか異常があったりしないか?」
抱きしめるのをやめた理由。それは二人共身重でお腹が大きいからで、ユミネは自分の方が予定日が近い事を忘れたように、妹のお腹を撫でて体を気遣う。
「お産をするのに目を瞑ってとかはあまり関係ない気がしますが……でもお姉様がご健康なようでなによりです」
そう言って微笑む妹に。ユミネは目を細めて愛おしそうな視線を送る。
この三女は武門の家であり。男女を問わず武闘派揃いのネグロステ家において、天使のように穏やかな性格を持って産まれた奇跡の存在なのだ。
四女のユミナも、王都の学校に通っていた頃までは穏やかな性格なのではないかと期待したが。やがてネグロステ家の血が目覚めたのか、それとも好きになった男の関係か。弓などを習いはじめて、イドラ帝国相手の防衛戦では自ら弓隊を率いて戦い。数え切れないほどの敵を射倒した兵に育ってしまった。
その点、動植物の研究に情熱を傾けているこの妹は本当にかわいらしく。家族はもちろん、使用人や領民達からも大切にされ。愛されている存在だ。
そして、イドラ帝国軍を迎えて防衛戦をやった時には。その知識を活かして食料の確保に貢献をしてくれた。
食べられる野草と、食べてはいけない毒草の見分け方の指導。街を流れる川で効率的に魚を獲る方法。成長が早く、小粒ではあるが50日で芋が採れる品種の大規模栽培と肥料の工夫。この地方に多い木の幹から樹液を集め、そのままでは苦くてとても食べられないそれを精製してえぐ味を抜き、甘い黒糖を得る方法と、ユミルの貢献は多大なもので。もしこの子がいなかったら、食糧供給の点から最後まで篭城を続ける事はできなかったかもしれない。
その点でも、多くの住民や元兵士達に慕われている。
侯爵家の長男との恋を巡る嫉妬で公爵家の令嬢から恨みを買い。酸を浴びせられて顔に酷い怪我を負ったが、後に大陸を統一する王となるエイナ先代国王から紹介を受けた医術師の治療により、傷を癒す事ができた。
今はその元侯爵家長男と結婚し。王都で幸せに暮らしている。年に一度のこの日の里帰りは、家族はもちろん使用人から住民達までが待ち望む。ある種一大イベントだ。
今回はこのまま出産まで滞在する予定なので、久しぶりにゆっくり話す事もできるだろう。
自然と顔が綻んでしまうのをなんとか取り繕いつつ。ユミネは仕事を中断して、自ら妹を部屋へと案内する。
旦那のサナンは仕事の都合で遅れて来るそうだが。別に来なくてもいいのになと、そんな事を考えながら……。
「――姉上! フィルトのアホが私を武術大会に出さないって!」
ユミルを部屋に送り届けてしばらく。騒がしい声と共に次女のユミカがユミネの元へやってくる。
「……アホは貴女でしょう。自分が身重だという事を忘れたのですか?」
大陸が統一されて平和になって以降。ネグロステ家ではおめでたが続いており、上の妹であるユミカも例外ではない。
「まだお腹も大きくなってないし、十分動けるから大丈夫だよ!」
全く引く気がなさそうな妹に、ユミネはため息をついて頭を抱える。
この妹は四姉妹の中でも最もネグロステ家らしい血を継いだ武闘派で。イドラ帝国との戦いの際には三度の負傷を押して最後まで一線に立って戦ったし。その後は王軍に復帰し。国王の護衛を経て、対ドラゴン部隊の第一部隊長まで勤めた。大陸中に名を轟かせる、ちょっとした英雄である。
……だが実際はこの通りの戦闘バカで。兄を呼び捨てにするくらいのガサツな子である。
よくこれで国王の護衛なんて務まったなと思うが、先代のエイナ国王は実力重視だったというのは本当なのだろう。
つくづく。真ん中の妹であるユミルがネグロステ家に産まれた奇跡の子なのだと実感させられる。
「――貴女はそもそも、式典に出るのですからもう少し令嬢らしい格好をしてきなさい」
「えー、すっごい令嬢らしい格好してるでしょ。ホラ見て、リボンつけてるでしょ! ダンナが買ってくれたんだ」
……よく見るとちょっと可愛らしいリボンで髪が束ねられているが。それ以外は動きやすそうな半袖のシャツにズボン。軍隊で使うブーツを履いて、腰には剣を吊っている。
これから向かう場所が舞踏会か戦場かと問われたら、完全に戦場に行く格好だ。
これにリボン一つで令嬢らしいとか。『ワニをピンク色に塗ったのでかわいいでしょう?』と言うくらいに無理がある。
……とはいえ、この子もそれなりに苦労をしてきた子だ。
父が戦死したサイダル王国侵攻軍を迎え撃った戦いに、この子は王軍の一員として参加していた。
戦いは無残な敗北に終わり、マーカム王国軍は壊滅。領軍を率いて参戦していた父親と戦場で出会ったこの子は、共に死ぬ事を望んだのだという。
以下はその場に居合わせた長男フィルトの証言だが、退却を命じる父親に対してユミカは断固言う事を聞かず。この場に残って敵を押し留め、味方が退却する時間を稼ぐつもりの父親と共に戦って死ぬと言ったのだそうだ。
だが父親に、『馬鹿者! ワシはおまえが娘だから、我が子かわいさで退がれと言っているのではない! この戦は負けだ。王国の主力は壊滅し、さらに北東からはイドラ帝国軍も侵攻をはじめたと情報が入っておる。おそらくこの国は滅び、侵略者達は傍若無人に振舞い、民達は奴隷にも等しい扱いを受ける事になるだろう。だがおまえはそんな事を許してはならん! できる限り多くの者達を連れて撤退し、故郷を守るためにもう一度戦え! 今度こそ思う存分、故郷を守って勝つか死ぬまで戦うのだ! わかったな、では行け!』と言われ。涙を流しながら、負傷したフィルトや領軍の生き残りと共に戦場を離れ、故郷を目指した。
その旅も決して楽なものではなく。いち早く王都を囲んだイドラ帝国騎兵隊は後の事を後続の歩兵部隊に任せ、迅速に王国北部各地へと侵攻をかけていた。
その隙を縫うように、道を外れて山野を歩き。占領地で乱暴狼藉を働く敵兵の姿を歯噛みして眺めながら、空腹を誤魔化すために草を噛み。時に泥水を啜ったりして、15日間におよぶ苦難の撤退行の末。やっと故郷のこの街に辿り着いたのだ。
その時にはすでに街は包囲されて篭城戦が始まっていたが。ユミカ達は疲れ切った体に鞭を打って包囲軍の一角に夜襲をかけ、見事進路を切り開いて街壁内への合流を果たした。
その後も体力を回復する間も惜しんで戦いを続け。三度負傷したが、父親に言われた通り死ぬまで戦うのだと言って、最後まで前線に立ち続けたのである。
その活躍は武門の家であるネグロステ家においてすら軍神と讃えられ、多くの兵士や住民達を勇気づけたのだ。
……でもまぁ、それはそれである。
「ユミカ。貴女も母親になる身なのですから、もう少し落ち着きを持ちなさい。武術会は……特別枠として優勝者との親善試合を用意してあげます」
「やった! さすがユミネ姉。ダンナに知らせてくる!」
「母上の所にもちゃんと顔を出すのですよ!」
なんだかんだ言ってもユミネもネグロステ家の人間なので、武術会に出たいという妹を無理に止めたりする事はないが。最低限の譲歩だけをして妹をあしらう。この辺りは慣れたものだ。
……ユミネは書類仕事を一段落させ、明日の会場の視察へと向かう。
「あ、お姉様ー!」
元気な声で呼ばれて声の方を振り向くと、そこに居たのは四女のユミナと。メイド服を着た女性だった。
テンション高く手を振る下の妹の隣で、隣のメイドが丁寧に頭を下げる。右手に子供を抱いていて。左手は……肩口から袖がヒラヒラと風になびいている。
副メイド長のカミラだ。
……我が家の副メイド長という役職は、諜報や暗殺などを担当する裏の仕事のまとめ役でもある。
そんなカミラも。総力戦となったあの防衛戦では兵士に混じって前線で戦い、左腕を失った。
カミラと特に仲がよかったユミナは、負傷の知らせを聞いて病室に駆け込んできたが。腕を失った親友の姿を見て烈火のごとく怒り。どの隊にやられたかを訊き出すと、即座に愛用の弓を手に、持てるだけの矢を背負って敵陣に向かったのだった。
そして、泥を浴びて姿を目立たなくし。地形に詳しいのを活かして八日間も単身敵陣の周囲に潜伏して。就寝中や食事中を襲っては何人もの敵を射倒し、相手が見張りを立てるようになるとその見張りを。さらには伝令や水汲みなど、少人数で陣を離れる兵士を襲撃し、果ては用を足している最中の兵士まで。執拗に狙って弓を射かけた。
その矢は遠距離からでも正確に標的を捉え、敵兵は満足に眠る事も、落ちついて食事をしたり用を足す事さえできなくなって急速に消耗し。弱りきった所でユミナは自分の弓隊を率いて奇襲をかけ、ついには一隊を壊滅に追い込んでしまったのだ。
親友が重傷を負った時の行動が、傍についていてあげるのではなく全力で仇を取りに行くである辺り、やはりこの家の子なのだろう。
今はカミラと楽しそうに。どの店のお菓子が美味しいかなどと他愛もない話をし、笑ったりしている。
その姿を見ると、どこにでもいる普通の女の子で。それもどちらかと言うと、育ちが良く礼儀をわきまえた令嬢といった感じだが。この二人は怒らせると怖い事にかけては我が家でもかなり上位に位置している。
見た目に騙された男が何人も痛い目にあったと噂の二人なのだ。
「……そうだ二人とも。ユミルが来ているから、あとで顔を見せに行くといいぞ」
ユミネの言葉に、二人共『お姉様が!』『ユミル様が!』と声を揃えて目を輝かせ。『あとで』と言ったのが聞こえなかったかのように、館へ向かって駆け出していく。
(やっぱりそうなるわよね……)と二人を暖かい目で見送り。会場を一通り見て回ったユミネは、忙しく仕事に戻るのだった……。
――翌日。祝典と式典、そしてお祭りは盛大に。時に厳かに執り行われ、今は武道会が大盛況の内に開催されている。
そんな中。ユミネは一人郊外にある墓地へと足を向けていた。
ここには父と下の弟。当時の領軍隊長や副隊長をはじめ、五年前の戦いで命を落とした多くの人達が眠っている。
今はみんな祭りに行ってしまって人気がないその場所で、ユミネはじっと立ち尽くしている一人の男に声をかけた。
「ドルソン。あなたもお祭りに行ってくればいいのに」
その声に振り向いた大柄な老人。ネグロステ家の執事長は、申し訳なさそうに口を開く。
「いえ。あの戦いに参加しなかった私に、その資格はありませんから」
「……あなたは別に臆病風に吹かれて参加しなかった訳ではないでしょう。むしろ私がそう命じたのです。万一の時には家の血筋だけでも残せるように、ユミルを連れて逃げる準備をしておきなさいと。その時に備えて負傷を避け、体力を温存しておくようにと指示を出したからでしょう」
「……ですがそれでも、私が戦いに加わらなかった事実には変わりがありません」
「相変わらず生真面目ですね……ですがまぁ、それがあなたのいい所でもあります。では私が付き合いますから、ここで飲みましょうか」
ユミネはそう言うと、持ってきた袋から酒のボトルとグラスを三つ取り出し。ドルソンが前に立っていた墓……自分の父親の墓の前に並べる。
ユミネはそこに酒を注ぐと、頭を下げて一つを墓石に添うように置き。一つを自分の手に取ると、もう一つをドルソンに渡す。
「戦いに散った英雄達と、故郷を守りぬいた英雄達。そして、ある意味一番辛い任務を引き受けてくれたあなたに敬意を込めて」
そう言ってグラスを掲げると、琥珀色の酒がなみなみと注がれたグラスを豪快に呷り。一息に飲み干してしまう。
わりと強い酒なのだが、顔色一つ変えない辺りはさすがである。
ドルソンは手にしたグラスを眺め。涙が溢れてくるのを誤魔化すかのように、自分もグラスを呷る。
歳を取ったとはいえ、まだまだ酒の強さも。戦闘能力も若い者に負けるとは思わない。
そのドルソンの姿にユミネは満足気な笑みを浮かべ、ドルソンのグラスにまたなみなみと酒を注ぐと、ボトルを渡して自分のグラスをスッと前に出す。
その意を察してドルソンが酒を注ぎ返すと、ユミネは自分のグラスをドルソンのグラスに軽く『キン』と当て。今度はじっくりと味わうように、ちびりと口に含む。
その様子を見ながら、ドルソンは改めて自分が良い家に仕え。良い主を得られた事を心の底から嬉しく思い。産まれた時から見守ってきたこの長女が優しく聡明で、本当にいい子に育ってくれた事に、また目頭が熱くなる。
二人はしばらくの間。言葉など不要だとでもいうかのように黙って酒を酌み交わし、今は亡き家族や仲間。友人達に思いを馳せる。
彼方から響いてくる武術会の大歓声が、平和な時代を象徴する歌声のように。涼やかな秋の風と共に、墓地を撫でるように駆け抜けていくのであった……。
リクエストを頂いた番外編。『統一後のネグロステ家』になります。
投稿感覚が空いてしまいましたが、その分定期更新だった頃よりも分量が多目ですので、それでお許し願えればと思います……。




