第百二十八話
「はぁ……はぁ……こ、ここまで走ったら大丈夫だろ?」
『まぁ、いいだろう……』
巨大百足のボス戦後半、不死のボスモンスターの脅威で絶望する寸前でいままで全く連絡がつかないイリアの声によって我に戻り、彼女の指示に従って氷塊の海の底に蠢く巨大百足を無視して上の階層へ逃げ込んだ。
運良く次の階層はモンスターが少なく、目視出来る範囲内には一匹も居なかった。気配感知を用いても遠くの五、六匹にしか居らず、比較的安全な階層に成っているみたい。ここが第一階層の休憩地と同じ作りに成っているのかな?ムラサメの言葉から察するに、『塔』は大罪悪魔の封印地とは別に、戦争様の兵士の育成所という役割も担っているみたい。その過程で命を落としたら元も子もないから、所々に休憩地を設置するのもおかしくない。
「全部説明させてもらうよ?」
ようやく一息つける場所に辿り着いて、レヴィが俺を、もとい実体化していないイリアを睨んでそう訊ねた。無言で頷いた彼女が珍しく念話ではなく、わざわざ実体化してまでレヴィの要求に応じた。
「あの百足の名はインセックト・キマイラ。レイの予測通り、無数の虫型モンスターを糧としてほぼ無限に自行修復が可能な装置だ」
「装置?生物すらないじゃないの?」
「その通り。アレは神代大戦で神側が作り上げた兵器。レヴィが知らないのも当然、アレは魔王軍ではなく、魔王軍に加担する他種族の者の足止めや重要施設の守護を任された代物だから」
「じゃマスターが言う工場での自行修復の特徴で移動が出来ないって感じなの?」
「ええ、まさにの通りですよ。でもレイさんの推測には間違っている点もあるわ」
イリアの説明を捕捉かの様に彼女の隣に実体化したイジスが俺の考えを指摘した。元天使とは言え、昔が仕えている側の兵器が敵に回ったことで二人とも何処か申し訳なさそうな顔立ちで件の百足の説明を続けた。
「レイは修復工場を破壊すれば再生できないと考えたが、それは半分正解に過ぎない」
「……半分?」
オウム返しで聞き返したセツに対して、イリアは「そう」っと頷いてから俺を一瞥してからセツの方へ振り向いた。
「工場はあくまで修復する役割であって、百足の動きを制御する訳ではない」
「なるほど。つまりマスターがやった事は回復手段を断っただけで、あの百足本体はまだ動ける」
「じゃあイリア、話を変わるけど……あんな化け物をどうやって倒せる?」
「よく思い出してください、レイさん。イリアさんはあの百足の事を『装置』っと申しました。なら、その『装置』に指示を送るモノを壊せればいいんです」
「でも工場は破壊した筈――」
「誰が百足を操っているのは工場って言った?」
俺が言いたい事を先読みし、言い終える前に彼女自身の言葉でその考えを否定した。巨大百足は何者かに操られている可能性も一応考量に入れた。何回も何回も殺されて、もし独自の行動であればとっくに脳の負荷超過を起こし、行動不能に陥る。が、それが操り人形みたいな概念で動いているのであればその心配はいなくなる。
だから巨大百足を動かす者、司令塔が居ると確信した俺は自行修復を阻む目的も兼ねて第45階層の破壊を決意した。でもその司令塔が修復工場である必要はない、誰も司令塔が工場そのものか工場内に存在するって一言も言っていない。
「くっ」
そう、それはあくまで俺が立てた仮説であってそれを立証する証拠や根拠など存在しない。……勝負に焦り過ぎて冷静さを失い、判断を鈍らせたか。くっ、悔しい!冷静さを失ったら判れるものも判らなくなる。引きこもり生活が開始時は何度かそれでゲーム攻略に詰む経験は嫌な程体験した筈なのに、このはゲームみたいに何度も蘇ってリトライすることができない。
ライフが一つしかいないこの世界に来て、油断や冷静さを失うことだけは避けるって何度も自分に言い聞かせたじゃないか!
「あ、あのぉ……マスター?」
「ん、どうした?」
「大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。ただ考え事に没頭しただけだ」
「「「「…………」」」」
「本当に大丈夫だって!そんな事より、肝心の司令塔は一体何処に居るんだ?」
無言で心配げな眼差しに見詰められて、自分のミスで後悔した挙句に少し自虐的になった俺がバカみたいでなんか恥ずかしい、且つ申し訳ない。皆に心配されないよう、頑張って話題を換えた。そんな俺の心境を察したイリアが小さく溜息を漏らして、再び百足の説明を再開した。
「……インセックト・キマイラは一匹の蜂だ。まぁ、蜂と言っても全身灰色のオオスズメバチに近いかな。勿論普通のオオスズメバチには比べにならないぐらいの毒を持っているけどね」
「灰色のオオスズメバチ……そんなの、見えなかったぞ」
「それも当然ですよ。そのオオスズメバチは他の虫型モンスターに紛れて攻撃しますし、感知系のスキルや魔法を妨害する特殊な魔力を周りに流し続けていますから」
つまりその司令塔のオオスズメバチを探し出すには目視しかできない、か。幾千万の虫の中から一匹のオオスズメバチを見付ける、しかも巨大百足の攻撃を凌ぎながらという条件付き……とてもじゃないが、無理に等しい難易度だ。
「あの百足の正体は分かった。でもそれは君達が全く連絡がつかない理由にならない。まさか虫が苦手……なんて理由じゃないよね?」
より一層険しい顔でイリアとイジスの睨むレヴィ。珍しく彼女の口調には明白な「怒り」の感情が入り交じっていた。
「まさかマスターを裏切ろうと――」
「混ざっていた」
「……なに?」
血相を変えて、今でもイリアの首筋に魔剣を振り下ろそうとするレヴィの言葉を遮ったのはその怒りの対象のイリアであった。尚、レヴィの怒りはそう簡単に収まらなかった。でも、どうやらイリアを攻撃する衝動は少し鎮まった。
まだレヴィはイリアの言葉に聞く耳を持っているみたいで良かったぁ。最悪の場合は力ずくでレヴィを抑えようと考えたが、どうやら無用な心配であった。でもイリアの答え次第で何時でもその最悪が現実に成りかねない。
「あのインセックト・キマイラの身体に何匹かの監視虫が紛れている」
「ウォッチャー?」
「監視虫はあの名の通り、見た物をそのまま使役者に見せる一種の神代戦争の遺物だ。その特徴で見た人物を魔力を記録し、他の監視虫と共有するから一度見た者は決して忘れない」
「それって!?」
「ええ。もし私やイジスが念話で解する時にその魔力を見たら封印された筈の私達が既に脱走していて、しかも敵である筈の大罪悪魔に協力している事実を知る。そうなったら……」
「事の発端のマスターが狙われる……なるほど、マスターを裏切るつもりは無いね」
「当然だ。何故私達がレイを裏切るが有る?」
イリアの説明に納得したレヴィは握っていた魔剣の手を緩んだ。些かピリピリした空気はまだ少し残っているけど、あの二人が殺し合いを始まらないで良かった。いや、この問題はまだ解決していない……
「待って、イリア。その監視虫とやらが巨大百足の体内に混ざっている事は、誰かがお前とイジスがこの『塔』に訪れることを予想した……なのか?」
「……分からない。それ故意に仕込まれたか、はたまた偶然にその階層に生息しているのか。判断材料が少なさすぎる」
イリアが残念そうに頭を横に振りながらそう伝えた。
「ともあれ、今はゆっくり休めると良い。インセックト・キマイラで大分消耗した筈だ」
「……そうさせて貰うか」
「前の戦えで戦力に慣れな詫びに、三人ともゆっくり休め、見張りは私とイジスに任せろ」
感謝の言葉を述べて、俺達はイリアの言葉に甘えてそこから少し離れた場所で休息を取った。