112 回復
俺が目覚めてから三日後の、11月21日。
薬師さんはドラゴンの秘薬の調合に二日かかったそうなので、リンネが薬を飲んでから四日目になる日。
ここ毎日の日課として病室のリンネを見舞っていると、不意にリンネの指がピクリと動き、かすかなうめき声を発した。
「リンネ!」
思わず病室にあるまじき大声を上げると、俺の言葉に反応するようにリンネの目がかすかに開き、エメラルドのようにきれいな、澄んだ緑色をした瞳が俺を捉える。
一緒にいた妹が、大急ぎで薬師さんを呼びに走ってくれた。
「よういち……さま…………」
弱々しく掠れた声だったが、リンネは俺の名前を呼んでくれた。思わず涙があふれてくる。
そこへ、妹に連れられて薬師さんが走ってきた。
「リンネ、私がわかるか? 耳は聞こえるか?」
話したい事は山ほどあるが、まずは診察が先だ。
薬師さんに場所を譲り、俺は妹と並んでそれを見守る。
「ルクレア……さん。はい、ちゃんと聞こえています」
「そうか。よし、目はどうだ? いきなり明るい外を見るのはやめておけ、私の姿が見えるか?」
「はい」
その後も薬師さんが次々に問診をし、体のあちこちを確認していく。
どの問いにも肯定的な返事が返ってきて、解かれた包帯の下からは白く滑らかな肌が姿を現す。
顔も、一番火傷がひどかった右腕の外側もきれいに回復していた。
「……驚くべき効果だな。あれほどの大火傷が、術式を施す事もなく完璧に治っている」
感嘆に満ちた薬師さんの言葉に、俺は思わずリンネの元に駆け寄った。
「リンネ……よかった……本当によかったよ…………」
「洋一……様」
リンネは少し驚いたようで、顔に戸惑いを浮かべている。無理もない、俺だって自分がこんな行動をとるとは思ってもいなかった。
戸惑いの後、柔らかい笑顔を見せてくれたリンネだったが、すぐなにかを思い出したようで、サッと表情を変える。
「ルクレアさん、もしかしてこれはドラゴンの秘薬を……」
「やはり知っていたか。うむ、そうしなければおそらくお前は死んでいただろう」
「そう……ですか……」
リンネは悲しそうにうつむき、強く唇を噛む……。
「お姉ちゃん、目を覚ましたって!」
と、その時。水汲みに行ってくれていたレンネさんが息を切らして戻ってきた。
レンネさんはベッドの上で体を起こしているリンネを見ると両目にいっぱいの涙を浮かべ、俺が空けた場所に飛び込んでくる。
「お姉ちゃん……よかったよぉ!」
この数日、俺以上にリンネの様子を心配していたレンネさんは姉に抱きつき、両手で力いっぱいリンネの体を抱きしめる。
「え…………?」
その感触に気付いたのだろう。リンネが戸惑いの声を上げる。
「お姉ちゃん、私の右手治ったんだよ。洋一様と、お姉ちゃんのおかげだって聞いた。ありがとう……でも、もうこんな危ない事はしないでね……」
レンネさんが目の前にかざして見せた右腕を、リンネはしばし呆然と眺める。
そして震える手を伸ばしたかと思うと、その手を取って存在を確認するように撫で、額をつけて泣きはじめた。
「レンネ……よかった、本当によかった…………」
まるで幼い子供のように、リンネは妹の右手を抱いて泣き続ける。
……俺が目覚めた日。薬師さんに呼び出されて告げられたのは、ドラゴンの心臓から採取した珠で、秘薬を三つ作る事ができたという話だった。
そして薬師さんは、真剣な表情でじっと俺を見ながら言った
「本来ならこの薬は、ドラゴンを倒す道具を開発したお前と、実際にドラゴンを狩ったリンネに半分ずつ権利がある。だが薬として調合した功績を鑑みて、一つを私に譲ってくれないだろうか? 私とリンネとお前で、一つずつだ」
薬師さんは真剣な表情のまま、さらに言葉を続ける。
「リンネは自分の取り分を、レンネの腕を治すのに使いたいと言うだろう。私もそうさせてやりたいが、それ以上にリンネの命を助けたい。と言うか、もう助けるべく薬を使ってしまった。そこで私の取り分をリンネに、リンネの分をレンネにとして、残りの一つはお前が好きに使う……という事で納得してもらえないだろうか? 私にできる事なら、どんな代償でも支払うから……」
薬師さんはそう言って、深々と頭を下げた。
薬師さんは元々すごい美人だし、白衣に眼鏡とか俺の好みにドストライクなので、正直じっと見つめられるだけでかなり動揺してしまう。
おまけにあの人間嫌いでツンツンした性格の薬師さんが、俺に頭を下げているのだ。
すごく動揺して思わずどんな要求でも飲んでしまいそうになるが、そもそも提案自体に異論がない。
むしろ、たとえ俺の取り分が二つにリンネが一つ、もしくはその逆であったとしても、二つの使用先は同じになったと思う。薬師さんを含めて三人で一つずつにしても、結果はなにも変わらない。
だが、リンネの分をレンネさんに、薬師さんの分をリンネにという提案は、さすが薬師さんは人の気持ちをよくわかっている。リンネの分をレンネさんにの方が、明らかにリンネが喜ぶよね。
「わかりました、では三人で一つずつにしましょう。代償はいらないですよ、俺だってリンネを助けたいですから。命もですが、精神的にもね」
「……ありがとう。これは一つ借りにしておく」
薬師さんは律儀にそう言ってレンネさんの治療に向かったが、俺にしてみれば貸し一つタダで手に入ったようなものだ。
その後のレンネさんの治療は俺も見学したが、薬を飲んでしばらくすると右腕の切断面に張っていた皮膚が破れ、そこから肉と骨がみるみる再生していった。
ちょっとグロテスクにも思える光景だったが、細胞の分裂再生能力が強力に活性化されたとか、そんな感じなのだろうか?
およそ一日でレンネさんの右腕は完全に再生したが、それなりの痛みと体力の消耗があったようで、半日ほどは安静にしているようにと言われていた。
本人はすごく弓を引きたそうに、うずうずしていたけどね。
ちなみに鑑定してみたら、弓術Lv6の採取Lv5になっていた。リンネと同じだ。
そういえばドラゴンも鑑定しておけばよかったなと思ったが、あの時はとてもそんな余裕はなかったからなぁ……。今思い出しても体に震えがくる……。
俺の取り分となったドラゴンの秘薬一つの使い道は迷ったが、ニナの左目を治してあげようと思って、ニナの元を訪ねる。
部屋で帳簿をつけていたニナに薬の説明をし、目が治るはずだから飲むようにと伝えたら、こちらを向いたまま高速で壁まで後ずさってしまった。
「わ、わたしなんかにそのような貴重な薬は恐れ多いです! わたしは火傷を治して頂けただけで、本当に十分ですから。これ以上の恩を受けたら、もう一生洋一様の前で頭を上げられません!」
必至な様子でそんな事を言われて、全力で遠慮されてしまった。
……ニナは最近やり手の鉱山運営長として采配を振るっているし、今回俺が留守にするにあたって経理全般を任せたが、それもしっかりとこなしてくれた。
最初に会った時と比べると見違えるほど明るく活動的になり、よくしゃべり、よく笑うようにもなった。
最近は仕事が忙しすぎて疲れ気味だったけど、それでもニナは活き活きと仕事をしている。
巧みに馬車を操縦し、行商人と互角以上に渡り合って値段交渉をし、リステラ商会の人達と情報を交換し、近くの村人と笑顔で談笑している姿を見ているので、立ち直ったのは間違いないと思う。
薬師さんが忙しかったので延期になっていたが、最初の手術から三年が経つので、状況が落ち着き次第、ニナの成長にあわせて皮膚の張り具合を調整する小手術をする事になっている。
ニナはそれにも、『頂いているお給料から謝礼をお支払いします』と申し出てきた。
最初はいらないと言ったのだが、ニナがどうしてもと言うので受け取る事にし、薬師さんと相談の上、ニナの給料4ヶ月分に相当する120万アストルとした。
てっきり遠慮からだと思っていたのだが、考えてみれば、あれはニナが成長した証だったのかもしれない。
自分が働いて稼いだお金を、自分の体の治療に使う。なるほど、すごく充足感が得られる行為だろう。
守られ助けられる存在から、自立した一つの存在として自己を確立する柱にもなっているのだろう。
まだ子供だと思っていたし、実際12歳の女の子なのだが、ニナは確実に一人の大人として成長を遂げているのだ。
父親代わりの俺としてはとても嬉しく、なんかちょっと泣きそうになってしまう。
「そうだ洋一様。それより資金の事なのですが……」
俺が感慨に浸っている間に、真剣な表情になって仕事の話をはじめるニナ。
本当にもう、秘薬を必要としていないのかもしれない。
ならばと、俺は秘薬を大切に持っておく事にした。
いつか、俺の大切な人の身にもしもの事があったりするかもしれないからね。
ニナには、妹に頼んでもっと大人びた、かっこいい眼帯を作ってもらおう。
大人の女性にふさわしい、なんかこういい感じの奴を……。
大陸暦422年11月21日
現時点での大陸統一進捗度 2.2%(パークレン鉱山所有・エルフ35万9676人)(パークレン子爵領・エルフの村504ヶ所・住民8万4701人)
資産 所持金 5億2063万(-2億1004万)
配下 リンネ(エルフの弓士) ライナ(B級冒険者) レナ(エルフの織物職人) セレス(エルフの木工職人) リステラ(雇われ店長) ルクレア(エルフの薬師) ニナ(パークレン鉱山運営長)




