第六十六話
『――レイ、起きて』
「う、んぅ~~」
微睡みの状態の中でイリアの声が聞こえて、俺を覚まさしてくれた。重たい目蓋を開いた途端、半開きの窓から差し込む心地よい日差しが俺の顔面に直当てな状態であった。それは心地よい日差しとは言え、流石に起きたばかりだときつい。思わず手を目の前にかざして、目の辺りに日陰を作った。
「そうか。昨日、俺はこの椅子で……」
残りの睡魔を払うべく、俺は欠伸をしながら昨日の出来事を思い出せた。そしてベッドの方に視線を向くと――
「…………」
――昨日助けたフードの人が未だベッドの上ですやすやと眠っている。胸辺りの起伏の有無を確かめて、彼はもう命の危険が無いことを確認した。
「おはよう、レイ」
「おはようございます、レイさん」
「今日も一日頑張ってね、マスター」
「ああ、皆もおはよう」
『もうちょっと彼を休ませようか』っと考えて、いつの間にか後ろから実体化・擬人化したイリア達から朝の挨拶を交わした。何の変哲も無い、この一ヶ月で見慣れた日常だ。
「ねぇ、マスター。今日はどうする?」
「どうって………流石にこの人をここに放置する訳にもいかないし」
「かと言って、素性どころか、名前ですら知らない人を同行するのは無謀すぎる」
「「「「……………」」」」
「ま、先ずは朝食を食べましょうか?」
「……そうだな。ちょうど朝食が出来上がる頃だし。ついでにこいつの分も確保しよう」
そうと決まったら、再度イリア達が各々の実体化・擬人化を解いた。簡単な支度をし終えて、一応フードの人が起きた時に部屋から出れるよう、扉の鍵を掛けずに部屋から出た。一階後半辺りの階段まで降りたら焼きパンの良い香りが鼻腔をくすぐる。
それは何の肉も入っていない、ちょっと硬めな焼きパンだ。でも何かのスパイスがパンの生地に混ぜたせいか、焼き立てのパンからは朝一の食欲をそそる香ばしいを放つ。ここ一ヶ月弱で食べ続けたが、全く飽きない味だ。正直、昔の世界で部屋の中に籠って、数日徹夜でゲームする時に食べた保存食よりかは数倍美味しかった。
その後俺達はいつも通りに朝食の焼きパンを美味しくいただいた。腹拵えを済ませた俺達は女将さんにもう一人分の朝食を頼んだ。それを聞いた女将さんは不思議そうな顔でこっちを見ていたが、幸い娘さんから昨日の事を聞かれて、きちんともう一人分の朝食をくれた。
「女将さんの娘に感謝しないといけないな」
『そうだね。しかも多めにくれたし』
『フードさんもこれを食べて、元気になれるといいですね』
焼きパンが乗った皿を片手に、他愛も無い会話をしながら部屋まで戻った。
『あのフードの人、もう起きたかなぁ?』
『大丈夫、十分前でもう既に起きた』
そっか、なら安心だ。でも起きたら見知らぬ所にあったら、流石に警戒されると思うんだけどな。ん~どうやって接触すればいいんだ………
『元気に接してみたら?』
ああ、その手もあったか。確かにこっちが元気そうに話し掛けたら向う側も元気になる……のか?でもそれ以外の接し方も分からないし……仕方ないか。
そうと決まれば……手をドアノブに掛けて、出来るだけ元気に挨拶を……スゥ~
「よ!起きたか?これでも食ベテ――」
開かれた扉の向こうに見えるのは背の反対側を向いて、体に巻かれた包帯らし布を取ろうとする、ほぼ全裸な白髪の女性の姿であった。彼女の驚いた顔も肩越しでこっちを見ている。
「――すみませんでしたぁ!」
え?あれ?誰?ここって、俺の部屋だよね?もしかして部屋を間違えた?いや、幾ら俺がドアプレートの文字が読めなくても、一ヶ月弱同じ部屋に毎日出入りするから、間違わないと思うんだけど……
『ここが302号室に間違っていない』
『だよねぇ。だとしたら、その女性は一体……』
『何を言うんだ、マスター』
『そうですよ、レイさん。それはフードさんに失礼です』
『フードさん……………って、えぇ――!?あの娘がフードの人だと言うの!?』
『そうだけど……もしかしてレイさん、フードさんが女性だって事を知らないですか!?』
『………』
『そうらしいな』
『もう、レイさんて何時からそんな鈍感に成ったのですか?』
『………面目ない』
そう言えば、俺がフードの人を背負っている時に確か、背中に柔らかい感触があったような、無いような……いや、イリア達がフードの人が女性だってことを知っているんだから、その時は俺が訓練の疲労と、俺のパーカーと彼女のフードが厚かったせいだ。うん。
すぅ~、ふぅ~。気持ちの切り替え、切り替え…………よし、先ずは謝罪からだな。事情は何であれ、彼女の裸を見たのは事実だし。でもなぁ、流石に気まずいな。あの事件の後なら尚更だ。それでも、やるしかない!
もう一回深呼吸して、今度は扉を開けずる事では無く、代わりにノックした。
「………どうぞ」
扉越しに弱々しい返事が聞こえた。うう、何か緊張するな。今更だけど、俺は良く皿の上に載った焼きパンを落とさなかったな。我ながら感服するぞ!……って、何時まで現実逃避するのな、自分!ええい!ここは男として、緊張を見せるな!
「は、入るぞ」
ヤバイ。声が震える……前回と違って、部屋の中に居る人からちゃんと許可を貰った。でも、一応は入るっと宣言しておこう、一応ね。うん。
今度こそ扉を開けて、ベッドの向うに短刀を逆手に構える、さっきの女性の姿が目に映った。よくよく見れば、彼女は少し涙目とすこし紅潮した顔でこっちを睨んでいる。ああ、こりゃ警戒度マックスだ。そしてこの場の空気……これは何とかしないと!
「そ、そう警戒するな。俺は君に傷付かないから」
「………」
「ほ、ほら。朝食を持ってきたよ」
「………」
うう、完全に睨んでいる。俺が話し掛けても興味を見せない……この状態はどうしよう?っと悩んでいた時――
ぐぅぅ~
――と、意味深な音が鳴った。この音が鳴ると伴って、彼女の顔がさっきと比べに成らない程なまでに赤くなった。でもそのお陰で場の空気が砕けた。
「ほら食え。君の為に持ってきた朝食だ、味は保証する」
「………」
「そう警戒するなって、毒は盛って無いから」
空腹に耐え切れなかったのか、それとも焼きパンの香りに屈したのか。いずれにせよ、彼女は未だ俺を睨めているが、片手が焼きパンへ伸びた。それを恐る恐ると、鼻で匂いを確かめてから少し齧った。
そして、彼女の顔はまるで花が咲いたかの様に、一瞬で明るくなって――
「……美味しい」
――っと小さく呟いたことを聞き逃さなかった。そんな幸せそうに食べている姿を見ると、こっちも思わず笑みを零した。
「ああ、全部食べて良いぞ」