第9話 そして、現在
――そして、現在。
「こ、これは……っ」
オスカーと決別し、彼の弟アルヴィンの手を取ったミレイユは――昼下がりに王都のカフェで、ふるふると身を震わせていた。
テーブルに運ばれてきたのは、生クリームと果物で飾り付けられたケーキ。
今日のお店はアルヴィンのセレクトで、飲み物はミレイユが自分で選んだが、ケーキはアルヴィンが僕に任せてもらえませんかと申し出たので、彼の言葉に甘えた。
何を注文したのだろうとそわそわしながら待った結果。目の前のお皿にちょこんと載っているケーキは、一風変わった見た目をしていた。
「なんて可愛らしいのでしょうか……っ」
丸い輪郭に三角の耳が二つ。チョコレートで目とひげが表現されていて――つまり、猫さん。猫さんだ。
とんでもなく可愛らしいケーキだった。
ミレイユはキラキラと目を輝かせて、魅入ってしまう。
向かいに座るアルヴィンが、ほっとしたように口許を緩めた。
「よかった。可愛いもの好きのミレイユ様なら気に入ってくださると思っていましたけど……喜んでいただけたなら、お連れした甲斐がありました」
それはもう。見事に心臓を射抜かれてしまった。
食べるのがもったいないなあ、なんて考えてから、あら、と気づく。
「確かに私は可愛らしいものに目がないですが、アルヴィン様にお話ししたことはあったでしょうか……?」
ミレイユは昔から可愛いものが好きだ。部屋にはたくさんのテディベアがコレクションされているし、洋服も可愛らしい系統のドレスには心が惹かれやすい。
ただ、それをアルヴィンに口にした記憶はなかった。彼とは過去に何度かオスカーの代役で外出したけれど、そちら方面の嗜好に関しては話題にしていないと思う。
「町を歩いている時、偶にショーウィンドウに並ぶその手の品を目で追っていましたから。それで、子爵家の侍女に確認したんです」
無意識のことで、ミレイユは自覚がなかった。
「よく見ていらっしゃいますね」
あどけなさの残るアルヴィンの顔が、たちまち綻んだ。甘い笑みが浮かぶ。
「それはもう、恋慕う女性のことですから」
「ふふっ、アルヴィン様はお上手です」
ミレイユがニコニコと微笑めば――アルヴィンはじっとりとした眼差しになった。
「……ミレイユ様、本気で受け取ってないでしょ?」
もちろん、婚約者として良好な関係を築いていくための、義務染みたお世辞だと思っている。
ただ、それをそのまま口にするのは情緒に欠ける。
「せっかくのお言葉ですから、半分くらいは受け取っていますわ。それから、アルヴィン様は本当に人をよく見ていらっしゃると、洞察力に感心しきりです」
『初めてご挨拶した時から、あなたをお慕いしています』
アルヴィンからの言葉を、ミレイユは決して真に受けたりしなかった。
彼の言葉を聞いて、ミレイユはこう思った。
アルヴィンは次男だが、不肖の兄には付け入る隙があり、立ち回り次第では家督を狙える立場にある。婚約者のミレイユを取り込むことで、侯爵への交渉材料として利用したいのだろう、と。
次期当主の座を勝ち取れたら僕を選んでくださいというのは聞こえの良い建前で。本音はアルヴィンと共に侯爵家を盛り立てていくという選択肢を仄めかすことで、ミレイユを味方につける算段と考えれば腑に落ちた。
婚約者の弟に一目ぼれされたという状況より、よほど現実的だ。
幼馴染みばかりを優先するオスカーと、毎度律儀に兄の埋め合わせで駆けつけてくれるアルヴィン。同じ政略結婚でも、生涯の伴侶としてどちらと連れ添いたいかなど、悩むまでもない。
愚かなオスカーと違ってアルヴィンはミレイユが侯爵家に選ばれた理由を正しく認識していた。ミレイユを口説き、侯爵に後継者の交代を働きかけてもらうところまでがアルヴィンの思惑だったのではないだろうか。
アルヴィンに利用されているんだろうなあと感じながらも、ミレイユは彼の言葉に乗った。
それでもいいかな、と思ったからだ。例えミレイユへの告白が利用するだけの甘言でも。観察していたら、彼の当主になるための努力は真摯なもので、その努力は報われるべきだと思ったから。
隙のある兄を利用して成り上がろうとする行動力も、素晴らしい。
だからミレイユはアルヴィンの目論見通りだろうなと思いながらも、自ら動いて、侯爵と交渉した。
要は、アルヴィンとの婚約は利害の一致で成り立っているのだ。
オスカーよりはアルヴィンのほうが婚約者として上々。アルヴィンは次男でありながら家を継げる。見事な利害の一致である。
ただ、こうして共に過ごすのはなかなか楽しいので、ミレイユはこの関係に落ち着いてよかったな、と思っていた。
ミレイユは心の底から褒めたのだけれど、アルヴィンはなんだか不服そうに言う。
「他の誰でもない、ミレイユ様だから見ているのに……」
拗ねたようにぼやかれた言葉に、ミレイユは大真面目な顔で頷いた。
「将来の伴侶となったのですから、お互いの嗜好を把握しておくのは大切ですよね。アルヴィン様は以前からその辺りがとてもマメで、すばらしいと思います」
「……この会話、噛み合っているようでまったく噛み合っていないですね」
困ったように笑んで、アルヴィンが紅茶に口をつける。ミレイユは可愛らしいケーキを崩しにかかった。
中はプレーンのスポンジ。ふわふわで舌触りがよく、生クリームは程よい甘さでとっても美味だ。
ご機嫌でケーキを味わっていると、アルヴィンが自身のケーキにまったく手をつけず、ミレイユの所作を眺めていることに気づいた。
「アルヴィン様は召し上がらないのですか?」
彼のフルーツタルトも、とっても美味しそうなのに。
「あ、と。すみません。ケーキに夢中なミレイユ様が微笑ましくて、つい」
苦笑するアルヴィンを見ていたら、ふといたずら心が湧いた。
ミレイユはケーキをひと口サイズに切り分け、フォークを突き刺して。
「ひと欠片、いかがです?」
アルヴィンの口元に、寄せてみた。
「え」
途端に、柔和な顔が朱に染まった。
「いや、それは……えぇと」
アルヴィンは物凄く困った顔になる。
その反応に、ミレイユはくすくすと笑い声を立ててしまう。
「アルヴィン様は、本当に可愛らしい方です」
上手に躱せない彼は可愛らしいと思う。
「それは嬉しくないやつです……」
不満げに上目遣いに見てくるのだから、ますます微笑ましい。
弟がいたらこんな感じなのかなぁ、と思ったりもする。
期待して裏切られた時に傷つくのを避けたいので、政略結婚に期待などしないと心に決めたけれど。
この関係は、結構悪くないのではないだろうか。
まったく……、とアルヴィンがため息を漏らす。
「兄様のせいで、ミレイユ様の警戒心が……」
アルヴィンの小さなぼやきは、ミレイユのもとまでは届かなかった。
「……まぁ、いいです。時間はたっぷりありますし。気長に臨みます」
突然の決意表明に、ミレイユは小首を傾げる。
「なんのお話でしょう?」
「ミレイユ様、覚悟してくださいねってお話です」
向けられた不敵な笑みに、ミレイユはきょとんと目を瞬かせるのだった。
ということで、本作はオスカーのせいで警戒心がめちゃくちゃ強くなったミレイユをアルヴィンが頑張って口説き落とすお話です。
二人の進展を見守っていただけると幸いです。




