第百四十四話
アンデッド達の魂を吸収したヘル・キャリッジの馬車の両脇にある鬼火が一段と明るく光り出した。気づけば、窒息する程の魔力量が再びこの一帯に充満した。さっきはデュラハンを倒すに夢中でこいつに注意を割く余裕がなかったが、こうして直面すると背筋が凍るような感覚に襲われた。
思わず後退りする自分を奮い立たせるために奥歯を噛み締め、冥獄鬼の鎧骨が軋むほど自分の拳を握った。そして次の瞬間、パタン!と何かを強引に開く音と共に、周りに充満した魔力が綺麗さっぱり消えってた。
――来る……!
まるで嵐の前の静けさみたいに消えた魔力。ヴァナヘムルを使わずとも本能的にあの音を伴う危険性を告げた。すぐさまに地面を蹴って、強化された脚力と風の足場で宙にいるヘル・キャリッジに近付いた。
が、俺が地面を蹴るのと同時に、馬車の中から無数の鬼火が解き放たれた。豪雨のように降り注ぐ青白い爆弾。イリアによると、それらを一発でも受けたら例え冥獄鬼の鎧骨をもってしても防がれないダメージを負うらしい。次々とすれ違う鬼火たちは轟音と爆風を巻き起こし、階層の地面を無情に抉った。ほぼ無限に復活するアンデッド達には多少同情するけど、今はそんな私情を挟む余裕は無い。
なるべく移動距離を縮める為、可能な限り鬼火の爆撃を最小の動きで躱した。最初の時は近付いてきた鬼火を目で追わずでも発する熱や宿る魔力でその軌道を何となく先読みが出来るけど、ヘル・キャリッジとの距離が縮むに連れ、鬼火の物量に圧倒されて、分析をする時間が圧倒的に足りなくなる。
例え俺が魔眼を用いたとしてもそれらを全部捉える、もしくは視界に入れるの当然不可能だ。だからこの状況を予めに予想できたイリアが考え出した解決策は彼女が俺の目の役割を補うとの事だ。確かに俺の魔眼では無理だけど、彼女の魔眼なら可能だ。魔眼の本来の所有者の彼女ならその扱いに長けている。そんな彼女が≪ヴァナヘムル≫を使って、鬼火達の軌道とそれらを一番効率の良い躱し方、その行動で齎す未来をタイムラグが殆ど無い念話で伝える。
ヘル・キャリッジを倒す術は持っている、その攻撃を避けるにあたってに取るべき行動も全部教えて貰った。ならば後は俺が教えた道を駆けて、敵の命を絶つのみ!もっとも、その道は一センチでもズレたら俺が命を落とすかも知れない、危険極まりない道なんだけど。
「ちっ、熱気によって生み出された蜃気楼か……!」
だが、高度が上がった事で温度の変化も激しくなった。恐らくそれが原因で視界に移るヘル・キャリッジの姿がブレ始めた。
『これは魔力ヘル・キャリッジが見せる幻覚だ。攻撃中に動けない分、お前の方向感覚を狂わせに来たか……目に見える物は全て信じるな。私の指示を従って走れば大丈夫だ』
「了解」
視界は信用できない……か。余計な事で判断を鈍らせる訳にはいかない、そう判断した俺は一回深く息を吸って、瞼を閉じた。
『ちょっと、レイさん!?』
『確かに視界の有無はこの場合に影響を齎さないが、戦場で自ら視界を遮断するのは正気とは言えないな』
『お前らを信じているからの判断だ。イリアの目と指示に間違いは無いし、俺が反応できない攻撃ならイジスが防げる。最高の頭脳と盾がある状態で目を閉じたぐらいで何の問題も無い!』
『…………!』
『……そこまで言われたら期待に応じないといけませんね、ほらイリアさん?しっかりしてください。レイさんが頼りにしていますよ?』
『わ、分っている!』
少しテンパっているものの、何とか正常に戻れたイリアは再び精密な指示を出した。状況は一切のミスを許さないのか、それとも張り切っているのかは分からないが、異常に精密……もとい、精密過ぎた指示を出し続けている。
「前方左斜め30度、36.67メートル地点まで走れ」なんて指示を平気に言い出す彼女と、それ一切指摘しないイジス……二人には俺が何かの機械に見えるのか?
『速度維持、二秒後止まれ……左斜め後ろ50度のバックステッから時計回りの一回転!』
無理難題の指示が無数に飛び交う中、俺は意外とその大半を何のミスも無くこなした奇跡を起こした。その少数のミスを犯した瞬間、イリアが即座にそれをフォローする指示を出して、何とかほぼダメージを負わずに爆撃の弾幕を潜り抜ける敢行に成功した。
『ヘル・キャリッジとの距離が五メートルを切った!そのまま前方に一発目の攻撃を放て!あと、もう目を開けても良いぞ。幻覚はもう消えた』
そう。ここまで距離を詰めたとしてもその魔力を吸収する障壁を忘れたら今までの努力が全て水の泡になるし、あんな馬鹿げた指示の大半をこなせる奇跡はもう起きらない。だから初弾は障壁を誘発する囮で、次弾が本命の二の太刀。
「≪昇炎の爆鎚≫!」
案の定、イリアの言う通りに攻撃を放ったが、爆炎を纏った蹴りも呆気なく止められた。幻覚を解いた原因は分からないが、この好機を見逃す訳は無い!
「ファルチェ・ディ――っ!?」
二撃目用の嵐の鎌を生成して、二頭の屍の馬の首を目掛けて振り下ろして、二頭の首を刎ねる……筈だった。
俺が大鎌を振り下ろす速度よりも早く、にょろりと馬車の中から大鉈を握る巨人族と酷似した血の気が無い灰色の腕が生えてきた。
『そうか!幻覚を解除した原因はこいつを出す為の魂を確保したかったか!』
まるでアンデットと化した巨人族の腕はそのサイズから想像できない速さで大鉈を薙ぎ払った。前の巨人族との戦いで見た目に依らない速度の攻撃を経験した事が有るから大して驚かないが、今の俺は大鎌を振り下ろす体勢にあり、普段なら兎も角今の体制だと回避に間に合えない!
『止まるな、攻撃を続行しろ、レイ!この好機を逃すな!』
『攻撃は私が止めます!レイさんは気にせずに攻撃してください!』
『……!分かった!』
イリアとイジスがそう言うんだ!ならきっと問題は無い!彼女達は十分過ぎるぐらいに俺の期待に応じた。今度は俺の番だ!
『≪リパルス・バリア≫!』
イジスが魔法を唱えた刹那に金属が砕く甲高い音が鳴り響いた。そしてイジスは≪リパルス・バリア≫は当たった物を弾く効果がある。そのお陰で大鉈が砕く反動でそれを握る腕も大きく弾かれた。
「≪風魔の死鎌≫!」
その直後振り下ろした大鎌はもう何度目も分からない大嵐を巻き起こし、階層内を蹂躙した。