149 侵攻の秘策
イドラ帝国侵攻作戦の軍議の席上に、エイナさんが持ち出してきたのは凧だった。
「今回の作戦で一番問題になるのは、10個に分散した部隊間の連絡を維持する事です。各自独立して進軍するとはいえ、完全にバラバラでは不測の事態に対応できず、全滅する部隊が出てしまうかもしれません。
これは一見すると小型のグライダーですが、簡単な扱いで地上からでも上昇させる事ができ、晴れた日なら馬で一時間走った距離からでも視認する事ができます。各部隊はこれを上げながら、お互いの位置を把握し、距離を保ちつつ前進します。雨が降ったら視認距離は落ちるでしょうが、その時は距離を詰めてください。夜営する時も半分の距離まで間隔を詰めます。この地方は元より雨が少なく、しかも今は乾燥期ですから雨についてはあまり気にする事はないと思いますが」
凧は元々子供のおもちゃだから、たしかに扱いは簡単だ。
雨の日に上げるのはあんまりオススメできないけどね。雷落ちたらえらい事になっちゃうから。
元の世界の逸話みたいに、避雷針の発明に繋がるならともかくさ……。
そんな事を考えている間に、エイナさんの説明はどんどん進んでいく。
「具体的にはこの凧を各部隊に四つずつ配備し、各部隊で一つずつ上げながら移動します。陣形は気球を積んだ馬車部隊を中心にして、その周囲に他の9部隊を配置。中心の部隊と両隣の部隊、計三つの凧を見失わないようにすれば、お互いの姿が地平線に隠れて見えなくなっても、陣形を崩す事なく移動ができます。見失わないように、常に複数名での確認を徹底してください。
他に、色のついた布を結んだ凧を上げる事によって簡単な連絡も行います。主に中心部隊が使うのが、緑の『休憩・停止』、茶色の『出発用意』、金色の『緊急事態・集合』。外周部隊は赤の『敵偵察部隊発見』、黒の『敵主力部隊発見』です。空の色と重ならない色を選択していますが、見落とさないようにご注意ください」
将軍や部隊長さん達が一斉にメモを取る。
「外周部隊はそれぞれ凧一つずつを持たせた騎兵10騎からなる2隊を、さらに外側へ向けて偵察に出します。偵察部隊は外周部隊の凧が見える範囲で行動し、敵を発見したら赤か黒の布を結んだ凧を上昇させて報告を。偵察部隊なら放置で構いませんが、主力部隊を発見したら他の部隊も一斉に中心部隊の位置まで退避します。
その間に、中心部隊では気球を上げて迎撃準備を整えます。最低でも一時間。上手くいけば二時間近くの時間を稼ぐ事ができるので、迎撃は間に合うはずです。それと、凧に結ぶこの糸は細いわりに非常に強度が高いので、夜営をする時に周囲に巡らせておけば敵を阻止する罠になります。敵主力に襲われた時にも突撃阻止用に使います。前回の戦いで使ったロープのように馬の足の高さではなく、くぐる事も跳び越える事も難しいよう、馬の首の高さに張ってください」
うわ、なんかえげつない光景を想像してしまった。
良い子は真似したらいけないやつだ。でも効果はあると思う。
それでエイナさんの説明は一段落となったようで、外に出て凧の扱い方の説明や、糸の強度の確認などがはじまった。
レナさん特製のコウセンチョウの羽から作った糸は本当に丈夫で、剣で切りつけても簡単には切れないほどだった。
軽いワイヤーのような物なので、これが張ってある所に突っ込んだら首どころか胴体でも切れ飛びそうだ。鎧を着ていても馬から撥ね落とされるだろう。
レナさんがコツコツ作り溜めていたのを全部借りてきたが、こんな使い方をされると知ったらどんな顔をするだろうか……。
俺は複雑な思いを胸に、大慌てで進む部隊の再編を見守っていた。
攻撃開始は一日延期されて11月4日の朝となり、俺達はエイナさんと一緒に中心部隊に同行する事になっている。
その日の夜。俺がリステラさんと話をしていると、死ぬほど忙しいだろうエイナさんがふらりとやってきて、深刻な表情で話があると言って俺に時間を求めてきた。
妹が夕食作りを手伝っているタイミングを狙っての接触。そしてライナさんは妹の護衛として残ってもらうようにと言ったので、本当に俺だけに話をしたい、機密度の極めて高い話なのだろう。
緊張しながら着いていくと、案内されたのはエイナさんが使っている小さなテントだった。
人払いがされ。エイナさん自ら周囲を確認した上で話がはじまる。
「これからする話を誰にも漏らさないと。たとえ香織様やお姉様にであってもしゃべらないと、約束して頂けますか?」
肌にピリピリくるような緊張感。こんな空気はいつ以来だろう?
すごく聞きたくないと思ったが、それは許されないだろうから俺も神妙な表情で頷いた。
エイナさんも一つ頷くと、机の脇に積んである厳重な梱包がされた木箱。その四つあるうちの一つを開け、分厚い手袋をはめると、中から赤黒い物体が詰まったビンを取り出した。
「これは私が王都で集めてきた、十日熱患者が吐いた血です」
「え……」
俺は一瞬、自分の息が詰まるのを感じた。
十日熱。それはかって妹を死の縁にまで追いやった、恐ろしい病の名だ。
「これ自体はもちろん、一ビンを水一樽に溶かした物でさえ十日熱への感染力を持っています。この箱にはこのビンが50本。そして他の箱には、ルクレア先生が作った最高品質の十日熱の薬が入っています。洋一様、この意味がお分かりですか?」
ビンを手に持ったまま、じっとこちらを見つめてくるエイナさん。
この状況で意味なんて、一つしか思いつかない。
「…………帝都に着いたら、街を攻略するために使う気ですか?」
「はい。もちろん他の方法も考えていますし、できれば使わずにすませたいとも思っております。ですが他に策がない状況に立ち至った場合には、最後の手段として使う事になるでしょう。可能であれば皇帝本人とその周辺を狙うのが理想ですが、実際には難しいでしょうから帝都中心部に大々的に散布する事になると思います」
……なるほど、これはたしかに妹やライナさんには聞かせられない話だ。
「他にこの話を知っている人は?」
「軍務大臣殿だけです。ファロス国王陛下にも話しておりません」
「……なんで俺に話そうと思ったんですか?」
「一つは私が洋一様を、普段は能天気なお人好しに見えるものの、その内には計り知れない知識と深慮を秘めた人物だと。時に清濁を併せ呑む事もできる器を持った人物であると評価しているからです。
そしてもう一つは、洋一様と一蓮托生の関係が欲しいからです」
一蓮托生……? たしか運命共同体みたいな意味だよな?
「俺とエイナさんって、今でもわりと一蓮托生の関係だと思いません?」
「私はそうは思いませんね。今だって、洋一様は私の生殺与奪権を握っておられるでしょう?」
……そんなもの握った記憶は全くないが、これはあれだ、俺の元世界知識が過剰に高く評価されているのだろう。あと、妹のためならなんでもすると決めて行動してきた事や、新王国の国王就任を断った事も影響しているのかな?
ああ、ライナさんの信頼を得て配下にしているのも大きいかもしれない。なるほど、それはある意味エイナさんの生殺与奪権を握っていると言える。
「俺はエイナさんに大切な妹の命を救ってもらいましたし、他にも色々と助けてもらったので大いに感謝していますよ。それだけでは不足でしょうか?」
「洋一様。その言葉はお姉様になら響いたでしょうが、私に向けるのは見当違いというものです。私は過去の恩義など全く信用しておりません。人間、目の前の利害のためには過去の大恩など藁クズのようにたやすく捨て去ってしまうものです。私は何度もそういう人間を見てきましたし、歴史を紐解いてみてもそういった事例は枚挙に暇がありません。ですから私は過去ではなく、今と未来に影響を与えうる要素が欲しいのです」
おおう……エイナさんはなんか、そういう世界で生きていそうだよね。
だからこそ、清廉で純粋なライナさんに惹かれるのだろう。
そして俺も、妹の安全がかかった状況なら過去の大恩を捨て去るに違いない。
たやすくではないと思うが、結果は同じ事だ。
エイナさんはそんな俺の内面を見抜いているのだろう。
……しかしこれ、どうしたものだろうか?
エイナさんは今、俺と二人だけの秘密を欲している。
ロマンチックな言い方をしたが、実際はお互いの大切な人。俺の場合は妹に知られたら一生軽蔑されてしまうような、そんな二人だけの秘密だ。
一生軽蔑……されるかな?
ライナさんはともかく、妹の方は最近の様子を見ていると、万単位の帝都市民が死んでしまっても『戦争だもん、仕方なかったんだよ。お兄ちゃんは悪くないよ……』とか言って肯定してくれそうな気もする。
それはそれでどうなんだと思うが、ありえないとも言い切れないのが怖い所だ。
あ、でも薬師さん辺りはすっごい怒りそうだな。なるほど、エルフさん達に嫌われてしまうのは大変困る。
エイナさんとしてはこんな話を持ちかけてくるくらいだから、帝都攻略には別の方法で自信があるのだろう。本当に十日熱の病原体を使ってしまったら、この秘密共有にはなんの意味もなくなってしまう。
『二度とお姉様を失望させるような事はしたくない』とも言ってたしね。
しかし勝算をお持ちなのは結構な事だが、取引の方はどうするべきだろうか?
俺はじっと、エイナさんの様子をうかがってみる。
いつも通りの無表情……に見えるが、どこか違う空気も感じる。
これは薄いけど、以前ライナさんに怒られた時と同じ空気だ。
という事は今、エイナさんは脅えている?
にわかには信じられないが、俺もそれなりに長い期間エイナさんを見てきている。
ライナさん以外では一番色々な表情を見てきた存在のはずなのだ。
そして、俺が知る限りこの世界で一番頭のいい存在に脅えられるなど、大変よろしくない。
ライナさんに対しては嫌われたくないという脅えだったが、俺に対しては多分警戒心からくる脅えだろう。
それは下手をしたら、俺を排除しようという思考にもつながりかねない。いかんいかん、危険すぎる!
「わかりました、俺も一枚噛みましょう」
その言葉に、ふっとエイナさんが緊張を解いたのがわかった。これだけでもかなり珍しい光景だ。
警戒心、多少なりとも解けたかな?
俺は十日熱の病原体による攻撃計画書にエイナさんと並んでサインをし、エイナさんのテントを出た。
香織達がいる場所へ戻ると、妹とライナさんがなにか話をしている所だった。
「香織様、どこへ行っておられたのですか心配しましたよ」
「ごめんなさい。ちょっとお手洗いにだったんだけど、迷っちゃって……あ、お兄ちゃん。ご飯できてるよ!」
俺の姿を見つけた妹が、嬉しそうに手を振って呼んでくれる。
戦争が始まったら、妹はゆっくり料理をする事もできなくなるだろう。
穏やかな時間は当分来ないかもしれない。
なので今は、貴重なこの時間を存分に堪能しよう。
俺は妹に手を振り返し、食事が並ぶ簡易テーブルへと向かうのだった……。
大陸暦423年11月2日
現時点での大陸統一進捗度 4.0%(パークレン鉱山所有・旧マーカム王国領大森林地帯・ファロス王国に密かな影響力)
解放されたエルフの総数 44万8377人
内訳 鉱山に29万9077人(25万人は森に避難中) 大森林のエルフの村1112ヶ所に13万2318人 鉱山に移送中の山エルフ7174人 リステラ商会で保護中の沼エルフ9808人(内一人は鉱山に滞在して山エルフと情報交換中)
旧マーカム王国回復割合 95%(南東部の一部を残すのみ)
資産 所持金 605億4709万
配下
リンネ(エルフの弓士)
ライナ(B級冒険者)
レナ(エルフの織物職人)
セレス(エルフの木工職人)
リステラ(雇われ商会長)
ルクレア(エルフの薬師)
ニナ(パークレン鉱山運営長)




