第百八十六話
【セツの視点】
さぁ、狩場は整った。いつでも掛かって来い!
――パリンッ!パリンッ!……パリン!パリン!パリン!
来た!濃い霧に包まれたこの空間に二回の甲高い音が鳴った事を切っ掛けに、この地下空間内に幾度も同じような音が鳴り響いた。しかも、それらは段々と私の方に近づいている。間違いない。最初の二つは恐らくあの鰐が凍らせた沼地から足を解放するとき、沼地の表面を覆う薄氷を割る時の音。そして今は……斜め左後ろからの突進……!
――パリンッ!パリンッ!キィィィン!
鰐が突進して来たであろう方向に逆手で握っている短剣を薙ぎ払った。が……
「うぐっ!?」
重い……!でもそれ以上に、まだ突進してくるタイミングに慣れていない。そのせいでカウンターカウンターするどころか、突進の勢いを殺し、いなせることさえままならない。
如何せんあの鰐はブリザードウルフと同等以上の速さを持っている上に全長5メートル以上で体幅1メートルの巨体。しかも魔力を喰う鱗の硬さは下手な鉄製の武具よりも硬い。でも私には何の心配もない。
なぜなら、私には父さんから教わった、父さんの知識から編み出され、経験によって研ぎ澄ませた狩りの技術がある。この技術さえあれば、私に狩れない獲物はない。
――パリンッ!パリンッ!パリンッ!パリンッ!キィィィン!
うん……ちょっと遅かった……
――パリンッ!キィィィン!
今度は速かったか……でもタイミングが掴めた。次は逃さない。
「――今ッ!」
――キィン!
今までとは違った短い金属音。それが鳴ったのと同時に短剣を握る右手の手首の角度を変えつつ、身体を捻って一回転した。そのまま勢いに乗って、左手に握る釘を思いっきり逆手で突き刺した。
――!!!
ぐちゃっ!と生々しい音と共に僅かな温もりを帯びた粘液が少し左手に付着した。うん。この感触に今の暴れ様……確実に眼球を潰したね。これで視界の一部を奪うに成功した。でも、それは単なるおまけに過ぎない。重要なのは私の攻撃が、身体の延長の釘が鰐の身体の内部に到達できたことだ。
「凍れ――ッ!?」
そのまま釘を通して鰐の脳を凍らせようとした時、霧の向こうから凄い速さで迫ってくる何かを感知した。咄嗟に鰐の眼球に刺さった釘を手放して、両腕をその何かをガードしようとしたけど、勢いを完全に殺せず、数メートル後方へ殴り飛ばされた。
「……新手か?」
『いや、あれは鰐の尻尾だ』
「そう……残念~」
折角獲物が増えると思っていたのに……仕方ないです。この鰐で我慢しましょう。それにしても、やはりさっきの攻撃で相当な深手を負わせたみたいで、鰐が霧の向こうで派手に暴れて下手に近付かない。因みに、今の反撃をガードした両腕は少し削られて鮮血がぽたぽたと凍った沼地に滴っている。少し痛いけど、大した傷ではない。
『ところで……セツ。何でいきなり動きが良くなった?鰐型モンスターが見えるようになったか?』
「見えないよ?見えないけど、薄氷が砕く音と霧の動きで分かる。獲物の姿形と位置、動きなど全部」
『えぇ……散々私やレイを理不尽と呼ぶ癖に……無自覚か?』
「何のこと?」
『別に、何もないよ』
「そう?それでイリア様、あの鰐の視界は?」
『……安心しろ。ちゃんと片目を潰せた』
「それなら釘の方も……」
鰐の眼球を刺した釘に結んだ魔糸をぐいっと軽く引っ張って……
「うん、ちゃんと刺さっているね」
『……大体想像付くけど、一応聞いとく。何をするつもりだ?』
「攻守逆転。今度は、私が攻める……!早く母さんに食べさせなきゃ」
『そ、そうか?無茶するなよ』
もう……イリア様は心配症なんだね。私が死んだらはこの鰐を持ち返って、母さんに食べさせれないじゃないか。多少の無茶はするけど死ぬつもりは無いから大丈夫だよ~
「…………」
おっ、ようやく治まったかな?念のために二、三秒待っていてもやはり動きが無い。目一つを失ったなら絶好の攻め時!
早速鰐の片目に刺さった釘と繋ぐ魔糸を辿って、なるべく音を立たないように走った。すると目の前の霧、精密に言うと私より高い斜め上の所と私の足元辺りの二点の霧に動きがあった。この動きは少し斜めな噛みつき!?この鰐、見えない方向から来ても遠慮なく攻撃して来るのか!?視力を頼らない索敵方法を持っているのか?
「チッ!」
咄嗟に別の魔糸を引っ張って、無理矢理方向転換した。僅かに二の腕がその鱗に掠ったものの、何とか鰐の噛みつきを躱せた。そしてすぐさま反対方向に伸びる魔糸を引っ張り、再び鰐に接近した。今の私の位置は前に鰐の眼球を突き刺す時のほぼ同じの筈……つまり今回も……
「――っ!」
やはり尻尾の攻撃が来るか!でも、これは予測通り……!
「やぁぁぁぁ!」
ただ尻尾の軌道を逸らしただけではダメだ。狙うは一瞬で大きいの隙!だから私は迫って来る野太い尻尾を力任せで上方向に弾いた。そして即座に片方の短剣を鞘に仕舞って、両手で残った短剣を握り締めて、前に走った。もうこの近さならイリア様のスキル無しでも見える!
両手に握る短剣を尻尾の付け根からやや下にずらした部分、つまり比較的鱗の強度が低い部分に突き刺した。やはり、下側の部分はそう硬くない!
剣が突き刺した部分から少し温い液体、恐らく鮮血が流れ出す。痛みと私を自身から遠ざけようと再度暴れ出す鰐。でも今回私はここを離れるつもりは無い。少なくともやるべき事を終わらせる前は……!
「凍れぇ!」
叫んだのと同時に短剣に魔力を流し込んだ。魔力を喰うはその表面を覆う鱗、体の内部に直接流し込んだ魔力を干渉できない。そう確信した私はこのような敢行に出た。そして案の定、短剣を通して流し込んだ魔力は食われる事無く、尻尾の内部を凍らせた。
「はぁぁぁ!」
短剣を強く握り締めながら鰐が暴れる勢いを利用して、上半身を捻って凍った鰐の尻尾の付け根を砕いた。うん、これなら解体作業を短縮できるね。