135 それぞれの望み
真夏の暑い日差しの中、戦いの準備と訓練が忙しく進められている。
そんな最中の8月5日の夜、俺は『大切な話があるので一人で来て下さい』とエイナさんに呼び出された。
一人と言っても妹は必ずついてくるし、それはエイナさんも承知の上なので、この場合の『一人で』とは、ライナさん抜きでという意味だ。
なんか言葉の意味がおかしくなりつつあるね。
指定された小部屋に三人だけで集まり、ファロス大公家特別相談役にして、マーカム王国滅亡から新国家樹立までの筋書きを描いた首謀者でもある、エイナ・パークレン旧マーカム王国子爵が手ずから淹れてくれたお茶をいただく。
隣では、妹も同じようにティーカップに口をつけていた。
エイナさんは睡眠不足のせいか、少し顔色がよろしくなく、目つきも怖い。エイナさんが用件を切り出す前に、妹が言葉を発した。
「エイナさん、このハーブだともっとお湯の温度を高くして長時間抽出するか、細かく砕いてから使うともっと香りが出るよ」
……うちの妹、相変わらず怖いもの知らずだな。
エイナさんは基本表情が変わらないから、怒っていてもわからない怖いタイプなのに。
「……最近薬の調合をやっていないもので、腕が鈍りましたかね」
「あー、薬草を煎じるのとお茶を淹れるのってちょっと似てますもんね。でも疲れているからじゃないですか? このハーブには疲労回復の効果もあるそうですから、よく抽出して飲むといいですよ。わたしが淹れ直しますね」
「申し訳ありません」
「いえいえ、お気になさらず。あ、そういえばライナさんはあまり香りが強いの好きじゃないみたいだから、ライナさんに淹れる時はちょっと短い時間にするといいかもしれませんよ」
「……覚えておきます」
エイナさん、今一瞬目が光ったな。お姉ちゃんの事に関してだけは分かりやすい。
「あ、お話邪魔しちゃってゴメンお兄ちゃん。エイナさんも」
妹はそう言うと、お茶を淹れなおす作業に取りかかる。
固い空気を感じて妹なりに気を遣ってくれたのだろうか? エイナさんの目つきが少し穏やかになって、話しやすい感じになっていた。
エイナさんは改めて俺に視線を向け、いつもの感情の感じられない声を発する。大切な話とはなんだろう?
「洋一様、王になる気はありませんか?」
「ぶっ! ゲホッ! ゲホ!」
危うくお茶を吹きそうになった。
妹が背中をさすってくれ、俺の呼吸が落ち着くのを待ってエイナさんは話を続ける。
「実は、新しく国を作るに当たって新王が決まっていないのです。戦いを率いる象徴にもなる存在ですから、今のうちに決めておかないといけなのですが」
ハーブティーの時と変わらないトーンで話すエイナさん。だがその内容の重大さは桁違いだ。大切な話すぎる。
「な、なんで俺なんですか?」
「順当に行けば大公閣下なのですが、お願いしたら『嫌じゃめんどくさい。わらわの望む所は、自由な立場で研究だけに集中できる環境である』と断られてしまったのです」
ああ、なんか言いそうではあるな。
「私がやってもよいのですが……その、先日のお姉様との件がありましたから、あまり高い地位には就きたくないのです……」
エイナさんが言っているのは、先日ライナさんに怒られた時、『もし新しい国ができたら、貴女は宰相にでも納まろうと言うのですか?』と言われた事だろう。
あの一件はもう解決済みだと思うのだが、エイナさんにとってはトラウマらしい。
今でもその話を出しただけで、瞳に脅えの色が宿る。
それにしても、研究に負けたりお姉ちゃんに負けたり、この国の王座はちょっと軽過ぎないだろうか?
先代は兄弟で血みどろの内戦をやった気がするのだが……。
――とはいえ、ぶっちゃけ俺もやりたくない。
俺の望みは、妹を守ってなるべく安全快適に暮らす事なのだ。
理想は森の奥に引きこもってリンネに守ってもらい、薬師さんに健康管理をしてもらうような生活だ。
王様とか、政争だの陰謀だのてんこ盛りっぽいのでやりたくない。なんか危なそうだし。
「ええと、参考までに訊きたいんですけど、王様って命狙われたりしますかね?」
「はい。マーカム王国は18代続きましたが、うち四人は暗殺もしくは暗殺が強く疑われる死を遂げていますね。ああ、捕らえられて処刑された先王を含めれば、殺されたのは五人でしょうか」
おおう、けっこうな高倍率じゃないか。いかんいかん、断固お断りだ!
「……残念ですが、俺も遠慮したく思います」
「王になれば、権力も贅沢も思うがままですよ。国中の美味美食を堪能し、美女や金貨・宝石に埋もれて暮らす事さえ不可能ではありません」
それ完全にダメな王様の見本だよね?
そして、個人的に殺される確率三割近くの対価には見合わない。
お金は今持ってるだけで十分すぎるくらいだし、美食は妹の料理に勝る物はないと思っている。美女は……妹に軽蔑されそうだからダメだ。
……そうだ、一応妹の意見も訊いてみよう。
「香織はどうだ? 王様とか宝石とか興味あるか?」
「え? うーん……別にないかな。お兄ちゃんと一緒に暮らせるならなんでもいいよ。いざとなればお兄ちゃん一人くらい、私が養ってあげるから」
安定の返事だ、そして頼もしいな……。
妹の料理と裁縫の腕前だと、本当に養ってもらえそうなのが危険だ。せっかく引きこもりから脱出したのに今度は妹のヒモとか、俺の人生ダメすぎるだろう。
それはともかく、重ねて断る方向で決定だ。
「やはり遠慮しておきます。そもそも戦いの象徴になると言っても、急に出てきた俺なんかには誰もついてこないでしょうし」
「そんな事はありませんよ。マーカム王国の初代国王も、出身は無名の羊飼いだったといわれています。時さえ掴めば、戦いの場で勇ましい活躍をした話でもでっち上げて、後はその話に尾鰭をつけて広めれば、英雄なんて簡単に作り上げる事ができるものです。後は適当に箔を付ければいいだけです」
……でっち上げ話に尾鰭を付けるとか、偽造100%じゃないか。でもエイナさんが言うとホントにできそうだから困る。って、箔?
「箔ってどうやってつけるんですか?」
「一番手っ取り早いのは、有力者と結婚する事ですね。洋一様の場合だとファロス大公を正妻に迎え、私とお姉様と、他に生き残った有力貴族の娘を何人か側室に。できれば旧王家の生き残りがいると万全ですね」
ああ、なんか歴史物でよく見るパターンだ……って、あれ?
「ちょっと待ってください、今しれっとエイナさんとライナさんを混ぜ込みませんでした?」
「私を取り込めば色々と役に立ちますよ」
「いや、それはそうでしょうけど……なんでライナさんまで?」
「私の野望が、お姉様と同じ相手に嫁いで生涯を共にする事だからです。洋一様ならお姉様を大切にしてくれそうですし、お姉様も洋一様に好意を持っているようです。私の立場にも配慮してくれそうですから、申し分のないお相手かなと思いまして」
なんか言葉の端々(はしばし)に脅迫めいた物を感じるんですが……。
「ライナさんの好意は雇い主に対してであって、結婚とかする好意とは違うと思うんですが?」
「私の見立てでは両方ですよ。少なくとも、雇い主として以上に一人の人間として、洋一様を好ましく思っていると見受けます」
……ホントか?
そりゃライナさんに嫌われているとは思わないけど……。
「ええと……人間的に好ましいのと、恋愛対象として好ましいのって別なんじゃないですかね?」
「それはそうかもしれませんが、人間として好ましく思っていれば恋愛対象として好ましく思い易くもなるでしょう。貴族の結婚は基本的に家ごとの利益が優先され、本人の意思など考慮されない物です。だからこそ、夫婦共に他に愛人を作るのが認められているのですから。それを思えば、人間として好ましく思っているだけでも十分な加点要素です」
ああ、そういえばこの国の結婚制度ってかなり自由なんだっけ? 兄妹で結婚もアリとか聞いたな……って、いかんぞそれは。
「つまり、結婚と言っても形だけって事ですか?」
「他はそれで構いませんが、お姉様とだけはちゃんとした夫婦になって頂きたく思います。お姉様はああ見えて、お嫁さんとか母親とかに強い憧れを持っているのです。今までは私のせいで我慢をさせてしまっていましたが、お姉様が幸せな人生を掴む事は私のなによりの望みですから」
「……それで、相手が俺なんですか?」
「はい。私はきっと、もしも結婚相手がお姉様を泣かせるような事があったら、どんな手段を使ってでも殺してやると思うでしょう。先日それをやってしまった私が言うのかとお思いかもしれませんが、この感情だけは制御できる自信がありません。洋一様はこの国の権力者や金持ちには珍しく温和な性格ですし、利害を正確に判断できるお方でもあります。
私を手元に置いて使える利も、敵に回す害も理解しておられる洋一様なら、万に一つもお姉様を悲しませるような事はしないと信じております」
怖っ! 作ったような笑顔が余計に怖い。エイナさんがどんな手でも使ったら、この世界に殺せない人なんていないんじゃないだろうか? 100パーセント死亡確定である。
「……ライナさんが俺との結婚を悲しむ……というか嫌がる可能性は?」
「私の見立てではありませんね。私とお姉様を二人同時に寝室へ呼んで下さいと言ったら、その時は恥ずかしがって嫌がるかもしれませんが、それは嫌悪とは違いますからね」
「……エイナさん、ライナさんを性的な目では見てないんじゃなかったんですか?」
「それとこれとは話が別です。お姉様のかわいらしいお姿を見られるのなら、声が聞けるのなら、私はどこにだって行きますよ」
別…………なのか?
というか俺も恥ずかしいから嫌だわ……っていかんいかん! なんかエイナさんのペースに流されてる!
「ま、まあそれはともかく。俺は今の所結婚は考えていませんし、王になるのも遠慮する方向でお願いします」
「そうですか……無理強いする訳にもいきませんが、他に適任者もいないのですよね……。当面はファロス大公に無理を言って押し付けてみますが、気が変わったらお知らせください」
……エイナさんの言い方、これは全く諦めてないな。
俺を王にする事をというよりも、ライナさんと二人で俺と結婚する事をだ。
むしろ王云々はその口実だろう。
なにしろ一国を滅ぼす謀略を巡らせ、それを実行してしまうような人だ。自分の野望のために王座を利用するくらいは平気でやるに違いない。
思わぬ所から降って湧いた問題に、俺は頭を悩ませる事になるのだった……。
大陸暦423年8月5日
現時点での大陸統一進捗度 2.2%(パークレン鉱山所有・エルフ31万2127人→25万人を森に避難中)(パークレン子爵領・エルフの村967ヶ所・住民13万2318人)
※鉱山とパークレン子爵領(大森林)の状況は不明なので更新なし
旧マーカム王国回復割合 8%(南西部・ファロス大公領とその周辺貴族領)
資産 所持金 615億4841万
配下
リンネ(エルフの弓士)
ライナ(B級冒険者)
レナ(エルフの織物職人)
セレス(エルフの木工職人)
リステラ(雇われ商会長)
ルクレア(エルフの薬師)
ニナ(パークレン鉱山運営長)




