310 (後日譚)魔王の島
勇者と戦って倒される事を決意した俺は、そのための準備に取りかかる。
まずは場所だ。まさかこの村で戦う訳にはいかないからね。
昔エイナさんから貰った大陸の地図を広げ、戦っても迷惑にならなさそうな場所。そして、魔王がいそうな場所に当たりをつける。
俺が目をつけたのは、北の大山脈を超えた向こう側。そこは険しい山が海のすぐそばまで迫り、切り立った断崖が続いているらしい。
海からの強い風が常に吹きつけていて、一面の荒地が広がっている。所々に小さな漁村があるらしいが、人も動物もほとんど住んでいない不毛の地だ。
俺が目指すのはその更に先。多くの魔獣が棲む危険な海を越えた先にある、小さな島である。
当然無人島で、地図にも載っていない。ここに島があると、シェラが教えてくれたのだ。この場所なら誰にも迷惑はかからないだろう。
この世界で水運があまり発達していないのは、川や海には危険な魔獣が多くいるからだ。海を避けて大山脈を超えるにしても、遥か数百キロの彼方である。
陸路で来るにしろ海路で来るにしろ、勇者が頑張って辿り付くにはいい場所だと思う。
正直、俺もどうやってそこまで行けばいいのかわからないくらいだ。
……まぁ、こういう時はシェラに頼むしかないだろう。
シェラは俺が勇者に倒されると打ち明けた時にもなにも言わずに黙っていたが。運んで欲しいとお願いしてみたら、一言『……かまわんぞ』と。なにか代償を要求する事もなく、短い返事で了承してくれた。
移動手段を確保した所で。俺は魔王の島となる場所に移動するべく、荷物をまとめる。
……とはいえ、そう多くの荷物がある訳ではない。
まずなにより大切なのは、特別に火葬してもらった妹の遺骨。
本来埋葬するべきなのだろうが、どうしても踏ん切りがつかずに手元に置いていたのは、もしかしたらこのためだったのかもしれない。
あとは妹が作ってくれた服が沢山あるが、俺と一緒に失われてしまうのも忍びないので、五着だけを持っていく事にし。残りはみんなに形見として分ける事にする。
お金が320億アストルほどあるが、魔王の隠し財産として100億アストルを持っていく事にし。残りはエルフの国に寄付する事にした。どのみち無人島では使い道がないからね。
この家はエルフさん達が使ってくれるだろうし。他には……なにもないな。
こうして整理をしてみると、改めて俺には妹だけがいてくれればそれで良かったんだなと実感させられる。
お金はエイナさんやリステラさんが知識の提供料として律儀に送り続けてくれていたけど、ほとんど使わないので途中から辞退したくらいだ。
……そして最後に、今ここにいないみんなに手紙を書く。
会うと別れが苦しくなるし。引き止められるのも辛いからね。
人間勢でまだ生存しているエイナさんとエスキルさん。森エルフの王スミクトさんと、沼エルフの王カナンガさんにそれぞれ事情を説明し。勇者の邪魔をしたりしないように。できれば手助けをしてあげて欲しいと書き。最後にお詫びと別れの言葉を添えて、クトルに託して届けてもらう。
リンネ達にも、勇者の邪魔をしないように。なんなら手助けしてあげて欲しいと伝えたが、どうもあの反応を見ると積極的な手助けは無理そうだ。
俺の事を大切に想ってくれているのが嬉しく。同時に申し訳ない……。
……準備が整っていよいよ出立という日。さすがにお別れのパーティーを開くようなテンションではないので、見送ってくれるみんなと別れの言葉だけを交わす。
「……おい、これを持っていけ」
そう言って薬師さんが渡してくれたのは、多分薬がいっぱい詰まっているのだろう箱。
「……気持ちは嬉しいですけど、俺は勇者に倒されに行くんですよ?」
「勇者と戦う時には必要なくても、それまでに必要になるかもしれんだろう。なにも今日明日攻めてくる訳ではあるまい」
……なるほど。言われてみればその通りだ。まだ出現して日が浅いので、成長するにはしばらく時間がかかるだろう。
「そうですね、ありがとうございます」
そう言って薬箱を受け取ると。リンネが『洋一様、これも……』と言って、箱が次々に運ばれてくる。
「この箱は生鮮品ですので、早めにお召し上がりください。他はドライフルーツに干し肉、干し魚、干し山菜やキノコに調味料。基本的にそのままか、軽く火で炙ったり水で戻すだけで食べられるものばかりです」
……うん。そういえば俺、妹の料理を手伝う事はあっても、最初から最後まで一人で料理を作るのって、毎年妹の誕生日に作っていたハンバーグだけだったんだよね。
あれも二年目以降は、妹がそれとなく下ごしらえを済ませた材料を置いてくれていたし。正直俺は料理があまり得意ではない。
なので、そのままや簡単な手間で食べられる食材はありがたい。食べてもらう人がいるのなら料理もがんばるけど。自分が食べるだけの食事を作るのに、あんまりがんばる気にもなれないからね。
……保存食の詰まった箱はいったいどうやってシェラに積むのかと思うほど大量だが。リステラ商会愛用の大きさが揃った規格品の箱なので、きれいに積み上げて、丈夫な網で吊って運ぶ段取りらしい。
重ねてお礼を言って、ドラゴンの姿に戻ったシェラに乗り込み。涙を浮かべて手を振ってくれるリンネ達に思いっきり手を振り返しながら、俺は大空へと舞い上がる……。
……シェラの巨体はすごい速さで大森林を縦断し。大山脈を一息に超えて北の海岸線に到達した。
昼間の明るい時間にシェラに乗るのは初めてなので、空から眺める世界はとても新鮮だ。
大森林の緑。雪を頂いた大山脈。荒漠とした北部海岸線。白波が立つ灰色の海……。
海岸線に沿ってしばらく飛ぶと、やがて小さな島が見えてきて。シェラはそこに。少しずつ高度を下げながらそっと着陸する。
「ありがとう、シェラ」
そうお礼を言って島に降り立ち。辺りを見回すと、所々にわずかな草と低い木が生えているだけの文字通り荒野で。地面はほとんどが硬い岩で覆われている。
北から絶え間なく冷たくて強い風が吹きつけていて、生き物の影さえも見つける事ができなかった。
こんな殺風景な島が俺の死に場所かと思うと少し悲しくなるが、妹と一緒なので寂しくはない。
それに、魔王が住む島としては案外それっぽい気もする。
そう考え直して荷物の整理を始めようとして、俺はピタリと固まってしまった。
……あれ? 俺ここにどうやって住むの?
――島は一面の岩で、先住民が居る訳でもなければ、建物を作るような木もほとんどない。
絶え間なく冷たい風が強く吹き付けていて、火を焚くのも難しそうだ。
……これひょっとして、勇者が来る前に凍死してしまう案件なんじゃないだろうか?
軽く絶望しかけるが。島の中央に岩山があるので、どこか適当な割れ目か窪みでも見つけてとりあえずの住処にし。食べ物はリンネ達が持たせてくれた物が大量にあるから、当分は大丈夫だろう。
そう結論を出して。とりあえず荷物を運ぼうと振り返った時――俺の目には想定外の光景が映ったのだった。
「えへへ、シェラさんの尻尾につかまって一緒に来ちゃった」
そう言葉を発したのは、一香だ。隣にはヨミもいる。
二人共リンネ達の村で別れを惜しみ、手を振って見送ってくれたはずだ……ん? 待てよ。最後の手を振るシーンにはいなかった気がするぞ。
人間の姿に戻って服を着たシェラに目を移すとスッと逸らされたので、多分買収されたのだろう。
妹に料理を習っていた一香が作るカラアゲは、妹も太鼓判を押す腕前になっていたからね……。
……俺がなにかを言うより先に、ヨミが口を開く。
「エイナ叔母様に相談に走ったら、『洋一様が決意なさったのなら変えられないだろうけど。多分拠点の事とか考えずに動くだろうから、付いていってお手伝いをするように』と申し付かりました」
おおう……エイナさん、歳を取っても相変わらず冴えていらっしゃる……。でも、さすがにこの二人を巻き込む訳にはいかない。二人は魔人と魔獣。勇者の目には敵と映る存在なのだ。
『帰りなさい……』と、そう言いかけた刹那。機先を制してヨミが言葉を重ねてくる。
「ずっととは申しません。ですがせめて拠点を整備するまでの間。勇者がやってくるまでの間はお傍にいる事をお許しください。俺達二人の最後のわがまま。最後の親孝行として……」
そう言って頭を下げるヨミと一香。……ずるいよね。こんな事言われて追い返せるはずなんかない。と言うかちょっと泣きそうだ。
「……わかった、でも約束だよ。絶対に勇者が来る前にこの島を離れる事。……シェラ、悪いけどしばらくこの島に一緒にいてくれる? いざという時に二人を連れ出せるように」
「かまわんぞ」
「わーい! ありがとう、お父さん大好き!」
そう叫んで、一香が抱きついてくる。……この子、香織の影響か。やけに俺との距離が近い気がする。
……とはいえ、二人の力を借りられるのはとても助かる。さすがに勇者が来た時、魔王が岩の割れ目で干し肉かじりながら震えていたら格好つかないからね。
――こうして束の間の。子供達との親子水入らずでの共同生活が始まる事になった。シェラも妹が娘みたいに接していたし、俺が産み出したので娘枠でいいだろう。
そんな事を考えながら。俺はこの場にいないもう一人の娘。ニナの事を思い出して、涙が零れないようにと上を見上げるのだった……。
大陸暦498年6月29日
解放されたエルフの総数 504万1500人 全体の100%
資産 所持金 100億(-223億4192万)
今気が付きましたが、308話の投稿ペースがズレてしまっていて申し訳ありません……。




