第八十五話
退路は空から降りてきた下級悪魔により塞がれた。所々から刃物みたいな突起物が生やした黒灰色の外骨格が細長い四肢と胴体を纏っていた。顔は人間の骸骨に似てた仮面を被っていて、眼球の所は不気味な紫色の微光を放っている。
見た感じでは言葉を通じる相手ではない。そもそも下級悪魔って、言葉は理解できるかも分からない。この戦場を占められるモンスター達と違い。下級悪魔への実戦経験も無い上、父さんにも教え貰えなかった。だから迂闊に攻撃を仕掛けない、少なくとも下級悪魔の能力を判明する前は。
どんな生物でも得意と不得意なモノが存在する。悪魔でも例外ではない。だからそれらを暴く前は極力正面からの衝突を避けたい。その時までは体力を温存したい。出来ればギルドマスターがもう一体を仕留めるまで、もしくはご主人様かレヴィ様がこっちの状況を気付くまでの時間稼ぎにもなる。
「フフフ。何ダ、攻メテ来ナイカ?」
無言で睨み合う二人。その静寂を破ったのは悪魔の嘲笑混じりの言葉であった。その口調は明らかに私を挑発している。
私の攻撃を待っている?……カウンター狙いか?いいや、この段階で断定するのはまだ早い。下級と呼ばれても言語を扱える個体。それなりの知性が有る筈だ。二重罠への誘導か、それとも自分の力は決して私より劣らない確信でもあるのか?
「ホ~ラ、ドウシタ?遠慮ハ要ラナイ」
「…………」
両腕を広がって、高々と宣言した下級悪魔。だけど私にその挑発は通じない。下級悪魔を命懸けに倒す必要は無い。故に私は沈黙を選択する。
「来ナイカ?折角チャンスヲクレタノニ、残念だダ」
仮面に隠された表情の変化は見えなくとも、その心境は高揚から落胆への変化は口調で察しがつく。次の瞬間、目の前の悪魔の姿が消えた。その直後――
「ッ」
――背後から風切り音が響いた。振り向く間もなく、咄嗟に前転したことにより、振り下ろした黒灰色の斯き爪を躱した。
態勢を整える暇を与えない為、私は即座に二本の投げナイフを前転の最中で取り出して、背後へ投げた。
「チッ」
そう、貴方はそうするしかない。片手が攻撃の為に振り下ろしたモーションの最中にいる。もう片方の手だと低角度から投げられたナイフを弾けない。よって、悪魔は降り下ろす右手を剣を弾くために振り上げた。
下級悪魔の皮膚の強度は未知数。正直、投げナイフで傷付ける自信は無い。それでも、二本の内の一本は悪魔の目を目掛けて投げた。生物の眼球は体の最も柔らかい部分の一つ。そこなら刃は通れる筈。もしそれが通れないとしても、目眩ましや動揺を引き起こせる。
そして今、振りかざされた右腕は〝かんせい〟で再度振り下ろすまでには少しのタイムラグが生じる。その隙は見逃さない、無防備になった胴体を斬るチャンスを絶対に見逃さない!
「――ッ!」
地を踏む足に力を込めて、今の私で出せる最速で悪魔へ駆けた。一瞬で間合いを詰められた悪魔の胴体を横一文字で斬った。案の定、悪魔の胴体は硬い外骨格に覆われたせいで浅い切り傷しか出来なかった。
「惜シカッタネ。所詮貴様ノ力ジャコノ程度ノ傷シカツケナイ」
「…………」
斬り付けた瞬間にサイドステップで距離を離した私は自分が付けた切り傷を観察した。私を嘲笑う下級悪魔。知っているよ。貴方の外骨格は硬いって事は軽々と投げナイフを弾けた時点である程度の目星はついていた。だから私はレヴィ様直伝の技を使った。
「良イ余興ダッタゾ。ソノオ礼ダ、痛ミヲッ――」
話の途中に胸元を片手で抑えながら膝を突いた下級悪魔。その指の隙間から僅かに細氷が漏れ出した。立ち上がろうとする下級悪魔は胸元を抑える手を太ももの辺りに移った事で、何とか立ち上がった。元々数センチにも及ばない浅い切り傷が胸元を横断する程の深い傷に成った。
そんな重傷を負った者は本来は、大量の血飛沫が傷口から噴き出す筈。しかし目の前の下級悪魔の胸元から一滴の血も流れていない。その代わり、胸元の傷口の周辺は霜に覆われた。
「貴様、何ヲシタ!?」
「……凍らせた」
「ナニ?」
「確かに貴方の外骨格は硬い。私の膂力ではさっきみたいな掠り傷しか負わせない。でもその外骨格の下からの攻撃なら容易に破壊できる」
「…………」
今度言葉を発しない人物は私の説明を聞いた下級悪魔であった。その仮面の下はきっと困惑の表情を浮かべているに違いない。
「だから私は切り傷に氷結魔法を掛けた。氷結魔法で生成された氷の結晶は傷口から侵食する。周りの物を凍って、結晶自身の大きさも段々増していく。やがて大きくなり過ぎた氷は体内部に収まらず、身体の外へ弾け飛ばした。今回は心臓から離れたせいで一命を取り留めたけど……安心して、次は外さない」
「馬鹿ナ……獣人族ノ貴様ガ魔法ヲ使エル訳ガナイ!」
そう。下級悪魔の言葉は正しい。本来獣人族は魔法を使えない種族。私は魔族の血を引いた半魔であるから魔法を使えた。しかし、数日の訓練を経て、とある発見が有った。それは、私はご主人様みたいに、魔法を長距離に飛ばせない。
それだと魔法が使えないとほぼ同義。だからこの致命的な弱点を補う為、レヴィ様は――
――〝武器に魔法を纏えば良い〟
っと、あっさりと言い出した。至極当たり前の事を言ったレヴィ様の言葉は私に答えを導き出した。魔法使いに放たれた魔法より早く、魔法を纏った武器で攻撃すれば良い。それが私の答え。獣人族の身体能力なら不可能ではない、半魔の私だから使える戦法。
「……それを答える義理は無い」
足に力を込めて、再度攻撃を仕掛けようとする瞬間――
「くっ!」
――いきなり全身から力が抜けた。
何だ、この脱力感はっ?短剣を握る力も残っておらず、私はその場に倒れた。……これが、ご主人様が言っていた魔力枯渇の症状か?
「フフフ。ヤット効果ガ出始メタカ……」
「……何を、した?」
倒れ込んだ状態で見上げて、未だに足取りが不安定な下級悪魔が私の方に歩いた。
「コノ霧ヲ吸っタ者ノ魔力ヲ奪ウ、呪イノ霧。魔法ヲ使エバ使ウ程、霧ノ餌食ニナリ易イノサ」
「…………」
「獣人族ノ貴様ガドウヤッテ魔法ヲ使エタカハ分カラナイガ、所詮所持スル魔力量ガ少ナカッタ」
何時の間にか目の前まで接近した下級悪魔。やばいな、瞼が重い……こうやって意識を保つのも精一杯だ。……クソ、復讐はまだ始まったばかりと言うのに。折角ご主人様に出会えて、復讐をする為の力を手に入れるのに……
「ごめん、レヴィ様。ごめん、ご主人様……ごめん、父さん――」
「アバヨ、獣人族ノ娘ヨ」
消えゆく意識の中、朧げに下級悪魔の呟き声が聞こえた。ああ、上手く聞き取れないな。下級悪魔の声に混じってた懐かしい声。誰の声だろう?
「…………」
こうして、複数の声が私の頭に響いているなか、私の意識は暗闇に沈んだ。