第百三十六話
「っ!」
あれから約十分弱が過ぎて、セツの攻撃は未だにエルダーリッチに当たっていない。セツが接近しただけで闇の粒子となり、霧散するエルダーリッチは低頻度で闇魔法の球体を放つが、それは「撃つ」と言うよりかは「浮遊させる」っと言った方が正しいぐらいの低速で飛来する。そんな魔法がセツに追いつける筈もなく、軽々と彼女がそれらを躱した。
俺とレヴィに攻撃を仕掛ける様子もなく、ただ単にセツの攻撃を避け続ける。一体何が目的だ?俺が知るエルダーリッチは確か使用可能な魔法の豊富さとアンデッドのしぶとさを兼ね備えたモンスターだったけど……?もしかして大量のゾンビを維持する為で派手な魔法が使えないとか?……いや、それは考えにくいな。俺達以外で第60代の階層を攻略する者はいないし、その指揮官が殺されたらゾンビ軍団も維持できなくなるからセツの攻撃を永遠に避け続けて体力を削る作戦でもなさそうだし。
それに……俺とレヴィを全く攻撃しないのも妙だ。セツ一人で手一杯ならこの階層に彷徨うゾンビで攻撃すれば良いなのに。何なら幻影を俺達の間に生み出して、セツの攻撃を俺とレヴィの方に誘導する手も有った。
「攻撃できないのではなく、攻撃しない……?」
「ん?」
俺の呟きにレヴィが反応した。
「あのエルダーリッチの事さ。そもそも最初からあいつ等が取る行動自体が怪しい」
「怪しい……?」
「だってそうだろ。自分達が絶対に敵わないレヴィと遭遇したんだ。何で逃げずに棒立ちする?あの幻影を生み出す魔法が有れば多少の傷を負えたとしても十分に逃げ切れる筈だ」
「……なのに奴らは私の付近に居続けた、と言いたいの?」
レヴィの言葉に俺は強く頷いた。そう、エルダーリッチ達が三人別々の方向へ逃げれば各自の生存確率が上がる。が、目の前の三体のエルダーリッチはそうしなかった……
昔にイリアが大体のモンスターは己の生存本能と競争本能を基に行動するって教われた。上位のモンスター、生半可な理性を手に入れた者もその衝動に抗えない。大罪悪魔のレヴィにとって、一体一体は脅威にならないエルダーリッチでも三体集まって、それぞれの全てを懸けて放つ魔法なら殺害は無理でもそれなりのダメージを大罪悪魔に与えるとしたら……!
「あいつ等の狙いは最初から猛攻を仕掛けるセツではなく、レヴィだった!?」
「……なに?」
「そう考えると色々と辻褄が合う。この一見無駄に見える持久戦はもしレヴィに一矢を報える為の魔法の準備期間だとしてら?大量のゾンビのせいで大気中に漂う魔力が多少の魔力の変化を誤魔化せるし」
「それは流石に無謀過ぎないかな?その間で私やマスターが広範囲の殲滅魔法を使ったら――」
「賭けたんだ。自分より圧倒的に強い相手を挑んでいるんだ、何のリスクも伴わない作戦が通用すると思うか?」
「…………」
黙り込むレヴィを尻目に、俺は再びセツに意識を向けた。一刻でも早くこの事を彼女に伝えたいが、これはあくまでも何の証拠も無い推測に過ぎない。本当の狙いはセツである可能性もあるし、ただ単に弄ばれているかも知れない……兎に角、考える可能性を全部セツに伝えた方が良いな。どの道この階層を攻略しなければならない。魔眼の多用が禁じられた今、別の方法でエルダーリッチの本体を探し出して、セツに伝え――
『いや、それは必要ない』
『え?』
『彼女はもう既に見つけようた』
心の中に「どういう事」っと考えながらセツの周りに視線を巡らせた。すると、銀色の鉄製の小さな棒状の物が数十個地面に刺さっている。
「あれは……セツがいつも使っている釘か?」
『ああ、そうだ。彼女はそれぞれの釘と繋ぐ魔糸に自分の魔力を流し、それらを蜘蛛の巣みたいに近付く、もしくは通る物に反応する仕組みに仕上げた』
「確かに獣人族は人間離れた五感を所持しているけど、そんな事は本当に実現できるのか?」
『お前が寝ている間に彼女が見つけ出した技術の一つさ。ま、それを可能にしたのは紛れも無く、彼女の天性の才能だ。それに……自分の触覚と気配感知のスキルを魔力に混じって、魔糸という媒体に流し込む発想自体を生み出せるのは彼女ぐらいだ』
凄い……セツ、お前はもう魔力をこれほど扱えるようになったんだね。セツと出会って数ヶ月しか経っていないのに、最初に魔力の知識が殆ど持っていない状態でこの短いスパンでこれまで成長した。彼女の努力も勿論のことだが、もう一つ必須な要素、彼女の天性の才がこの成長を可能にした。
「もう……逃がさないっ!」
そう力強く宣言したセツの姿が瞬く間に消えた。慌てて気配感知で探して、すぐさまその方向に振り向いた。が、セツは元に居た位置から百メートル以上離れた、何も無い空間に跳び込んだ。この光景を目の当たりにして思わず「速っ!」と叫んだ。次の瞬間、セツが逆手に握っている短剣を前へ突き刺した!
――ガァアアアアアア!
硬い物が砕ける音と共に、不気味な断末魔が階層中に鳴り響いた。よく見たら、セツの短剣の剣先ゆらゆらと蜃気楼みたいに歪み、やがてに幻影と瓜二つのモンスターがそこに現れた。しかも今回は霧散しなかった。
「あれが本体か!」
セツに刺された胸骨は砕けたが、彼女に攻撃はまだ終わらない。負傷したエルダーリッチが次の行動を取る前に身体を捻って、左側の肋骨を砕き、その勢いに乗った右足によって繰り出された回し蹴りでエルダーリッチの頭蓋骨に追撃した。半分ぐらい砕け散った頭蓋骨は繋がっていた身体から数十メートル先へ飛ばされた。
「そうだ、幻影はっ!?」
セツの雄姿に意識を吸いられて、つい幻影の事を忘れた。すぐさま振り返ったら案の定、三体の幻影が二人に減った。これで確信した。一体のエルダーリッチが一つの幻影を生み出している事が。
「残り……二体……!」
呆気なく絶命したエルダーリッチの死体を踏み付け、セツがそう小さく呟いた。