28 ライナさんの妹
ライナさんはいったん今住んでいる部屋へ行き、妹さんに伝言を残すと共に荷物を運んでくるとの事だった。
お風呂に入ってさっぱりした妹は、『四人分だね!』と言って、張り切って晩御飯の調理に向かう。
火打石での火起こしも薪での調理も、もうすっかり手馴れたものだが、せっかくお風呂入ったのに灰で汚れちゃうんじゃないだろうか?
訊いてみたら『寝る前にもう一回入るからだいじょうぶー』との事だった。今日の妹は本当にテンションが高い。
ライナさんが戻ってくる間に、俺もお風呂を済ませる事にする。
下ではまだ火がチョロチョロ燃えていて、底のレンガは熱いので、浮かんでいるスノコのような木の板に乗って、その上から入る。昔の五右衛門風呂と同じ形式だ。
人が入っていない時は浮いてきてフタ代わりにもなる万能さだが、お湯が掬いにくいのは欠点だ。
フタとしては隙間が開いていないほうがいいのだろうが、隙間がないと沈める時抵抗が大きそうだし、悩ましいな。
そんな事を考えながら体を洗い、久しぶりのお風呂にゆっくり浸かって上がってくると、妹が冷たい果物ジュースを出してくれた。天国かな?
そうしてしばらくまったりしていると、ライナさんが小さな荷馬車を一台連れて帰ってくる。荷台に乗っているのは二段ベッドと机とイスのセット。あとはダンボールくらいの大きさの木箱が二つだけだった。
これで全部との事で、荷物少ないなと思うが、たしか一年の生活費が二人で24万アストルだと言っていた。一日に直すと一人300アストルちょっとだから、冒険者をやっているライナさんが家にいない日がある事を考えても、かなりギリギリの生活をしていたのだろう。
二段ベッドはライナさんの部屋に予定されていた場所に運び込まれ、先に置いてあったベッドは予備に回される事になった。
二人暮らしだったのになんでイスが一つなのかと訊いてみたら、二人で食事をする時はライナさんがベッドに腰掛けていたそうで、それでちょうどいいくらいの狭い部屋だったそうだ。
二人で一部屋ずつ使ってもいいよと言ったのだが、八畳ほどのこの部屋でも元の部屋より広いらしく、二人同じ部屋で十分ですと言われてしまった。
仲のいい姉妹なんだな。うちの妹も強引に二人部屋にしてきたけど……。
「帰ってきていきなり部屋が空っぽになっていたら、妹さんびっくりするんじゃない?」
「あはは、そうかもしれませんね。でも書置きをしてきたので大丈夫ですよ。いつもの帰宅時間からすると、そろそろここに来ると思うのですが……」
ライナさんはそう言って、嬉しそうに木箱の中身を机の中や上に並べていく。長年の懸案が解決した喜びが伝わってきて、俺も思わず笑顔になってしまう。
荷物の中にはさすが学生だけあって、貴重な本や紙の束もあった。
許可を貰っていくつか見せてもらうと、本はなにやら難しい医学の本。紙にはとても細かい字でびっしりと文字が書いてあって、どうやら薬の調合レシピのようだった。
ほとんど理解できなかったけど、中学生や高校生が学ぶ内容じゃないと思う。ホントに頭いいんだな。ライナさんが自慢するのもわかる気がする。
と、不意にドアがノックされる音が聞こえ、ライナさんが弾かれたように玄関に飛んでいった。
「ご紹介します。妹のエイナです」
紹介されたのはライナさんと同じ赤銅色の髪をした、二回りくらい小柄な女の子だった。
「はじめまして、エイナです。よろしくお願いします」
エイナさんは学校の制服らしき格好でカバンを持ったまま、背筋をシャンと伸ばして頭を下げる。さすがライナさんの妹だけあってキッチリしている。イメージ的には図書委員長タイプだろうか? 眼鏡はかけてないけど三つ編みだ。
「はじめまして、俺は洋一。こっちは妹の香織です」
妹は相変わらず俺の影から挨拶をするが、ライナさんの妹という事で多少の安心感があるのか、いつもより半歩表に出ている。いい傾向だ。
エイナさんもにこやかに微笑んでくれるが、ちょっと作り笑いっぽい感じもする。向こうも緊張してるのかな?
あ、ライナさんとエイナさんが違う所発見。エイナさんの胸わりと大きい。というかライナさんが小さすぎるのか……いてててて!
俺の邪な視線を感じ取ったのが、手を握る妹が爪を立ててきた。ネコかこいつ。
その日は引っ越し祝いとエイナさんの歓迎会もかねて、香織がご馳走を作ってくれた。
料理を一口食べたとたん、エイナさんの目が見開かれ、纏っていた固い空気がちょっと緩んだ気がする。さすが香織。
食事をしながら、こそっと鑑定を発動してみる事にする。
エイナ・パークレン 人間 15歳 スキル:薬学Lv3 医術Lv2 政治学Lv2 経済学Lv2 謀略Lv2 礼儀作法Lv1 状態:警戒 地位:学生
おお、さすが多才だなスキルがいっぱいだ。一個妙なのあるけど……。
そしてちょっと警戒されているらしい。まぁ、初めての所だししょうがないだろう。
香織の料理を美味しそうにパクつくエイナさんを微笑ましく眺めていたら、急に鋭い視線を向けて睨まれた。そりゃそうだ、食べてる所をジロジロ見られたら気分悪いよね。申し訳ない……。
香織の料理が美味しいからか、普段あまりいいものを食べていないからか、多分両方だと思うが、食事は順調に食べてくれ、香織はご機嫌でお代わりを振舞っていた。
ライナさんも美味しいと褒めてくれる。なぜか俺まで嬉しくなるな。
「そうだ、ライナさん。明日からの予定ですけど」
食事も終盤、リンネから貰ったトウの実のデザートを堪能した所で、ライナさんに話を向ける。
「奴隷ってどこで買えますかね?」
「奴隷ですか? 奴隷商人の所に行けば買えますが、ここの使用人になさるのですか?」
あ、よく考えたらそういう人も要るのかな? 結構広いから掃除とか庭の手入れとか大変そうだし、お風呂の水汲みもずっとライナさんに任せるのは悪いし、ロバの世話とかもあるし。
「ええと、将来的にはそういう人も必要かもですが、しばらくはライナさんが管理してくださるとありがたいです。ロバの世話とか、最低限だけでいいですから。今回の奴隷購入は違う目的でして……」
俺がそう発言した瞬間、場の空気がちょっと冷たくなった。エイナさんの目がさっきより鋭い。あれ?
ていうか香織もジト目でこっち見てるけど、オマエは理由知ってるだろ。リンネの仲間探しに行くんだぞ。
「ど、どういった奴隷をお探しなのでしょうか?」
「ええと、エルフの奴隷とか」
エイナさんの目がさらに細まった気がするが、もうこうなったら開き直る。
「エルフの奴隷でしたら、奴隷商より奴隷市場のほうがいいかもしれませんね。よろしければ明日ご案内しましょうか?」
「それは助かります。ぜひに」
そうして明日の予定を立て、最後にちょっと和やかじゃなくなった夕食を終え、ライナさんとエイナさんにもお風呂を使ってもらう。
「熱っつつ!」
悲報。ライナさんお風呂のフタの意味がわからなかった模様。先に入ったエイナさんが問題なかったので油断していた。香織が慌てて説明に向かう。
湯上りには、妹作成の下着と寝巻きが二人に提供される。下着(上の方)は、ライナさんにはリンネサイズのが、妹さんには香織サイズのが大体合ったようだ。
ライナさんは足の裏をちょっと火傷したようだが、妹さんの診察によると大事無いそうで、恥ずかしそうに顔を赤くしていた。
それでもお風呂は大いに気に入ったようで、下着と寝巻きも大変着心地がいいと大絶賛だった。妹が褒められると俺も嬉しい。
妹が二回目のお風呂に入っている間、エイナさんが勉強のために先に部屋に戻った所で、ライナさんがそっと寄ってきて『洋一殿、今夜香織殿が寝付かれたら予備のベッドを運び込んだ部屋にいらしてください』と囁かれた。はて、なにか内緒の話でもあるのだろうか?
夜、言われた通り香織が寝付くのを待って、そっと部屋を抜け出す。
言われた部屋に行ってみると、そこには毛布に包まったライナさんが、ベッドに腰掛けていた。
ロウソクの薄暗い光に照らされた表情は、ほんのり青く見える。
「よ、洋一殿……あの、わ、私はこういう事が初めてでして、その……」
立ち上がったライナさんは、動揺した様子でよくわからないことを言う。どういった事が初めてなんだろう?
「あの、上手くできないかもしれませんが、精一杯努力しますので。なるべく優しくしてくださるとありがたいのですが……」
ああ、あれかな。家の管理をお願いしますって言った事かな? ロバの扱いには慣れている様子だったけど、家で飼うのは初めてなんだろうか? 馬は飼ってた事あるって聞いた気がするけど。
「大丈夫ですよ。初めてだと失敗もあるかもですけど、俺もできるだけ手助けしますから」
「そ、そうですか……助けていただけるのはありがたいです……」
なんか妙に声が固い。そんなに緊張する事だろうか? ライナさんはなおもオドオドした様子で、つぶやくように小さい声を発する。
「それで……あの……」
これはいつもの凛としたライナさんらしくない。なにかおかしいぞ?
「ライナさん、どうしたんですか?」
「ひゃうっ!」
近付こうとすると、妙にかわいらしい悲鳴を上げられた。『ひゃうっ』って……。
「あ……い、いえ。か、覚悟はできています。私は洋一殿に買われた身なのですから」
そう言って立ち上がったライナさんが、毛布をハラリと落とす。……ライナさんはなぜか、下着姿だった。
「……あ、あの。ライナさん?」
「どうぞ、お好きになさってください」
ライナさんはそう言って、ベッドに仰向けになる。
妹が作った21世紀仕様の下着は布面積が少なく、薄暗い光の中に白い肌が幻想的に浮かんで見えた。
冒険者らしく引き締まった体。胸の膨らみはちょっとアレだけど、綺麗にくびれたお腹のラインは芸術的なほどで、小さなおへそもかわいらしい。
そしてなにより、固く目を閉じて小刻みにプルプル震えているのが。そんな状況でも相手を受け入れようと、手を広げて顔の横でシーツを掴んでいるのが、初々しくていじらしくて、なんかもうとても素敵だ……って、そうじゃないよ!
ここまでされたらいくらなんでもわかる。俺は護衛としてのライナさんを買ったつもりだったが、ライナさんはもっと全てを買われた気でいたのだ。それこそ、いざとなったら終身奴隷と言っていたように……。
だとしたら、妹さんも一緒に住んだらと言った時、戸惑った反応をしたのも理解できる。そりゃ警戒するし、妹は別だと確認したくなるわ。
ベッドに横たわるライナさんを見ると、思わず生唾を飲み込み、抱きつきたくなってしまう……が、ギリギリの所で理性を総動員してなんとか踏み止まった。
ここで手を出してしまったら、せっかく復活した俺のお兄ちゃん人生が再終了してしまう気がする。
「ら、ライナさん……俺が買うと言ったのはそういう事ではなく、純粋に護衛としてでして……」
なんとか搾り出した言葉に、ライナさんは一瞬キョトンとした表情をしたが、すぐに耳まで真っ赤に染まっていく。
「いや、別にライナさんに魅力がないって言ってる訳じゃないですよ。むしろとても素敵だと思うのですが……」
「し、しかし。このような高級そうな衣服をいただいたのは、つまりそう言う事だったのでは……」
なるほど、この世界では高級な服を。それも下着なんかもらったら、そりゃそう思うよね。
「いやいや、それは純粋に香織の好意からのプレゼントですよ。アイツ裁縫とか得意なので」
「……し、失礼しました!」
俺の横を、いつも着ている鎧より顔を真っ赤にしたライナさんが、毛布を羽織って凄い勢いで走り抜けていく。……もったいない事したかな?
そんな後悔も襲ってくるが、すぐにこれで良かったのだと思い直す。今はとにかく、妹を護るためにしっかりした勢力基盤を作るのが最優先なのだ。他の問題を抱えている余裕はない。
そう自分に言い聞かせ、ロウソクを持って部屋を後にする。廊下に出た瞬間、暗がりにぼんやりと人影が浮かび上がった。
「うわっ!」
驚いて一歩飛び退いたが、よく見るとそこにいたのは、ライナさんの妹のエイナさんだった。
「……ど、どうしたの。こんな時間に灯かりも持たずに?」
俺の疑問に、エイナさんはニコリと笑みを浮かべると、かわいらしい声で言葉を発する。
「いえ、もし私のお姉様が汚されるような事があったら、私がお姉様を護らなきゃと思いまして」
「――ひっ!」
かわいらしいが、抑揚のない平坦な声。そして俺は、エイナさんが後ろ手に鉄の棒を持っているのに気がついてしまった。あれはたしか、暖炉用に買った火掻き棒だ。
「でも安心しましたよ、洋一様が紳士な方で。これからもお姉ちゃんの事、『護衛として』よろしくお願いしますね」
エイナさんはそう言って柔らかい笑みを浮かべると、火掻き棒を持ったまま廊下の先へと消えていく。
なに今の? すっごい怖かったんですけど……。
あれは一歩間違えたら、本気で俺の頭に火掻き棒を振り下ろす目だった。ライナさんのお母さん、あなたの上の娘さんはとてもいい子に育ってますけど、下の娘さんはなんかやばい感じになっちゃってますよ。ある意味バランスがとれてると言えばそうなのかもだけど。
俺は心臓がバクバク音を立てるのを聞きながら、ふらふらと自室に戻る。
「あれ?」
隣のベッド……というかくっついた隣のスペースで寝ていた妹がいない。
首をかしげていると、しばらくしてドアが開き、妹が戻ってきた。
「香織、どこ行ってたんだ?」
「え、お手洗いだよ。恥ずかしいからそんな事聞かないでよお兄ちゃん」
「あ、そうか。ごめん」
「いいよ。それよりお兄ちゃん、手繋いでもいい?」
「いや、それは……」
「お願い。夜はなんだか怖くて、よく眠れないの……」
「……わかったよ、特別だぞ」
「うん、ありがとう。お兄ちゃん」
目を潤ませて頼まれては断る事はできず、ベッドに入って手を伸ばし、妹に手を掴ませる。
ちょっとトイレに行っただけにしては妙に冷たい気がしたが、気のせいだよな? 妹は危険察知の能力を持っているけど、さっき危険に陥ったのは俺な訳だし。
まだ心臓のドキドキが治まらなかったので、さっさと鑑定を六回目まで発動して眠ってしまう事にする。
明日は森の拠点に迎え入れる仲間を捜しに行かないといけないからね……。
大陸暦418年12月5日
現時点での大陸統一進捗度 0.001%(リンネの故郷の村を拠点化)
資産 所持金 1520万3400アストル
配下 リンネ:エルフの弓士 ライナ:冒険者




