第百四十五話
豪雨の如く鬼火の弾幕をすり抜け、魔力を吸収する障壁を突破し、ヘル・キャリッジの馬車の中から生え出た巨人のと酷似している腕による反撃を凌いだ。この三重の障害を乗り越えて、俺の刃はようやくヘル・キャリッジの二頭の屍の馬の首に到達した。
そして振り下ろした嵐の大鎌には馬の首を刎ねた確かな手応えがあった。もうエルダーリッチの時みたいに幻影の可能性は無く、イリアが言うには二頭の首に嵌めている鋼色の首輪を取り除けばこれ以上の戦闘にならない。それならアンデッドの魂か何らかの方法を用いて、刎ねられた頭部を再生しても問題はない。
やがて吹き荒れる嵐が治まって、対空を維持する物を失ったヘル・キャリッジは垂直に落下し、「ドスッ」っと重い音を立てた。
「ふぅ…………ぐっ!?」
連続の激戦を乗り越えて、限界まで取り澄まされた集中が途切れ、緊迫した神経から一気に解き放たれた。戦いには勝利した、でも俺にはまでやらなければならない事がまだ残っている。ここで留まることはできない、そう自分に言い聞かせる意味も込めた溜息を吐いた直後、凄まじい眩暈に襲られた。突然の眩暈で風の足場が不安定になり、危うくヘル・キャリッジと同じ末路を辿るところだった。
『しっかりしてください、レイさん。倒れるならせめて地上に着いてからしてください』
『いや、地面に着いても倒れる訳には行かないんだ。まだセツとレヴィの位置や状況を特定していない』
『無理もない。魔力が急激な増減を繰り返して、眩暈ぐらいで済んだならこう幸運と思え。普通の人間なら意識を保つことが精一杯だ』
『……それ、遠回しに俺が普通じゃないってことか?』
『大罪悪魔と契約を交わした時点でもう普通じゃない。何なら一人でネクトフィリスに勝った時から人間を辞めたかもな』
『まぁまぁ……これはイリアさんなりにレイさんの緊張を解していますから。ほらイリアさんもヘル・キャリッジからセツさんとレヴィさんの位置を特定して、時間との勝負でしょう?』
『……分かったわよ。それと、レイ。ヘル・キャリッジが使用する魔法の分析にはそれほど時間は掛からないと思うけど、その間に少しでも休め』
『ああ……』
イリアの提案を受け、俺はヘル・キャリッジの墜落地点付近に降り、不安定な足取りでその近くに隆起した大岩に寄り掛かる形で座った。実体化したイリアが動かないヘル・キャリッジに近付き、その馬車の部分に片手を翳し、掌に薄紫色の魔法陣を浮かべた。まぁ、ここに戻る途中で鋼色の首輪は恐らく落下時の衝撃で外れた事も確認済みだし、数多の同胞が抵抗する機会も与えずに蹂躙される光景を目の当たりにした周りのアンデットは俺達に近寄らないから危険性は無いと思う。
「具合はいかがですか?」
思わずイリアの魔法陣に見惚れた俺のすぐ横からイジスの声が聞こえた。それは念話ではないことを理解し、すぐさまに声がする方向へ振り向くとそこにはいつの間にか実体化したイジスの姿があった。
「さっきに比べれば大分マシになった。我ながら魔力の回復速度の速さに驚いたぞ」
「ふふふ、レイさんはまだ私が服を改造された事を覚えていますか?」
「ああ、勿論だ……」
彼女の質問に返しながら視線を身体に纏う服に落とした。そう言えば……イジスには昔彼女に服一式改造された時にはその性能を説明されたな。
「えーっと、確か攻守と治療速度の上昇。服自体には色々と耐性が有る上に自動修復が盛った超チート級の代物だった筈……」
「ええ、その通り!勿論魔力の回復速度上昇のあります!あっ、因みにレイさんが今着ている服は神代大戦時に天使達が使う神衣に近い装備ですよ」
「…………イジス、今なんて?」
「ん~流石に私一人で完全再現はできませんでした……で、でも!性能は大分落ちましたけど、それに近い物を作れました!」
「褒めて!褒めて!」と言わんばかりに満面の笑みとキラキラした眼差しを向けられた。いやいやいやいや、ちょっと待った!今イジスがさりげなく言ったけど、俺の服がいつの間にか神器クラスまで昇格したんだけど!?え?今まで普通の服を着る感覚で扱ったけど?もうちょっと丁重に扱うべきか?それよりもっと深刻な問題が……
「そ、そんな至宝を俺にくれたいいですか?」
「はい!勿論です!」
俺が緊張のあまりで敬語になった事も関わらず、本人は満面の笑みで即答した。
「あの二人の位置を掴めた…………どうした?」
ナイスタイミングだ、イリア!よし、この服のとこは後で考えよう!うん、今はレヴィとセツと合流する事が最優先だ。今後はもうちょっと感謝の気持ちを込めて、この服一式のありがたみを感じながら着よう……
「い、いや、何でもない。……ところでレヴィとセツはやはり最上階か?」
「その真逆だ。彼女らはこの『塔』の最下層に飛ばされた」
「最下層?つまり私達が入ってきた入り口の場所ですか?」
最上階ではなく、最下層に飛ばされた?これまで『塔』の構造から見ると、階層が上がる事に、その階層に住むモンスターの強さも上がる傾向があった。そしてあのデュラハンとヘル・キャリッジはまず間違いなくエルダーリッチに召喚された。自分らの命を犠牲にするまで成し遂げる目的はただの入り口まで戻しただけの足止め?いや……それだとあまりにも払った代償に合わない。
この世界のエルダーリッチは上位、少なくとも中の上ぐらいの存在の筈だ。そんな三体分のエルダーリッチの命を捧げるんだ、その結果は当時で一番脅威になるレヴィの命を奪わなくとも戦闘不能まで追い込めた。それとも、俺の推理が根本的に間違えたのか……?
「いや、そこは入り口よりも下……地下に飛ばされた」
「なっ!?」
「地下ですって!?」
「私だって最初は信じていなかった。でも何回も再分析を行って、この『塔』を徹底的に見た結果、ようやくこの下には確かな地下空間を見付けた」
そうか……空まで届く、そびえ立つ巨大な塔。地上での入り口、そして階層を登るごとに強さを増すモンスター。ならここのゴールは最上階という結論に辿り着く。ましてや未だに誰もその最上階に到達した者が居ない現状、誰もが地下に空間があると思わない。って事は、エルダーリッチの狙いはやはり……!
「イリア、イジス……急ぐぞ!俺の推測が正しければレヴィとセツが危ない!」
「ああ!」
「分かりました!」