第百十話
軍服の警備員と別れて、俺達は高さ3メートル以上あるアーチ型の入口を潜った。『塔』の内部はレヴィが封印された遺跡と似た青白い光に照らされた。でもそこと違って、ここは人工的な構造が見当たらない。寧ろ「自然にできた洞窟をこの『塔』に詰め込んだ」という表現が正しいかもしれない。
凸凹の地面と天井を支える柱みたいな石筍が不規則に並んでいる。しかもイリアとイジスが封印された場所みたいに、進める道が枝分かれている。ただでさえ視界が悪い環境なのに……イリアがいなければ本気に迷子になれそうだ。
そして幸いと呼ぶべきか、入口から入って直ぐにサッカーフィールド並みの広場があった。どうやらここは『塔』の挑戦者が装備の最終チェックと休憩などを兼ねて場所らしい。その内の一組から聞いたところ、このフロア以外でも似たような広場が幾つか存在するみたい。
「これはいい情報を手に入れた」
「ですね~これなら一々戻って休憩を取らなくて済む」
「問題は……その場所……」
「まぁ、そこはイリアにお任せするしかないな」
快く首肯の意を示したレヴィと相反し、セツは広場に対する懸念の言葉を口にした。セツが心配している事は分からなくもない……広場の場所が特定できずに連戦で命を落とす、もしくは他所がモンスターを広場に連れ込む可能性もある。また、広場のエリア内でモンスターが無い保証もない。最悪……件の広場はモンスターハウスか、ボス部屋の場合も考量に入れるとしよう。
セツに悪いが、この事ばかりは仕方ない。下層や中層の辺りはまだしも、恐らく50代後半から上のフロアの地図は売っていない。軍服の言葉を信じるなら……現時点での最高到達フロアは第67層、しかも僅か一ヶ月前。彼曰く、『塔』の攻略チームは地図作りや安地の設置などの事はせず、ただひたすらに最速で最上階を目指している。
馬鹿げた話に聞こえるが、どうやら彼らには一度通った道を完璧に把握できる超人的な頭脳を持っているようだ。それに、彼らは第67階層まで登れた連中だ。チームの規模も攻略の仕方、フォーメーション等は知らない。が、相当な手慣れと実力者を兼ね備えたチームであることは揺るぎない事実。そんな攻略チームでさえも無傷にはいられず、一度の挑戦では大量なリソースを費やするみたいで、だいたい攻略チームは物資の補充も兼ねて二ヶ月から半年の間隔を置いて挑戦するらしい。
そして彼らの最後の挑戦から一ヶ月弱しか時間が経っていない。つまり奴らと鉢合わせする事は無い。セツも、誰かに妨げることなく、心置きなく戦闘経験を積もれる。不意に、俺は入り口の反対側に魔眼を発動した。
「第一フロアはスライムとゴブリンか……まぁ、ゲーム初期の定番の敵だな。スライムは魔法以外の攻撃が中々通らないが、セツなら大丈夫だろう」
『ええ、ここから30階まではセツ一人で十分』
「……そっか」
イリアに短く返事した後、セツに目配りした。俺の視線を感じた彼女は力強く頷いた。俺とセツのやり取りを見守ったレヴィも笑みを浮かべた。
「さて……セツちゃん?大罪ダンジョンデビューの準備はもうできたの?」
「頑張る……っ!」
「良い返事ね。良いか?30階以下は本気で危険な状況以外は全部セツちゃん一人で戦うの。ポーション類もセツちゃんの判断で使って」
「…………」
まるで教官の指令を聞く新兵のように、セツはレヴィの言葉の一言一句を逃さずに脳へ刻み込む。
「上に上がる階段と休憩する広場はイリアさんに聞いても良い。でもどんなタイミングでどの広場で休憩する判断は勿論セツちゃんに委ねます。私とマスターは一切の口だしはしない……ここまで良い?」
「…………」
未だに沈黙を保てるセツは再び静かに、頷いた。
「よし……行ってこい!」
「……ん……行ってきますっ」
ここは『塔』の入り口手前の広場。当然俺達以外の挑戦者が居る。だからこれまでレヴィとセツはかなり声を抑えて喋っている。それでも、セツの言葉から彼女の決意が伝わってくる。
かつ……かつ……っと、石質の地面を踏み締めて、セツは入り口の反対側、つまり『塔』の中心へ歩いた。彼女の雰囲気が一転し、日常に馴染んだそれから最初に出会った頃の、逃亡と殺戮に満ちた毎日を送った彼女に戻った気がする。でも、今の彼女はあの時と違って、確実な力を手に入れた。獣人族では使えない筈の、魔法という名の力を。
「…………」
新武器を握ったまま、黙々と奥へ進むセツ。彼女の背後には段々とゴブリンの屍の道が出来ている。その屍道の中に混じっているのはゴブリンの血とひび割れたスライムの核。
本来ゴブリンは集団戦を得意とするモンスター。仲間との連携で冒険者を返り討ちする。その知性は人間より劣るが、それなりに武器を使いこなし、中には毒をも使う個体が存在する。しかもこの薄暗い空間の中では、モンスターに奇襲されるリスクも高い。
そしてスライムは核の心臓部分を囲む粘液の身体を持つ。その体の特製故、多くの物理攻撃は奴らに効かない。よほどの強者じゃない限り、物理攻撃だけでスライムを倒すのは至難の業。しかも、中心の核を壊さない限り、スライムは死なない。時間と魔力があれば、何度でも自分の体を再生できる。
首都の冒険者ギルドの職人から聞いた話によると、ソロでこの二種類のモンスターを挑戦する初心者は居なかった。Dランクの冒険者ですら、油断で殺される可能性も十分にある。にも関わらず、彼女は悠然と歩いた。
セツの視力と反射神経、身体能力などはゴブリンのそれらを遥かに凌駕する。持ち前の嗅覚と聴力がゴブリンの奇襲が行わる前に暴き、真っ向の対立になったゴブリンの群れはなす術もなく、命を奪われた。魔力を纏ったセツの短剣は難なくスライムの身体を斬り裂き、核を両断する。そんな彼女は汗一つも掻かずに周りのモンスターを殲滅した。
念の為イリアには他人から俺達の魔力の認識を妨げるよう頼んだ。人数が多い薄暗い『塔』の中で俺達の姿を認識し、覚える者はそうは居ない。なら、魔力さえ隠蔽できれば騒ぎに成らない……筈!特にセツ、獣人族の彼女が魔力を扱う事だけは他人に知らせたくない。
『イリア様、上への階段は?』
『前方で右を曲がって、300メートルを進んだ先』
『ありがとうございます』
周囲にモンスターの気配が無い事を確認したセツは念話でイリアに階段の場所を訊ねた。短い会話を交わしてた後、先頭に立つセツが俺とレヴィが居る方を振り向いた。
「……早く、上に行こう?」
「うん、分かった」
「本当、セツちゃんはやる気満々ね~」