第百四十二話
「――っ!」
袈裟斬りで振り下ろした嵐の大鎌は『塔』の地面を抉り、その膨大な魔力が込められたその一振りで発生した荒れ狂う突風は周囲の土煙を消した。これ程の威力を秘めた一撃なら確実にデュラハンの胴体を両断できると確信した。が、大鎌を振った時の手応えと晴れた視界に映る光景はその真逆の真実を物語っていた……
最初に大鎌と接触したデュラハンの肩から胸元までが大きく裂けた。そう、そこまでは良かった。けど大鎌の刃はデュラハンにそれ以上のダメージを負わせなかった。
「あれはっ……!」
これ以上大鎌の刃が通らないと確信した俺は魔力の節約も兼ねて、いち早く倒れているデュラハンから距離を置いた。ほんの一瞬だけど、でも俺は確実にソレを見てしまった。
破損した鎧の部分から覗かせる揺らめく鬼火の中心部分からチラリと、鈍く光る鋼色の指輪みたいな物が見えた。どうやら俺の攻撃を止めたのはその指輪に間違いないだ。しっかし、デュラハンの鎧は≪雷の激鎚≫を防いでもその胴体に野球ボールぐらいの風穴が開けたし、嵐の大鎌を受けた肩も裂けた。その二つの攻撃を受けても壊れない鋼色の指輪は一体……
『レイ!それを壊せ!』
デュラハンから離れた瞬間、イリアがいきなり念話の中で声を荒げて叫んだ。彼女が豹変する原因は間違いなくあの指環だ。
『バカを言うな!≪雷の激鎚≫と≪風魔の死鎌≫も壊せなかったぞ!流石にあの二つより威力が高い攻撃は――』
『そうですよ。冷静さを失うなんてらしくないですよ、イリアさん?』
『……っ』
『イリアさんがあの首輪を忌み嫌う気持ちは分かります。けれど、レイさんの言葉も一理があります。ここで首輪を破壊できたとしても、魔力が枯渇寸前の状態でレヴィさんとセツさんを探すのは無理です』
『…………』
『この場合は「壊す」ではなく、「奪う」のです』
珍しく焦りの感情を露にするイリアだが、イジスのお陰で何とかそれを鎮めた。その指環とイリアの関係がめっちゃ気になるけども、今はそれ以上に知りたい事が残っている。
『ねぇ、イジス。首輪って?』
『デュラハンの中にある鋼色の環のことです。レイさんも見た筈ですよ?』
『でもあれは首輪と言える程のサイズじゃ無かったし……そもそもあれは一体何なの?』
『ん~それは後でイリアさんに聞いた方が良いですね~』
何だかイジスが頭を傾げて何かを考える仕草が思い浮かべる中、一拍を置いて、彼女は言葉の続きを発した。
『今は「その首輪を失ったデュラハンは攻撃できない」の事を知れば良いです……あとでイリアさんがレイさんが知りたい事を教えますから』
『おい、私に押し付けるな!』
『え~……でもモノの説明は私より得意ですよね?』
『理由になっていないっ!』
『まぁまぁ、ヘル・キャリッジに仕掛けたアレの効果もそろそろ切れる頃合いでしょう?』
『…………』
あ、あのイリアがイジスの掌の上で弄ばれている!?しかも、いつもは大和撫子の感じのイジスのちょっぴりなS心を見せた歴史的瞬間!この光景は脳内で永久保存しなければ……!
『……レイさん?』
想像を絶する言葉の圧力を受け、俺は思わずビクっと反応した。そのまま彼女の逆鱗を撫でたくない気持ちで土下座したい自分とデュラハンを警戒する目的で視線を逸らしたくない自分が凄まじい葛藤を繰り広げる中、イジスの溜息が聞こえた気がする。
『兎に角早くにして下さいね。もうすぐヘル・キャリッジが戻りますから』
『……あの鬼火を触っても大丈夫なのか?』
『勿論大丈夫じゃない』
『はっ?』
『でもレイ、お前には冥獄鬼の鎧骨がある。両方とも同じ存在から生み出された命、拒否反応を生じない筈だ』
『…………』
『安心しろ。首輪の事も含めて教える』
『……約束だからな!』
イリアと口約束ならぬ念話約束を交わして、問題の首輪を奪う為に強化魔法をが施された足で地面を強く蹴って加速した。
『ヘル・キャリッジに仕掛けた幻覚の効果切れまで五秒前。切れた瞬間から戦闘開始と思え』
『もうちょっと長引かせないのか?』
『持続時間が長ければ効果が薄れる。それに……あんまり私達の存在を知らせたくない……』
『イリア……』
『気にするな。お前はただ首輪を奪って、ヘル・キャリッジを倒せばされでいい』
『簡単そうに言うな!こっちは魔力残量の管理も必要で――』
『四秒前』
『文句を言う時間さえ与えないか……!』
クソ……!≪風魔の死鎌≫が首輪によって阻まれたことに警戒して多めに距離を置いた事が仇になった。今は天井付近でイリアに見せられた幻を追いかけているヘル・キャリッジだが、それが解いたら俺がその攻撃範囲に入るまでに必要な時間は恐らく一秒未満。
これまでイリアとイジスと念話で会話する時にも幾度も鬼火を放ったが、イリアの匠な誘導のお陰で一度もその流れ弾が俺の近くを通っていない。だがそれを失った瞬間から鬼火の雨を降らす光景は目に見えている。
『三秒前』
「落ち着け……!ギリギリになるが間に合える!速度を保ちつつ、破損したデュラハンの鎧からその小さな首輪を奪えば良い!いかにその一瞬で精密さを上げられることだけを専念しろ!」と短いけど、途方も無く伸びた時間の中で何度もそうやって自分に言い聞かせた。
未だに倒れているデュラハンとの距離は目と鼻の先まで縮まった。あとは手をその鎧の中に突っ込んで、首輪を奪うだけ!
『二秒前』
「――っ!?」
肩の部分から冥獄鬼の鎧骨を纏った右腕をその胴体の中に突っ込んだ。鬼火だからてっきり熱いと思ったら意外とひんやりであった。しかもその鬼火に触れた瞬間、どこか悲しいと同時に懐かしい気持ちになっていた。
『一秒前』
『何をしているのですか!?もう時間が無いです!』
『あ、ああ。分かっているっ!』
謎の心境の変化によって僅かなタイムロスが生じた。イジスの声のお陰で我に戻って、すぐさまに首輪を掴んで、右腕をデュラハンの鎧から引き抜いた。咄嗟にヴァナヘムルでこの辺りがヘル・キャリッジの鬼火に呑まれる未来を知り、いち早くこの場から離脱した一心で再度地面を蹴った。だが
――
『ゼロ』
「しまっ!?」
――無慈悲にもイリアのカウントダウンゼロに達した。
次の瞬間、俺の視界は無数の青白い鬼火によって埋め尽くされた。