第百六十二話
「…………」
無言で右手に一冊の本を顕現させた。黒一色に染められた本の表紙は一切の装飾やデザインも無く、一見何の変哲もないありふれた本だが……その本からレヴィの魔剣と同等、もしくは以上の魔力を感じる。もはや純粋な魔力の塊と言ってもいいぐらいの魔力量。とすると、それは怠惰の大罪悪魔、ベルフェゴールの本体に間違いはないな。
そんな彼女が持つ本に対し、思わず魔眼を発動させた。そこから件の本こそが彼女の本体である事を確認しきて、ついでに彼女のステータスを知る事にも成功した。今思えば……結構久しぶりに魔眼で他人のステータスを覗いたな。脳への負担や魔力の節約の為に極力戦闘以外での使用を避けてきたけど、魔眼に慣れつつある今からは段々日常での使用を試みるのもいいかも知れない。
そして視線を本から外し、今擬人化スキルで作り上げた人の身体に視線を向けた。彼女の整った顔立ちは幾度も俺を魅入れさせた上目遣いがそれを物語っている。寝癖が強い、ふさふさの灰色の長髪に眠そうな金色の瞳。不健康そうな白亜色の肌。金色の刺繍が入った黒灰色の特大ローブを羽織っていて、その胸元辺りにはヴィに劣るけれども確かな膨らみがある。ここまで見れば普通の可愛い人間と変わらない。そんな自分を人間と区別する為と言わんばかりに、彼女の蟀谷から羊と似た黒い角が生えている。
レヴィは十代後半か二十代前半の容姿を持った青年に対し、フェルは十代前半の少女。二人の実年齢は大して変わらないと思うが、こうして擬人化した姿がこうも差があるのは彼女達の好みの違いか、それとも生みの親である初代魔王の仕業か?もし前半ならありがとう!後半ならグッジョブだ!
そんな事を考えているうちに、パラパラと勢い良くページを捲る音が聞こえた。気づけばその本は既に彼女の手から離れ、宙に浮かんでいる。開かれたページから無数の細い鎖状な魔力が出ており、フェニックスの身体に巻き付いた。
「えっ、ちょっ――」
するとフェニックスは助けを求めるどころか、何の抵抗も出来ずに鎖たちに引っ張られて、吸い込まれるように本の中に消えてた。
「終わったよォ~」
「…………」
え?終わった……?確かフェルのスキルは相手を絶対服従の手駒にするって能力だったよな?それが終わったって事はフェニックスは既に彼女の手駒になったのか?嘘だろ……あんなに苦戦したフェニックスをあっさりと服従させた!?レヴィからそのスキルを聞いた時はやばいスキルである事は知っていたけど、改めてそれを目の当たりにしたらそのやばさを実感できた。本当、彼女が味方で良かった。
「コホン!ともあれ、これでフェニックスの問題は解決できたね。後は地上に戻るだけ……イリアさん、上の状況は?」
レヴィの言う通り、地下空間でやれる事は全てやった。残るは地上に戻るだけ。ここと繋ぐ道が見付からないから、入る時と同じルートを通るしかない。が、予想よりも長くここに滞在したから気絶させた一階層にいる者達は当然目を覚ました筈だ。この直後にイリアもこの事を肯定した。
「マスターは入って来た時に使用した、他人を気絶させる魔法はまだ使えるのか?」
「……正直難しい。あれは対象の空間内にある空気を全て操る魔法だから、地下空間の壁に遮られた今じゃ魔眼を使っても第一階層の一部にしか効果は無い」
「でも地上に戻れたらそれは可能だ。そうだろう?」
「そうなの?」
流石はイリア、相変わらず俺の思考を読んでいる。確かに彼女の言う通り、地上に戻れば再びそこにいる者達を酸欠状態にさせる事はできる。が、ここから脱出する為には例の疑似レールガンの魔法を使う必要はある。そしてその魔法の使用中には全域の空気操作など、複雑な魔法は使えない。
となると、疑似レールガンで脱出した瞬間に即座空気操作を発動させる必要が有る。酸欠状態に陥った者は大体その時の記憶が曖昧になる。魔法の切り替えに生じるタイムラグ分の記憶の喪失に加え、脱出した際に響く壁の破壊音に引き寄せた者達の牽制も考慮に入れたい。それらを軽く計算した結果として、最低でも一分間、魔法を維持しなければならない。
その過程で第一階層にいる何人かがの脳細胞が酸欠で破壊されたのはどうでも良いけど、身内でそれは避けない。術者たる俺は大丈夫として、まだ昏睡状態のセツを長時間過酷な状態に居続けたくない。
なら配置的には俺が第一階層の隅っこで魔法の維持、その間レヴィはセツと一緒に第二階層と繋ぐ階段で待機する。レヴィは万全から程遠い状態とはいえ、普通の人間が彼女に勝つ事はまずいない。万が一俺達の顔が見られて、指名手配されても動けるようにも顔が知られていた俺とレヴィが行動する方がベスト。
「そうだな。じゃあ、作戦を説明するぞ」
そう決めたら俺はその場にいる皆に作戦内容を述べた。その直後、イリアとイジスは実体化、フェルは擬人化……それぞれの姿を維持する魔法を解除した。本来の姿に戻ったフェルは案の定本になって、フェニックスを縛った鎖で自身を俺の左手首に巻き付いた。残るレヴィはセツを運ぶ役名として擬人化を維持したままに居る。
さて、この空間ではもう何度目か分からない、疑似レールガンを発動に必要な魔力を集めて、それぞれの役目の特製を持つモノに変換した。幾度もフェニックスに邪魔されたけど、今はその心配は要らない。勿論、その軌道にレヴィが登る用の足場の設置も忘れずに。
「さぁ……行くぞ、レヴィ!」
「はい!」
「疑似レールガン、発動!」
その一言で音速を越えた弾丸と化した俺は轟音と共に地下空間の天井を突き破けた。すぐさま風魔法で減速させた俺の視界に無数の人が驚異な眼差しを向けて、その中に驚きの声も飛び交った。その入り口に兵士らしき人物も俺が立てた轟音に釣られて、第一階層内に入って来た。それらを全部無視し、並列思考で次の魔法を発動させた。
『≪静謐たる死宮≫!』
魔法の名を唱えてから数秒後、第一階層に立てる者は俺以外いなくなった。予め決めてた合図でレヴィを呼び出した。彼女とその腕に抱えているセツの姿が奥の階段に消えるまで見送って、俺は入り口から死角になる場所で身を潜んだ。
「さて、後はこの騒ぎが有る程度収めたら何事も無いように戻るだけ。はぁ……長かったなぁ……」
さっきまで騒がしかったのに、まるで死滅したかのように音一つ聞こえない第一階層を眺めながらそんな言葉を呟いた。因みにフェルがフェニックスを本に仕舞う際に、魔眼で見た彼女のステータスは以下の通り。
名前:ベルフェゴール
レベル:∞
称号:怠惰の大罪悪魔
スキル:怠惰の大罪、万魔殿、絶対共感
魔法:召喚魔法