(番外編) アメリア・ファロスの休日
~大陸暦426年10月2日~
「ファロス国王代行! 国王陛下から東方のダフラ王国首都、ザルートを制圧したとの連絡が届きました!」
息を切らせた王宮の情報官が、手紙を手にアメリア・ファロス工業技術大臣兼、国王代行の執務室に駆け込んでくる。
「そうか」
書類が山と積まれた執務机で手紙を手早く開封し、サッと目を通すと。国王代行は手紙を傍らにいる初老の男性に渡し。男性がそれを文箱にしまう間に、書類に目を通す作業へと戻る。
「……え、それだけですか?」
手紙を持ってきた情報官が呆然と立ち尽くす横から、別の伝令が部屋に入ってきて言葉を発する。
「ファロス工業技術大臣。第六技術研究所長より、新しい風車の試作品が完成したとの報告を預かってまいりました」
「お、そうか! よし、ご苦労であった。明日の朝イチで見に行くと伝えておけ」
その言葉に。国王代行の隣にいる初老の男性が言葉を発する。
「ファロス様。国王陛下から、留守中は国王の仕事を優先するようにとの指示を受けておりますが」
「わかっておるわ。じゃが目下の仕事が片付いてしまえば、一日くらい休暇をとったとて問題あるまい。仕事ではなく、休日を過ごす一個人として見に行くだけじゃ」
「……なるほど。ですが、仕事ならまだ山のようにございますが」
男性がそう言って合図を送ると、若い事務官が隣室から山のような書類が積まれた台車を押してやってくる。
「…………嘘じゃろう? わらわはここ数日、常人の三倍は仕事をこなしておったはずじゃぞ? エイナの留守中は各大臣に振る仕事を増やしておるし、行政官の休みも半分にしたので、もっと余裕があるはずではないか」
「それが不思議な事に、仕事は溜まる一方でございます。各所でも休日を減らした上に人員も増やして対応に当たっておりますが、追いつかない所も多いと報告が入っております」
「……エイナのやつ。いつもどれだけ仕事をこなしておったのじゃ?」
「それは第一行政長官である私めにも分かりかねます。行政長官職ですら第一から第六まであり、それぞれ、内政・民政・財政・軍政・外政・その他を担当しておりましたから……。あと、ニナ次期国王候補がいらっしゃらないのも大きく影響していると思われます。あの方は、内政・民政・財政に関しては国王陛下に劣らないほど優秀ですから」
「……帰ってきたら、面倒事を押し付けられた礼にたっぷり研究に付き合わせてやるつもりでおったが、少し加減してやるか……。じゃが明日の休日は譲らぬぞ。仕事はできるだけ今日の内にこなしてしまうゆえ、どんどん持ってまいれ」
「御意」
「……あの」
第一行政長官が書類倉庫でもある隣室に消えた隙を突くように、最初に部屋に入ってきた情報官が口を開く。
「なんじゃ、まだおったのか。他にもなんぞ報告があるのか?」
「いえ、報告はありませんが……よろしいのですか? あのダフラ王国の首都を。大陸最大最強と言われたあの国の首都をこんなに早く制圧したのですよ。もっとこう、驚くとか確認の使者を送るとか。各所に伝令を走らせるとかあるのではないかと思いまして……」
「ああ、そんな事か。心配せんでも、すでに予定事項として各所に手配してある。想定より早いが、まぁ問題あるまい」
その言葉に。なおも納得がいかないという表情で立ち尽くしている情報官に、国王代行は少し楽しそうな表情を浮かべて言葉を続ける。
「おまえは若いから知らんかもしれんが、驚くのなら大公家の領軍一つを率いてサイダル王国とイドラ帝国という、大国二つの侵攻軍を討ち破った戦いの方が余程じゃったぞ。彼我の戦力差を考えれば、あの時の方が圧倒的に不利であった。それを奇跡というのも生ぬるい圧倒的な速度で完膚なきまでに撃破し。あまつさえ逆侵攻をかけて大陸の半分を制圧してしまったのじゃ。今更大陸の半分を率いて一国を滅ぼしたとて、いかほどの驚きがある」
「それは……噂には聞いておりますが……」
「わらわは実際に隣で見た。それでも信じられなんだくらいじゃから、まぁ無理もなかろうな。だがおまえもエイナの下で働く気なら、少々の事では動じんだけの気概を持っておけ。あやつが結婚するとでも言い出したのなら、さすがに驚いても仕方ないがな」
そう言って笑う国王代行を見ながら、情報官は『少々の事……かな?』と、一人頭を悩ませるのであった……。
なお、この情報官は後日。ファロス国王代行がエイナ国王から『ニナの父親に当たる男性と結婚する事にしました』と書かれた手紙を受け取った現場にも居合わせたが。目を見開き、口を半開きにして固まるアメリア・ファロスという。とてつもなく珍しいものを見たと証言している……。
……王都にダフラ王国の首都ザルート陥落の一報が入った翌日。ここは王城間近にある、ファロス大臣邸。
「……アメリア様。失礼いたします」
まだ日も昇っていない、暗い時間。眠っている主人を起こしてしまわないようにと小声で告げて。一人のメイドが寝室の扉をそっと開く。
最高級の素材と技術が使われた扉は、音もなくスムーズに開き。部屋の隅で一本だけ燃えているロウソクが、広い部屋をほのかに薄く照らしている。
メイドは手に持った燭台の灯りを頼りに、部屋の中央に置かれた豪奢なベッドに向かう……が、ベッドはもぬけの殻であり。メイドは慌ててシーツの間に手を入れてみるが、体温の残渣は微かにしか感じられなかった。
「――アメリア様!」
そう叫び、寝室を飛び出していくのは。公爵家時代からこの家に仕え、今はアメリア専属となっているメイド長。
これはある意味、ファロス家では見慣れた光景である……。
「――探しましたよ、アメリア様!」
太陽の気配がわずかに感じられ。空が薄紫色に染まる時間。カンテラを片手にあちこち駆け回って息を切らせたメイド長は、第六技術研究所の工作場で、ようやく目指す主人を発見した。
「ん、ソフィーではないか。なんぞ用事か?」
まだ暗い作業場で。篝火に照らされた大きな風車とそれに繋がれた石臼を見ながら、寝起きの乱れた髪で立ったままパンを齧っている主人の姿に。メイド長ソフィーは軽く意識が遠のきかける。
「なんぞ用事かではありませんよ! お出かけの際は我々使用人にお声掛けくださいと、いつもあれほど申し上げているではありませんか!」
「今日は休日ゆえ、使用人達も全員休みでよいと伝えたであろう」
「――たしかにうかがいましたが、主人が起きて働いている時に私がのんきに寝ていられるはずがないではありませんか! しかもそのパン、厨房にあった昨日の残りなのではありませんか?」
「働いてなどおらぬぞ。今日は休日ゆえ、趣味の研究をしに来ておる。……お、そこそこ! そうじゃ、その歯車が微妙にズレておる気がするゆえ確認してくれ! ――このパンはたしかに厨房にあったものじゃが、勝手に持って行ってはまずかったか?」
「いえ、まずくはありませんが。美味しくないでしょう。前日に焼いたパンなど、本来は下級の使用人がミルクやスープに浸して食べるものですよ。それに趣味とおっしゃいますが、工業技術大臣の仕事となにも変わらないではありませんか」
「あれは、仕事が趣味みたいなものなのじゃ。面倒な書類や他部署との調整などがなければもっと楽しいのじゃがな。今日はそれらもないので、完全な趣味じゃぞ」
そう言って、ファロス大臣は右手に持ったパンをひと齧りし。言葉を続ける。
「たしかに硬いが、手軽に食べられるので便利ではないか。ここのおがくずと油の臭いの中で食べると、心なしか旨い気もする」
主人の言葉に、ソフィーは強めのめまいを覚えるが。強く踏み止まって言葉を返す。
「アメリア様、そのお言葉。絶対に料理長の前で言わないでくださいね。泣きながら田舎に帰ってしまうか、明日からパンにおがくずや食用でない油が混ざりかねませんから」
「ん、そういえば。世間にはおがくず入りのパンもあると聞いた事があるな。興味があるが、一度作らせてみるか」
「――あんなものは、飢饉でよほど食べるものがないか。扱いの悪いエルフの奴隷などに与えられるものです! あんなボソボソして喉に引っかかってまずいもの、間違ってもアメリア様が口になさるような物ではありません!」
「その言い方だと食べた事があるようじゃな……そうか、おまえは確か西部の産まれであったな。あの辺りが旱魃に襲われたのは、10年前の事じゃったか……」
「……はい。その時に私は、弟達に食べさせるパンのために奴隷商人に売られました。その後別の商人に買われ。見た目が良かったので男爵家への献上品にされ、頭が良かったので公爵家への献上品となったのです……」
「そうか……弟達は元気にしておるか? お、動きがよくなったではないか! 従来型の風車と二つ並べて設置して、作業効率の比較を一ヶ月分記録してわらわの所に持ってまいれ!」
「――はい。私が売られたお金で無事に飢饉を乗り越え、今は頂いているお給金から仕送りをしていますので、畑も増え。牛や羊も沢山飼えるようになって、生活も安定しているそうです。これも全て、本来奴隷であったはずの私をメイドとして取り立てていただいたアメリア様のおかげでございます……」
公爵・大公・国王と、この国でも最高級の地位を歴任した主人が、一使用人に過ぎない自分の出身を知っていてくれた事。そして家族を気遣ってくれた事に、ソフィーは感激のあまり、声が震えてしまう。
「当家では働きにはそれに見合った報酬と地位を与える事になっておる。それはおまえの実力であろう。おまえはよく働いておるし。もし家族に会いたいのであれば、一月か二月くらいの休暇をやるが、どうじゃ?」
「――もったいないお言葉、心より感謝申し上げます……ですが、私は恐れ多くもメイド長の座を賜り。アメリア様の専属を命じられている身でありますから、今はその責務を果たす事のみに全力を注ぎたいと考えております」
「そうか。では休暇が欲しくなったらいつでも言うがよい。今日はもう下がってよいぞ」
「はい…………って、よくありませんよ! とりあえず朝食は用意してきましたから、こちらをお召し上がりください! あとその御髪も……誰か、椅子はありませんか!」
ソフィーの声に、研究所の作業員の一人が木製の粗末な椅子を運んできてくれ。ソフィーは一瞬眉根を寄せたが、主人が特に気にする様子もなく腰を下ろしたので、諦めて朝食を詰めてきたバスケットを主人に渡すと、自分は携帯用の小さな櫛を取り出して、寝癖が付いたままの主人の髪を梳かしにかかる。
「別に王宮に上がる訳ではないのじゃから、見た目などどうでもよかろう。どうせ午後からは気球の実験に行くので、整えても風でボサボサになってしまうぞ」
「いいえよくありません。恐れ多くも大臣閣下であり、今は国王代行も務めておられる身の上なのですから、もう少しお気をつけください。最初からボサボサなのと、結果としてボサボサになってしまうのでは全然違います」
「そういうものかのう……まぁ、視察の邪魔にならん範囲で好きにやってくれ」
ファロス国王代行はイマイチ腑に落ちない様子だったが、おとなしく渡されたバスケットからサンドイッチを食べる。
どうせこんな事になるだろうと昨日の内から見越して、大きなパンを焼いてもらい。その中心付近の一晩経っても柔らかい所を厳選し。前日から仕込んでおいた肉やチーズ、野菜、卵などを挟んだ力作だ。
なにかをしながらでも食べ易いようにと、小さい一口大に切り揃えてある。
ただ計算違いだったのは、主人が起きるのがあまりにも早すぎた点だ。
昨日も夜遅くまで国王代行の仕事をしていたはずなのに、本当に休んだのだろうかと疑わしく思えてしまう。
ソフィーが髪を梳く間に最初の一切れを食べ終えると、国王代行はおもむろに声を発する。
「うむ、旨いな。おいみんな、差し入れが来たぞ! 一人一切れずつ取りに参れ!」
その言葉に。風車をいじっていた作業員達が順番にやってきて、国王代行の膝の上に置かれたバスケットから、サンドイッチを取っていく。
本来なら大臣を相手にありえない行為だが。研究所の作業員達は慣れたものだ。
(アメリア様のために用意したのに……)
主人の髪を梳かしながら、ソフィーはどんどんなくなっていくバスケットの中身を眺め。主人が相変わらず硬いパンを齧っているのを見て、複雑な気持ちになる。
そんな中。最後の一人がサンドイッチを取って行くと、バスケットの中には二切れだけが残っていた。
「お、ちょうどよいな。ソフィー、どうせおまえも朝食を食べておらんのじゃろう。一切れずつ食べようではないか」
国王代行はそう言うと、一切れを手にとってソフィーへと差し出す。
一瞬辞退しようと思ったが、それではせっかくの主人の好意を無にしてしまうと思い。ソフィーは『はい、ありがたく頂戴いたします』と言って、サンドイッチを受け取った。
「おまえが作ったものなのに、頂戴しますもなかろう……うむ、やはり旨いな。みなにも好評なようじゃ。朝早くから手間を取らせたな、感謝するぞ」
「……もったいないお言葉でございます」
そう言って、ソフィーは深々と頭を下げる。
いくらメイド長とはいえ。当主直々に賞賛やねぎらいの言葉をかけられるなどめったにない事で、普通なら大きなパーティーを滞りなく取り仕切った時など、稀な機会にあるかないかだ。
その感激はソフィーにとってどんな香辛料よりも優れたスパイスとなり。自分で作ったチーズサンドを、この世のものとは思えないほどの美味へと変えてくれる。
「おい、ソフィー。髪を整えるのが終わったら寝ておくのじゃぞ。おまえに倒れられては困るからな」
「そんな。使用人一人が倒れた所でなにほどの問題もありませんでしょう。代わりはいくらでもいるではありませんか」
「いや、困る。使用人が過労で倒れるような職場との噂が立っては、優秀な人材の確保に支障をきたしかねんからな。ここで働いておるみなも、三交代で必ず休息をとるようにと命じておる。……そうか。メイドや使用人もそうするべきじゃな」
「…………」
主人の言葉を聞き。よその家で働いた事もあるソフィーは、それがどんなに恵まれた環境であるかを思い。使用人達が喜ぶ顔を目に浮かべる。
……ただ、ソフィー本人にとっては微妙な所だ。尊敬し、敬愛する主人のために働く時間が減る事になるのである。
今日だって。本当は主人よりも早く起きて、ベッドの横で主人の起床を待つはずだったのだ。そもそも、朝は主人より早く起きて、夜は主人が眠りにつくまで傍に控えているのが専属メイドの仕事なのではないだろうか?
そんな考えを察したかのように。国王代行は言葉を発する。
「基本は朝と夜だけ傍におればそれでよい、どうせ昼間は王宮か研究所じゃからな。次は夕食の時に顔を見せればよいから、本当に寝ておけよ。わらわもここの視察が終わったら仮眠をとるゆえな」
……その言葉に。ソフィーは主人の心使いに胸が熱くなるのを感じる。
この主人は気が向かない仕事の時ならともかく。好きな事をやっているのに仮眠を取るような人ではない。
何日も続く実験の最中なら別だが。休日は今日だけで明日には国王代行の仕事に戻ると聞いている。仮眠をとるなら当然その時で、今日は一日めいいっぱい研究所を回る気だろう。
つまり、自分を気兼ねなく休ませるために。あえて嘘を言ってくれているのだ。
たった一人の。吹けば飛ぶような使用人のために。
家によっては、高価な絵や花瓶の方がよほど大切にされるような使用人のためにである。
8歳で奴隷として売られてから、ずっと物として扱われてきたソフィーにはそれがたまらなく嬉しく。この主人に生涯をかけてお仕えしようとの決意を新たにし。今は主人の足を引っ張ったりする事がないように、命じられた通り全力で眠ろうと心に決めて。それまでの間、急いで主人の髪を整えるのであった……。
……なお。ソフィーの見立て通り、当然その日ファロス国王代行が仮眠を取る事はなく。新型風車の動作試験を見た後は、気球の研究をしている第一研究所に意気揚々と乗り込んで行った。
そこでは、試作品が完成したばかりの帆を気球に取り付ける作業に自ら参加し。『まだ試作段階ですから』と止める第一研究所長に対し。『だから乗るのじゃろうが。わらわは本来出資者ではなく、技術者であるつもりじゃ。なれば試作品に搭乗し、間近で見て問題点を洗い出すのは当然であろう!』と言い放って、果敢に試作品に乗り込んで空へと上がった。
上空であれこれと試験を行い。せっかく整えてもらった髪が風でボサボサになるのを気にする様子も見せず、目を輝かせて他の技術者達と意見を交わす様子は。いつも死んだような目をして書類と格闘している姿を見ている行政長官達が見たら、とても同一人物とは思わないだろう。
なお。いざ着陸という段になって、強い突風を受けて気球が大きく傾き。横倒しになって左手首を骨折する怪我を負ってしまったが、本人は全く気にした様子もなく。
治療を受けながら帆柱の張り出し方や、帆の畳み方などについて議論するのをやめない始末で、最後には『よし、もう一回飛ぶぞ』と言い出したのを、医務官から全力で止められたのであった。
なお。仕事に支障がないようにとあえて右手を庇ったファロス国王代行は、翌日からも次の休日を夢見て精力的に仕事をこなしていたが、数日後にリステラ商業大臣が『親友の危機ですので、申し訳ございません』と手紙を送ってよこして姿を消してしまい。優秀な行政官を失った国王代行はそれから先、国王凱旋の日まで、ついに休日を得る事はできなかったのであった……。
リクエストを頂いた番外編。『アメリアさんの休日』です。
頂いたリクエストのうち書けるものは書く予定ですが、別連載などもやっている都合上投稿ペースは以前のようにはいかないと思います。
気長にお待ち頂ければ幸いです。




