第百四十七話
【第三者視点】
まるでフェニックスの身体から発する熱気を感じぬと言わんばかりに、初手で自らその熱の発生源に飛び込むセツを迎撃するべく、その雄々しき業炎の翼を翻し、羽ばたいた。
確かにその行動は翼を持つ生き物としての羽ばたきと変わらない。が、それはフェニックスからの観点の話だ。その真正面から挑むセツにとって、その行動で引き起こした突風はレイが使う≪風魔の死鎌≫の一振りより数段劣るものの、それに籠った熱と合わせて、軍の小隊一つを壊滅する威力を秘めている。しかし、レヴィの≪吹雪の帳≫を纏って、何回もレイと模擬戦を繰り広げたセツにとってはただのやや強めな風が吹いただけ。
いつもの模擬戦でこの数倍、下手すれば数十倍に吹き荒れる暴風の中でも正確に釘を投げたセツ。今回も彼女は慣れた手付きで腕輪に嵌めたマナクリスタルの空間魔法から数本の釘を取り出して、フェニックの周りに投げた。その後すぐさまに投げた釘の一つと繋ぐ魔糸を引いて、一気にフェニックスの首元へ急加速した。
そのまま魔剣でフェニックスの首を切断――とは行かなかった。無謀にも数段格上の相手であるフェニックスに飛び込んだセツをフェニックスが警戒するのも同然。故に羽ばたきという名の腕試しも兼ねた反撃を選択した。そしてそれを乗り越えた後に油断するセツを確実に仕留める隠し玉を持っていた。
迫り来るセツに向けて、フェニックスは大きくその嘴を開く、業炎の奔流を吐き出した。油断した相手であればこれで勝負がつきた。が、フェニックスは知らない。セツはかの神代戦争で名を馳せた大罪悪魔とほぼ毎日のように模擬戦という名の死闘を繰り広げている。その際に一瞬の隙や油断を見せたら容赦なく生死の狭間に叩き込まれる。だから彼女は敵の命が尽きる事を確認するまでは一切油断しない。
「火、斬れますか?」
「勿論!」
業炎の奔流を目の当たりにしても平然と魔剣状態のレヴィと会話を始めたセツ。先程フェニックスに圧倒されかけた彼女の面影は嘘のように消えた。戦闘する際にスイッチを入れ替えるのか、それともただの戦闘狂なのか……その知る術は無いが、彼女の胆力と切り替えの早さにつっこまないレヴィも段々に毒された気もする。
がしかし、彼女のこの余裕は決して自分の力を過信している訳ではない。それを証明するかのように、セツは先投げた釘の一本の魔糸を引っ張って空中で方向転換した。
「ぬっ!?」
流石のフェニックスもこの展開を予測できず、回避に遅れて、その片翼を断ち斬るような切り傷が刻み込まれた。引っ張った魔糸に結んだ釘の隣に着地したセツを一瞥したフェニックスは業炎を吐く動作を止め、彼女に賞賛の言葉を発した。
「ほう、我を斬るとは……中々に良い太刀筋であったぞ。汝、一体何者だ?名乗るが良い!」
「……セツ。ただの復讐者です」
「セツか……その名、しっかりと我は覚えたぞ!我を傷つける者は数少ない。汝を突き動かす原動力は賞賛せんが、その力は我が称えよう!」
「……ありがとう?」
「後20年あれば汝はこの世の頂点に君臨するであろう……その苗を摘むのは実に惜しい」
「頂点?そんなの、要らないっ!」
言葉を吐き捨てるかのように、セツは再びフェニックスを目掛けて数本の釘を投げつけた。勿論それらはフェニックスの身体から発する熱に生じられた気流によって軌道をすらされ、セツと反対側の壁や地面などに刺さった。
「むっ……珍妙な飛び道具を使うか。だが我には効かぬ!」
「それは、どうかな!」
再びフェニックスはセツに向けて、その両翼を動かした。それに応じて、セツは魔剣を地面に突き刺して、代わりに両手いっぱいの釘を取り出した。
「武器を捨てるとは愚かなり!」
再度フェニックスが言葉を発するが、セツは一切の返事をせず、ただひたすらにフェニックスの攻撃を四方八方に駆ける事で交わした。魔剣を手放したセツはレヴィの守りを失う。だからフェニックスの羽ばたきから生じた気流は灼熱の突風に戻った。例え直撃を免れてもその余波でも十分にセツのバランスを崩せた。そして一瞬でも隙を見せたセツには容赦のない業炎の奔流が彼女を襲う。
しかも雪国に生まれ育ったセツにとって、いくら帝國での生活に慣れたとしても高温は彼女の天敵。常人ですらこの場に立つだけで脱水症状になりかねない熱量なのに、人一倍熱に敏感なセツにとって、こんな環境下で戦闘するのは地獄そのものだ。
それでも彼女は足を止めなかった。幾度も危険な場面はあったか何とか致命傷を負わすに釘と魔糸の組み合わせで逃げ延びた。不幸中の幸いとも言うべきか、セツ達にとってはかなり広いこの空間だが、巨体のフェニックスにとっては狭い鳥かごに等しい。その分動きに制限が掛かったお陰でセツはフェニックスが放った攻撃を避けられることができた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
フェニックスを囲むように、時には壁も蹴ったりして、何週もその周りを駆けたセツは息を荒くして、最初に魔剣を突き刺した場所へ戻った。そんな今でも倒れそうな彼女を見て、フェニックスは些か失望じみた言葉を発した。
「……ちょこまか逃げるのはもうお終いか?」
「ええ、これで終わりです」
そう高らかに宣言して、彼女は足元に突き刺した魔剣を手に取った。でもそれよりも早く、フェニックスは鉤爪を構えて、セツへ体当たりを仕掛けた。
「こ、これはっ――」
が、少し体勢を変えただけで全身の所々が引き裂かれた。何かが起きたのかが分からないフェニックスは困惑に陥った。ただ彼にも理解できた事実は一つ、下手に動いたら全身がズタズタに切り裂かれる。
「理解が追い付けないでしょう?如何なる攻撃もフェニックスに到達する前に燃え尽きた。だから貴方はセツちゃんが投げた大量の釘を意識しなかった、例え意識したとしてもその真意を知らなかった」
「何を……?まさかっ――!」
「そのまさかさ。生憎だけどそれ釘と、それと繋がっている糸は私とマスターの魔力にコーティングされた特注品さ。そう簡単に壊れない代物だ」
「小癪な!」
「……準備は良いか、セツちゃん?」
「はぁ……はい!」
レヴィに心強い返事を返したセツは今までとは比べならない速さでフェニックスとの距離を詰めた。そして一躍し、魔糸によって動きを封じられたフェニックスの頭部近くまで到達した。
そこら中に張り廻った魔糸の一本を足場に、勢いを増しながら方向転換し、魔剣でフェニックスの身体を斬った。しかし、巨体のフェニックスにとってはさほど大きい傷ではないってことはセツも当然理解している。だから、今度は反対側の魔糸を踏み台として、フェニックスに再度斬りつけた。
二……八……三十二……六十四……やがて二百を裕に超えた数の切り傷がフェニックスの炎の身体に刻まれた。そして――
「≪砕氷雪花≫」
――音もなく着地したセツは静かに、使った技の名前を呟いた。