乙女ゲームの世界とやらで、巻き込まれて傍観者やってます。
「ちょっと! もう、何、突然っ!?」
聞こえてくる足音は複数人分。急いでいるのか、速くて大きな音が発つ。
「お前は! もう少し状況を考えろよ!」
聞こえていた足音が途切れ、少し苛立ったような声がはっきりと聞こえてくる。立ち止まって会話を始めたのかもしれない。
そう思った途端に、今度は会話も途切れた。
訪れた沈黙は時間にすればそろそろ30秒を超えるかしら…? と思ったところで会話は再開された。
「男子生徒のふりしててもお前は女なんだぞ!? あんな乱暴な取っ組み合いになんか混じるなっ! 万が一バレたらどうするつもりだ!!」
……会話、というよりは一方的に叱っているような気がしないでもない。そして、何が原因で彼が怒っているのかを説明する辺り、会話の相手は彼がなぜ怒っているのかを理解していないという事だろう。
「……聞こえちゃってるんですけどね。超極秘情報」
どころか見えてもいるんですけれど。
吐息のような微かな声でエレンは呟いた。
会話というよりは教育的指導のお説教に、時折反論しようと単語が混じる。けれども単語を発すると相手の感情を逆なでしてしまう様で、いっそうお説教に力が入っている様子なのが伝わった。
だからきっと、エレンの呟きなど聞こえていないはずだ。こんなに――彼らのすぐ傍に生い茂る小低木の陰にエレンがいる事も、気付いていないに違いない。
いつも通りに。
「大丈夫かどうかの見極めはちゃんとしてる! それでもバレた時は自己責任だよっ!!」
おお、反論した。
先程から「でも」とか「だって」とかしか言えてなかった変声期を知らぬソプラノの声が、それよりも一オクターブ低い声にようやく意見を告げた。
何となく大きなオオカミを前にして必死で虚勢を張るヒヨコのイメージが湧いたけれど、あながち間違いでもないだろう。
「お前は! 人の心配をなんだと思ってるんだ!!」
あ、ヒヨコが転がった。
間近で勢いよく吠えられたせいでこらえきれず、後転するヒヨコの姿がエレンの脳裏に浮かんだ。
目をぱちくりとさせ、何が起きたのか分からないようなきょとんとした表情はやがて―――
「行け――っ!! そのまま押し倒」
ヒヨコの声とは異なるソプラノの叫びが間近で聞こえてきた。何を言っているのか理解するよりも早く、エレンの身体が動く。
思考を中断させ、ぐにゃ、と音がしそうな勢いで、エレンは自らの髪を飾っていた髪飾りを握り込んだ。
「うぅむぇえぇぇぇ…」
白熱した試合を真剣に応援する様な熱意のこもった声が、途端に小さくなり、意味をなさなくなった。それでも沈黙しないそれを、エレンは髪から取り外して一層の事力強く握りしめて黙らせる。
そしてそのまま座り込んで隠れていた小低木の陰から、身体を起こさないように注意を払いながら移動した。
エレンが移動を止めた場所には、広げたままになっているお弁当と紅茶を淹れてきたポット。そしてそれらを入れてきたバッグが置いたままになっていた。
周囲に人がいないとはいえ、置きっぱなしというのは不用心だ。分かってはいたのだけれどもこのような状況となったのは急かされた所為であり、ある程度は仕方のない事だった。
これだけは、と手に持ち移動していた本を、身を落ち着けてから太ももの上に置いた。
「もう、どうして静かに出来ないんですか」
「あんたはなんであの光景見てそんな冷静でいられるのよっ」
「えー」
そんな事言われても、と表情で語るエレンの視線の先にあるのは髪飾りである。
同意しかねるという表情をエレンが続けていると、彼女の手にあった髪飾りは「どうしてこの萌えが分からないのよっ」と不満げに呟いた。
「せっかく乙女ゲームの世界に転生したっていうのに」
「女性向けの恋愛ゲームの世界でしたっけ? そういえば、さっき押し倒せとか言ってましたけど、そのゲームは健全だと以前おっしゃってませんでした?」
エレンの年齢は22歳。未婚の嫁ぎ遅れだが、何をもって健全というか不健全というかくらいの知識は持ち合わせている。そして、以前聞いた時に、髪飾り――自らをカズサと名乗る丸いファーの飾りは、ここは健全な乙女用恋愛シュミレーションゲームの世界だと確かに言っていた。
「そりゃそうよ。ゲームはね。ヒロインの視点でプレイヤーが恋愛を疑似体験するの! 十も越えない子供がプレイしても夢を壊さない仕様になってるんだから健全でしょ」
『夢を壊さない仕様』に何が含まれているのか――ナニの要素が削られているのかが分かる22歳。
いえ、でも――
「先程の発言は、その仕様を超える事を推すような発言だとしか」
「だってゲームの世界だけど今のここは現実だもの」
「はい?」
「だから、喜怒哀楽を感じるのはあたし達自身であって、モニターの向こうにいる誰かじゃないもの。あたしにとっては、今のこの状況が現実なの!」
……分かったような分からないような。
考えるのが面倒になり始めた頃、カランカランと午後の授業の始まりを告げる鐘の音が聞こえてきた。
昼休みを既定の時間よりだいぶ遅れて取ったエレンは、もう少し休む事が出来る。
エレンは、今居る学校で、教員である叔父の助手としてお仕事をもらっている。
カズサにはこの学校にある叔父の研究室で出会った、というか、捕まった。それ以来の縁だった。その縁は、良縁ではないだろう。どちらかと言えば。
彼女――カズサは元々、前世でハマった乙女ゲームの世界に転生したのはいいが、生まれる時代を200年程間違えた女である。
乙女ゲームの舞台である学校すら、当時まだ設立されていなかった。
ならば作ってしまえ! と。
乙女ゲームの舞台となるその学校の設立に、彼女が多大に貢献したというのだから彼女の熱意が伝わるというものだろう。
ドン引きするエレンに対して、若者の未来の可能性を広げるためよ、との後付けされた説明は、大変白々しかった。
学校を作れば、生徒が入学すれば、ヒロインが入学してくるのではと抱いた期待は見事に裏切られ、カズサ(これはあくまで前世の名前で、当時の彼女には別の名前がある)が生きている間に、ヒロインらしき女子が入学する事が無かった。
「だったら他の生徒がいちゃこら恋愛しているのを見てればいいじゃなーい! とはいかないのよ、バカヤロー―!!!!」
いつかは知らないが、生前のカズサが実際に叫んだ言葉である。本人が断言したのだから間違いない。言った、って、言ってた。
まあ、性別を偽って男子校に入学してくる女子は、そうそういないだろう。
そう、乙女ゲームの舞台は男子校なのだ。
カズサがヒロインだという男装女生徒と共にいた男子生徒の会話からすでにお気づきだろうが。
不完全燃焼の思いはカズサが歿しても消えず、彼女が設立に貢献した学校に寄贈した本の中に魂ごと込められた。
日本語で書かれているそれをカズサの生誕から200年になる少し前にエレンが音読してしまい(記憶はないのだが、日本語が読めた以上前世は日本人だったようだ)、それが覚醒の兆しとなってカズサはエレンが身に着けていた髪飾りに憑りついた。
以来、祓っても消えないカズサとの付き合いは続いている。
髪飾りを捨ててしまうという選択肢を、大事な大事な甥っ子から生まれて初めての贈り物に選べるわけがない。
泣く泣く身に着けるのを止めたら、髪飾りをしていないエレンの姿を見た甥っ子に泣かれたのだ。
プレゼントとして貰った後に顔を会せた時にも、自分にはちょっと可愛すぎるかなと躊躇いが勝って身に付けず、大泣きされて以来二度目の事。
悪霊は願いが果たされれば消えるものらしい。
カズサがゲームスタートだと告げたその年まで、他の別離の方法を模索して足掻いた。結局他の方法は見つからなかったけれど。
そしてカズサが待ちに待ったヒロインの少女は、本当に自らの性別を偽って男子校へ入学した。
一般的な在籍期間は三年、院生の期間を含めれば六年。留年する事があればもう少し延長となるけれども、その間カズサにつき合えば、欲求に満たされた彼女はやがて消えるだろう。
エレンはそれに協力しているのだ。
髪飾りに憑りついた悪霊は、他のモノに乗り移る事が出来なくて動けないから。
という事で、楽しくもないのにエレンはカズサの生きがいにつき合わされて、傍観者をやっているわけである。
人の恋路をのぞき見するのは無粋だと思う。
ここをカズサ自身が言うように、ゲームの世界だけど現実だというのなら。
「エレン、あんた何読んでんの?」
「本ですよ」
考え事をしながら読むのは、借り物である本に対して失礼かもしれない。
そんな風に思って、既に視線が通り過ぎた文章へと戻って読みなおす。
叔父の研究資料と異なるその本は、巷で人気の伝記。続編がいくつもあるけれども、その中でも最も新作である最新刊だ。
本の虫である叔父ほどではないものの、エレンも読書が好きだった。
ただ、助手としての収入のみで慎ましやかに日々暮らすエレンとしては、あまり趣味にばかり給与を当てるわけにはいかない。
一応学校職員という立場を得られている事もあり、エレンは学校の図書室を利用させてもらっていた。ただし、貸し出しは生徒優先。生徒からの予約の申し込みを全て消化して、エレンはようやく希望する本を借りる事が出来るのだ。
人気の本は半年以上待つ場合もある。本来ならばこの伝記もそのくらい待つか、待ちきれずに買い込むかの二択だったのだけれど、とある伝手のおかげで、こうして発売して一ヶ月と経たないというのに読む事が出来たのだ。
「それって、昨日ショーンが持ってきたやつよね」
「カズサさん。いくらあなたの方が年長者だからと言って呼び捨てはいけません。お世話になっている方ですもの」
「お世話になっているのはあたしじゃなくてあんたでしょ」
「優しくて良い方ですよ。本を貸していただいた上にお菓子までいただいてしまって」
「あたしは食えないけどねっ!」
ショーン・ビネール氏が知り合いから勧められたというお菓子は、見た目も華やかなカップケーキ。
次に来る時には味の感想を教えてほしいと言われたカップケーキは、見た目が可愛すぎてもったいなくて、まだ食べられずにいる。髪飾りに憑いているカズサも当然ながら食べられないが。
「わっかんないわー。男として振る舞う主人公が他の男子生徒との他愛ないやり取り(接触含む)に彼女が女の子だって分かってる攻略対象がもやもや苛々悶えるのが楽しいのに、あんた全然共感してくれないんだもの」
「好みは人それぞれですよ」
ケーキの感想と一緒に、この伝記を読んだ感想を彼から聞けるだろうか。
そんな事をふと思い、エレンは自覚なく口元を緩めた。
巻き込まれて傍観者をやっている彼女も、それなりに幸せな日々を暮しているようだった。
ちょっと最近こねくり回していたお話の短編版です。内容を削り、斜め45度あたりに方向性を曲げているため、割増しで分かりにくいと思います。すみません。
閲覧ありがとうございました。