第百五十五話
ヘル・キャリッジの爆撃を受けた第64階層は地獄風景と呼ぶのならば、この地下空間で目の前に繰り広げる光景はまさに「煉獄」。超高熱で熔けた床は巨大な円形の竪穴となり、真っ赤なマグマはまるで滝の様に竪穴の深淵に吸い込まれていた。そしてその深淵の中心にいるのは太陽と思しき高熱と輝きを放っている。
先程まではレヴィの≪吹雪の帳≫でフェニックスが発する高熱を遮断して何度も攻撃を仕掛けたが、現在彼我との距離は五百メートル以上離れている且つレヴィの魔法が掛かった状態にも関わらず、相当の暑さを感じる。そしてフェニックスに大きくダメージを与えられる魔剣の長さは約一メートル。レヴィ現在の魔力量と≪|吹雪の帳《二―ヴィス・ヴェラメン》≫を維持に消費するペースを考えると、使える魔法の数は残り三、四回ぐらい。
「近接戦闘が駄目でレヴィの魔法も残り数回……魔力ポーションを惜しみなく使えば二、三回ぐらいは増えられると思うが、あの状態のフェニックスに効くかどうか……」
『ごめんね。私の不注意で魔力を吸い取らせて』
「いや、それはレヴィのせいじゃないから気にするな。それよりセツの容態はどうだ、イジス?」
『それが、先程と変わりません。悪化しないだけ幸いです』
「そっか……じゃあ引き続きイジスが守ってあげて」
『……はい』
「奴もここを壊したくないと思うから多分大丈夫――って、はぁ!?」
再度、俺は最後まで言えなかった。またかっと言わんばかりのタイミングでフェニックスが深淵から俺達を目掛けて突っ込んできた。
『マスター!イジスさんのバリアでも熱は防げないよッ!』
「分かっている!セツの所に到達する前に叩き落す!」
『はい!』
レヴィの力強い返事と同時に冥獄鬼の鎧骨を全身に纏わせて、風の足場から飛び降りた。幸いフェニックスは俺達の真下から突っ込んでくるので、大した方向転換は要らない。このまま垂直に落ちれば――
――キィン!
――確実にフェニックスと激突する!
魔剣の姿のレヴィがフェニックスの嘴に触れた瞬間、金属同士がぶつかる甲高い音が地下空間内に鳴り響いた。
「――!」
その直後に感じたのは言うまでのなく、凄まじい熱量。恐らくマグマの中にいるのってこんな感じなんだろう。体験したことは無いけど……
骨の全身鎧とレヴィの魔法越しに皮膚は勿論のこと、内臓を焦がし、鼻腔や食道、肺などが灼かれる程の暑さを超えて痛みが襲う。思わず叫び出す衝動を押さえ、奥歯を噛み締めながらも魔剣を握る手を緩めなかった。一番痛い筈のレヴィが一切弱音を吐かずに踏ん張っているのに、俺が諦める筋合いは無い!
両腕を鎧は熱で真っ赤になったぐらいで、魔剣を手放すと思うなよ、フェニックス!レヴィと契約を交わした時に誓った、彼女を手放さないって。そして今の俺はまだ魔剣を握る手は残っている。諦めない理由はそれで十分だろう!
どれ程鬼畜な難易度のゲームでも、どんなボスでも完全勝利を達成したゲーマーの名に懸けて、誰一人を犠牲することなく伝説の存在フェニックス、お前を討伐して見せる!
「≪看破の魔眼≫、発動!」
『塔』の攻略に使用が禁じられた魔眼を久々に発動させた。魔眼の発動に伴い、俺は魔力を掻き集めた。特製の空気板は酸素と水素などの可燃性ガスだけを取り除いた。でもフェニックスの熱を遮断するには真空の壁が必要だ。
空気粒子は勿論、水分や塵などの異物が一切存在しない「無」の壁。特製の空気板を作るのに並列思考を運用しても僅かのタイムラグを生じる。そんな状況下でフェニックスという名のランダム要素しかない存在と交戦する空間内に何もない壁を作り、維持するのは無理に近い。刹那の間に移り変わる条件を全て分析して、最善の魔法で壁を維持する。そんな無理難題を解く鍵こそがイリアから授かった魔眼。
フェニックスの動きはヴァナヘムルで計算して、残りの魔眼のリソースをその周囲にいる全ての物の分析に割り当てる。並列思考は二つの事を同時に実行するという制限は無い。元々二人で使用するヴァナヘムルを並列思考することで脳への負担が重い。それを更に「周囲の分析」という工程を加えることで脳が悲鳴を上げた。が、それもフェニックスが放つ超高熱から生じる痛みにかき消された。
「んんっ!」
体感で数分が経って、ようやく魔眼による分析が終わった。口を開けないよう気を付けながら力任せでフェニックスの嘴をいなした。それにより一瞬よろめいた。その隙に、肺へのダメージを覚悟して魔法の唱えた。
「すぅ……≪死黙の絶界≫!」
しかしただの壁を作っただけでは意味は無い。例えそれはセツを守れるとしても、フェニックスが彼女を攻撃しなければ無意味。だから、俺が作る「無」の壁はこの場面の突破口に繋ぐ場所でなければならない。そう、例えばフェニックスを縛る首輪の位置に……
「ガハッ!?」
フェニックスの胸辺りにいる銀色の首輪より数ミリ上に「無」の壁を生成した。その翼幅より広い壁が自分の身体を挟んで生成されたフェニックスは横に両断された。浮力を失った頭部と制御が効かない翼は動かせない胴体は深淵へ落ちていく。今でも頭が割れそうな痛みを無視して、胴体の外に出た首輪へ駆け向けた。が、――
「っ!」
――足元に生成した風の足場を蹴った直後に視界が暗転した。
「まだだ」「ここで倒れる訳……」「レヴィとセツを連れ戻さないと」等々、消えゆく意識を必死にしがらみついきた。しかし身体は一切言うことを聞かず、今まで感じたことが無い一瞬の激痛が走り、俺は意識を手放した。朧気の視界で最後に見た景色は蒼色の何かだけであった……