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ワンダーランド  作者: 一城洋子
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不思議の国と謎のチェシャ猫

「残念ですが、今の医学では治せません」

 医師の診断に、美姫は耳を疑った。

 妹の具合がここのところ悪く、病院に行くと聞いたのが数日前。

かかりつけ医は「大病院で詳しく検査してもらったほうがいい」と言った。そこで両親が連れて行ったのが今日。

美姫も一緒にくるようにというのでついていったら、そんな結果が待っていた。

「これは非常に珍しい難病で、治療薬もありません。研究も進んでおらず……」

 美姫はろくに聞いていなかった。

 呆然としている美姫に対し、両親は覚悟していたのか、どこか落ち着いていた。

 本人には告げない、と家族で話し合って決めた。ちょっとした病気のふりをしておこうと。

 妹は連れて帰ることにしたのだが、やはり体力が落ちているのか、帰るとすぐに寝てしまった。

 美姫はそんな妹に何もできず、何も言えず、ただ黙って出ていくしかなかった。

 リビングに行くと、両親はいなかった。両親の部屋にいるのか、降りてくる気配もない。

「……どうしよう……」

 美姫はソファーに座り込み、クッションを抱きしめた。

 これまでは家族四人、ごく平凡に暮らしていた。

明日もしあさってもいつも通りの日常がくると思っていた。

クールな母親、娘たちに甘い父親、少しわがままな妹。

「遅刻するーっ」って、中学校まで妹と走る毎朝。

昼は友達としゃべって、笑って過ごす。

夜は妹とテレビのチャンネル権争いとかして……。

 そんなことをぼんやり考えているうちに、美姫は無意識にテレビのリモコンをとっていたらしい。

いつも金曜のこの時間は妹が欠かさず見ている番組があったからだ。美姫は見ていなかったのだが……。

「さあ皆、今日も『ワンダーランド』の時間だよ!」

 恒例の出だしとともに、アニメがスタートした。

 『ワンダーランド』は今、日本中で大人気のゲームである。

始まりはオンラインゲームで、それが爆発的人気になって、スマホゲームや携帯ゲーム、アーケードゲームに広がった。これはそのアニメ版だ。

 基本の内容はシンプルなもの。『ワンダーランド』―――不思議の国に行くと、魔法が使える。

その仮想空間では誰もがエンターテイナーになれるのだ。

『ワンダーランド』はバトルゲームじゃないから、戦闘はない。アイドルゲームやリズムゲームでもないので、音楽に合わせてボタンを押すとかもない。

 マイキャラを着替えさせて、魔法を使って、人を楽しませるショーをする。それが基本コンセプトだ。

 ま、ここまでなら普通のゲームってことになる。

違うのは、プレーヤーの意識を接続することにより、仮想空間をリアルに体験できるってことだった。

 そしてその特性ゆえに、障害のある人でも楽しめる―――。

 障害者にも配慮した設計。どんな人でも楽しめるという理念。ただ敵キャラを倒すだけの安易な内容ではなく、第一義は「人を楽しませること」。

利益最優先のえげつない課金システムは存在しない。よくスマホゲームの重課金とか、子供が課金しまくって高額請求きたなんて世の中にはあるが、ここにはない。

誰もがある程度プレイすればレアアイテムも、数か月遅れくらいにはなるが、入手できるようになっている。

これも障害者や低所得者など、簡単にはゲームしまくれない人への配慮だという。

福祉への配慮、ユニバーサルデザイン、利益第一でない。

それが広まった理由だった。

 このアニメでは女主人公がプレーヤーになり、ショーを通じて人を楽しませることに嬉しさを見出し、人間的に成長していくストーリーになっている。

 ほぼ全ての子供が『ワンダーランド』が好きだった。

 ―――でも、美姫は嫌いだ。

「『ワンダーランド』は誰もが幸せになれる世界。さあ、今日はどんな冒険が待ってるのかな?」

 美姫は驚いてテレビを見た。

完全に無意識にリモコン操作していたらしい。

「……なにが、不思議の国よ」

 ぎゅっとこぶしを握り締める。

「夢が叶うとか、嘘っぱちじゃないか」

希望なんかない。どこにあるんだ。

妹だって、もうどうしようもないのに!

「こんなもの!」

 美姫は思わず持っていたクッションをテレビに投げつけていた。

 その瞬間、画面がピカーッと光った。

「うわああああっ?!」

 壊れた?

 光の中に何かシルエットが見える。

小さい。なんだ?

それは飛び出してきて、美姫の顔にへばりついた。

「ぎゃああああああああああっ!」

 パニクッて、手をあわあわさせる。現れたそれのほうも訳が分からないのか、「わたたたた」と手?を振り回した。

 美姫がやっとのことでひっぺがすと、それは美姫の手から逃れ、くるっと空中一回転して床に降り立った。

「ずいぶんひどい言い様ね」

「へっ?」

 美姫は目をぱちくりさせた。

 彼女の目の前にいたのは、一匹の黒猫だった。

首輪には懐中時計がモチーフの飾りがついている。

 猫は美姫を見上げた。

「『ワンダーランド』は誰もが幸せになれる世界。さあ、今日はどんな冒険が待ってるのかな?」

 アニメでもゲームでも、『ワンダーランド』はこの言葉で始まっている。最初の製作者の言葉だったらしい。

 美姫はまず上を向き、左、右と目を動かして、正面に向き直った。

「猫がしゃべってる―――っ!」

 叫び声に、別室にいた両親が慌ててすっ飛んできた。

「どうした?!」

 美姫は父親の後ろに隠れ、

「お父さん、猫が、猫がテレビから出てきたぁ! つか、しゃべってるっ!」

 両親は猫を見、それから顔を見合わせた。母親がうなずく。すると父親も合点がいったというように首を縦にした。

 母はぜんっぜん驚かずに言った。

「美姫、『チェシャ猫』がしゃべるのは当たり前じゃないの」

「はい?」

 美姫は両親のあまりの落ち着きように、あっけにとられた。

 母はテレビを指して、

「ほら、『ワンダーランド』のマネージャー兼コーチ兼ナビゲーターキャラよ。『ワンダーランド』は文字通り『不思議の国のアリス(アリス・イン・ワンダーランド)』をモチーフにしてるでしょ。だからナビキャラが『チェシャ猫』」

「いや、うん、それは知ってる。そうじゃなくて、なんでゲーム内のキャラが現実世界に現れんのよ」

 あくまで二次元の存在のはずだ。あっ、そっか、これ夢か?

 美姫はほっぺたを渾身の力でつねってみたけど、痛かった。ほんとに痛い。

 母は黒猫に微笑みかけた。

「久しぶりね、エリカ」

 エリカと呼ばれた黒猫は一瞬奇妙な表情をした。ややあって、何か悟ったらしい。

「……そうね。あなたにとっては、ずいぶんと久しぶりになるのね」

 黒猫は美姫を見やり、「あなたが新堂(しんどう)()()?」

「ええ」

 母親が代わりに答えた。なぜか感慨にふけっているような声だ。

「ちょっと、お母さん。なんでその猫があたしの名前を知ってるの?」

「え? ああ、だって教えたのは私だもの。……ずっと昔のことになるけどね」

 教えた? どうして?

 母親は美姫に向き直った。

「彼女とは、そうね―――彼女のことはよく知ってる、とでもいうところかな。それから、彼女が現れたのは、別に不思議でも何でもない。だって、来るってわかってたもの」

「わかってた?」

 美姫は首をひねった。

 どういうこと?

 その疑問が解決する前に、家のドアが勢いよく開いた。

「美姫?! どうしたさっきの叫び声!」

 チャイムも鳴らさず、少年が飛び込んでくる。

「大貴」

 美姫は幼馴染の少年の名を呼んだ。美姫と同い年とみえる少年はリビングの状況を見て、目をしばたいた。

「猫飼うことにしたのか?」

 親が内緒で買ってきて、それに美姫がびっくりしたと思ったらしい。

「いやいや、違うからっ! 飼い猫じゃない!」

「ああ、野良が家ん中入ってきて驚いたのか。ほら、外出な」

「私は野良猫じゃないわよ」

 エリカが答えた。大貴の目が点になる。

「……今、誰がしゃべった? 腹話術?」

 美姫は黒猫を指し、

「腹話術じゃないよ。この猫がしゃべってんの。チェシャ猫なんだって」

「は? いや、うん。え?」

「『ワンダーランド』のチェシャ猫なんだってさ。どういう理屈か理由か知らないけど、現実世界に出てきたって言うの」

「誰が」

 美姫は両親を示した。

「……えーと、おじさんおばさん、からかってます?」

「冗談じゃなく本気よ。この子はエリカ。私の昔の知り合いね。ある目的があって来たの」

「目的?」

 美姫と大貴は同時にきいた。

「それはね、美姫をスカウトするために来たの」

「はぁっ?!」

 美姫はまたすっとんきょうな声を上げた。一体今日だけで何回この音を発してるんだか。数えていったら面白いことに……ならないな。

 大貴は唖然として、声もない。

「……ちょっと待ってください。スカウトって何に」

「決まってるでしょ、『ワンダーランド』よ。チェシャ猫は『ワンダーランド』のキャラだもの」

「そりゃそうですけど、美姫が『ワンダーランド』を? そりゃ無理ですよ」

 ―――そう、無理だよ。

 美姫は口の端をひきつらせた。

嫌な記憶がよみがえる。

そんな美姫の反応に、エリカが首を傾げた。

「嫌なの?」

「嫌だよ。『ワンダーランド』なんか大嫌い!」

 美姫はきっぱり言った。

母親が辛そうな顔をする。

エリカは二人を見て、ますます不審がった。

「どうして?」

「どうしてもだよ」

 美姫はそれ以上答えようとしなかった。

 ……思い出したくもない。

「でもね、あなたが女王杯で優勝することが必要なのよ。そうすれば、真姫は助かる」

 妹の名を出され、美姫は驚いて母親を見た。

「どういうこと?」

「『ワンダーランド』はこの間、第二回女王杯の開催を宣言した。優勝者には特別な賞品が与えられる。それを使えば、真姫は助かるのよ」

「ちょっと待って」大貴が割って入った。

「優勝賞品は確か、特別なカードですよね? ゲームの中で使える。あくまでゲーム内のアイテムが、どうして現実世界で役に立つんですか?」

 例えば回復魔法カードだったとしても、治せるのはゲームのキャラだけだ。

「細かいことは、正直私たちにも分からないの」

「そんな。だって、『ワンダーランド』はお母さんたちが作ったんじゃない」

 美姫と大貴の両親が約二十年前『ワンダーランド』を作った。今は一大ゲーム会社となっているが、現在も製作チームを指揮している。

 父親が答えた。

「『ワンダーランド』はほとんど時定(ときさだ)斗真(とうま)が作ったものだ。システムは全部あいつが作った。今は亡き、天才発明家。若くして亡くなった、僕らの親友だ……」

 その名前を聞いた時、エリカが悲痛に顔をゆがめた。

 ?

 名前は聞いたことあるけど……。

あたしが生まれるよりずっと前に亡くなったゲームクリエイターがなんなの?

「実のところ、女王杯なんて僕らは知らなかった。斗真が死ぬ前に仕込んでいったものらしい。時限式で、ある特定の時間にスタートするようプログラムしてあったんだな。第一回の女王杯もそうだった。これが二度目だ」

「はあ、それで?」

「斗真は死ぬ前、いずれ必要なことがあるから、あるプログラムを入れといたと言っていた。将来、僕らの娘を救うために使えと。斗真がなぜ僕らに娘が生まれ、その子が病気になると知ってたかは分からない。……でも、あいつは絶対嘘はつかないし、無意味なことはしないやつだった。だからこれが真姫を助ける唯一の方法なんだ」

「賞品も斗真が遺していったものよ。第一回の時と同じ、『願いの叶うカード』」

 そりゃ、願えばゲーム内でなら叶うかもしれないけど。大貴が首を傾げた。

「そのカードに真姫を治す薬の生成法でも記載されてるんですかね?」

「さあ、分からない。賞品名は第一回と同じでも、形態は違うかもしれないから……。私の時は一見普通のカードだったけど、違ったしね」

 第一回女王杯の優勝者である、美姫の母は言った。

 二十年以上前に開催された最初の女王杯。全プレイヤーからたった一人のトップを決めるというコンテストだった。その戦いを制したのが、《アリス》のマイキャラ名を持つ彼女だった。

 『ワンダーランド』は『不思議の国のアリス』をモチーフにしたゲームである。最初の製作チーム四人は、全員『アリス』の登場人物名をマイキャラにつけた。

 《アリス》は圧倒的才能を誇る伝説のプレイヤーだったという。「製作者だから」なんて批判が出ないほど、天才的エンターテイナーだった。

誰もが彼女の優勝を当然だと思った。

「女王になった時、私もそのカードを手に入れ、使う権利を得た。そして実際に願いをかなえたのよ、それは現実になった」

「一体どういうからくりで?」

 重ねてきく大貴に、美姫の母は答えなかった。

「それは言えないの。優勝者だけの秘密だから。とにかく、経験者だから言うけど、真姫を助けるにはそのカードを使うしかない。使うためには、女王杯で優勝しなければならない。私はすでに第一回で優勝して殿堂入りしてるから、今回参加できない。公平を期すために社員も参加を禁止されてるわ。だから美姫、あなたしかいないのよ」

 母親は娘に向き直った。

「どう、美姫? 妹を助けるため、やってくれない?」

「…………」

 美姫はうつむき、手を握り締めた。嫌な記憶がどんどん蘇ってくる。辛くて、悲しかった思い出。

 製作チームの娘であり、女王杯優勝者を母に持つ美姫は、元は『ワンダーランド』が大好きだった。むしろ率先してやっていた。それがここまで嫌いになったには、相応の理由がある。

 それでも、妹の命を救う唯一の方法であるならば、やるしかなかった。

「……やるよ」

 美姫は顔を上げた。

「やる。優勝して、妹を助けてみせる」

 しばらく黙ってなりゆきを見守っていたエリカが進み出た。

「決まったわね?」

 チェシャ猫なのに、くすりともしていなかった。


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