忘れてやるもんか
「家族が死んじゃったらいつまでも覚えているものだけど、友達が死んじゃったらいつまで覚えていられるかな?」
彼女の唐突な投げかけに一瞬呆然とし、げんなりとした気持ちで返事を返した。
「それが今まさに病院のベッドにいる友達に対する質問ですか」
彼女はあはは~、とわざとらしく笑い、私の足をつついた。
「骨折だけで済んだんだからいいでしょ?これで死にはしないっしょ」
つつかれた足は包帯とギプスでいつもより一回りも二回りも太くなっている。こんなことになった原因は自業自得でありかなり恥ずかしいので、あえて触れないでおく。
そのことを思い出し一人悶えていると、「そうだ」と彼女が嬉々としながら通学カバンの中を探り出した。
「せっかくこんなデンとしたもの付けてるんだからさ、ドラマとか映画みたいに落書きしようよ」
筆入れを取り出し、満面の笑みでそこから油性ペンを取り出す。きゅぽん、とキャップを抜いたところで「やめい」と彼女の脳天にチョップを食らわせた。
「んな遊びのために包帯を無駄にしないでよ」
「えええ~、一度はやってみたいじゃんこういうの」
彼女は自分の頭を撫でながらも、未だ諦めていないのかペンを構えようとする。私はその手首を掴み、反対の手で彼女の手からペンを奪い取った。
「よーしよし、そんなにやりたいなら私がやってあげよう。おでこ出せほら!肉って書いてやる!!」
「うわそんなベタベタな!ていうか違うから、書くのギプスのほうだからぎゃー!!」
二人して暴れながら攻防を続ける。一応言っておくが、ここは個室ではなく四人部屋だ。周りからはくすくすと控えめに笑うおばちゃんたちの声が聞こえる。
そしてあまりにうるさかったのか、とうとう看護師さんが来て「院内では静かにしなさい!」と怒鳴っていった。その声が一番うるさかったなんて決して言わない。
「…これはないわ。いやほんと、これはない」
彼女が鏡を覗きながら言う。鏡には彼女の額が移っていて、そこには「人」と書かれていた。
「人って…。知ってるよ、私は人だよ。ちょっと、肉の書き順くらいちゃんと覚えといてよー」
ツッコむところはそこかい、なんて思いながらペンをしまった筆入れを彼女の鞄に入れる。看護師さんに怒られて大人しくなったところに、すかさず書いてやった。すぐさま気付いて払いのけられたので、払いの部分はちょっと歪んでしまった。
「いや、すぐ避けられると思ったから、残ったら面白そうなところから書いたのよ」
「それで人かい。じゃあ何、避けんのがもうちょっと遅かったらもう一個人があったの?」
「いや?「内」でしょ、常識的に考えて」
「「人」にした時点で常識も何もないよ!」
布団をぼふぼふと叩いて抗議する彼女。ああもう埃が立つ、なんて思いながら、この行為を止めるべく無理やり元の話を持ち出した。
「えーと、死んだ友達のこと覚えてるか、だっけ?なんでそんな質問してきたの」
「え、」と彼女は動きを止め、私を見た。それからすぐに笑顔を浮かべ、額を隠すように前髪を撫でつけ始める。
「いや、別に?ちょっと思っただけだよ。ほら、小学校低学年のころの友達とか、転校していった友達とか、あんまり覚えてないじゃん?」
試しに思い出してみようとするが、低学年のころの友達なんて、今でも話すような子くらしか思い出せない。ちらちらと特徴だったり思い出だったりは出てくるが、完全には無理だった。
「そうだね、あんまりでてこないや。でも「死ぬ」までいったらさすがに覚えてるんじゃない?」
「事故死とか事件に巻き込まれて、だったらなかなか忘れないかもだけど、病死だったら?入院して、しばらく会わなくて、死んじゃったとしてもそれまでの状況と大差ないんだから、そのまま忘れていっちゃうんじゃない?」
少し意外に思って彼女を見る。クラスでもいじられ役になりやすい彼女は、どこまでもポジティブな性格をしていたはずだ。
私ももう少し深く考えて、思いついた言葉をこぼす。
「…まぁ確かに、そこまで仲良くなかった子なら忘れちゃうのかもね」
ピクリ、と前髪を撫でていた手が止まった。
「でも仲のいい子だったらさ、あんまり忘れないと思うんだよね。今なら写メとか、アドレス帳に入ってたりして、思い出すきっかけは多すぎるほどあると思うし。特にあんたみたいなバカなことばっかりしてるやつは、思い出すネタがありすぎて困るほどでしょ」
笑いながらもう一度彼女を見れば、彼女も笑いながら私を見ていた。
「酷いなぁ。じゃあ何?紫月は私のこと忘れないって?」
「忘れろって方が無理。何ならあんたの武勇伝言っていこうか?この病室みんな笑いすぎで看護師さんに怒られちゃうよ?」
「え!?私そんなに変なことしてたっけ!?」
「自分では気づかないものだよねーこういうの」
その後本当に話し始めた私を、彼女は懸命に止めようとした。結局看護師さんに怒られるまでではないにしろ、病室を沸かせたのはたしかである。
二週間後、私は退院して家に帰った。今までほぼ毎日来てくれていた彼女は、その日に限って会いに来なかった。
まだギプスの付いたままの足を邪魔に思いつつも学校に行ったが、そこにも彼女の姿はなかった。
メールをしたときも電話をした時も何でもなさそうにしていたのだが、何かあったのだろうか。
クラスの友達に聞いても何もわからず、放課後彼女の家に行くべく電話をした。すると彼女は焦ったように「ダメ」と繰り返した。
訝しく思いながらも、家主に断られたこと、その様子がひどく焦燥していたことから、彼女の家には行けなかった。
それから三か月経っても彼女は姿を見せなかった。
最近では電話にも出てくれない。メールは、以前より返信がくる間隔が長くなった。
そのことをいくら尋ねてみても、ぼかされたり逸らされたりと、明確な回答はくれなかった。
さらに数日たった時、家に電話が来た。彼女の母親からのもので、「彼女が亡くなった」と告げた。
信じられない思いでそれをきいたのだが、葬式で飾られた遺影は確かに彼女で、棺に入れられていたのは確かに彼女だった。
彼女の母親の話によると、彼女には癌があったらしい。それが見つかったのは三カ月と少し前、つまりあの質問をされたころだった。その時には手術の難しいところに転移していて、助かる見込みは低かったらしい。
私は呆然と考える。あの質問は、彼女自身の不安だったのだろう。
…むかつく。
私は表情に表さないように思う。
車に乗せられ、火葬場に向かうのを見送りながら心中毒づいた。
あんな質問が浮かんだということは、彼女は私に忘れられると思ったということだ。なんてことだろう。私は彼女の一番の友達だと思っていたのに。
絶対忘れてやるもんか。
私が入院中、ほぼ毎日見舞いに来てくれた友達のことなんか、忘れてやるもんか。
いつもいつも笑顔で接してきた友達のことなんか、忘れてやるもんか。
私はぼろぼろと涙を零しながら毒づき続ける。
「鈴夏のことなんて、絶対、私が死ぬまで、絶対、忘れてやるもんか!!」