第百七十四話
強化魔法と冥獄鬼の鎧骨を纏った拳がボーガン使い
の胸部のやや左側に直撃した。その強すぎる威力は男の心臓部分が大きく抉られて、彼の後
ろの石壁も衝撃に耐えきれず、派手に壊れた。
『……隠し部屋?』
俺の攻撃がボーガン使いに届いて、石壁に亀裂が走った時は流石に焦っていた。ここは垂
直に地上と繋ぐ螺旋階段の為の空間で、皆喰軍蝗がいる先こそが封
印された大罪悪魔の場所と繋ぐ通路である。つまりここの壁は恐らくこの会談周り、下手し
たらこの地下空間の大部分を支える役目を担っている可能性もある。だから壁を破壊した時
に背筋が凍り付く程焦ったけど、そんな事は起こらなかった。
懸念が杞憂であることが証明された事に胸を撫でおろしたのと同時、破壊された石壁の向
こうに見える石質な小部屋が俺の好奇心を引き立てた。これは果たして隠し部屋なのか、そ
れとも本来皆喰軍蝗が待ち構える道を進んだ先に辿り着ける場所に
強引にショートカットを作ったのか。
『油断しないで、レイ。彼はまだ生きている』
『それはどういう――』
『レイ、避けてっ!』
『ッ!?』
イリアの忠告の意味を理解できる前に、壊された壁の瓦礫から僅かな物音が聞こえた。反射的に視線をその方向に振り向いた途端、黄色い雷光が凄まじいスピードで目の前まで迫ってきた。慌てて右に跳んで、迫って来る雷光を避けようとした。が、俺の回避行動は目前まで迫ってきた攻撃からなるべく距離を取るという脊髄反応や本能みたいな動きであるせいか、五本の雷矢が俺の動きが読まれると言わんばかりの精度で俺が着地する瞬間を狙って放たれた。
『チッ……やむをえない。イジス、頼めるか?』
『あら?もう私の助けを求めるのですか?』
『少なくとも大罪ダンジョン内での交戦を無理矢理自分への訓練用のシミュレーション見なすつもりは無い。それに、この短時間であの貫通力を持つ攻撃を防げる魔法は無い』
『仕方ないですね、任せてください。でもこの後は魔法の発動速度を向上する特訓コースを用意しますので、覚悟にてくださいね?』
『お、お手柔らかに……』
イジスがそう宣言した直後、俺と飛来する雷矢の間に薄緑色の半透明な幕が生成された。冥獄鬼の鎧骨を容易に貫く雷矢でさえもイジスの結界に触れた途端に呆気なく弾かれた。何時の間にか鬼教官になりつつあるイジスの疑念を一旦無視して、≪看破の魔眼≫を発動した。
破壊された壁の向こうの小部屋らしき空間に入ってから二度も狙撃された。一応壁の瓦礫に音が聞こえたけど、そこがボーガン使いの居場所である確信は無い。何せ俺は確実に彼の胸部の心臓部分に風穴を開けたのにも関わらず、イリアはまだ生きていると言っているし、現に俺が狙撃されている。となると胸の穴は俺を油断させる為のフェイクで、壁が壊れたのも俺の攻撃の衝撃を和らげる為の可能性が考えられる。もしこの仮説が正しければ、そのボーガン使いは視界だけではなく、触覚をも狂わせる程の幻術が使える。
その様な魔法が使える者を考え無しに特攻した結果は簡単に予想できる。だから俺はイジスのバリア越しに幻術の存在を確認した後に素早く放たれた雷矢の残留魔力を辿ってボーガン使いの大まかな位置を逆算した。
今の俺は戦闘中で魔眼を使い続けると情報量超過の負担で脳死するリスクを背負っているから今みたいに戦闘の合間に数秒しか使えない。が、低度な魔法の解析や位置の逆算なら問題無くこなせる。
『≪風魔の死鎌≫』
小さく魔法を唱え終え刹那、俺はイジスの結界の横から飛び出して、逆算したボーガン使いの位置へ走った。そしてその位置から一メートルを切った途端に握っている風の大鎌を大きく振り被った。
それと共に、直線上に凄まじい量の土煙が巻き起こされて、遠くから数多の物が破壊される音が反響して聞こえる。
「ったく、なんて破壊力の魔法だ。ここを崩壊させる気か?とても真面な人間と思えないな」
「っ!?……お前に言われても説得力がないぞ」
そんな言葉を述べながらゆらゆらと土煙の中から姿を見せたのはさっきまで俺と戦っていたボーガン使いだ。しかし彼の姿を目にした俺は驚きを隠せきれなかった。何故ならその者の左胸には拳サイズの風穴が開かれていて、その右腕も肩以下の部分を失った。俺の前に平然と会話にながらもその二箇所から凄まじい勢いで真っ赤な鮮血が噴き出している。当の本人も全く慌てる素振りを見せなかった。思わず魔眼を発動して彼を観察したが、幻術の類は見当たらなかった。
「……人間か?ここまで来ると『実はアンデットだった』って言われる方が信憑性が高いぞ」
「疑う気持ちは分かるが、こう見えても俺は人間だ。ちっと普通じゃねぇ所が有るだけだ」
「だろうな」
『レイ、今すぐにそこから離れてっ!』
時間稼ぎの会話をしながらボーガン使いの殺害方法を模索する内に、先程のと比べながらないぐらい切羽詰まった声で叫んだイリアの警告が聞こえる。一体何が起きているのかは全く理解していないけど、彼女の声と口調から事の重大さを把握した俺はすぐさまに小部屋から全速力で逃げ出した。
「ん?」
俺が取った行動の意味が分からないボーガン使いは立ち止まって、その視線だけが俺の追っている。重傷を負って追えないのか、それとも警戒しているのかは分からないが、その疑問への答えを得る機会を次の瞬間で起こった出来事によって失われた。
小部屋から逃げ出した俺は背後からの狙撃を警戒して背後を注意している際、巨大な黒緑色の何かがボーガン使いの後ろから彼と激突して、俺が居た場所を通って、凄まじい爆音と共にそのさらに後ろの壁にぶつかった。その何かと目が合った瞬間――
「レヴィ、セツ、クレナイ!今すぐ戦闘を放棄して地上に戻れ!」
――自分の聞こえた事のない、切羽詰まった声で少し離れた場所で戦っているであろう仲間達にそう叫んだ。