173 妹の秘密
スルクトさんの葬儀から一週間。俺は部屋に閉じこもって、ひたすらに考えを巡らせていた。
スルクトさんとの約束を果たすために、森エルフさん達を解放する方法を。リンネとの約束を果たすために、他のエルフさん達も含めて全員を解放する方法を。
そして解放されたエルフさん達が自由に生きられるように、エルフ達の未来を切り開く方法を……。
延々と考え続けるが、ただ気が急くばかりでなにも妙案は浮かんでこなかった。
食事は妹が運んでくれるが、あまり食欲がなくてスープくらいしか喉を通らない。
妹に『寝なきゃ体に悪いよ……』と涙目で言われ、ベッドに入って鑑定6回発動で気を失ってみたが、悪夢をみて数時間で目が覚めた。
それはスルクトさんが死ぬ時の夢だったり、エルフさん達が再び奴隷にされる夢だったりする。
リンネが、妹のレンネさんが、薬師さんが、セレスさんやレナさんがまたあの忌まわしい首輪をつけられて、痩せ衰えた姿で鉱山で働かされる夢。
あるいはエルフさん達が人間に抵抗して戦い、リンネが弓矢で人を射殺し、薬師さんが調合した火薬で人を吹き飛ばす夢もみた……。
エルフさん達の将来を暗示する夢はどちらも耐え難い悪夢だったが、どちらがマシかと問われれば後者だろう。
そんな事を真面目に考えてしまうほどに、俺は追い詰められ、精神が衰弱していた。
……妹が頼んだらしく、薬師さんが様子を見に来てくれた事もあった。
薬師さんは『あの森エルフの事は残念だったが、お前の責任ではない。命を救えなかったのは医術師である私の責任だし、そもそもあんな事になったのは世界の仕組みが悪いのだ』と慰めてくれ、一緒に来てくれたリンネがうんうんとしきりに頷いた上で、
『洋一様は私達エルフ族のために、本当によくしてくださっています。どうか気に病まないでください……』と言ってくれたが、ありがたい反面、気が楽になる事はなかった。
たしかに、悪いのはこの世界の奴隷制度やエルフに対する偏見かもしれない。
でもスルクトさんの死の責任は薬師さんではなく俺にあるだろうし、死の間際に交わした約束については、間違いなく俺の責任だ。
…………思い悩み、考え込み。しかし答えが出ないままに、ただ時間だけが過ぎていく。
エイナさんやリステラさんにも手紙でそれとなく相談してみたが、これといった解決策は得られなかった。
そんな日々の中、どこか思い詰めた表情の妹が声をかけてきたのは、スルクトさんの葬儀から10日が経った11月27日の事だった。
「お兄ちゃん、部屋に閉じこもってばっかりじゃいい考えも浮かばないよ。散歩をかねてお墓参りに行こう」
そう言う妹の手には、小さな花束が握られていた。
……これがもし、ただ『気分転換に散歩に行こう』と言われただけだったら、俺は動かなかったと思う。
だがお墓参りと言われてはそうもいかない。行き先は命を賭して俺に助けを求めてきた、スルクトさんが眠っているお墓なのだ……。
俺は妹と並んで、鉱山から少し森に入った場所にある大木の元へと向かう。
エルフさん達の考えでは死んだ仲間は自然に返るそうなので、墓標などはない。
ある意味においてはこの大木が墓標であり、死んだ仲間を自然へと返してくれる存在なのだろう。
俺達はスルクトさんを埋めた場所の前に立ち、妹が花を捧げて手を合わせる
エルフさん達の感覚では死者は自然へと返ったのであり、森の一部になったのだそうだ。
だからこの場所が特別という感覚はないようで、訪ねてくる人もいない。
森の中にいれば、死者も常に隣にいるのだそうである。
俺には宗教的な事はよくわからないが、その考えを否定する気はない。
だが元日本人である俺にとっては遺体を埋めた場所は特別であり、死者に一番近い場所なのだ。
そこに立っていると、死ぬ間際のスルクトさんの姿が蘇ってくる。
手にはあの時の感覚が。そして東の国でまだ捕らわれている仲間達を助けて欲しいと言ったか細い声が、耳の奥で何度も繰り返し鳴り響く。
苦しくて悲しくて申し訳なくて、この場にいるのが辛いほどだ……。
……しゃがみこんでじっと祈りを捧げていた妹が、前を向いたまま言葉を発したのは、どれくらい経ってからだっただろうか。
「――スルクトさん、かわいそうだったね」
「ああ、そうだな……」
一瞬妹の言葉にどこか違和感を覚えたが、それがなにかわからない間に、立ち上がった妹がこちらを向く。
「……お兄ちゃん。実はわたし、お兄ちゃんに秘密にしている事があるの」
いつもと違う固い声。そして思い詰めた表情で、妹は言葉を続ける
「本当は……ずっと黙っておこうと思ってた。今でも話すかどうか迷っているし、お兄ちゃんが怒ってわたしの事を嫌いになっちゃうかもしれないと思うと、心が張り裂けそうで足が震えてくる。でも、もうこれ以上苦しんでやつれていくお兄ちゃんを見ていられないから……」
……俺はやつれているのだろうか? 考えてみれば最近食事はスープくらいしか食べていないし、満足な睡眠もとれていない。
鏡も見ていないが、妹をこんなに思い悩ませてしまうくらいに酷い姿をしているのか?
俺が困惑している間に、妹は目に涙を浮かべて言葉を続ける。
「わたしの秘密がお兄ちゃんの助けになるかどうか、馬鹿なわたしにはわからないけど、お兄ちゃんならきっと役に立ててくれるって信じてる。だから、怒らずに最後まで聞いてくれると嬉しいな……」
役に立てる……なにかの情報だろうか?
情報…………あ!
その時、俺はさっき感じた違和感の正体に気がついた。それは、妹がスルクトさんの名前を知っていた事だ。
俺は鑑定で見たから知っているが、瀕死のスルクトさんは自分の名前を名乗る事もできなかった。
だから俺は葬儀で『勇敢な森エルフ……』と呼んだし、薬師さんも『あの森エルフ』と呼んでいた。
他のみんなが誰一人名前で呼んでいなかった事からしても、うっかり口を滑らせたなんて事はないはずだ。
なのに妹はどうしてスルクトさんの名前を知っている……?
俺が表情を変えた事に妹も気付いたようで、うつむきがちに、少し肩を震わせながら話を続ける。
「お兄ちゃん、最初にこれだけは信じて。わたしはお兄ちゃんに嘘をついた事はないし、これからもつくつもりはない。……でも騙すような真似をした事がある。この世界に来た日に、二回だけ……」
この世界に来た日……なにやら重大案件の予感がする。
「香織、ちょっと待って。その情報、俺に話したらおまえになにか悪い事が起きたりしないよな?」
「悪い事……お兄ちゃんがわたしの事を嫌いになったらと思うと、すごく怖い。でもそれ以外にはないよ。お兄ちゃんの負担にはなっちゃうかもしれないけど……」
俺が香織の事を嫌いになるなんて絶対にないから、そこは大丈夫だ。
そして香織になにも起こらず、今の状況を覆せるかもしれない情報があるなら、俺の負担はどうだっていい。
俺は大きく頷いて、妹に話の先を促す。
「……この世界に飛ばされてきた日。街の中をさまよってる時にお兄ちゃん言ったよね。『ここに来る時女神様かなんかと会ったか?』って」
う~ん……ああ、なんか言った気がする。そしてこんな事を言うって事は……。
「香織、もしかして会ったのか?」
「うん。女神じゃなくておじいさんだったし、会ったのはこの世界に来てからだったけどね。でもその事を言いたくなかったから誤魔化した。お兄ちゃんに嘘をつくのは嫌だったから、戸惑ったふりをしてね。あの時は戸惑っていたのも怖かったのも本当だから、すごく自然に振舞えていたと思う」
……たしかに、俺はあの時妹の言動になにも違和感を覚えなかった。
「……香織、女神様……じゃなくておじいちゃんの神様になにを言われた?」
「その前に、お兄ちゃん今日は鑑定まだ使えるよね? わたしを鑑定してみて。その次はお兄ちゃん自身も」
妹は鑑定の能力について知っているらしい。という事はやはり、妹も独自にスルクトさんを鑑定したので名前を知っていたのだろうか?
だが、妹の特殊スキルは危険察知だけだったはずだ……。
聞きたい事が山ほどあって頭が混乱状態だが、とりあえず言われたままに妹を鑑定してみる。
高倉香織 勇者Lv17 スキル:料理Lv4 裁縫Lv3 光属性魔法Lv2 乗馬Lv1 剣術Lv1 火属性魔法Lv1 水属性魔法Lv1 特殊スキル:危険察知 鑑定 追跡 ステータス偽装 勇者の加護(ステータス成長加速・肉体年齢が衰えない) 状態:脅え
…………は??
大陸暦425年11月27日
現時点での大陸統一進捗度 36.2%(パークレン鉱山所有・旧マーカム王国領並びに旧イドラ帝国領の大森林地帯を領有・旧サイダル王国領の大湿地帯を領有・大陸の西半分を支配するパークレン王国に強い影響力・旧サイダル王国領東部に孤児用の土地を確保)
解放されたエルフの総数 77万5140人
内訳 鉱山に13万9562人 大森林のエルフの村4592ヶ所に53万1897人 リステラ商会で保護中の沼エルフ10万3681人(一部は順次大湿地帯に移住中) 保護した孤児2万1053人
資産 所持金 211億6209万
配下
リンネ(エルフの弓士)
ライナ(B級冒険者)
レナ(エルフの織物職人)
セレス(エルフの木工職人)
リステラ(雇われ商会長)
ルクレア(エルフの薬師)
ニナ(パークレン鉱山運営長)
エイナ(パークレン王国国王)
※ 妹と女神様がどうこうの話をした時の事は、4話をご参照ください。




