第百四十三話
視界が鬼火に覆われた。鬼火が飛んでくる速度よりも、イジスがバリアを展開するよりも早く、俺は横腹に衝撃を受け、バランスを崩されて地面に倒れた。
『レイ!』
「えっーー!?」
イリアの叫び声が脳内に響いたのと同時に、数十個も及ぶ鬼火が掻き消されたかのように、視界の全てが漆黒色に塗り替えた。そして次の瞬間……
ーー轟音!
今までにない爆発音と衝撃波がこの階層を蹂躙した。突然の出来事に脳が追い付けず、僅かコンマ数秒単位のフリーズ状態になった。気づけばヘル・キャリッジの爆撃は既に終わった頃だった。しかし何故か俺はその爆撃で受けたダメージや痛みが無く、なんなら少し標的がずれて、近くに落ちた鬼火の爆発による衝撃も殆ど感じていなかった。
『『…………』』
視界はいまだに黒く染められていて、なにも見えない状態。イリアとイジスに現状を聞きたいが、念話を通じて二人が驚愕のあまりで絶句している事を知った。二人同時に絶句するなんて……一体どれだけ衝撃的な光景が俺の閉ざされた視界の向うに繰り広がれているんだ?
そんな疑問を抱えながら、俺は恐る恐ると手を視界を塞ぐ何かへ伸ばした。が――
「これって!?」
――その手もすぐさま硬くて冷たい、そう……まるで金属みたいな感触が冥獄鬼の鎧骨越しに伝わって来た。
視界を塞げる程のサイズの漆黒色の金属……そんなの、俺には一つしか心当たりがある。でもそんな筈が無い……!あいつには俺を助ける理由なんていない。そもそも身体の半分近く失って、身動きできない程のダメージを負った筈だぞ!
『…………感謝する』
「っ!?」
漆黒色の何か、もといデュラハンに触れた直後、その身体に無数のひびが走った。次々と砕ける鎧が金属が軋む音を上げた。その内部にある鬼火の光度が脈内化の様に不安定化して、軋む音に紛れて、そんな感謝の言葉が聞こえた気がした。
やがてデュラハンの鎧が全部砕けて、その魂に等しい鬼火は燃え尽きたように虚空へ消えた。そしてデュラハンが消滅したことで、その向うにある光景が視界に映った。
目が見える限りの全てはヘル・キャリッジの爆撃を受け、青白い炎の海と化した。デュラハンの鬼火に触れても熱が無かったのに、ヘル・キャリッジが巻き散らかした鬼火から生じた炎の海から凄まじい熱量を帯びた空気が肺の中に満ちる。不運にも巻き添えをくらったアンデッド達から苦痛の唸り声や悲鳴が階層内に飛び交う。もし地獄というものが存在するのなら、きっと今の第64階層とそう違わない筈だ。
『……礼を言うのは私達の方だ』
俺が灼熱地獄と化した第64階層を見渡して気を取られてる際に、イリアががボソッと呟いたその一言のお陰で我に返った。
『移動しながら魔力ポーションを使え。あいつが攻撃を仕掛けてくる前に我々も反撃の準備を整える』
小さく頷いて、彼女の指示通りに空中にいるヘル・キャリッジを視界から外さない且つ地面に残った青白い炎を避けるよう移動しながら≪ディメンション・アクセス≫からもう一本の魔力ポーションを飲み干した。
『イリア、鬼火は熱量が籠っていない筈だろう?』
『お前が言う鬼火が魂の場合ならそうだ』
『ならヘル・キャリッジが爆撃に使った鬼火からとんでもない熱量を感じたのは何故だ?現に俺はここにいるだけで灼けそうだし、何ならその鬼火で燃え尽きたアンデットも有るんだ』
『あれは魂じゃないからだ』
『…………』
『純粋な魂に熱という概念が存在しない。そしてヘル・キャリッジはその馬車の中に積んでいる死者の魂……その怒りや悲しみといった怨念を使った、魔力を含めた魔法だ。魔力という名の異物が入り交じったモノ、純粋では無い魂だ。熱量ぐらい有ってもおかしくない』
『死者の魂、か……』
『気に食わないか?』
『いや、ただあんな大技を連発したらもうすぐ使いきるんじゃない?』
『あの馬車内にどれだけの魂が詰め込んでいるかは分からないが、当分は尽きないと思うぞ。さっきの攻撃でここに住み着く大量のアンデットを殺したからその分の魂は補充されている筈だ。現に私達が会話できる余裕が有るのはあいつが今、死んだアンデットの魂を吸収している最中のお陰だ』
『やはりそう簡単にはいかないか……』
『そうでもない。あれを見ろ』
それを言って、イリアは念話越しにヘル・キャリッジを、正確に言えばヘル・キャリッジの馬車を引く二頭の屍の馬に注意を引いた。よく見たらその内の一頭の首にはデュラハンの魂にある首輪と似た物が嵌められている。
『幸いヘル・キャリッジの馬はそう硬くない。デュラハンみたいに大掛かりな魔法は要らない。馬の首を刎ねなり、燃やすなり好きにすると良い』
『それでもまだ三つの問題が残っている。その攻撃範囲と魔力を吸収する障壁、そしてヘル・キャリッジ自身の機動力。お前が言うに、あの障壁は一度に一種類の魔法しか吸収できないからまだマシだけど……言っておくがあの弾幕を掻い潜るは至難の業だ。それがご自慢の機動力で距離を置かれたら、集中力が持たないぞ』
『それの心配は要らない。これまであいつが攻撃系の魔法を使った際には動かなった』
『――だから向うが攻撃をした瞬間にカウンターを狙うのか』
『そうだ。レイはただヘル・キャリッジの攻撃を潜り抜いて、止めを刺す事に集中すれば良い後は――』
『ヘル・キャリッジ、魂魄の吸収を終了しました。もうすぐ攻撃がきます、準備してください、レイさん!』
いつの間にかほのぼのとした緩い雰囲気になったが、イジスが発したその一言で場の空気が再び緊張感に支配された。