130 小休止
俺が目覚めた時、辺りは暗く、馬車は停止していた。
頭を上げると、じっと地図を眺めているエイナさんの姿が映る。
視線を感じたのか、こちらを向いたのと目が合ったので訊いてみると、今は7月10日の明け方近くだそうだ。半日以上もぐっすり眠っていた計算になる。
外を覗いて見ると、馬車は街道脇の草原に停止していた。
月明かりの中にもう一台の馬車が見え、交代で見張りをしているのだろう護衛の人がいる。
「……あれ、他のみんなは?」
「先に目を覚まされたので、香織様とお姉様にリスティも連れ立って、水浴びをしに行っています」
なるほど、夏の暑い時期に二日も馬に乗っていたので、体中が汗でベトベトの砂でジャリジャリだ。俺も後で水浴びをしに行こう。
今行くと覗きの現行犯で、主にエイナさんに殺されそうだから我慢だ。
馬に乗っている間ずっと触れ合っていたライナさんの体を。鍛えられて引き締まっているけど、どこか柔らかかった感触を思い出して、顔が熱くなるのを感じる。
…………いかん、話を逸らそう。
「そういえば、エイナさんは一緒に水浴びに行かなかったんですか?」
「私はさほど汗をかいていませんので」
「そうなんですか、ライナさんと一緒なら喜んで行くものだと思っていました」
あ、エイナさんが持っていた地図を置いて、なんかジトッとした目をこっちに向けてくる。
「洋一様は、私をなんだと思っているのですか? 私はたしかにお姉様の事が大好きですが、性的な対象として見ている訳ではないのですよ」
「あれ、そうなんですか?」
「……私にとってお姉様は、姉であり母であり、時に父であり教師でもあった人です。私は文字の読み書きから一般常識、基礎的な礼儀作法まで全てお姉様から教わりました」
一般常識……はどうだろう? ライナさん、もうちょっと頑張れたんじゃないだろうか?
「私の中でお姉様は、この世界で最も尊く、頼りになって、かっこよくて尊敬できる。そんな存在なのです。私と二歳しか違わないのに、自分も幼くして両親を亡くして辛く寂しかっただろうに、いつも私に笑いかけて、無量の愛を注いでくれました。苦しい状況下で、私を守り育ててくれた恩人でもあります。
ですから私は、お姉様を失望させるような事だけは絶対にできませんし、したくありません……」
そう言って苦しそうな表情をするエイナさん。
この前ライナさんに怒られたのがよっぽどショックだったんだろうな……。
「……ん? あれ、でもエイナさんってよくライナさんと一緒にお風呂入ってませんでしたっけ?」
「――あ、あれは長い間離れていた後だったからです! 今回はしばらく一緒にいられるのですから、そんな必要はないのです!」
顔を真っ赤にして必死に弁解するエイナさん。これって多分、世界中で俺くらいしか見た事のない表情なんだろうなぁ……。
これ以上つつくのはかわいそうになってきたので、また話を変える。
「……これからの戦い、勝てますよね?」
急にシリアスな話に振ったが、エイナさんはいつもの感情の読めない表情に戻って答えてくれた。
「勝算は低くないと見ていますが、不確定要素が多いので現時点では断言いたしかねます」
エイナさんの物言いは慎重だが、俺はこの人が勝ち目のない戦いはしないタイプだと知っている。ライナさんも絡む事となれば尚更だ。
もちろん不測の事態が起きる事はあるだろうし、世の中にはどうやってもどうしようもない事もあるが、その時はその時で最適のアドバイスをくれるだろう。
「頼りにしてますよエイナさん」
「……全力を尽くしましょう」
エイナさんはそう言うと、膝の上に置いていた地図を再び見つめはじめる。
お、ちょっと照れてるかな?
まぁ、エイナさんはお姉ちゃんの事以外ではほとんど表情を変えないので、ギリギリわかる程度の変化があるだけでも、俺は気を許してもらっているのだろう。
そんなエイナさんをしばらく見つめていると、妹達が水浴びから帰ってきた。
「あ、お兄ちゃん起きたんだ。大丈夫、体痛くない?」
そう言って、前髪が触れ合うような距離まで一気に近寄ってくる香織。
水浴びの後で湿って艶っぽい髪が色っぽくて、なんかいい香りもする。なにこれ俺の理性が試されてるの?
「う、うん。正直まだかなり痛いかな、重度の筋肉痛だねこれは」
「――待ってて、薬を取ってくる!」
馬車を飛び出して薬師さんにもらった薬箱に向かおうとする妹を、慌てて呼び止める。
「いいよ、薬はこれから必要になる事があるかもしれないから」
「でも……」
「しばらくは馬車の中でじっとしてるだけだし、ホントに大丈夫だよ。ありがとうな」
薬師さんの薬は、これから先の動向次第で千金の価値を持つ。
特に痛み止めは用途が多いだろうから、なるべく温存したい所だ
「……わかった。じゃあ、わたしがマッサージしてあげるよ!」
「は?」
妹は『いい事思いついた』と言わんばかりの笑顔で、俺に迫ってくる。
「いやいや。いいよ、俺まだ体汚れてるし。それよりお前は大丈夫なのか?」
「私は平気だし、お兄ちゃんなら汚れているとか気にしないよ。遠慮しないで、ほらほら」
「ちょ、待っ……」
半ば押し倒されるようにうつ伏せにされ、上に妹が馬乗りになる。
体重を感じない所からすると腰は浮かせてくれているようだが、なんかヤバくないかこの体勢?
「んっ、こんな感じでどうかな?」
妹の指が腰から背中にかけて、順に圧をかけながら少しづつ移動していく。
「どう、お兄ちゃん気持ちいい?」
「う、うん……」
たしかに気持ちいいが、なんか変な気持ちになりそうだ。
エイナさんに助けを求める視線を送ったら、『私は少しリスティと話をしてきますので、ごゆっくりどうぞ』と言って馬車を出て行ってしまった。さっきの仕返しだろうか?
結局そのまま外が明るくなり始めるまで、一時間近くも妹のマッサージを受け、筋肉がほぐれたのか、緊張で逆に固くなったのかよくわからない状態でようやく解放された。
なんか、ドッと疲れたな……。
大陸暦423年7月10日
現時点での大陸統一進捗度 2.2%(パークレン鉱山所有・エルフ31万2127人→25万人を森に避難中)(パークレン子爵領・エルフの村967ヶ所・住民13万2318人)
資産 所持金 615億5258万
配下
リンネ(エルフの弓士)
ライナ(B級冒険者)
レナ(エルフの織物職人)
セレス(エルフの木工職人)
リステラ(雇われ商会長)
ルクレア(エルフの薬師)
ニナ(パークレン鉱山運営長)




