第八十七話
倒れたセツを庇う形で下級悪魔と彼女の間に割り込んだ。お互いに先手を取るつもりは無く、何時しか睨み合うようになった。その際、俺はじっくりと下級悪魔の身体を観察させてもらった。
やはり目の前の個体は先程に見えた宙に浮かぶ個体と同じシルエットを持っている。こいつの全身は鎧みたいな外骨格に覆われた事にも関わらず、胸元を横断するほどの深い切り傷が刻まれた。それはどう見ても遠い昔で負った傷ではない。かと言って、そこら辺の冒険者はその外骨格を斬り裂ける程の膂力を持つ者は居ない。
『……となると、ギルドマスターが付けた傷か?』
『いや、それを付けたのはセツだ。彼女の魔力が僅かに傷口から漏れている』
『へぇ~もう魔法を扱えるようになったのかぁ……これなら彼女の復讐も夢じゃないね』
『そうですね!でも殆どセツさんを教えたのはレヴィさんですから、この先の成長が楽しみです!』
イジスの言う通り、俺達と一緒に訓練し始めてから二週間も過ぎていない内にもう魔法を使えた。レヴィの事だ、ただ魔法を教えた訳が無い。恐らくセツにだけ使える独特な魔法や戦術をも教える筈だ。う~っ!こうやって想像しただけでワクワクが止まらない!
『はしゃぐ気持ちは分かるが、先ずは目の前の敵に集中して?』
おっと、そうだったな……でも流石に素手でその外骨格を壊せないと思うし、ギルドマスターが居る所で冥獄鬼の鎧骨を使うのも色々怪しまれるし……
仕方ない。ならとことん俺の実験に付き合ってもらうぞ?
「≪火の銃弾≫」
「――!」
本来であれば、正面から睨み合う現在での不意打ちはあんまり効果は無い。だけどこの下級悪魔は何か妙に俺の足元、もとい倒れたセツを警戒している。よっぽど自分の外骨格に自信を持っていて、それを斬り裂いたセツを危険視してのか?それとも魔法が使える獣人族に興味を湧いたのか?
ともあれ、この隙を利用しない手は無い。どれだけ一つのモノに集中しようとも、生物である限り、それが途切れる瞬間が必ず訪れる。ましてや俺とセツの二人に注意力を分けた下級悪魔にとって、それが起こる確率は数倍増した。
膨大の情報量で引き起こされた頭痛を堪えながら、その瞬間を≪看破の魔眼≫で捉えた刹那に下級悪魔の顔目掛けて魔法を撃った。それを咄嗟に片手で防げたはいいものの、銃弾の威力を完全に相殺できずに弾かれた。
驚愕する悪魔を無視して、≪縮地≫で彼の胸元へ潜り込んだ。悪魔の視線は弾かれた腕の勢いで仰向けに成り、その死角を利用し、魔法を発動した。
「振動なら防げないだろう!≪激震裂:弌撃≫!」
握り締めた右手に≪強化魔法≫と≪振動魔法≫を重ね掛けて、セツが負わせた傷の辺りを殴った。拳が外骨格に接触した瞬間、横一文字の傷口から無数の亀裂が走り、骨や臓物などを軋む感覚が伝わってくる。恐らくその一撃で肺を潰されたのか、下級悪魔は悲鳴すら上げる暇も無く、後方へ吹き飛ばされた。
『油断するな、あいつはまだ生きているぞ』
「分かっている。≪激震裂:弐撃≫!」
態勢を直す時間を与えない追撃を放った。未だ着地していない下級悪魔の顔面にさっき同様の魔法を掛けた右足で蹴った。確か空手にも似た技を使った気がする。名前は……踵落とし、かな?
――ドーン!
魔法の二重掛けた踵落としを顔面でもろに受けた下級悪魔の頭部は地面と激突した。轟音と共に直径一メートル弱のクレーターが抉られた。あまりの衝撃で頭が派手に破壊されたのはいいものの、周囲に大量の血飛沫が盛大に飛び散った。幸い風の障壁の展開に間に合って、返り血を防げた。
「ふぅ~流石に頭を潰されたら死ぬよな?」
『大丈夫、もう絶命した』
『これで残りの下級悪魔はギルマスさんと戦っている一体のみですね』
「だね。んじゃ、ギルマスに加勢する前に、一旦セツの容体を確認するか」
一応セツの事も考量に入れて、敢えて距離を開けて戦っていたけど……う~ん、やっぱり心配だね。万が一、俺が離れたところでセツに手を出す輩が居たらイリアが知らせるから、残る心配事は俺の攻撃の余波だけ。距離を開けたと言っても、せいぜい十数メートルしか離れて居ないから駆け足ですぐにセツが居る場所まで戻れた。
「おっ、マスターお帰り~」
「もう終わったのか?」
「えへへ、楽勝!」
そこにはもうレヴィがセツの隣で座って、俺を待っていた。元居る場所からここまで来るには焦って一、二分は掛かる。なのにレヴィは疲労や息切れが無いし、彼女の口調から察するに、もうここでそれなりに待っていた。
「それはそうと、マスターの攻撃は結構凄かったよ!」
「これでもお前らに鍛えられた事は事実だ。元天使と大罪悪魔の三人がかり、上達しない訳が無い」
「中々嬉しい事を言うじゃないか。ああ、そうだ。もう霧の事は心配ないよ、私が倒せた個体が霧の術者だ」
「そう言えば、いつの間にか霧が消えたな。ギルマスも心配無さそうだし、ここでモンスター達が制圧されるまで一休憩しますか?」
――ゴォォォン!
レヴィとの会話の間に突如、一閃の雷が俺達の反対側に落ちた。この魔力は言うまでも無く、ギルドマスターの魔力だ。どうやらまだ決着が未だ付いていないようだ。そして――
「はっ!」
――っという声が雷が落ちた方角から聞こえた。次の瞬間、下級悪魔と思われるシルエットがその付近の巨木と激突した。この距離ではっきり見えないけど、どうやらその下級悪魔は右腕を失ったみたいだ。その後からギルドマスターが悠々と、下級悪魔の方へ歩いた。
「ッ!?」
どう見てもギルドマスターの勝利は揺るがない状況に、件の下級悪魔に異変が起きた。凄まじい量の魔力が突如噴き出したのと同時に、あいつの足元に数メートルをも及ぶ巨大な魔法陣が浮かべた。その魔方陣を見たレヴィの顔が険しくなり、俺にこう告げた。
「まだ休憩は出来ないよ、マスター」
「……ああ、そうらしいな」
レヴィに継ぎ、俺は異変が起きた下級悪魔に最大限の警戒と注意を向けた。どうやら、この乱戦はまだ終わり気配はないみたいだ。