第八十六話
【レイの視点】時間を少し遡って――
ギルドマスターの登場から数分後、戦場に薄紫色の霧が漂い始めた。周りの冒険者の容体を察するに、この霧は即時効果は無く、もしくは特定の条件を満たした者にしか効果かが無い。最悪の場合は条件では無く、特定の人物のみ効果を発動する。
『……ほう、これは珍しい。レイ、これは吸魔の霧と言い、毒魔法の一種だ』
『毒?』
『ええ。もっとも、それは霧の範囲内に居る者から魔力を吸い取る魔法で、毒と言うのは些か適切ではないけどね』
『じゃ、何で毒魔法なの?』
『一応魔力切れの被害者の身体を蝕み、傷の治療や魔力の回復を遅くする効果もあるから』
『えっ!?何それ、結構強いじゃん?』
『本当にそう思うか?』
意味深に少し間を置けたイリア。この霧が強くない、のか?魔法に掛かった者の魔力を奪い、しかもその者達の回復を妨害する効果もある。霧だから広範囲に広がるし、持久戦にもってこいの魔法だ。なら何故イリアが……あっ!
『……無差別か?』
『ええ。霧の範囲内に居る者から魔力を吸い取る効果の魔法。当然その霧の範囲内に居るば、敵味方関係なく影響を受ける。しかも魔力を吸い取る速度はそこまで早くない上、回復阻害効果は一旦対象の魔力を切らないと発動しない』
『なるほど。魔力量が少ない者にしか効果が無い』
『圧倒的な戦力差が無いと、ほぼ使い道のない魔法だ』
道理でイリアがああいう反応を示した訳だ。これは確かに使い道が少ない。なら、今ここでこの魔法を発動するメリットが無い筈。この魔法を使う目的が有る?いや、もしこの魔法を使わないと術者の目的を達成できない?それとも敢えて珍しいかつ、効果の薄い魔法を掛ける事で冒険者達を困惑する心理戦か?……うん、これは無いな。
『なぁ、この霧を掛けた術者って何処に居るか分かる?』
『うん。ほらそこ、あの宙に浮かべている奴』
『宙に浮かべる……?って、うわっ!本当に浮いている!?翼が生えた……人間?』
イリアのスキルが指示した方角の空を見上げると、そこにはまるで蝙蝠みたいな翼が生えた人型のシルエットが戦場を見下ろす感じで浮いている。
「違うよ?あれは人間じゃ無くて、下級悪魔」
突如背後から聞き慣れた声が聞こえた。振り向くと、そこには自身(剣モード)を持ったレヴィが立っていた。傷や返り血どころか、彼女は息切れすらしていない。まぁ、それも当然か。レベル無限のレヴィにとって、これらのモンスターがいくら束ねても足元にすら及ばない。そんなレヴィが涼やかな笑みを浮かべながら言葉を続いた。
「簡単に言うと、あいつらは神代大戦時の雑兵に過ぎない。個としての特徴が薄く、他の悪魔に比べても能力が低い」
「そんな下級悪魔が何故ここに?」
「さぁ?誰かに命令されたじゃない?」
レヴィはごく当たり前の事みたいに、さりげなく語った。まぁ、考えれば当然だけど……いざこうして、他人の口からその事実を聞くと、妙に不安を煽られた気がする。
『レイ、そんな悠長に居てられる場合じゃないぞ!』
いきなり切羽詰まったイリアの念話が脳内に響いた。
『二体の下級悪魔がセツの方に向かっている!』
『こいつ一人だけじゃないのか!?』
『マスター、セツちゃんの所に行ってあげて!一体なら兎も角、二体の下級悪魔は今のセツちゃんにとってはちょっと厳しい相手です!』
『分かった。でもそいつは?』
念話でそう言いて、俺は目の前の下級悪魔を指差した。
「そいつなら私に任せて、マスターはセツちゃんを助けて」
「……ありがとう」
それだけを言い残して、俺はその場を後にした。しかし、その時の俺には知らなかった。その場に取り残されたレヴィが――
「ふふふ、折角マスターに良いところを見せるチャンスだから……同じ悪魔だけど、私とマスターの踏み台として、容赦はしないわよ」
――っと呟きながら魔法陣を展開した。
~
イリアのスキルを頼りに、俺はセツが居る場所を目指した。生い茂る樹々のせいで全力疾走が出来ない。かと言って魔法で森全体を破壊することも出来ないし、他の冒険者に見つかるリスクが高い風の足場も使えない。遠距離からの魔法に依る狙撃と言う手も有るんだけど、いかんせん俺は繊細な魔力のコントロールが苦手で、セツに当たる可能性がある。
「クソ、何でよりによってセツの所にッ!?」
焦りで悪態を吐きつつも、素早く樹々を避けながら走りつつけたらいつの間にか少しばかり広げた場所に出た。
「セツ!」
地に倒れたセツを見て、俺は思わず彼女の名を叫んだ。すぐさま彼女の元へ駆けつけて、傷具合をチェックした。
「……良かった、大した傷は無さそう――」
「よう、少年。その娘の仲間かい?すまんが、早くここから離れてくれない?流石の俺も怪我人を庇って、二体の下級悪魔を相手にするのは厳しい」
「――って、ギルドマスター!?」
セツの容体に注意を向けたせいで、少し離れた場所で二体の下級悪魔と戦っているギルドマスターに全然気付かなかった。
「……ギルマスがセツを守ったか?」
「有望の新人を失う訳にはいかないからな」
戦いながら俺と会話を交わすギルドマスター。全然余裕が無いには見えないなんだけどなぁ……でもまっ、一応ギルドマスターがセツを庇ったのは事実だ。
「悪いが、俺はそいつらに返したい借りが有るんだ。ここで引き下がる訳にはいかないんだ」
「馬鹿を言え!下級悪魔はそんな簡単に倒せる相手じゃないぞ!」
「心配するな、こう見えて実力に自身が有るんだ」
「…………」
「ならこうしない?もし俺がそいつらを倒せたら、依頼達成の報酬金の量を上げてね」
「ははは!良いだろう、そこまで言うのなら見せて見ろう。最初に言っとくが、俺は手出ししないぞ?」
「……上等だ」
よし、交渉成立!これで暫く生活費は安泰だな。さて、セツの仇でもとるか……