153 イドラ帝国降伏
「小娘、無礼が過ぎるぞ!」
そう叫んで腰の剣に手をかける、派手な鎧を着た帝国軍人。
その行動に対してこちらの護衛も剣に手をかけ、ライナさんが槍を構える。
俺は隣にいる妹を守るように距離を詰めるが、妹が俺の袖を引いて危険を知らせてくる事はなかった。
危険察知の能力を持っている妹がなにも言ってこないので、今の所差し迫った危険はないという事でいいのだろうか?
さすがに感情に任せて使者に斬りかかってくるほど、あの軍人さんも考えなしではないのかな?
「……本当に皇帝陛下のためを思うのなら、軽はずみな行動は慎むべきだと申し上げておきましょう。ここで私を殺してしまったら、先の文章に書いてあった死の雨があなた方の頭上に降り注ぐ事になります。おそらくこの場にいるうちの何人も生き残れないでしょう」
「戯言を! いかに火龍の火の玉が降り注いでこようとも、この城を焼き尽くす事などできはせんぞ!」
ああ、グライダーから投下する油壺ってそういう認識なんだ。
火龍は実際に大山脈で見た事あるけど、とてもグライダーなんかとは比較にならなかったけどね……。
「なるほど。ではこれならいかがでしょうか?」
そう言ってエイナさんが取り出したのは、薄赤い液体が入った小ビン。
「なんだそれは!」
「これは十日熱の患者が吐いた血を水で薄めた物です。これをここで振り撒けば、浴びた人は全員感染するでしょうね」
「なっ!?」
大きな声で騒いでいた派手鎧の軍人が、驚愕の声と共に絶句する。
周囲にもどよめきが広がり、数歩後ずさる人もいた。
ちなみにこれは、昨日食用に解体した馬の血である。こういう用途に使うのだと告げて、わざわざ妹やライナさんと一緒に採りに行った。
本物があるのは絶対内緒だからね。あくまで交渉用の小道具であるという扱いだ。
「私が今回の使者に選ばれたのは、十日熱の薬の共同発明者であるからです。皇帝陛下は十数年前に御息女を十日熱で亡くされたと聞いておりますので、どんなに恐ろしい病気かはよくご存知の事と思います」
以前妹が十日熱にかかった時、エイナさんが話してくれた伝説上の薬の話。それを捜し求めた王がいたという話も一緒に聞いたが、それがいま目の前にいる皇帝なのだ。
なんか物語の中の人に会ったみたいで不思議な感覚に捕らわれるが、それを言ったら一番伝説級なのは薬師さんか……。
そんな事を考えていると、シンと静まり返っていた静寂を皇帝の低く重い声が破る。
「なるほど。聞き覚えのある名だと思ったが、あの薬の発明者か」
さすがは皇帝。この状況でも堂々としたものだ。
大臣や軍人の中にはエイナさんが持つ小ビンに脅え、今にもこの部屋を逃げ出そうとしている人もいるというのに。
「我が名を知って頂けていたとは、光栄に存じます」
「フン……。薬の発明がもう20年早ければと思ったが、そんな事をまだ子供だったであろうお前に言っても仕方あるまい。だがな、病の恐ろしさを知っているからこそ、余は薬の噂を聞いた時に早速買い求めさせ、効果を確かめたのち大量に購入させた。薬は大量に備えてある。お前の脅しは通じぬぞ」
「おお! さすがは皇帝陛下!」
さっきまで青い顔をして逃げ出しそう候補筆頭だった派手鎧軍人が、手の平を返したようにまた大きな声を出す。
他の軍人や大臣達も、一転して表情に余裕が戻ってきた。
……この人達はまだ、この手の交渉でエイナさんを相手にする恐ろしさを知らないのだ。
「私は薬の製造と販売にも関わっていましたから、この国に売られた量はおよその見当をつける事ができます。総量で3000から4000人分。どれだけ使ったかはわかりませんが、使用期限もあるので多くて3000人分ほどの備蓄があるだけではありませんか?」
エイナさんの言葉に皇帝の表情が険しくなる。どうやらかなり正確な数字であるらしい。
「それがどうした! 3000人分もあれば十分だ、ここにいるうちの何人も生き残れないだと? とんだ見込み違いだったな小娘よ!」
派手鎧さんはすっごい嬉しそうだが、皇帝は厳しい表情を浮かべている。
というか、ここまできたら俺にだってもう大勢が決しつつあるのがわかるのに、こんな人が軍の重鎮でこの国大丈夫だったんだろうか?
イドラ帝国にトドメをさす言葉が。ゆっくりとエイナさんの口から発せられる。
「この街の人口は300万人。集めた兵士は20万か30万人といった所でしょうか? そこに十日熱の大流行が起こり、さらに『皇帝が薬を隠し持っている』と噂が流れたらどうなるでしょうか? 皇帝陛下は強権を持って国を治めておられたようですが、民や兵士達から死の病にかかってもなお失われないほどの忠誠心を得られておいでですか?
あるいは選りすぐりの兵士3000人に薬を与えて、それで100万を超える数で押し寄せてくるであろう民や兵士を押し留める事ができるとお考えですか? あるいはそれが実現できたとして、その後さらに我々の攻撃を防ぎきる自信がおありですか?」
「…………」
今度こそ、声が大きかった派手鎧の軍人さんも完全に黙り込んでしまう。
「さて、私の使者としての任務は以上です。明後日には作戦が開始されるそうですので、降伏するのなら明日中にお申し出になられるのが良いでしょう。それと、兵士を集めてこちらを攻撃しようとする様子が見られたら、明後日を待たずに作戦が発動されるでしょうから、降伏の連絡は少人数でお願いしますね」
エイナさんは一方的にそう言うと、皇帝に背を向けて謁見の間を退出していく。
皇帝本人はもちろん他の誰一人として言葉を発する者はなく、その静けさがそのままイドラ帝国の運命を物語っているかのようだった。
そして翌12月9日の昼。使者がやってきて、イドラ帝国は正式に降伏を受け入れたのであった……。
大陸暦423年12月9日
現時点での大陸統一進捗度 12.5%(パークレン鉱山所有・旧マーカム王国領大森林地帯・ファロス王国に密かな影響力・イドラ帝国をファロス王国に併合)
解放されたエルフの総数 44万8377人 ※情報途絶中
内訳 鉱山に30万6251人(森に避難していた人達帰還) 大森林のエルフの村1112ヶ所に13万2318人 リステラ商会で保護中の沼エルフ9808人(内一人は鉱山に滞在して山エルフと情報交換中)
旧マーカム王国回復割合 95% ※情報途絶中
資産 所持金 605億4709万
配下
リンネ(エルフの弓士)
ライナ(B級冒険者)
レナ(エルフの織物職人)
セレス(エルフの木工職人)
リステラ(雇われ商会長)
ルクレア(エルフの薬師)
ニナ(パークレン鉱山運営長)




