第百八十八話
【第三者視点】
『さて……』
念話でそう呟いたイリアはセツの身体を操って、霧の向こうにいる鰐型モンスターに突撃した。その敢行に対し、鰐型モンスターは口を大きく開いて彼女を待ち構えている。それを知ってても尚、イリアに操られたセツのスピードは落とすことは無かった。
『……!』
セツは伸ばした左手で掴んだ数本の魔糸を引っ張り、その先についている沼地が凍った氷の破片を失明した左目にぶつけた。しかし、二度目の事であって再び脳の近くへの痛みに少し怯んだものの、鰐型モンスターはセツを噛み砕こうとする行為を止める素振りを見せなかった。どうやらさっきの攻防でセツに追撃する機会を与えるのはまずいと学習したようだ。
が、鰐型モンスターのその抵抗はイリアにとっては予想内だ……
『学習したか……なら――』
すぐさま次の攻撃に移ったイリアは今度上方向、宙吊りの心臓に目掛けてセツを魔糸と遠心力の組み合わせで飛ばした。
「きゃあああ!い、イリア様ぁ!?」
『黙ってて』
警告も無しに自分を凄まじい勢いで飛ばされたら、流石のセツも冷静さを保てなかった。涙目になりながら悲鳴を上げるセツを無視しつつ、次々と釘付きの氷の破片を今に出も彼女を迎撃する為に跳び上がろうとする鰐型モンスターの左目投げた。
しかしながら、鰐型モンスターはそれらを避けるつもりは無く、全神経を飛んでいるセツを叩き落すことだけに集中している。そのせいでイリアが投げた氷片が全弾鰐型モンスターの左目に直撃し、そこから血液と思わしき黒い液体が凄い勢いで流れ出した。
『……なるほど』
「イリア様?」
『作戦変更よ、セツ』
「へ……?」
『舌を噛むなよ』
「えっ?ちょ――」
慌てて反論しようとするセツを再度無視したイリアは鰐型モンスターに氷片を投げた際に回収した十本弱の釘を再び周囲にばら撒いた。左目から血を流しながら跳び上がった鰐型モンスターを尻目に、セツはばら撒かれた釘の一本と繋ぐ魔糸を強く引っ張って、自らを鰐型モンスターの右側に引き寄せた。
鰐型モンスターも当然彼女の方に向いたけど、セツの身体を噛み砕ける前に、イリアは鰐型モンスターの頭上までセツを飛ばし、天井付近に張られた魔糸の一本に着地した。そこに一拍を置いて、鰐型モンスターが彼女の方に向くことを確認してから彼女の手元に残っていた二本の釘を投げた。
それとほぼ同時刻に、イリアに操られたセツは足元の魔糸を強く踏みつけて、今までに見せた身体を引っ張るのではなく、魔糸の張力を利用した簡易的なトランポリンで素早く鰐型モンスター右側に移動した。そしてそのまま予めに仕掛けた一本魔糸に着地し、同じ原理で跳躍した。今度は鰐型モンスターの前、つまり空中で真上に伸びきった鰐型モンスターの腹部から一直線数メートル先の魔糸に移動した。
『覚悟はいい?』
「うん」
『ふふ、よろしい!』
一秒も満たないやり取りを挟んで、セツはまるで引き絞られた弓から放たれた一本の矢の如く飛び出した。これまでとは比べ物にならないぐらいの速さで跳ぶセツに反応できる筈もなく、空中で硬直した鰐型モンスターの腹部よりやや上の部分に彼女が両手で握る短剣が突き刺さった。
――!!!
でもそれだけではまだ、鰐型モンスターを仕留めるには足りなかった。セツを引き剥がそうと声にならない悲鳴を上げながら暴れ始めた鰐型モンスターだが……
『今だ!』
「――はいっ!」
イリアの合図と共に、セツは彼女に残された魔力の大半を鰐型モンスターに刺さった短剣に注ぎ込んだ。眼球破壊の時と同じように、突き刺さった短剣の刃を通して直接に体内に魔力を流し込むことで魔力を喰う鱗の影響を受けずに体の内部を凍らせる。
『これでお終いよ!』
イリアの号令でセツの周りに張り巡らされた数十本の魔糸が一斉に動き出して彼女の身体に絡ませた。そして――
「ぐっ!」
――一気に下の沼地へ引き寄せた。
トォォォン!っと、凄まじい轟音を響かせながら派手に水飛沫を周囲に撒き散らした。いくら鰐型モンスターの身体を覆う鱗が硬いといっても、上空十数メートルから猛スピードで叩きつけられて無傷でいられる筈がない。そしてその衝撃は体内まで浸透して、セツに凍らせた内臓部分も見事に砕かれて、その身体に大きな風穴を開き、絶命した。
ほぼこの一撃で絶命した鰐型モンスターに対し、同じ高さと勢いで落ちたセツは多少息が荒くなったり、足取りがふらつくだけで大したダメージは負っていないのはイリアが彼女の身体に纏わせた魔糸のお陰だ。
勿論、ただの魔力で出来た糸に大した防御力はない。でもセツに纏わせた魔糸はイリアの≪術式奪取≫によって制御権を奪われて、その術式を好きなように改造できるような状態。つまりセツが扱う魔糸の術式を改造して、消費魔力を上げる代わりに防御性能を付与することは彼女にとって容易いことだ。
『さて……早速で悪いけど、あの心臓を壊せる?』
「はぁ……はぁ……はぁ……ちょっと、厳しいかも……」
『そっか。まぁ、魔力枯渇した状態で無理矢理戦って、更なる魔力を消費したからな』
「すみません……」
『別に責めているわけじゃないよ。今は休めろ、少なくとも心臓を破壊した後で速やかに地上まで戻れる体力と魔力が回復するまでは』
「ご主人様の方は?」
『地上の事は心配するな。レイはあの人間から情報を引き出そうとしている。そして蛇の方は少し予定より早いけどフェニックスを解放したから一先ず全滅する心配はない。なんならクレナイは無傷だ。レヴィを守っている彼女がその状態ならレヴィを襲う者はいないだろう』
「それなら、安心」
『だろう?だからここで暫く回復に専念するといい。あの心臓を破壊したらこの地下空間が維持できるかどうかも定かじゃない。不必要なリスクを負う必要はない』
「うん。分かった」