ありす
「じゃあ、これが『入国証』、ICカード。ナンバーを打ち込めば新規登録できるわ」
美姫はICカードを受け取った。昔使っていた『入国証』はもうなくしてしまっている。新しくデータを作るしかなかった。
「オンラインゲームに必要な機械も全部そろってるし、さっそくログインしてらっしゃい―――と言いたいとこだけど、一つ大事な事があるのよ」
「なに?」
「『ワンダーランド』は誰もが楽しく遊べる空間。当然男性も女性もいるわね」
「うん、だから?」
「だから今回は男女一人ずつトップを決めようってことになってるの。つまり王と女王ね。男女ペアのチーム戦なのよ」
全員の視線が大貴に集まった。
「え、俺?」
「お願いできる、大貴くん?」
大貴は美姫の両親の顔を代わる代わる見て、
「……はあ、まぁ……」
「ありがと、大貴っ!」
美姫は大貴の腕にとびついた。
とたんに真っ赤になる大貴を見て、エリカが「ははぁん?」とつぶやいた。
「そういうこと。で、君は、ええと……?」
「九条大貴。《帽子屋》の息子と言ったほうがわかりやすいかしら?」
美姫の母の説明に、エリカは一発で理解したらしい。
ちなみに《帽子屋》は大貴の母のキャラネームだ。
最初の製作チームの一員だった彼女も『アリス』にちなんだ名前をつけている。
「なるほど。似てないわね」
「どっちかっていうと父親似だから。―――さて、コンビの決定とあともう一つやらなきゃならないことがあるのよ。エリカ、ちょっと来て」
美姫の母はエリカを真姫の部屋に案内し、何かささやいた。
エリカは眠っている真姫に近づくと、首輪の時計が光った。
突然、空中に巨大な時計が現れる。秒針はゆっくり進んでいた。
「時よ、止まれ!」
エリカが叫ぶと、針がピタッと止まった。同時に真姫の体が青白いもやに包まれる。
「なにしたの?!」
「この子の時を止めたのよ。これで病気の進行をくいとめられる」
でも、とエリカは続けた。
「病気はそのままよ、治したわけじゃない。いつまでももつものじゃないしね」
「大丈夫。美姫が女王になるまではもつわよ」
美姫の母は自信たっぷりに言った。
「ずいぶん自信ありげな言い方だね」
「まぁ、そうね。さ、時間は限られてる。あなたたちも行ってらっしゃい」
母親はきびすを返すと部屋を出て行った。
「…………」
美姫はじっと妹を見つめた。必ず、お姉ちゃんが助けてあげるからね。
妹の机を開け、トレカファイルを取り出す。これまでに真姫が集めた『ワンダーランド』のカードが入っていた。
「真姫、あんたのカードを使わせてもらう。絶対助けてみせるから」
☆
美姫・大貴・エリカの三人(二人と一匹?)はひとまず大貴の部屋に移動した。カードと設備があるからだ。
大貴は真姫のファイルを調べながら言った。
「正直、あんまりいいカードはないな」
「真姫はそこまで必死にカード集めやってたわけじゃないから。コンプ精神はないし。ただ楽しく遊べればいいって言ってた」
「ま、それでいいんじゃないか。レアカードを血眼になって集めるのもどーかと思うし。カードは俺のも貸せるし、おいおい集めるとして……。まずはログインするか」
大貴はパソコンを立ち上げると、慣れた手つきでオンラインゲームを開いた。美姫とエリカにヘルメットみたいな装置を渡し、自分もつける。
エリカが首を傾げた。
「これは普通にかぶればいいの?」
「ああ、そうだよ。あれ、知らないのか? チェシャ猫なのに」
「私の知ってるのとは、ちょっと形が違ったから」
つぶやきながら、器用にかぶる。
猫の手でどうやってんだろうなぁと美姫は思いつつ、自分も見様見真似でつけた。
「じゃ、ログインするぞ」
大貴がエンターキーを押すと、三人の意識が仮想空間に吸い込まれた。
☆
真姫が目を開けると、そこは一軒の家の庭だった。
古めかしい作りで、しかもあきらかに日本の家じゃない。
「ここはオープニング画面ね?」
美姫が声のするほうを見ると、足元にエリカがいた。隣には大貴も立っている。
「ここはスキップできるけど、ま、美姫は初めてだからゆっくり見てけばいいんじゃねーか?」
エリカが聞きとがめた。
「初めて? 美姫、あなたはやったことないの?」
「オンラインゲームは初めてだよ。お店のゲーム機か携帯ゲーム機でしかやったことない。だってこれができるのは中学生以上でしょ……」
美姫が続けようとした時、向こうから服を着た白ウサギが走ってきた。
「遅刻だ―――っ!」
時計を持っている。
まさに『不思議の国のアリス』そのものだ。
つまりここはアリスの家の庭だったわけだ。
筋書き通り白ウサギが穴に飛び込んだので、三人も続いた。
深い穴をゆっくり落ちていく。スピードは遅くて、怖くはない。
しばらくして底につくと、やっぱりドアだらけだった。どれもカギがかかっている。テーブルの上のカギがあうのは、とても通れない小さなドアだけ。
「えーと、お茶を飲むんだっけ?」
美姫は置いてあったお茶を飲んでみた。といっても仮想空間だから、現実に飲んだわけじゃない。それでも美姫の体はぐんぐん小さくなった。
「うーんと、これでドアにあう大きさになったわけだけど、原作じゃまだカギがかかってたような」
ドアノブをひねってみると、やっぱり開かない。持ってたはずのカギも、もとあった場所に戻っていた。
「……ケーキ食べなきゃダメか」
なにもそこまで忠実に再現しなくてもいいのになぁ。
美姫がぼやくと、黙って見てた大貴がアドバイスした。
「だからスキップできるぞ」
「いい。途中までやったからには、最後までやるよ」
ケーキを食べたら、大きくなった。
「やっぱ出らんなくなった!」
美姫が叫ぶと、ドバーッと水が降り注いできた。
「ちょ、なにこれ?!」
「涙の雨の代わりの演出」とエリカ。
「そこまできっちり再現しようとしなくていいよ!」
言ってる間に美姫の体は小さくなり、三人全員涙の池にドボーン。
「ななな、流されるー!」
「あ、大丈夫。これ現実じゃねーし。ネット上の仮想空間に、装置を使って意識をシンクロさせてるだけだから。リアルに感じるけど、脳にそう錯覚させてるだけだよ」
オンラインゲーム『ワンダーランド』最大の売りはこのリアルさだった。
特別な装置で人間の意識をコンピュータに接続。仮想空間でまるで本当に生きているみたいに動ける。
だから中学生以上と年齢制限があった。小学生時代にやめた美姫がやったことがないというのはそういうわけだ。
年齢詐称を防ぐため、登録にはマイナンバーが利用されている。
依存性ややりすぎを考えて、大人でも一日二時間しかログイン不可能という制限がある。
体は現実世界にそのままなわけで、長時間動かずにずーっとほっとくと色々危険だからだ。エコノミークラス症候群とか、ゲーム世界に意識いっちゃったまま戻らないとか。
それでも人気のゲームなんだから、なんというか。
意識さえはっきりしていれば、シンクロ可能。現実には障害があって動けない人も自由に動けるし、視聴覚の障害も気にならない。脳に直接働きかけてるからだ。
障害者にも広がったのはこういう理由だった。ちなみに映像や音を脳に直接届ける仕組みは改良されて、障害者向けの装置として日常生活用に販売されてる。
それも、開発者の考えだった……。
二人と一匹はどこかの家の応接室へたどりついた。白ウサギが立っている。
「『ワンダーランド』へようこそ!」
白ウサギは丁寧にお辞儀した。
「おや、皆様びしょぬれですね。ではマイキャラチェンジをしましょう」
「入国証を出すんだよ」大貴が説明した。
「スキップすると、ここまで一気に来れたはずよね。濡れもせず。今度からはそうしてね」
エリカがブルブルっと体を震わせ、水を飛ばしながら注文した。
ごめん。
白ウサギは大貴の入国証を読み取って、
「《ジャック》様ですね。承りました」
白ウサギの手の中でカードが光ると、大貴の姿が変わった。
背が伸び、顔つきも大人っぽくなっている。
元の中学生らしさはない。高校生くらいだ。
服装は、RPGで言ったら剣士。そんなジョブがぴったりだ。黒一色の甲冑をつけている。ちゃんと剣もさげている。
「うわっ、あれ、背のびた? つか、大人っぽい」
「マイキャラだからな。まさかリアルそのまんまの姿でやるわけないだろ」
「あ、そっか。……《ジャック》ってのは、『不思議の国のアリス』のジャック?」
タルトつまみ食いして、裁判になった王子のジャックだ。
「一応《帽子屋》の息子だから、『アリス』関係の名前つけとけって母さんが」
「でもなんでジャック?」
「アリス、白ウサギ、帽子屋、三月ウサギ、眠りネズミはもう使われてるだろ。他にメジャーどころで男っぽいのはジャックくらいだから」
まぁそうか。公爵夫人とかコックじゃねー。
美姫は納得した。
白ウサギは美姫の入国証を見て、
「新規IDですね。では、マイキャラ作成から始めましょう」
空中にパネルが現れ、色んなパーツが表示された。顔のタイプ、目、鼻、口、ヘアスタイル、カラーリング……。
「うっ、めんどくさ」
美姫はぼやいた。
「めんどくさい言うなよ。RPGゲームでもこんなもんだろ」
「そりゃそうだけどさ、選択肢多すぎるのも困るんだよね」
白ウサギは笑って、
「なら、このままにしますか?」
「ちょっと待って。あたしも高校生の姿にしてくれる? 髪はロングのポニーテール」
「かしこまりました」
白ウサギは美姫をその通りの姿にしてくれた。
服はシンプルなワンピース。よくある『アリス』のイメージだ。
あんまりスタンダードだから、大貴は驚いた。
「本当にそれでいいのか? ま、後でいくらでも変更できるけど」
「これでいいんだよ」
「プレイヤーには必ずナビ役のチェシャ猫がつきますが、こちらはすでにお持ちなのでいいですね」
白ウサギはデータを記録しつつたずねた。
「キャラ名は何になさいますか?」
美姫は迷った。
どうしよう。キャラ名はハンドルネーム同様、後で変えられない。
変じゃなく、かつ人に覚えてもらいやすそうな……。美姫はふと思いついた。
「《ありす》」
これには大貴もエリカもびっくりした。
「ちょっと待って。《アリス》はすでに使われてるわ」
「しかも殿堂入りしてるから、他の人間は使えないはずだぞ」
「違う違う。ひらがなで《ありす》よ」
「へ?(×2)」
美姫は白ウサギにたずねた。
「名前にはひらがなカタカナ数字アルファベットが使えたはずよね?」
「はい。システム上、問題ありません」
「発音すると違いなんて分からないわよ。常に《女王アリス》と比べられる……それでもいいの?」
エリカが手厳しく言った。
第一回女王杯優勝者である《アリス》を誰もが思い出すのは当たり前だ。
美姫は胸をそらした。
「当然。《女王アリス》を抜くくらいの気持ちじゃなきゃ、女王にはなれないよ」
白ウサギが入国証を差し出した。
「登録完了しました。《ありす》様、ゲームのシステムはお分かりですか?」
「昔の知識しかないから、今は通用しないかもね。一応説明してくれる?」
「かしこまりました」
白ウサギは空中に画面を出した。
「『ワンダーランド』はカードを使い、魔法のショーで人を楽しませるゲームです。一人一日にできるショーは一つまで。ショーの様子は現実世界にも動画でリアルタイムに配信され、多くの人が見ます。観客がいいショーだったと思えば投票ボタンを押し、一人一回押すごとにショーを行ったプレーヤーは1ポイントゲットします。投票ボタンを押せるのは、一人一日一回までです。なお、初心者の《ありす》様は0ポイントからの出発です」
画面に0と表示される。
「ま、そうでしょうね」
「このポイントをため、手持ちポイントが最も多いプレーヤーがトップとなります。通常なら『ワンダーランド』は7つの国―――7つのジャンルに分かれていて、国ごとにトップは『姫』『王子』と呼ばれています。ですが今は女王杯開催中ですので、ジャンルに関係なく、締め切りの十二月二十五日午後十時の時点で、手持ちポイントの最も高い男女一人ずつが優勝者となります」
つまり、どうやって手持ちポイントを稼ぐか。白ウサギは画面にカード画像を出した。
「ポイントを稼ぐのに最も大事なことは、ショーをすることです。受付で登録すれば可能です。なお、初心者は現実世界で持っているカードをスキャンして使うか、ない場合は初回に限りレンタルも可能です」
白ウサギはパネルにランキングを出した。
「カードにもレアリティがあります。ようするにレアなものもある、ということです。レアリティはワンペア、ツーペア、スリーカード、フルハウス、ストレートフラッシュ、ロイヤルストレートフラッシュ……という具合にレア度が上がります」
ここらへんの用語はトランプのポーカーからきている。
「ジャンルとしては魔法、曲、歌詞、ステージ、舞台装置、アクセサリー、アイテムの7種類があります。これらを組み合わせてショーをします。カード入手方法は、現実世界で売ってるものを買うか、ためたポイントを使って交換するかです」
「交換? てことは、使うとその分、手持ちからひかれるわけね?」
白ウサギはうなずいた。
「その通りです。手持ち100ポイントあったとしますね、交換に10ポイントなカードを交換すると、残り手持ちは100-10=90になります」
ショーをするにはカードが必要。でも、レアなのをガンガン交換してくと、手持ちが減る。減ったぶん、また稼がなきゃならない。
ここが普通のカードゲームとの違いだ。
よくあるアイドルゲームでは、一回遊ぶとランダムでカードが排出される。その時にポイントは減らない。
でも『ワンダーランド』ではカードに交換すれば、ポイントが減ってしまう。
「ちなみにオンラインと連動しているお店のゲームで遊んだ場合も、必ずカードが排出されるわけではありません。ポイント交換を選んだ場合のみですね。もちろんこの際も、使用分は手持ちポイントからひかれます。交換しない場合はマイキャラ情報が記録された『名刺』が排出されます」
「ああ、名刺交換に使える『名刺』ね」
「はい。アーケードゲーム・携帯ゲーム機で使える助っ人召喚カードです。ペアでショーをやりたいけれど相手がいないという時、助っ人として召喚できるのです。ですからプレーヤー同士の交流として交換されてます」
『名刺』はICカードとは違い、全てのプレイデータが記録されてるわけじゃない。あくまでその時のマイキャラのランクや格好だけだ。交換してもプレイデータの流出とかはない。
「これはオンラインでは使えません。というのもオンラインには常に誰かしらプレーヤーがいますから、ご自身で探せるためです」
「ま、そうだよね」
美姫は頭の中でそろばんをはじいた。
手持ちポイントをためるのが最優先、でも交換で使えば減る。どうやってなるべく減らさずにポイントを稼ぐか。
といって、交換しなければレベルの低いカードしか使えない。
現実世界で買うっていっても、子供のお小遣いじゃ限りがあるしねぇ。
「はい、そこでもう一つのポイントをためる手段です。カードアイデアを出すことです」
「カードアイデア?」
エリカがたずねた。白ウサギはちっとも驚かずに、
「はい。『ワンダーランド』ではプレイヤーが自分の考えたアイデアをカードにできるチャンスがあるのです。公式サイトにIDを登録すれば、マイページから投稿可能です。こんなカードがあればいいのに、こういう衣装はどうだろ?というアイデアがあれば、どしどしご応募ください。投稿されたアイデアはサイトに載り、たくさんのプレイヤーが見ます。魅力的と思う案に一日一人一回投票でき、毎月得票数上位十個が実際にゲームで使用できるようになります」
「パクリとかありそうなもんだけどね」と美姫。
「ネットにあげますと、これに似てるとかパクリ疑惑のものは必ず誰か気づくんですよ。なにしろ大勢の人が見てますからね。怪しいアイデアは通報ボタンがありますから、押されると対策チームが調べます。その結果パクリだと判明したら、アイデア削除はもちろん、二度とそのプレイヤーは投稿できなくなります。下手すればID抹消、ログイン禁止になります。かなり重い罰則を設けているのですよ」
「別IDで登録すれば分からないんじゃないの?」
「それは不可能です。国民個別番号でID管理してますから。一人が複数IDを持つことはできないんですよ。一度やめてID抹消したプレイヤーが新規登録はできますが、ルール違反でID抹消されたプレイヤーは記録されてますのではじかれ、二度と新規登録もできないのです」
「ええと……その国民個別番号ってなに?」
眉をひそめるエリカに白ウサギは説明した。
「日本全国民に割り当てられた番号のことです。普通は税金の管理などに利用されるもので、ゲームの管理なんかに使える番号ではないのですが、過去色々ありましてね。詐称とか、カードの窃盗とか……」
一瞬美姫が顔をゆがめた。白ウサギはすぐに、
「まぁ、色々トラブルありまして、犯罪者とかが使えないようにするため特例法で認められました。話は戻りますが、この自分のアイデアがゲームで使えるかもというのが大変好評でしてね。『ワンダーランド』がここまで広まった理由の一つでもあります。アイデア投稿には個数制限はありません。いくらでも投稿してくださって構いませんよ、ただしパクリや代理投稿は禁止です。
採用され誰かがカードに交換しますと、アイデア料として考案したプレイヤーに1ポイント付与します。ここですね。いいアイデアを出して採用され、誰かがカード交換すれば、何もしなくてもポイントがたまるのです。
なお、新規登録プレーヤーはお試しで、一回だけアイデアを仮カードにすることができます。これはそれぞれ一回のみ有効で、本物のカードにするには投稿→審査→投票を経なければなりません。もちろんパクリなど、どっかで見たなぁというアイデアは禁止です」
なるほどね。大貴の格好のとか昔見たことないけど、誰かが出したアイデアってことか。
うなずく美姫に大貴が言う。
「新しいスタイルのアイデア出すと上位にくいこみやすいな。今、人気なのはこういう鎧タイプでさ。戦国武将の○○風甲冑とか、白騎士風とか。ま、鎧シリーズ提案したのは俺なんだけど」
「あんたかい!(×2)」
美姫とエリカは思わずはもった。
「だってRPGのジョブでいうと騎士とか剣士風の衣装ってなかったからな。だったら自分で作っちまえと思って」
「道理で似合ってると思ったよ……。そりゃ考案者なんだから、自分にあうもん作って当然だ」
「えっ、マジ? 似合ってる?」
うれしそうな大貴に、美姫はその理由に気づかず答えた。
「黒い馬でも乗ってたら完璧黒騎士じゃないの。あ、馬もアイテム枠で投稿済みなんて言わないでね」
「馬? あ、その考えはなかったな。そっか、乗り物もアイテムだもんな。魔女のほうきとかあるし」
白ウサギは楽しそうに笑った。
「面白いアイデアですね、さすがお二人なだけはあります。ああ、その馬のアイデアは《ありす》様が投稿なさってくださいね。最初に考えた方のものですから」
「分かってるよ。そうすると戦車もいけるかもな。男性受けしそうだ」
「女性向けなら、ペガサスとか。そうね、騎士や剣士ならあとはモンスター退治の舞台装置。コロッセウム。音楽もわざと歌詞なしで、武器の音のみ。女性受け狙うなら、モンスターからお姫様救い出す系にすれば?」
美姫はすらすらとアイデア出してみせた。エリカが驚きに目を見張る。
「美姫……あんた、すごいじゃない」
「これでも《女王アリス》の娘ですから」
美姫は肩をすくめてみせた。
同時に大貴は有名デザイナー《帽子屋》の息子だ。
でも三人ともこの時、なぜ白ウサギがそのことを知っていたのか、うかつにも気づかなかった。
「『ワンダーランド』の性質上、魔法もアイテムも全てイリュージョンです。どんなに危険なモンスターを作っても、攻撃はできません。そういう映像が見えるだけです」
「バトルRPGとは違うからな。あくまで人を楽しませるためのゲーム。マジシャンが使う道具が安全なものなのと同じだな」
「はーい、先生方、だいたい理解しました」
美姫が生徒よろしく片手をあげた。
「では、最後です。先ほども言いました通り、現在女王杯を開催中です。今回は男女ペアの参加となっています。参加は強制ではありませんが」
「ああ、俺と『ありす』でペア登録してくれ」
「かしこまりました」
白ウサギは手続した。
「途中ペアを変えることはできません。女王杯終了時までお二人で組んでいただくことになります。締め切り時に二人の手持ちポイント合計数が最も高いペアが優勝となります」
「うん、シンプルでいいね。……ところで、あたしはもうショーの登録できるんだよね?」
「はい。可能です」
「じゃ、ここで登録してくわ。一番早い空いてるとこで」
「えええ!?(×2)」
エリカも大貴も慌てて止めようとした。
「ちょ、いくらなんでも早すぎだろ!」
「そうよ、せめて他のプレイヤーのを見て、対策立ててから……」
「あたしには時間がないんだよ」
美姫は静かにきっぱりと言い放った。
「…………」
白ウサギは黙ってうなずいた。
「承知しました。三十分後に1番会場で予約を入れました。使用するカードは開始十分前までに受付で登録してください。一回のショーは三分間です。その間に観客を楽しませるすてきなショーをしてください」
「分かった」
美姫は入国証を受け取ると、出口に向かって歩き出した。
「では、行ってらっしゃいませ」
美姫はいよいよ『ワンダーランド』に足を踏み出した。
大貴とエリカが急いで追ってくる。
応接室を出るとき、白ウサギがエリカに微笑みかけたのを、美姫は視界の端でとらえた。
それはどこか懐かしそうで、悲しそうで、優しげだった。
「…………?」
不思議に思いつつも、美姫には立ち止まっている時間はなかった。
美姫―――《ありす》は不思議の国に降り立った。
☆
『ワンダーランド』はまるでテーマパークだった。
「うわー、遊園地みたい」
観覧車、メリーゴーランド、ジェットコースターも見える。遊園地の定番アトラクションは全部そろってるようだった。
「……つか、ここは遊園地か」
なんか土産物売ってるスタンドまであるんですけど。仮想空間なのに買っても、どうすんのかな?
「こんなに増えたのね」
エリカがつぶやいた。
「日々改良されてるからな。現実のテーマパークと違って結局データだから、簡単に変更きくし。あ、そこらの店で買ってもほんとに食べたり飲んだりはできないぞ。そういう感覚はあるけど、実際に腹がふくれるわけじゃない」
あくまで機械で脳にそう錯覚させるだけだ。
「いや、別に買わないよ。仮想空間だって認識はあるからね」
《ありす》は手を横に振って、そこで初めて大貴―――《ジャック》の足元に一匹の猫がいるのに気付いた。
「あ、もしかしてこの子が《ジャック》のチェシャ猫?」
《ありす》は白猫を抱え上げた。首輪もしていない、見た目は普通の猫だ。
「かわいー。名前は?」
「え?」
「え?じゃないよ。この子の名前は?」
《ジャック》は首を傾げた。
「チェシャ猫はチェシャ猫。名前はつけねーよ。ゲーム内でのナビ役で、全員共通だから」
《ありす》は辺りを見回してみた。そのプレーヤーが連れてるのも、同じ外見の白猫。全部同じデザインになってるようだ。はっきり言って見分けがつかない。
「それ、不便じゃない?」
「不便も何も。RPGのナビなんて、普通どのプレーヤーも共通デザインだろ。タブレット端末型にしてるゲームだってあるじゃんか。それが猫型してるだけだろ」
「でも、エリカは違うよ。なんで一匹だけデザイン違うの?」
《ありす》は黒猫を見た。
「それは私が普通のチェシャ猫じゃないからよ」
「現実世界に出てこられる時点でそうだよね。よくわかんないけど、まぁいいや。どうせ母さんがなんかやったんだろうし。よし、決めた。お前はアレクにしよ、アレクサンダーの略」
《ありす》はビッと白猫を指した。
「王を目指す王子のお供としてはぴったりな名前じゃない?」
「アレクサンダー大王か」
エリカがつぶやいた。
「ずっと昔のヨーロッパを初めて統一した王様の名前ね。若くして死んでるけど」
彼みたいに、という最後の部分は小さすぎて誰にも聞こえなかった。
「エリカ、そういう不穏なツッコミ入れないで」
「はいはい、ごめん」
《ありす》はアレクと名付けたチェシャ猫をなでた。
「よろしくね、アレク」
「にゃあ。ありがとうございます」
白猫はうれしそうに《ありす》の手にほおずりした。ただのゲームのキャラとしてでなく扱ってもらえたのがうれしかったらしい。
「ところで《ジャック》って有名人なの?」
《ありす》はたずねた。さっきから行きかうプレーヤーたちが《ジャック》を見ているのに気づいていたからだ。
「《ジャック》だ」
「あれがその……」
ひそひそ話も聞こえてくる。悪い意味ではなくいい意味で。
「ああ、俺は一応、今の『騎士の国』の王子だから」
「はいい?」
なんですと?
「白ウサギが普段の『ワンダーランド』はジャンルごとに分かれてるって言ってたろ? ジャンルのことを国って言うわけだけど。国ごとにトップのプレーヤーは男なら王子、女なら姫って称号をもらえる」
「ちょ、つまりそのジャンルのトッププレーヤーってこと? なんで教えてくんなかったのよ!」
エリカも驚いて見ている。
《ジャック》はあっさり答えた。
「聞かれなかったから。自慢すんの嫌いだし」
そうだった。こいつはこういうやつだった。クール系男子とかいって、現実でも女子人気あるんだよね。あたしにはよくわかんないけど。
《ありす》はふと思いついてアレクに聞いてみた。
「アレク、《ジャック》のこれまでのゲーム歴って?」
「20××年新規登録後、わずか一か月で『火の国』王子を倒しております」
「『火の国』?あれ、さっきと違くない?」
「当時は『騎士の国』はありませんでした。当時の《ジャック》様に最も合うジャンルは『火の国』でしたので、最初はそこに所属したわけです。その後、甲冑シリーズや武器シリーズを開発され、それを使用する男性プレーヤーが急増。結果、別のジャンルを新たに作ったほうがいいということになり、『騎士の国』が誕生しました」
「所属ジャンルの変更って可能なんだ」
「いつでも可能ですよ。ただ異動すると、前の国でのランキングを引き継ぐことはできません。前は十位でも、新しいところではほかのプレーヤーたちの手持ちポイントが多くて二十位になった、とかもありえます」
「ああ、そりゃ仕方ないだろうね」
「ともかく《ジャック》様は『騎士の国』ができてからずっと王子の称号を保持し続けれおられます」
マジでか……。
こいつがそんな強いとは知らなかったわ。
「そんな強いなら、とっくに女王杯にエントリーしてておかしくないのに。なんで?」
「ん? まぁ色々あってな。なかなかペア組めるやつがいなくて」
「それで組んだのが初心者ってのはどうなの」
「美姫は初心者じゃないだろ。昔はやってたじゃないか」
「―――」
《ありす》は顔をしかめた。《ジャック》もまずったと気づいたらしい。
「いや、その……」
「それより受付はどこ? 白ウサギが十分前までに登録しろって言ってたよね」
「え、ああ、こっちだ」
《ありす》たちは総合受付のある建物に入った。
ここにも白ウサギがいた。
チェシャ猫がプレーヤー共通のナビ役なように、案内や受付は白ウサギが全部担当してるらしい。
《ありす》は白ウサギにたずねた。
「『ワンダーランド』の人気ショーを集めたダイジェスト映像とかない? それと現在のカードのカタログ」
「ございますよ。こちらをどうぞ」
白ウサギはタブレット端末を貸してくれた。
《ありす》は待合所のテーブル席につき、さっそく見始めた。
「時間がないから倍速で。急ぐよ」
言うやいなや、《ありす》はすごいスピードで映像を見始めた。
音とか聞き取れてるか疑問なくらいだ。
「ちょっと、ちゃんと見れてる? そんなんじゃ聞き取れないでしょ」
「大丈夫だよ」
《ジャック》がのんびり言った。
「こいつはバカじゃない。ちなみに集中してるときは、言っても全然聞こえてないから。邪魔しないようほっといたほうがいい」
「だって……」
「小さいころは、携帯ゲーム機かアーケードゲームでしかできなかったけど、こいつ全国ランキング一ケタ常連だったんだぜ?」
エリカは驚いて飛び上がりそうになった。
「全国で一ケタ?! 大人もやってるってのに、子供が?」
「そ。伊達に《女王アリス》の娘じゃねーよ。だから基本システムは理解してんだ、その時間は省ける。ただここ何年かはやってなかったから、その間の知識がぬけてんだな。そこさえ補完すれば、あとは対策練るだけだ」
「そんな上位プレーヤーだったのに、なんでやめたの?」
「それは本人に聞けよ。《ありす》が言いたくないのに、俺が言うべきじゃない」
《ジャック》は肩をすくめた。
エリカがどうすべきか迷ってると、《ありす》はもうダイジェストを見終わって、他のもチラ見してるところだった。
それも終わるとカタログに移る。交換できるカードの一覧表で、必要ポイント数も書かれている。
「……よし、だいたい把握した」
「ほんとに?!」
エリカの言葉を《ありす》は聞いてもいない様子で、白ウサギに確認に行った。
「新規登録プレーヤーは一回だけアイデアを仮カードにできるって言ったよね。その使用者に制限はあるの?」
「いいえ。仮カードアイデアを出せるのは新規登録プレーヤーのみですが、実際に使うのは制限はありません。一回こっきりで消滅しますし」
「それならOK」
《ありす》は入国証を出し、仮カードアイデアを申請した。続いてショーで使うカード登録もする。全部妹が持っていたカードで、ログイン時に大貴がスキャンしておいてくれたものだ。
横からのぞきこんだ《ジャック》が口をはさんだ。
「え、そんなレア度低いカードばっか使うのか? 一応スキャンしといたけど、まさかほんとに使うとは……」
《ありす》が選んだのは、一番交換ポイントが少ないワンペアのカードだった。一般的にいうとノーマルカードにあたる。
「普通はノーマルなんか使わない?」
「だって、初心者用のレンタルでもっとレアなの借りられるだろ」
「これでいいんだよ」
《ありす》はなにやら考えているように笑い、続いて大量のアイデア投稿をした。
仮想空間内でもネットにつながってるから(あたりまえ)、投稿可能。すさまじい数をアップしていく。
さすがに時間がなくて曲や作詞は無理だったようだ。ジャンルはコーデ、アイテム、魔法、アクセ、舞台装置に限られている。
それでもあまりに早すぎて、細かくは《ジャック》もエリカも見られなかった。
「あたしがショーやる前に仕込んどかないといけないからね」
「なーにを考えてんだ、《ありす》?」
「さて。それは後でのお楽しみ♪」
《ありす》は作業を終えると、元のテーブルに戻った。
「さあ、作戦会議しよ。《ジャック》、あたしがショー終わってすぐに自分の予約入れといて。やってもらうことあるから。アレクは《ジャック》があたしとペア組んで女王杯に出るってニュースをネットにばらまいといてくれる? それから、エリカも仕事があるよ」
☆
C会場で白ウサギがショーのスタートを宣言した。
「次は『ワンダーランド』デビューのプレイヤー、《ありす》によるショーです」
無名のプレーヤーなのに会場は満員だった。アレクがネットで情報ばらまきまくったのが拡散したからだ。
有名な《ジャック》がようやくペア組んで女王杯に出る、その相手がドシロートってことで、見物に来る人が大勢いたわけだ。
キャラネームが《ありす》だってこともある。
《女王アリス》は伝説のプレーヤーで、殿堂入りしてるから今回出場できない。元々第一回女王杯優勝以来、ほとんどショーをしていないし。
それと同じ名前をつける、どんだけ天狗なやつだっていうのが大方の反応だった。
美姫の予想通りに。
《ジャック》とアレクはボックス席にいた。王子や姫は特典として、専用席からショーを見ることができる。
というか、普通のプレーヤーに混じって見てると、騒ぎが起きて主役をくうから、というのが本当の理由だ。
《ジャック》は客席をざっと見たときに、知った顔をみつけた。
「あれは確か……」
「あの黒ゴスの派手なプレーヤーですか? 『影の国』の姫《女帝》ですね」
アレクが答える。客席に一人だけ目立つ、黒いゴスロリ服の女性がいた。
ゴスロリとはフリルやレースたっぷりのふりふりなスタイルで、ゴシックロリータの略。その中でも黒ゴスは黒が基本で、ロリータほど甘くないデザインだ。コウモリとか十字架、ドクロなんかのモチーフがよく使われる。
「なんでここに?」
《ジャック》は眉をひそめたが、考える前に舞台が始まった。
ステージには『不思議の国のアリス』の光景が流れ、曲もスタートする。一番定番の舞台装置だ。
しかし、歌声は聞こえない。
《ありす》はわざと歌詞カードを登録していない。
歌詞がなければ歌声は流れず、ただ演奏だけになる。こういう使い方をするプレーヤーはこれまでいなかった。
舞台上にいるのもエリカだけ。肝心のプレーヤーの姿はない。
エリカはただ、じっと座っている。
チェシャ猫なのに笑いもしない。
みんな「おや?」と思った。
「マイクの故障?」
「システムエラーか?」
舞台装置も曲も、《女王アリス》がよく使っていたもの。違うのは歌詞がなく、しかも早回しだということ。
穴に飛び込み、ドアだらけの空間へ。小さくなったり大きくなったり、涙の洪水、メイドと間違われて白ウサギの家へ……イモムシに言われてキノコをたべて……公爵夫人の家……チェシャ猫、三月ウサギに帽子屋……バラの咲く花園、女王登場……裁判……。
あっという間に進んでしまう。
女王がアリスを指し、「首をちょん切れ!」と命じる有名なシーン。
トランプ兵がわーっと舞って―――。
舞台は真っ暗になった。
曲が元のテンポに戻る。
ちょうど一番が終わり、間奏に入っていた。
パッと中央に何かが現れた。
大きな鏡だ。
客席から驚きの声があがる。
「アイテムカードの鏡?」
ようするにただの鏡だ。
等身大で複数枚出せるから、自分の周りに置いて分身っぽく使うのが普通の使い方。
でも今回はただ一枚ぽんと置かれているだけ。
傍にたたずむエリカが見上げた次の瞬間、舞台後方からカッと強烈な光が放たれた。
魔法カードの光。これもただスポットライトとして使われるだけのものだ。
鏡の中に人影がうつり―――次の瞬間、鏡の中から飛び出してきた。
《ありす》だ。
コーデはなんと、初期設定のまま。着替え自由なのに、まったくしていない。
客席にどよめきが走る。
初期設定のままステージに上がるプレーヤーはいない。初心者でもレンタルカードが使えるからだ。
必ずチェンジするもの、それが常識だった。
曲は二番に入っていた。
《ありす》が自分で歌い始める。
プレーヤー自身が歌うのはたまにある。歌唱力に自信のあるプレーヤーはそうすることも多い。
「トランプ舞う時、夢から覚める。不思議の国はさよならよ」
ショーの制限時間は三分だから、曲に二番以降があっても使われることはまずない。早送りという発想がなかったからだ。
二番以降もフルで歌われたのはただ一度、《女王アリス》の優勝記念ショーだけ。
それを同じ発音のプレーヤーが歌っている。
しかも美姫の声は母親によく似ていた。
「でも冒険は終わらない。さあ、次は鏡の国へ!」
『鏡の国のアリス』!
全員が理解した。『不思議の国のアリス』が有名すぎて忘れられがちだが、その後、続編が出ている。今度は鏡を抜けて鏡の国へ行くのだ。
「行こう」
《ありす》がパチンと指を鳴らすと、エリカの体にドレスが現れた。
「えええ?!」
また《ありす》が指を鳴らすと、靴が。頭にアクセが。
プレーヤーでなく、チェシャ猫のコーデチェンジ。これまで誰も思いつきもしなかったことだった。
『ワンダーランド』内なら、カードに交換すれば誰でも使える、それがシステム。でもまさか対象がチェシャ猫まで有効とは思わなかったわけだ。
《ありす》のショーが終わった時、誰もが無言だった。
魔法カードの効果が切れて、暗くなった舞台にはぽつんと鏡が一つ。その前には初期設定服のままの《ありす》とコーデチェンジしたエリカがたたずんでいる。
「……ほらな、だから言っただろ。あいつも天才なんだよ」
《ジャック》がひとりごちた。
「たぶん、親以上のな」
《ありす》が使ったのは妹が持っていたカードだが、どれもレア度は一番下。舞台装置も曲もありふれたテンプレ。《女王アリス》の真似をしたがるプレーヤーは多いからだ。
それを早送りし、舞台を真っ暗にする。後ろから強力な光を使うことで、逆光で鏡の中にシルエットが浮かび上がる。
鏡もしょせんホログラムだから通り抜けられる、そうやって本当に鏡を通り抜けたように見せかけた。そしてわざと初期設定服で、「これからだ」と示す。
さらにチェシャ猫にコーデチェンジさせ、「これまでにない冒険」を演出。そもそもチェシャ猫を舞台に上げること自体、誰もやらなかったのだが。
ワンペアの―――一番下のレア度のカードでも、使い方によって何でもできる。それは初心者の自分でも、これから何だってできると主張してるのと同じだ。
客席で見ていたプレーヤーたちから拍手が巻き起こった。
「すごいです、ネットでもものすごい数のツイート数です!」
アレクが叫ぶ。ネットで同時に配信されているから、リアルタイムで現実世界の人たちが見ることができる。
美姫はアレクにネットの攻勢も指示していた。
エリカに頼まなかったのは、ステージ上にいてもらう必要があったからだ。手が空いていたのはアレクのほう。
《ありす》は満足げに笑っていた。
「―――ルール違反よ!」
ふいに誰かの声が響いた。
全員一斉に声のほうを向く。一人のプレーヤーが立ち上がっていた。
《エンプレス》だ。女帝の名にふさわしく、豪華なドレスを着ている。
《ありす》は「誰?」と首をひねった。
と、白ウサギが進み出て、隣に立ち、こっそり教えた。
「あれは《エンプレス》というプレーヤーです。『影の国』の姫ですよ。……前から少し問題のあるプレーヤーです」
「チェシャ猫を舞台で使うなんて、ルール違反じゃない! そいつをつまみ出しなさいよ!」
《ありす》が答えるより先に白ウサギが回答した。
「チェシャ猫が舞台上にいてはならないという規定はありません」
「なんですって?!」
《エンプレス》は《ありす》をにらみつけた。それにはとてつもない敵意がこめられていた。
《ありす》にはまったく覚えがない。
意味が分からなかった。
「ソロのショーの場合、他プレイヤーが舞台上にいることはできません。ですが、チェシャ猫はプレーヤーではなく、ゲーム会社の……こちら側のキャラですから、該当しません。私が舞台上にいて司会進行するのと同じように、いてもかまわないのです」
「プレイヤーじゃない? だったら言わせてもらうけど、カードをプレイヤー以外が使うのはどうなのよ!」
「チェシャ猫が慣れないプレイヤーの代わりにカード登録できるように、カードの使用者がプレイヤーに限るとはどこにも記載しておりません。ショーの内容はすべて登録時に私がチェックしております。規定違反の内容ならその時点ではじかれます。つまり《ありす》様が行ったことは規定内です。『ワンダーランド』は自由な発想を歓迎しております。新たなアイデアを出すプレーヤーにクレームをつけて排除しようとすることこそ規定に反します」
《エンプレス》は歯ぎしりした。
その音が舞台上まで聞こえてきそうだ。
「チェシャ猫なんて、ただのプログラムじゃないのよ! そんなもの着飾らせてなにが楽しいんだか。あんたがブスで似合わないから、それを隠すためにそいつに着替えさせてごまかしたんじゃないの?!」
《エンプレス》の暴言に会場は凍りついた。
女帝の周りにいた取り巻きも、さすがに言い過ぎではと青ざめている。
エリカは黙って《ありす》を見上げる。
《ありす》は怒るどころか、何かを思い出すように眉をひそめていた。
今まであったこともない《エンプレス》が、どうしてここまであたしを目の敵にしてるんだ?
しかもこういうの、昔どっかでやられたことあるような……。
「どうするの、あれ。このまま言われっぱなしでほっとく?」
エリカがきく。
《ありす》はうなずいて、胸をそらした。
「どうもあんたは自分以外のすべての人間を馬鹿にしてるみたいね。新人つぶしとか、お局様かっての。姫らしいけど、新人にあっさり抜かれるんなら、その程度の実力だったってことでしょ。人を怒鳴る前に自分の能力のなさを認めたら? それに、チェシャ猫はただのプログラムじゃない。いつも一緒にいる大事な相棒だよ。誰かの価値を認めず、自分が世界で一番偉いみたいに勘違いしてるやつなんか、女王にふさわしくないね。『ワンダーランド』は人を幸せにするための世界。誰かを不快にさせるやつが女王になんてなれるもんか!」
ビッと人差し指をつきつけて宣戦布告した。
みるみるうちに《エンプレス》の顔が引きつっていく。
《ありす》の言うことは正論で、とりまき以外みんな同感だとうなずき始めた。
《エンプレス》がまた怒鳴るより早く、白ウサギが言った。
「他プレーヤーはショーの前後最中、ショーを行ったプレーヤーに対して危害を加えたり、侮辱するなどの行為をしてはならない。この規定に違反しました。よって仮想空間からの強制退去、および罰金として決められたポイントを手持ちから没収します。また、一定時間ログインを禁止します」
《エンプレス》はとりまきごと、トランプ兵に取り囲まれた。
トラブルのときに現れるトランプ兵は、警備員みたいなもんだ。
トランプ兵はバリアのようなもので《エンプレス》を包み込み、消してしまった。強制的にログアウトさせたのだ。
白ウサギは何事もなかったかのように振り向いた。
「以上でショーを終わります。次は十分後、《ジャック》様のショーです」
「《ありす》!」
舞台裏に《ジャック》が迎えに来た。
「大丈夫か?」
「別に。実害はなかったし。新しいことやればいちゃもんつけてくるやつがいるだろうことは予想ついてたしね」
「それにしても嫌なプレーヤーがいるもんね。まぁ、いつの時代もそうか」
エリカがため息をつく。ちなみにもう衣装は脱いで、普通の格好に戻っている。
「さっきのやつ知ってるの?」
「《エンプレス》は『影の国』の姫で、ゴスロリファッションを好み、外見から言っても有名なんですよ。熱狂的ファンをもち、いつも親衛隊を引き連れてます。高飛車な態度から嫌っているプレイヤーも多いですよ」
アレクの説明に《ジャック》が補足した。
「あいつは前、俺にペアを組んで女王杯に出ないかって言ってきたんだよ。それを断ったから、腹いせしたんだ」
「ああ、そういうこと」
《ありす》もエリカも納得した。
「それより《ありす》様、すごい勢いでポイントが貯まってますよ」
「計算通りだね。幸か不幸か、騒ぎでさらに注目度は増してる。これで先に登録しといたアイデア閲覧数も投票数も伸びるでしょ」
《ありす》がショーの前に出しておいたアイデアは、チェシャ猫用のものだった。
チェシャ猫が着た場合や使った場合に合うコーデ・魔法・アイテム・舞台装置のアイデアを大量に出しておいたのだ。
「時間があれば曲と歌詞も作っといたんだけどね。ま、二、三日の間にはあげとくよ」
「あんた作詞作曲もできるの?」エリカが驚く。
「たいしたレベルじゃないけどね。一応母さんに作り方は教わってるよ」
《女王アリス》は優れたデザイナーであるだけでなく、作詞作曲も手がけた。とにかくあらゆることができたから天才プレイヤーと言われていた。
「そんなことより《ジャック》、準備頼むよ」
「お前はさらっととんでもないことするよな」
「短期間にポイント稼いでトップに躍り出るためには、普通のやり口じゃだめだよ。これくらいやんないとね」
「はいはい。仰せに従いますよ」
《ジャック》は手を振って舞台のほうに歩き出した。
「ああそうだ、見るのは一般席じゃなくてボックス席使えよ。女王杯中はペアの片方が姫か王子なら、もう片方がそうじゃなくても使えるって白ウサギが言ってたから」
「そう、じゃあそうさせてもらうよ」
アレクは《ジャック》について舞台袖へ。
チェシャ猫はついてるプレーヤーのショーの最中は少なくとも舞台近くにいなければならないと決められている。
《ありす》とエリカはボックス席に向かった。
☆
舞台袖から白ウサギがショーの開始を宣言した。
と、ライトが落ち、会場は真っ暗になる。
スモークがたちこめ、次第に明るくなるステージはコロッセオのようなバトルフィールドが現れた。
曲が始まり、闘技場の真ん中に立っていた《ジャック》がゆっくり剣を抜く。男性に定番人気のバトル風ステージだ。
「望みのために、俺は戦う。願いは一つ……」
女性客から歓声があがる。やっぱり女性ファンが多いらしい。
ただし、歌ってるのは《ジャック》ではない。声はボーカロイドだ。
普通の曲は、歌詞カードを登録するとボーカロイドの歌う曲が流れてくる。
歌が進むにつれ、舞台上に敵の剣士・闘士が現れる。もちろんホログラムだ。
《ジャック》はそれをなぎ倒していく。ゲームのバトルさながらの激しいアクション。
《ジャック》の場合、自分の動きが激しいため、同時に歌うのはキツイから歌わないわけだ。
敵キャラの数が一気に増える。完全に取り囲まれていた。
「普通の《ジャック》のショーなら、ここで魔法カード投入で、一気にたたく。でも、いつもそれじゃおもしろくないよね」
《ありす》がつぶやくのと同時に、《ジャック》が口笛を吹いた。
すると、黒い馬が現れた。
《ありす》が提出しておいた、初心者限定お試し仮カードだ。
《ジャック》に合うように、いかにも黒騎士の乗ってる馬って感じの装備にしてある。ようするに装備はほとんど黒で、金か銀で豪華な装飾をふんだんにつけた。
早い話が黒騎士のイメージどストライクのデザイン。
《ジャック》はひらりと馬に飛び乗った。
計算通り、女性陣の上にハートマークが乱れ撃ち状態だ。
馬は敵を飛び越えると、外側に降りた。《ジャック》が剣を構え、魔法カードを使う。
火系のスタンダードな、でも見栄えのする魔法だ。
炎の斬撃が一気に敵をなぎはらう。
全部の敵キャラホログラムが消滅したところでショーは終わった。
観客はスタンディングオベーション状態だった。
《ありす》は会場の外で《ジャック》と落ち合った。
「お疲れ様。作戦見事成功。協力感謝だね」
「まったく、仮カードを本人以外が使うなんて、よく考えるよな」
「だって、明記されてないし。元々知名度の高い《ジャック》が普段通りとみせかけて違う内容をする。しかも、大多数がどストライクなね。これで乗り物系アイデア投稿しといたやつの閲覧数も投票数も伸びる。あたしに入るポイント数も増える……っと」
にやりと笑う《ありす》にエリカは言った。
「でも、これで同じようにチェシャ猫関連や乗り物関連のアイデアがどっと出るんじゃないの?」
「そりゃ出るだろうね。だから考えつく限り大量に出しまくっといたんだよ。後から出す人のが二番煎じになるように」
《ジャック》が言ったように、最初に何かのシリーズを考えたプレイヤーというのは別格だ。
やっぱり「最初の考案者」として注目されやすいし、同じようなのなら最初に考えた人のを選択するのが人間の心理。
《ありす》は受付に回り、白ウサギに話しかけた。
「さーて、これで少しポイントたまったでしょ。一枚カードと引き換えたいんだけど」
「ああ、次のショーのために、レアカードをゲットしとくのか? 手持ちポイント減るけど、仕方ないな」
「違うよ」
《ありす》は一番レア度の低いランクから、ごくシンプルな赤いリボンのコーデカードを選んだ。
「こちらすぐおつけになりますか?」
「もちろん。ただし、あたしじゃなくエリカにね」
「えっ?」
ポンッとエリカの首にリボンがついた。それに最初からつけている時計のモチーフが提げられている。
「ん、やっぱそのほうがかわいい」
「《ありす》、あなた自分のために交換しなくていいの?」
「それはゆっくり考えてから。今回みたいなやり方は、二度は通用しない。次は別のを考えないと。それにほら、今回はエリカに手伝ってもらえたから成功したんだし、そのお礼ってことで」
エリカが困っていると、《ジャック》は「素直に受け取っといたら?」と言った。
「ところで質問だけど」
《ありす》は白ウサギに向き直り、
「カード化できるのは。カタログに載ってるものだけだよね?」
「はい。カード化が決定しても、システムに反映されるのには多少時間がかかったりして、まだ載っていないものもありますが」
「そうじゃなくて。どこにも載ってなかったものがカードとして排出されることはある?」
白ウサギは首を傾げた。
「排出ということは、仮想空間ではなくアーケードゲームのほうですね?」
「そう。『手紙』って名前の、ランクもジャンルも記載がないカードについて知ってる?」
「カタログには記載がございませんね」
白ウサギはそう答えただけだった。
「……そう。ならいいや」
《ありす》はカウンターを離れ、ぶらぶら歩きだした。《ジャック》たちは不思議に思いながらついていく。
「エリカ、なんであたしが『ワンダーランド』をやめたか不思議みたいだけど」
《ありす》は歩きながらしゃべりだした。
「確かにあたしも昔はやってた。当時小学生だから、アーケードゲームと携帯ゲーム機だけど。その頃はやってた、困った社会現象があってね……カードの盗難だよ」
「ちょっと待って。『ワンダーランド』はポイントさえ貯めれば、自分で好きなレアカードをゲットできる仕組みよ? ランダム排出と違ってダブりもないし。子供でもちょっと頑張れば、欲しいカードが手に入るのに」
「うん、頑張れば必ず手に入るよ? でも、それすらめんどくさくて、楽して手に入れたいってやつもいるよね? そんな連中がネットに集まって、窃盗団を作った。そいつらは逮捕されたけど、ニュースが流れたことによって、全国で模倣犯が出た」
「まさか―――」
「そう。あたしもある日、ファイルごと盗まれた」
《ありす》は無機質な声で言った。
「あたしの場合は複数犯だった。人気のないところでいきなり後ろから殴られて、袋叩き。大けがして倒れてたとこを通行人が見つけて、救急車さ。目撃者はいなかったから、今も犯人は捕まってない」
これが美姫が『ワンダーランド』を避けるようになった理由だった。
それまで盗難はあっても、ひったくりのように盗むだけで、さらに暴行を加えるケースはなかった。しかも美姫の怪我はひどく、犯人は殺意があったのではないかとまで言われている。
まして美姫は《女王アリス》の娘。大事件として扱われた。
犯人が美姫の素性を知った上での犯行かどうかは分からない。
『ワンダーランド』はそれからしばらく全ゲームを中止にする事態となった。その間に、模倣犯たちは次々捕まり、重い処罰を受けた。
「でも、『ワンダーランド』のカードは全部シリアルナンバーがついていて、どのプレイヤーがいつどこで排出したものなのかわかる仕組みになってるはずよ」
「そうだね。窃盗団の場合、転売した時にバレた。筐体のほうも、盗まれたナンバーのカードが使われたら通報するシステムが搭載されたから、あたしを襲った犯人も転売したりすれば、すぐわかるはずだった。でも今に至っても出てこないということは、犯人は盗んだけれど捨てたか……」
「伏せろ!」
急に《ジャック》が叫んで《ありす》に飛びつき、押し倒した。
ぎゃあああああっ!?
美姫は悲鳴をあげかけた。
いきなりなにすんのよ!
頭上を炎がかすめていったが、美姫はそれどころではなかった。顔を真っ赤にして震えている。
「なっ、なに?!」
「魔法カード?!」
《ありす》とエリカは同時に言った。
炎は建物を直撃し、壁が崩れる。
それはホログラムじゃなかい。
あきらかに『本物の攻撃』だった。
「そんなバカな! 魔法っていっても、ホログラムよ? こんな風に、破壊したりできるはずがない!」
エリカが叫ぶ。
攻撃を仕掛けてきたのは、フードとコートで身なりを隠した、見るからに怪しいプレイヤーだった。
着替えを楽しめる『ワンダーランド』で、こんないかにも不審者ってスタイルはありえない。
「なに、あいつ……」
「ちょ、どいてよ大貴!」
美姫は思わず呼び方が戻っている。それだけ動揺してるってことだ。
この世界は仮想空間。実際に美姫が大貴に押し倒されているわけではない。
それでもリアルさに、現実でやられているのと同じだった。
「じっとしてろ! 前に出るな!」
大貴は美姫を抱きしめた。
うぎゃあああああっ?!
美姫がさらに顔を赤くする。それどころじゃない大貴は気づかなかった。
「アレク!」
「ふぎゃお!」
アレクがうなると、謎のプレイヤーの周囲にトランプ兵が現れた。
「強制停止!」
トランプ兵が叫ぶと、謎のプレイヤーは球体に閉じ込められた。
完全に動きを封じられ、一時停止状態のように固まっている。
「え、な、何がどうなってんの?!」
起き上がろうとする美姫を大貴は止めた。
「あとはトランプ兵に任せてログアウトしろ!」
言い終わるかどうかだった時、目の前から《ジャック》の姿が消えた。
仮想空間から離脱したのだ。
次の瞬間、美姫は現実世界に戻っていた。
傍に、いつの間に来たのか、母親もいる。どうやら母親が現実世界から操作してログアウトさせたらしい。
「母さん……?」
「大丈夫か、美姫!」
大貴がメットを放り投げて美姫を揺さぶってきた。
「ちょ、大丈夫だって。つか、あんま揺するな」
脳みそシェイクする気か。
「本当に大丈夫か? 何か影響出てない? かすったりもしてないよな?」
大げさだなぁ。なんでそこまで心配してんの。
美姫がブンブン揺さぶられながらなんとかうなずくと、大貴はやっとほっとしたように頭を肩にうずめてきた。
うぎゃああああああっ?!
美姫は叫んで突飛ばそうとした。すんでのところで止めたのは大貴が震えていたからだ。
「だ、大貴? あんたこそ大丈夫?」
「よかった……」
「どしたの? ねぇ、あのプレイヤーとか何なの?」
「偽造カードよ」
答えたのは美姫の母だった。エリカが首をひねる。
「偽造カード?」
「実は女王杯開始後、正規のものでない偽造のカードを使うプレイヤー集団がいるの。『ワンダーランド』では魔法が使えるといっても、しょせんはホログラム。幻影だから、すりぬけるようプログラムされてるのよ。これは『ワンダーランド』は人を楽しませるエンターテイメントで、プレイヤーに害を及ぼすものはカードにできないってルールに基づいてるわ」
「人を傷つけるカードなんて存在しないはず……でも、あれはあきらかにくらったらヤバいって攻撃だったわね。つまり、誰かがプレイヤーにダメージを与える偽造カードを作り出したっていうの?」
美姫の母はうなずいた。
「プレイヤーを攻撃して入国証を奪い、カード情報を盗み取ったり、勝手にカード交換してそれを強奪したり。現実世界で起きた盗難が、仮想空間にも広がり始めたのよ」
「でも母さん、仮想空間内でもカード化する時はシリアルナンバーがつけられるはずでしょ。不正入手しても、使えば犯人特定できるはずだよ」
「奪われたカードは使用されてないわ。美姫、あなたの時と同じでね」
美姫は体を固くした。
「―――っ」
あの時の恐怖と痛みが蘇る。
それに気づいた大貴が、ぎゅっと抱きしめてくる。落ち着け、と耳元でささやいた。
「大丈夫だ。犯人はここにはいない」
「…………」
「安心しろ。俺が傍にいる」
美姫はしばらく呼吸も忘れたように虚空を眺めていたが、大貴が繰り返し背中をたたくのに落ち着いてきたようだ。
「……うん」
美姫はそっと大貴の服を握り締めた。
大丈夫。
ここは安全。
犯人は今ここにいるわけじゃない……。
美姫の母は娘を幼馴染の男子がなだめるのを黙って眺めていた。何の注意もしないので、エリカが何やら一人うなずいていた。
美姫の母はそんなエリカに言った。
「盗まれてるのはレア度の高いカードや、そのプレイヤーが好んで使うカードばかり。狙われたのも、ランク上位のプレイヤーだけ」
「目的は強いプレイヤーのカードを盗み、ポイントも減らして戦力をそぐことね?」
カードはなくなっても、ポイントをためればまた交換できる。しかし手間と時間がかかる。
がんばって手に入れたものが奪われたという失望感を与え、同時に主力カードを盗むことで戦力も落とせる。ランク回復も大変な作業だ。
「集団って言ったわね。おそらく首謀者はいるんでしょ?」
「たぶん。そいつの指示に従って動いてるらしいわ。誰かが非合法な手段でライバルを蹴落とし、優勝を狙ってる」
「正々堂々と戦わず、犯罪行為で勝とうとするなんて……! そんなことまでして勝ちたいなんておかしいじゃない。最初から人間として負けてるって気づかないのかしら」
エリカは辛らつだ。
チェシャ猫が言うのも妙なセリフだが。
「私たちはもちろんすぐに警察に捜査を依頼し、協力して犯人を追ってるわ。全チェシャb猫にプレイヤーのガード機能も装備させたし。攻撃を受けた、もしくは受けそうな時はすぐ近くにトランプ兵を出現させられるようにもしてある」
それでさっきアレクがトランプ兵を瞬時に召喚できたわけだった。
「トランプ兵には元々トラブルを起こしたプレイヤーを捕まえる機能があるの。ほら、《エンプレス》を捕まえて強制退場させたようにね」
「そうね」
「さっきの偽造カードプレイヤーは強制的に一時停止させてあるわ。それなら意識がつながったままだから、逃げられることはない。すでにIDから住所氏名は割り出したわ。もおう警察が向かってる」
母親はスマホを見ながら言った。
「この手でこれまで何人か捕まえてるの」
美姫はやっと会話が耳に入ってきたらしく、顔を上げた。
「え? そんなニュース聞いたことないけど」
「捜査中だから伏せておくよう警察に言われたのと、模倣犯が出ないようにね。現実世界で窃盗犯が出た時ニュースになったら、模倣犯が大量発生したでしょ? だから警察も慎重になってるわけ」
「逮捕したやつがいるなら、首謀者分からないの?」とエリカ。
「それが謎なのよ。どうもネットで募ってたらしくて。面白半分に協力したってやつばっかりで、主犯の顔も名前も知らないっていうの。サイバーポリスが捜査したけど、そのサイトはもう閉鎖されてた。新しくどこかでまた手下を集めてるんだろうけど、見つけるのは至難の業よ。偽造カードを使わなければ、普通のプレイヤーと変わらないから、見分けもつかないし……」
「だから俺が囮やってたんだよ」
大貴がまだ美姫の背に手を回したまま言った。
「囮?」
美姫の母は手を振って、
「一応私たちは反対したのよ。『ワンダーランド』は脳に働きかけて意識を直接リンクさせるから、偽造カードによってダメージを受けるとプレイヤーの脳に何の影響も出ないとは断言できないから」
「大貴!」
美姫はぎゅっと彼の腕を握り締めた。不安げに見上げる。
大貴はにっこりと笑い返した。
「大丈夫だよ。今のところ、健康被害は確認されてない」
「そういう問題じゃないでしょ!? 後になってから影響出るかもしんないじゃない!」
「だから平気だって。実はマントに偽造カードプログラムをはじく設定つけてあるし。それに俺は今まで襲撃受けたことはない」
美姫は首を傾げた。
「たぶん女王杯にエントリーしてなかったから、ほっといてもいいと思われたんだろうな。誰かとペア組めば、そいつも危険にさらす恐れがあるから、誰とも組めなかったんだよ。でも囮としては、襲撃してくれなきゃ困るわけで。だから美姫とペア組めたのは色んな意味で助かった」
「あ、裏事情話しても問題ないもんね。気心知れてるし」
何かあっても、まぁ、あたしなら合わせられる。
エリカが大貴にたずねた。
「でも、美姫も狙われるってことよ。さっきみたいに。そこはいいの?」
「別に。俺が常に傍にいて守ればいいだけだし」
さらっと言ってのける大貴に、エリカは苦笑した。
「ああ、うん……。がんばんなさいね」
なんだか事情通の近所のおばちゃんみたいな励ましまでしている。
美姫は首をひねった。
「? 何を?」
「この通り鈍感娘だから大変だと思うけど、大貴君、ガンガン攻めていいから」
「母親の言うセリフじゃないと思うんですけど、いいんですかそれ」
大貴が思わずつっこんだ。
「やりすぎってくらいやらないと分かんないと思うからいいのよ」
エリカは生暖かい目で若い二人を見やっていた。
「……女王杯に勝つには、偽造カードプレイヤーも蹴散らさなきゃならないわけか」
美姫はスマホを取り出すと、マイページにアクセスした。
「それの対処も大切だけど、こっちはどうなったかな?」
見てみると、投票ベストテンの全てを美姫の案がしめていた。
「おー、さすが」
「頭フル回転させたからね。投稿した他の案は……」
スワイプしようとして、美姫は指を止めた。大貴が覗き込んでくる。
「どうした?」
《エンプレス》、《エンプレス》、《エンプレス》。
新着投稿に並んでいるプレイヤー名が五十くらい全部その名前だったのだ。
美姫の出した案へのコメントも、《エンプレス》とそのとりまきとみられるプレイヤーが次々嫌なコメントをつけまくっている。
「《エンプレス》って、強制退去くらってなかった?」
「それは仮想空間の中だけで、マイページ閲覧はできるし、投稿も可能よ。それにしても、このコメントは悪質ね。訴えたら勝てるんじゃない?」
「うわぁ。ジャンル問わず色んなのを、ここぞとばかりにたたきこんできてる感じだな」
しかもよく見れば、レア度の高いの希望のばかりだ。
投稿時にレア度も設定することができる。美姫が出したのは全てレア度が低いのばかりなのに、対照的だ。
「……これ、この短時間で考えたの?」
美姫は眉をひそめた。
大貴も不審げに、
「確かに。今までの《エンプレス》の傾向とはあきらかに違うのがゴロゴロあるな。……誰か他のやつが考えたアイデアを、自分のってことにして投稿させてる?」
大貴は美姫の母を見て、
「調査しといたほうがいいんじゃないですか?」
「そうね。前からこのプレイヤーには疑わしいところがあったし」
「前から?」
「とりまきに考えさせたのを自分のものにして投稿するだけじゃなく、投票に関しても疑惑があるの。組織的に投票して上位に食い込み、どんどんカード化する。そうすれば《エンプレス》のポイントはガンガン貯まるでしょ」
共作ならきちんと投稿時に「○○と××の共作」と明記すれば問題ない。でも、《エンプレス》の場合は他人が考えたものを横取りしている。これは不正行為だ。
とりまきに考えさせて、自分の名義で提出。組織票で上位をとり、カード化決定したら取り巻きが速攻カード化しまくる。《エンプレス》には謝礼ポイントが貯まる。カード化リアルタイムランキング上位にも反映され、さらに多くの人が見る。
そしてまたアイデアを出して……とループしていけば、効率的なポイント稼ぎが可能だ。
「あきれた。そこまでして首位に立ちたいか」
母親のケータイが鳴った。しばらく話して、
「さっきの偽造カードプレイヤーは警察逮捕したわ。ただ、ネット上で声かけられて、愉しそうだったからやっただけだって供述してる。首謀者がだれかは知らないみたい」
「状況的に《エンプレス》だと思うけど……確証はないか」
捕まるのは未成年が多く、どれも今後の対応が大変なのだ。
……エリカが「ふああ」とあくびした。
「ああ、そうか。そろそろね。来て、寝場所を用意するわ」
美姫の母親はエリカを連れて行った。
へー、チェシャ猫も睡眠とるんだ。普通の猫みたく、クッションの上で寝るのかな。
「美姫」
「うん? なに?」
「危ないから、俺のいないところではログインするなよ。仮想空間入っても、必ず俺かアレクかエリカ、白ウサギとか味方が常に傍にいるようにしろ」
「ああ、大丈夫だよ」
手をヒラヒラ振った。
「それよりさ、なーんかここまで出かかってることがあるんだよね」
「なにが?」
「《エンプレス》。似てるやつに昔どっかで会ったことあるような……」
美姫は記憶をたどったが、すぐには出てこなかった。
大貴は美姫の頭をポンポンとたたいて、
「今日は色々ありすぎたからな。疲れたんだろ。明日ゆっくり考えればいい」
「ん、そだね。ありがと」
☆
美姫は夜、妹の部屋に行ってみた。
真姫は変わらず眠っていた。頭上には時計が浮かび、針が止まっている。
トランプ兵がやった強制一時停止みたいだな。
美姫は元通りドアを閉め、自分の部屋に戻った。